月乃和熊(ツキノワグマ)のささやき

歴史好きオヤジが細々と大震災、水害、雪害の復興花火や図書館の蔵書の支援を続けていまふ。

零式艦上戦闘機(70) 防弾タンク

2014-12-06 12:00:00 | 航空機・船舶(軍艦・機)
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零式艦上戦闘機(70) 防弾タンク  

日本軍には、防弾装置を施すことで機体が重くなるくらいなら、爆弾を1個でも積んだ方が良いと考えていた。

昭和17年(1942)8月7日、ガダルカナル島にアメリカ軍の大部隊が上陸したことで、翌日8日 日本海軍は一式陸攻26機が零戦15機と伴に航空攻撃を実施したが、F4Fワイルドキャット等のアメリカ軍戦闘機によって、驚くべきことに一式陸攻18機、約80%が撃墜されてしまった。

帰還した8機も、ボロボロの状態で一気に攻撃隊が壊滅してしまった。

ここにきて、ようやく防弾装備の重要性に目覚めた日本海軍は、自動消火設備と併せて燃料タンクの防弾対策に本腰を入れることになったが、日本にはアメリカのような合成ゴムを製造する技術はない。

生ゴムでも被弾すると熱で溶けたゴムが穴を塞ぐと思われたが、実際には着弾するとゴムが飛び散ってしまう。

そこで一式陸攻の翼面下に張り付ける、『防弾タンク用独立気泡ゴム』を開発することになり、開発の中心を担ったのは、空技廠 材料部四科の田中十三技師と上島外二技術大尉だ。

独立気泡ゴムとは、気泡が重ならずに一つ一つ独立してスポンジゴムだ。

毎日徹夜で失敗の連続で、研究はなかなか進まなかた。
ある日プレスを利用し、現代では発ガン物質と知られている発泡剤を練り込んだゴムを、金型一杯に充てんしてみると、3~4倍にも増え、軽くて丈夫なスポンジゴムができあがった。

早速、民間会社で量産に移され、603号機以降の一式陸攻から防弾対策が施され、応急対応が終了すると、続いてタンクを防弾ゴムで包み込む外張式の防弾タンクが実用化された。

昭和18年(1943)秋、防弾タンクと乗員を守る防弾鋼板を装備した二式大艇が、P-38ライトニング 3機から40分にわたって攻撃された。

被弾すること230ヶ所、しかし防弾装備のおかげで、満身創痍となりながらも負傷者は1名のみ。
死亡者『0』で、無事帰還することができた。

零戦では、昭和19年(1944)9月に、52型丙で初めて胴体内の燃料タンクの内側に防弾ゴムを張り付けた、内包型の防弾タンクを装備し、53型丙では翼内タンクにも内包型の防弾タンクを装備したのでありました。

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零式艦上戦闘機(68) 自動消火装置 2014-11-22
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2 コメント

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おはようございます (ぷうさん)
2014-12-07 05:37:33
ツキノワグマさん
おはようございます。

>・・・被弾すること230ヶ所、しかし防弾装備のおかげ   で、満身創痍となりながらも負傷者は1名のみ。
  死亡者『0』で、無事帰還することができた。

そうだったのですか、初めて知りました。
ありがとうございました。

では、また
返信する
もともと (月乃和熊(ツキノワグマ))
2014-12-07 16:49:07
1930年代、昭和12年ごろはもともと各国も防弾装備なんて考えもしていないんですが、
日本よりも早くヨーロッパでドイツが戦争に突入したことで、
はじめて航空機の消耗戦を経験したことで防弾装備を充実させることにしたんです。
返信する

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