人はパンだけで生きるにあらず、神の言葉により生きる

イエス・キリストの福音をぜひ知って頂きたい

舌を制御する

2011年09月30日 | 聖書

ヤコブの言葉「言葉で過ちを犯さないなら、それは自分の全身を制御できる完全な人です。馬を御するには、口にくつわをはめれば、その体全体を意のままに動かすことができます。 また、船を御覧なさい。あのように大きくて、強風に吹きまくられている船も、舵取りは、ごく小さい舵で意のままに操ります。同じように、舌は小さな器官ですが、大言壮語するのです。御覧なさい。どんなに小さな火でも大きい森を燃やしてしまう。舌は火です。舌は「不義の世界」です。わたしたちの体の器官の一つで、全身を汚し、移り変わる人生を焼き尽くし、自らも地獄の火によって燃やされます。あらゆる種類の獣や鳥、また這うものや海の生き物は、人間によって制御されていますし、これまでも制御されてきました。しかし、舌を制御できる人は一人もいません。舌は、疲れを知らない悪で、死をもたらす毒に満ちています。わたしたちは舌で、父である主を賛美し、また、舌で、神にかたどって造られた人間を呪います。同じ口から賛美と呪いが出て来るのです。

人間に対する悪口、罵声等など、舌によってどれだけの悲劇が繰り返されてきたであろうか。

心して舌を制御したいものである。

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夫婦円満の秘訣

2011年09月29日 | 聖書

ペテロの言葉「妻たる者よ。夫に仕えなさい。そうすれば、たとい御言に従わない夫であっても、あなたがたのうやうやしく清い行いを見て、その妻の無言の行いによって、救に入れられるようになるであろう。.....................夫たる者よ。あなたがたも同じように、女は自分よりも弱い器であることを認めて、知識に従って妻と共に住み、いのちの恵みを共どもに受け継ぐ者として、尊びなさい。それは、あなたがたの祈が妨げられないためである。」1ペテロ3:1-2.7

両者(夫婦)が信者である場合でなく、妻のみ信者である場合(或いはその逆で夫のみ信者である場合)に言われている言葉であると思うが、信仰の有無により夫婦生活に難しい事も起きると思うが、この心構えでいけば万事円満に行きそうです。

末信者同士の夫婦の人にも、お勧めできる御言葉で、夫婦ともども、お互いを尊敬し、仕える事に円満の秘訣があると思います。

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見えるものではなく、見えないものに

2011年09月28日 | 聖書

パウロの言葉「わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです。」2コリント4:18

「このように、いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この三つである。このうちで最も大いなるものは、愛である。」1コリント13:13

見えるものとは何でしょうか?。過ぎ去るものと言われてます。

見えるものに囚われないで、見えないものに目を注いで生きれるように祈ります。

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未来への希望

2011年09月27日 | お気に入りの言葉

マザーテレサの言葉「子どもたちは、彼らを受け入れ、彼らを愛して、彼らをほめ、彼らを誇りとしてくれるだれかを熱望しているのです。子どもたちを、私たちの注意や関心の中心にもう一度戻そうではありませんか。こうすることが、唯一私たちの世界が生き延びる道なのです。なぜなら、子どもたちは未来への唯一の希望だからです。お年寄りが神に呼ばれるとき、彼らの子どもたちだけが彼らの場所を引き継ぐことができるのです。」

「子どもたちは、彼らを受け入れ、愛して、ほめ、誇りとしてくれるだれかを熱望している」同感であります。

この子どもたちの求めに答えていくことは、すばらしい教育姿勢であり、こうありたいと思います。

又私など(お年寄り)も、神に呼ばれるときが近くなり、引き継ぎのことを考えます。

引き継いで頂きたいのは信仰であります。

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真実な証言

2011年09月26日 | 聖書

イエスの言葉「もし、わたしが自分自身について証しをするなら、その証しは真実ではない。わたしについて証しをなさる方は別におられる。そして、その方がわたしについてなさる証しは真実であることを、わたしは知っている」ヨハネ福音書5:31-32

人の証言は、信用できない。よってイエスも自分自身では、何を言っても信用されないであろうと言われた。

しかしここでは、神が証明されていると言われた。わたしはこの言葉を信じます。

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聖書を学ぶ意義

2011年09月25日 | 聖書

パウロの言葉「この書物は、キリスト・イエスへの信仰を通して救いに導く知恵を、あなたに与えることができます。 聖書はすべて神の霊の導きの下に書かれ、人を教え、戒め、誤りを正し、義に導く訓練をするうえに有益です。こうして、神に仕える人は、どのような善い業をも行うことができるように、十分に整えられるのです」第二テモテ4:15-17

日々聖書を学び、善い業を行うことができるようになりたい。

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人間の姿(心)

2011年09月24日 | 聖書

パウロの言葉「わたしは、自分の内には、つまりわたしの肉には、善が住んでいないことを知っています。善をなそうという意思はありますが、それを実行できないからです。わたしは自分の望む善は行わず、望まない悪を行っている。もし、わたしが望まないことをしているとすれば、それをしているのは、もはやわたしではなく、わたしの中に住んでいる罪なのです。それで、善をなそうと思う自分には、いつも悪が付きまとっているという法則に気づきます。........わたしはなんと惨めな人間なのでしょう。死に定められたこの体から、だえがわたしを救ってくれるでしょうか。わたしたちの主イエス・キリストを通して神に感謝します」

人間の内には、善と悪とが同居している。世間では、あの人は良い人或いは悪い人と言うけれど、良いところも悪いところもある人というのが正しい。善のみの人もいないし、悪のみの人もいない。従ってすべての人には罪があるとキリスト教では言っている。いくら修業しても罪はなくならない。これから救われるにはどうしたら良いか。イエスを信じて救われるしかない。

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心の貧困 愛の欠乏

2011年09月23日 | お気に入りの言葉

今日読んだマザーテレサの言葉「この世界の最もひどい貧困は、食べ物の欠乏ではなく、愛の欠乏です。あなた方のような豊かな国の場合、持っているものに決して満足しない人たち、我慢を知らない人たち、絶望に身をゆだねる人たち、このような人たちの貧困があります。心の貧困は、しばしばもっと回復しにくく、打ち勝つのがもっと難しいものです。」

私自身、貧困なもの、心が豊かに、愛が増し加わりますように祈ります。

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誘惑から逃れるには

2011年09月22日 | 聖書

イエスが悪魔に誘惑された場面です。 

「悪魔はイエスを非常に高い山に連れて行き、世のすべての国々とその繁栄ぶりを見せ 「もし、ひれ伏してわたしを拝むなら、これをみんな与えよう」と言った。すると、イエスは言われた、「退け、サタン。『あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ』と書いてある。」そこで、悪魔は離れ去った。マタイ福音書4:8-11

我々も多かれ少なかれ、これら(権力、名誉、財産等など)の誘惑を受けると思います。これらの誘惑から逃れる方法は『あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ』とイエスは言われました。

いやいや、権力、名誉、財産等などは、誘惑ではなくて生きる目的であると言われる方、はたしてどうでしょうか。

イエスは他でも、「人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の身を滅ぼしたり、失ったりしては、何の得があろうか」ルカ福音書9:26と言われてます。       

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貪欲に注意しよう

2011年09月21日 | 聖書

イエスの言葉「あらゆる貪欲に対してよくよく警戒しなさい。たといたくさんの物を持っていても、人のいのちは、持ち物にはよらないのである」それから、イエスはたとえを話された。「ある金持ちの畑が豊作だった。金持ちは、『どうしよう。作物をしまっておく場所がない。』と思い巡らしたが、やがて言った。『こうしよう。倉を壊して、もっと大きいのを建て、そこに穀物や財産をみなしまい、 こう自分に言ってやるのだ。「さあ、これから先何年も生きて行くだけの蓄えができたぞ。ひと休みして、食べたり飲んだりして楽しめ」と。』しかし神は、『愚かな者よ、今夜、お前の命は取り上げられる。お前が用意した物は、いったいだれのものになるのか』と言われた。ルカ福音書12:15-21

愚か者にならぬ様、貪欲に注意しよう。


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腹を立てる罪

2011年09月20日 | 聖書

イエスの言葉 「あなたがたも聞いているとおり、昔の人は『殺すな。人を殺した者は裁きを受ける』と命じられている。
しかし、わたしは言っておく。兄弟に腹を立てる者はだれでも裁きを受ける。兄弟に『ばか』と言う者は、最高法院に引き渡され、『愚か者』と言う者は、火の地獄に投げ込まれる」マタイ福音書5:21-22

世間では実際の行為(殺人)のみを罪というが、聖書では心の中も問われている。

こころの中を清めて頂くように祈りたい。

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体の訓練と信心の訓練

2011年09月19日 | 聖書

パウロの言葉「信心のために自分で訓練をしなさい。 からだの訓練は少しは益にするところはあるが、信心は、今のいのちと後の世のいのちとが約束されてあるので、万事に益となる。 これは確実で、そのまま受けいれるに足る言葉である」第一テモテ4:7-8

自分への戒め........体の訓練より信心(霊、精神、心)の訓練を優先するようにしたい。

「見えるものは一時的であり、見え ないものはいつまでも続くからです。」(第二コリント4:18)

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死後はどうなるか?

2011年09月18日 | 聖書

イエスの言葉「わたしの言葉を聞いて、わたしをお遣わしになった方を信じる者は、永遠の命を得、また、裁かれることなく、死から命へとうつっている。
驚いてはならない。時が来ると、墓の中にいる者は皆、人の子の声を聞き、善を行った者は復活して命を受けるために、悪を行った者は復活して裁きを受けるために出て来るのだ」ヨハネ福音書5:24.29-30
このところの地震、台風の災害で多くの人が抵抗するすべもなく、亡くなっている。人の命は、本当にはかないものだと思う。このような災害には今のところ縁がない我々、しかし驚くなかれ死後は同じく裁きがあると言われる。この裁きに耐ええる人は誰もいないとある

「義人はいない。ひとりもいない」ローマ書3:12

しかし「イエスをお遣わしになった方を信じる者」は救われるとある、ここに希望を持ちたい。

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隣人を愛そう

2011年09月17日 | 聖書

イエスは言われた。「『心を尽し、精神を尽し、思いを尽して、あなたの神である主を愛しなさい。』 これが最も重要な第一の掟である。
第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』      
律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている。」マタイ福音書22:37-40

聖書には色々な教えは多くあるが、この二つの教えは、根本であると言われる。簡単な言葉であるが、実行困難である。

できるだけこの心境に近かずけるように祈りたい。

西郷隆盛は「敬天人愛」と一言で表している。

 


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万事が益となる幸い

2011年09月16日 | 聖書

パウロの言葉「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています」ローマ書8:28

この言葉には慰められる。万事(今まで経験した自分としては悪いと思われる事、或いは失敗も)が益となる世界。信仰者の慰め。

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