きよちゃんの趣味悠々

四季折々の「風情」(花・風景・イベントなど)を写真中心に紹介します !!

初秋の風情?・・・「庭の花」(1) !!

2008-09-30 14:37:41 | Weblog
初秋の風情?・・・9月30日、我が家の「小さな庭」で咲く花も「秋の花」が増えてきたように思います・・・ここでは9月30日庭で咲く花や実を、初秋の風情?「庭の花」としてUPします。

秋は「味覚の秋」と言われるように我が家の「小さな庭」にも「柿」「柚子」「金柑」や「シソ」などが「実」を付け、また、「菊」の花はまだですが、「ノボタン」「マリーゴールド」「ベンケイソウ」「ムラサキシキブ」「フジバカマ」「チェリーセイジ」「アメリカンセイジ」「ブルーセイジ」「ハナトラノオ」「向日葵」「彼岸花」などなどが咲いています。

ここでは初秋の風情?・・・庭で咲く「花」の中から
・ 「ノボタン」(シコンノボタン?)
学名を Melastomataceae juss.nom.cons. と言い、ノボタン科・ティボウキナ属の「常緑半低木」植物、原産地は「ブラジル」のようです。
・ 「マリーゴールド」(フレンチマリーゴールド?)
学名を Tagetes patula と言い、キク科・コウオウソウ属の植物です。
・ 「ベンケイソウ」(オオベンケイソウ?)
学名を Hylotelephium spectabile と言い、原産地は中国・朝鮮半島でベンケイソウ科の植物です。
・ 「ムラサキシキブ」(紫式部?)
ここでは「実」ですが、この植物は日本の林などに自生していたようで、学名を Collicarpa japonica と言い、クマツツラ科・ムラサキシキブ属の植物です。
・ 「フジバカマ」(藤袴?)
学名を Eupatorium fortunei と言い、キク科・ヒヨドリバナ属で中国原産の植物です。
・ 「チェリーセイジ」
学名を Salvia microphylla と言い、シソ科・サルビア属の植物です。
などをUPします。

今回は9月30日「庭で咲く花」を、初秋の風情?「庭の花」としてUP・・・



9月30日の庭で咲く「ノボタン」


9月30日の庭で咲く「マリーゴールド」


9月30日の庭で咲く「ベンケイソウ」


9月30日の庭で咲く?「ムラサキシキブ」の実


9月30日の庭で咲く「フジバカマ」


9月30日の庭で咲く「チェリーセイジ」


曼珠沙華の里?・・・「巾着田」(その2) !!

2008-09-24 10:17:00 | Weblog
前回(曼珠沙華の里?「巾着田」(その1))は、「巾着田」の林の中で「木漏れ日」のスポットライトを浴びて咲く「ヒガンバナ」をUPしましたが、ここでは9月20日、「巾着田」を流れる「高麗川のほとり」で咲くヒガンバナを、曼珠沙華の里?「巾着田」(その2)としてUPします。

「ヒガンバナ」はチョット変わった花?なのでいろいろな名前の付けられる花です・・・「曼珠沙華」と言う別名は「法華経」の中の「梵語」に由来しているようですが、「梵語」では「マンジュシャカ」に近い発音をするようです・・・仏教で言う「曼珠沙華」は「白くやわらかな花」であり、通常のヒガンバナとは「似ても似つかぬ花」だとか?

また、日本では「各地での名前」や「方言名?」など1000以上の名前(別名?)が付けられているようですが、「不吉であると忌み嫌われる花?」の名前(死人花、地獄花、幽霊花、剃刀花、狐花、はっかけばばあ、などなど)が多いようです・・・しかし、韓国ではヒガンバナを「相思華」と言い、ヒガンバナは花と葉が同時に出ないことから「葉は花を思い、花は葉を思う」と言う意味で、「相思華」と呼ばれるようです。

今回はいろいろな名前(別名?異名?)が付けられる「ヒガンバナ」?・・・9月20日、巾着田「高麗川のほとり」で咲くヒガンバナを、曼珠沙華の里?「巾着田」(その2)としてUP・・・



9月20日、巾着田「高麗川のほとり」で咲く「ヒガンバナ」 ①


9月20日、巾着田「高麗川のほとり」で咲く「ヒガンバナ」 ②


9月20日、巾着田「高麗川のほとり」で咲く「ヒガンバナ」 ③


9月20日、巾着田「高麗川のほとり」で咲く「ヒガンバナ」 ④


9月20日、巾着田「高麗川のほとり」で咲く「ヒガンバナ」 ⑤


9月20日、巾着田「高麗川のほとり」で咲く「ヒガンバナ」 ⑥

曼珠沙華の里?・・・「巾着田」(その1) !!

2008-09-23 04:41:52 | Weblog
例年「秋の彼岸」時期になると日高市の「巾着田」は一面「真紅?」に染まります・・・ここでは9月20日の「巾着田」から「ヒガンバナ」(彼岸花?または曼珠沙華?)を、曼珠沙華の里?「巾着田」(その1)としてUPします。

「巾着田」の由来は、この地にある「日和田山」から眺めると「高麗川」の流れが蛇行し、「巾着」のように見えることから名付けられた「俗名」と言うことです・・・面積22ヘクタールの「巾着田」は高麗川に囲まれた平地で直径約500mにもなる「巾着」状?をし、ヒガンバナの最盛期には赤い「絨毯」を敷き詰めたように一面「真紅」に染まり、毎年多くの人がその「美しさ」に惹かれて訪れています。

この「ヒガンバナ」は学名を Lycoris radiate と言い、ヒガンバナ科・ヒガンバナ属の多年草で、学名の種小名 radiate は「放射状」を意味し、別名を曼珠沙華と呼ばれています。

また、「ヒガンバナ」は全草有毒な多年生の「球根植物」で、日本には中国か朝鮮半島から稲作の伝来時に土と共に「鱗茎」が混入してきた「帰化植物」と言われています・・・その後、土に穴を掘る「小動物?」などを避けるために有毒な「鱗茎」をあえて「畦」や「土手」に植えたのが、今日のように「拡大」した源となっているようです。

尚、有毒な「ヒガンバナ」とは、「鱗茎」に毒物の「アルカロイド」(リコリン?)を含んでおり、誤飲した場合などには「吐き気」や「下痢」、ひどい場合には「中枢神経麻痺」などを起こし「死」に至ることもあると言うことで注意が必要のようです。

「巾着田のヒガンバナ」は、「高麗川のほとり?」や大きな「林の中?」に咲いているものが多く、林の中のヒガンバナは「木漏れ日」のスポットライトを受けて素晴らしい景観を呈します・・・今回は9月20日、巾着田の「木漏れ日」の中で咲くヒガンバナを、曼珠沙華の里「巾着田」(その1)としてUP・・・



9月20日「巾着田」、「木漏れ日」の中で咲く「ヒガンバナ」 ①


9月20日「巾着田」、「木漏れ日」の中で咲く「ヒガンバナ」 ②


9月20日「巾着田」、「木漏れ日」の中で咲く「ヒガンバナ」 ③


9月20日「巾着田」、「木漏れ日」の中で咲く「ヒガンバナ」 ④


9月20日「巾着田」、「木漏れ日」の中で咲く「ヒガンバナ」 ⑤


9月20日「巾着田」、「木漏れ日」の中で咲く「ヒガンバナ」 ⑥

高麗神社(その3)・・・重要文化財「高麗家住宅」 !!

2008-09-22 09:19:54 | Weblog
「高麗神社」境内にあり400年以上の歴史があると言われている「高麗氏の旧住宅」(高麗家住宅?)は国指定「重要文化財」にも指定されており、9月13日~28日の期間、「高麗家住宅」内部見学会が開催されており、「古民家」の内部に入ると「どこかなつかしい」においがします・・・ここでは9月20日の「高麗家住宅」の内部を、高麗神社(その3)重要文化財「高麗家住宅」としてUPします。

「高麗家」は代々「高麗神社」の神職を勤めてきた旧家で、江戸時代初期の「住宅」(民家?)とみられており、江戸時代の「重要民家」として昭和46年に国指定「重要文化財」に指定されている。

また、「高麗神社」の御祭神「高麗王若光」(コマノコキシジャッコウ)は高句麗(高麗?)からの渡来人で、霊亀2年(716)、武蔵国に高麗郡が置かれ「若光」は渡来人の高い技術でこの地(高麗神社・周辺?)を開拓したようです・・・その「遺徳」を偲びつくられた「霊廟」が「高麗神社」のはじまりとのことです・・・その後、「高麗神社」の「宮司」は代々「若光」の子孫が努め、現在の「宮司」は60代目となるようです。

今回は9月20日、「高麗家住宅」見学から住宅(古民家?)内部などを、高麗神社(その3)重要文化財「高麗家住宅」としてUP・・・



重要文化財「高麗家住宅」(古民家?)の全景


「高麗家住宅」(古民家?)の内部 ①


「高麗家住宅」(古民家?)の内部 ②


「高麗家住宅」(古民家?)の内部 ③


「高麗家住宅」(古民家?)の内部 ④


「高麗家住宅」(古民家?)の内部 ⑤

高麗神社(その2)・・・渡来のひびき「雅楽」 !!

2008-09-21 15:16:27 | Weblog
9月20日に高麗神社・神楽殿で、渡来のひびき「雅楽奉納」演奏会が開催された・・・ここでは9月20日の「雅楽奉納」演奏会の一部をUPします。

日本古来の歌謡と舞からなる「国風歌舞」(クニブリノウタマイ)に、五世紀中ほどから様々な楽器と旋律をもつ「外来音楽」がアジア諸国より渡来し、これらを統合した歌舞が「雅楽」と言われています。

この「雅楽」は九世紀半ば頃、渡来の系統により「左方」(サホウ)と「右方」(ウホウ)に整理され、「左方」は中国・中央アジア・インドなどから伝わった音楽で「唐楽」(トウガク)と言われるようです・・・また、「唐楽」の舞は「左舞」(サマイ)と言い、舞ぶりは「華麗な形態」から出来ているようです。
「右方」は高麗・新羅(シラギ)・百済(クダラ)・渤海(ボッカイ)などから渡来した音楽で「高麗楽」(コマガク)と言われるようです・・・高麗楽の舞は「右舞」(ウマイ)と言い、舞ぶりは「素朴な形態」をとるようです。

この他にも平安時代の歌謡である「催馬楽」(サイバラ)や「朗詠」(ロウエイ)などがあり、「催馬楽」は以前にUPした「鷲宮神社」などでとられています。

高麗神社の「雅楽奉納」で用いられる「高麗笛」(コマブエ)は、朝鮮半島より渡来したと言われ、中国伝来とされる「龍笛」(リュウテキ)より一音ほど高く、これで「高麗楽」の調べを奏でるようです。

今回は9月20日に高麗神社・神楽殿で行われた「雅楽奉納」演奏会を、高麗神社(その2)渡来のひびき「雅楽」としてUP・・・



高麗神社・神楽殿


9月20日の高麗神社「雅楽奉納」演奏会①


9月20日の高麗神社「雅楽奉納」演奏会②


9月20日の高麗神社「雅楽奉納」演奏会③


9月20日の高麗神社「雅楽奉納」演奏会④


9月20日の高麗神社「雅楽奉納」演奏会⑤


高麗神社(その1)・・・文化財展 !!

2008-09-21 07:56:13 | Weblog
9月13日~23日、高麗神社(日高市新堀)で「神社に伝わる文化財展」が行われ、「高麗神社所蔵」の高句麗(コウクリ)「広開土王碑」(コウカイドオウヒ)拓本(模刻本)などの貴重な所蔵品が展示されている・・・ここでは9月20日に参集殿前に設置されている「広開土王碑」のレプリカをUPします。

「広開土王碑」は、高句麗の「広開土王」(在位391~412年)の「事績」や「王家の由来」などを刻んだ石碑で、当時の都である「国内城」(現在の中国「吉林省集安市」?)に建てられた・・・この石碑は、高さ約6.4mの石に、4面全てに「文章」が刻まれている。

「高麗神社」所蔵の模刻本は、大正末期~昭和初期に、当時の中国「満州」で購入したものとか?・・・公開された「模刻本」は、石碑から直接とった「拓本」をもとに「版木・版石」を作り、更にそこからとった「拓本」です。

ここでは9月20日、高麗神社・参集殿前に設置された実物大の「石碑のレプリカ」をUP・・・



高麗神社「広開土王碑」のレプリカ①


高麗神社「広開土王碑」(第一面)のレプリカ②


高麗神社「広開土王碑」(第二面)のレプリカ③


高麗神社「広開土王碑」(第三面)のレプリカ④


高麗神社「広開土王碑」(第四面)のレプリカ⑤


高麗神社「広開土王碑」拓本レプリカの解説

西欧の古城?・・・甦った「ロックハート城」 !!

2008-09-18 12:45:48 | Weblog
群馬県吾妻郡に西欧の古城「ロックハート城」が1933年に移築され、見事に「復元」されている・・・ここでは9月14日、見事に「大理石村?」に復元された「ロックハート城」を訪れたので城、その周辺、その他をUPします。

「ロックハート城」は1829年に英国「エディンバラ」で建造された古城で、1993年に群馬県吾妻郡の「大理石村」に移築・復元され、この地で西欧の雰囲気が味わうことが出来、いろいろな「TV撮影」や「ロケ地」などに頻繁に使用されているようです。

西欧にあった「ロックハート城」は、英国が産業革命で富を蓄積し、有史以来最も繁栄した時代背景の1829年、「エディンバラ」の南西50Kmの地に建設された城でした・・・この「ロックハート城」の主要部をコンテナで「シベリア鉄道」を経由し、3年有余年の困難を乗り越えて「移送」して1993年この地(群馬県吾妻郡)に「復元」したとか?

今回は9月14日、甦った西欧の古城「ロックハート城」とその周辺、それらに付帯するものなどをUP・・・



甦った「ロックハート城」①


甦った「ロックハート城」②


甦った「ロックハート城」③


甦った「ロックハート城」の周辺①


甦った「ロックハート城」の周辺②


甦った「ロックハート城」の周辺③

水上温泉郷?・・・一軒宿の「宝川温泉」 !!

2008-09-17 20:14:21 | Weblog
9月13日~14日、群馬県「水上温泉郷」?大露天風呂の一軒宿「宝川温泉」に行ってきた・・・ここでは9月13日「宝川温泉」の状況をUPします。

「宝川温泉」は群馬県の「宝川」に沿った温泉で、この辺は昭和の初めまで「銅山」として採掘がされており、大正時代に「湯治場」として「宿泊施設」が作られたが交通の便が悪く利用者は非常に少ない「湯治場」だったようです・・・その後、昭和20年後半からダム工事(「藤原ダム」の建設?)がはじまり、電気や道路が整備され、現在の「温泉施設」が作られたようです。

「宝川温泉」は宝川に沿った「一軒宿」で、源泉が4本(温度43~70℃)あり、総湯量は毎分1800リットル(弱アルカリ性単純泉?)と非常に多い・・・よって、「大露天風呂」が「摩詞の湯」(混浴)約100畳、「般若の湯」(混浴)約50畳、「子宝の湯」(混浴)約200畳、「摩耶の湯」(女性専用)約100畳の4個もあり、この他に「内湯」がある。

この「宝川温泉」は冬期は利用が難しいものの、春・夏・秋といろいろな楽しみが味わえる「露天風呂」で、料理は「川魚料理」と宝川名物の「熊汁」(熊肉を使った「すいとん」?)もなかなかの美味?

今回は9月13日の「宝川温泉」をUP・・・



一軒宿の「宝川温泉」①


一軒宿の「宝川温泉」②


一軒宿の「宝川温泉」③


一軒宿の「宝川温泉」④


一軒宿の「宝川温泉」⑤


一軒宿の「宝川温泉」(摩耶の湯)⑥

谷川岳・・・「一ノ倉沢」 !!

2008-09-15 21:10:31 | Weblog
9月13日の「谷川岳」は「曇り時々雨」の天候?・・・「一ノ倉沢」が見えるか?どうか心配しながら午後1時頃「谷川岳の中腹?」へ到着・・・ここでは9月13日の「谷川岳・一ノ倉沢」を中腹から見た状況をUPします。

「谷川岳」は群馬県利根郡みなかみ町と新潟県南魚沼郡湯沢町の境の「三国山脈」にある標高1977mの山で、日本百名山の一つに数えられている・・・こんな標高2000mにも満たない「谷川岳」だが、険しい岸壁と複雑な地形で「中央分水嶺」のため天候変化の激しいことが多い・・・また、谷川岳は岩場が多く、「一ノ倉沢」をはじめ「ロッククライミング」のメッカとなっている・・・9月13日も悪天候にもかかわらず数組の「クライマー?」が岸壁に挑戦?している様子が見えた。

こんな「谷川岳」も登山者の遭難が多く、世界のワースト記録保持しているとか?・・・昭和6年(1931)の「谷川岳遭難事故」観測開始から2005年までの間に命を落とした「登山者」は781名の多くを数えているようです・・・ちなみに世界最高峰の「エベレスト」では「同じ期間の遭難者」(遭難死者?)は178名で、これに比べても「谷川岳・遭難者」は「飛び抜けた数値」を示しています。

今回は9月13日の「谷川岳・一ノ倉沢」近辺の状況をUP・・・



9月13日の「谷川岳・一ノ倉沢」近辺 ①


9月13日の「谷川岳・一ノ倉沢」近辺 ②


9月13日の「谷川岳・一ノ倉沢」近辺 ③


「一ノ倉沢」掲示板?(林野庁:関東森林管理局)


9月13日の「谷川岳・一ノ倉沢」近辺 ④


9月13日の「谷川岳・一ノ倉沢」近辺 ⑤

鷲宮町(その2)・・・関東最古の大社「鷲宮神社」 !!

2008-09-10 14:54:16 | Weblog
9月7日、伝統の土師祭「千貫神輿」の行われた「鷲宮神社」は、「天穂日命」とその子の「武夷鳥命」及び「大己貴命」を祭神とする関東最古の大社と言われ、古く歴史のある神社である・・・社伝によれば神代の昔、「天穂日命」が東国を経営するために武蔵国に到着し、天穂日命のお供の出雲族27人の部族と地元の部族が当地の「鎮守」として「大己貴命」を祀ったのに始まったとある。

中世以降には鷲宮神社(本社?)周辺の地域が「将軍領」となり、「総社」として扱われたことから関東の総社「関東鎮護の神社」として東国の武家の崇敬を受けていたようです・・・建長3年(1251)には「北条時頼」が鷲宮神社に「奉幣祈願」したことが「東鑑」(アズマカガミ)にあるほか、「藤原秀郷」「新田義貞」「古河公方」などが幣帛の奉納、神領の寄進、社殿の造営などを行い、天正19年(1591)には「徳川家康」が「社領400石」を寄進したとされ、歴代の将軍も「朱印状」を発行して社領を安堵していたと伝えられています。

現在の鷲宮神社境内には
   ・ 「源義家」(通称「八幡太郎」?)の「駒つなぎの桜」
   ・ 「源頼朝」のお手植えの「もっこく」跡
などが残されています。

今回は9月7日、鷲宮町にある関東最古の大社「鷲宮神社」から、「社殿」「駒つなぎの桜」「もっこく」などを鷲宮町(その2)関東最古の大社「鷲宮神社」をUP・・・



関東最古の大社「鷲宮神社」①


関東最古の大社「鷲宮神社」②


関東最古の大社「鷲宮神社」③


関東最古の大社「鷲宮神社」④


「源義家」(八幡太郎?)の「駒つなぎの桜」


「源頼朝」お手植えの「もっこく」跡