ぶろぐのおけいこ

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西大垣  相棒は杖と装具(2)

2024-01-09 19:13:40 | PiTaPaで歩く

 西大垣駅。どちらかというと昭和時代にタイムスリップしたような駅でした。車両基地はありますが、それよりも周囲をイビデンに囲まれていて、西大垣駅周辺だけが時が止まっているかのような風景。

   ちょうど、桑名行きの列車が入ってきましたが、これもタイムスリップしたような復刻塗装の元近鉄ラビットカー。 

 改札を出るためには、線路の向こうのホームに行かなければなりません。跨線橋を使うのではなく、ホームの端がスロープになっていて、二本の線路を歩いて渡り、階段を何段か上がって向こうのホームに入るというこれまた懐かしい方法。杖をついてゆっくり階段を上がっていく。私の後ろを歩いていた運転手さんと思われる制服の方がそろそろ追い越すはず。なぜか私を追い越さない。足の不自由な客を後ろから見守ってくれているのです。振り返って「ありがとうございます。私は大丈夫ですから」の声を聞いて、先に歩いていきました。ありがたいことですね。

 改札口では、駅員さんが切符を受け取る(回収する)ために歩くのが遅い私を待っていてくれます。改札口は昔ながらの木で組んだゲート。塗装は繰り返されているものの、長年の使用ですり減りがよくわかる。切符を渡しながら、「古くていいですね。私なんぞの世代には懐かしい改札口です」と言うと、以前に嵐(あの人気のグループのことだと思う)がこの改札口を見るために撮影に来たんですよと話してくれました。切符にスタンプを押されたのもずいぶんと久しぶりだと言ったら、「好きな方は鋏を入れていただくこともできるんですよ、ご自分でですけど」どちらの駅で降りるか迷ったけれど、そして大垣駅がどんなところかわからないけれど、この駅で降りて正解だったと思ったことです。

 

 駅前の公園でちょっと休憩。

 大垣という地名は子どものころから知っていました。大阪万博のころ、姫路駅から乗る快速電車に「大垣行」と書かれていた記憶があります。随分遠い岐阜県まで行くものだと思っていました。反対に西行き(下り)は、「糸崎行」とか「三原行」と書かれていたものがあったように思います。昔の列車は長旅をしたのですね。また大学生以降は、いわゆる「大垣夜行」に何度か乗っています。大垣駅の長いホーム。今でも覚えていますが、実は改札の外はまったく知らずにこの年になりました。

 駅舎を出て振り返ってみる。駅舎の前は養老鉄道ご利用者専用駐車場と書かれています。これまた長閑な話。一時間いくらとか一回いくらと料金を取るわけではなく、鉄道利用者は駅前に車を止めてよいのです。三岐鉄道でもそうしていましたね。その隣は自転車駐輪場。ちゃんと屋根もあって、市が管理しているようですが、ここも利用料金の表示がないところを見ると、「誰でも駐輪場」なのですね。SDGsといわれるこの時代、パークアンドライドの精神かもしれません。しかし西大垣駅は大垣市のそこそこの町中のように見えますが。養老線の中間あたりで何度か見た「残そう養老鉄道」の幕は、大垣市に入ってからは見つけられませんでした。

 イビデンの工場や本社に囲まれた時間の止まったような駅周辺エリア。養老鉄道はかつてイビデン(元揖斐川電気)に合併されていた時代があったそうです。現在は電子部品を作る会社だそうですが、この会社のスタートは電源開発事業。電力会社がほんの5年ほど、この電鉄会社を持っていたとのこと。

 

(つづく)




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