ぶろぐのおけいこ

ぶろぐ初心者は書き込んでみたり、消してみたり…と書いて17年を過ぎました。今でも一番の読者は私です。

伏見の桜(1)

2024-04-29 19:06:48 | PiTaPaで歩く
 2024年3月の訪日外国人数が300万人を越えたというニュースがありました。ひと月に300万人を越えるのは初めてのことだそうです。
 日本全国、外国人観光客が押し寄せてきて大変なようです。住民にとっては例えば道路の混雑で、生活が成り立たないというようなところもあるらしい。しかし、一方で人口がしぼんでいくこの国に、かつてと同じだけのマーケットを維持しようと思えば、海の向こうからやってきてくれる人たちの懐をアテにしないければいけないということは素人の私にも理解できるような気がします。井上ひさしの「ナイン」という小説では、地元の住人がどんどん転居して、生活の場としての商店街が、よそ者ばかりの「客を迎えるだけの、厚化粧だが、なんだか素ッ気ない小路」になってしまったという新道通り商店街が舞台になっていますが、それと通じるものがあるような気がします。

 京都で桜を見たい。日本人、訪日外国人ともにそう考えるようで、桜のシーズンの京都駅烏丸口の混雑は大変だったようです。それに比べればまだ伏見界隈は空いているほうではないかと考え、桃山御陵前で近鉄電車を下車したのが、4月上旬の土曜日。
 伏見の風景が好きで、桜の時期には何度か訪れていますが、なんとなく少しずつ観光客が増えているような気がします。それでもきっと、京都の町中よりずっと緩やかだとは思いますが。やはり外国の言葉を話す人たちも多い。


 まずは黄桜のカッパカントリー。子どもの頃の日曜夜8時。中村梅之助の「遠山の金さん」は、黄桜がスポンサーじゃなかったっけ?女性の?カッパの姿が、子どもの私には悩ましかったっけ。ここでは午前中なのに、敷地内の桜の木の下で、みんな日本酒の飲み比べをしたり、ビールの飲み比べをしたりしています。黄桜という以上、そんな桜の木があるはずなのですが、この木はソメイヨシノのようです。私もお酒は大好きなのですが、これからあちらこちら歩かなければならないのに、飲んでしまうとしんどいので、ぐっと我慢します。

 宇治川派流まで歩いてみると、川端に人の多いこと。日本の人も外国からのお客さんも、洋服の人も和服の人も、それにどうみてもレンタルで着せてもらったとしか見えない和服のカップルも。そこを乗客を満杯に乗せた十石舟が通り過ぎる。川面にはソメイヨシノ。おめでたさ度120%の景色です。

 
 濠には降りずに、月桂冠大倉記念館の前を通って、京阪電車の踏切まで行ってみる。道端の満開の桜の花で、電車の音は聞こえても走っている姿は見えません。これもめでたい景色ですが、桜の木よりずっと多いのが人の数。堀沿いに歩いてみる。なんと、十石舟の乗船待ちの人たちの長い列。


 西洋からお越しになったであろう、お嬢さんが桜の幹に乗って撮影中。こういうはしゃぎ方を見ると、外国からのお客さんを疎ましく思う気持ちもわからなくはないと思います。でも、かつて日本人だって外国に出かけて、珍しい景色にはしゃいでいたのではないでしょうか(私は外国ってほとんど行ったことがないので、よくわかりませんが)。このお嬢さんが堀に落ちないことを祈ります。レンタルの着物のお嬢さん、写真を撮ってもらうポーズのために、土手にお尻を降ろしています。たぶん、自分で拵えた衣装なら、そんなことしないでしょうね。観光地では気軽にレンタルの和服を着て歩くことがもはや定着している感があります。一方、それは着物ではないと非難する人たちもあるようです。死に装束という揶揄もあるという話も聞いたことがあります。レンタルでは白っぽいレースの着物に白っぽい帯も人気だそうですが、来ている本人にはレース柄であったも、遠目には白い色しか見えない。まるで死に装束だというわけです。同じ「着物」だと思うから文句も言いたくなるわけで、旧来からの「着物」と「Japanese KIMONO」は別の文化だと考えればよいのではないでしょうか。お店のラーメンと、袋入りラーメンと、カップラーメンが見かけは似ていても別の文化であるように。デジタル一眼とコンパクトデジカメとスマホが、撮るという共通点はあっても、別の文化であるように。職人が握る寿司と回る寿司が別の文化であるように。文化ですから、対立することもあれば、影響しあったりも溶けあったりすることもある。

(つづく)


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