人はパンだけで生きるにあらず、神の言葉により生きる

イエス・キリストの福音をぜひ知って頂きたい

汝の敵を愛せよ 敵の為に祈れ 

2012年01月31日 | 聖書

 マタイによる福音書5:43-47 
 「あなたがたも聞いているとおり、『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。
しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。 
あなたがたの天の父の子となるためである。父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、
正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである。
自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな報いがあろうか。
徴税人でも、同じことをしているではないか。
自分の兄弟にだけ挨拶したところで、どんな優れたことをしたことになろうか。
異邦人でさえ、同じことをしているではないか。

ルカによる福音書23:34
[そのとき、イエスは言われた。「父よ、彼らをお許しください。自分が何をしているのか知らないのです。」] 
 
  敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。
敵を愛するということは、無条件で全ての人を愛せよということ。
しかも、その敵のためにも祈れとは。これ以上崇高な教えはないと思う。
そして、イエスはこれを実行された。自分を迫害し十字架に掛けた敵に対して
「父よ、彼らをお許しください。自分が何をしているのか知らないのです。」
と祈られた。

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高ぶる者は低くされへりくだる者は高められる 謙遜な心を祈り求める

2012年01月30日 | お気に入りの言葉

 ルカによる福音書18:14
 だれでも高ぶる者は低くされ
へりくだる者は高められる

 荒野の泉2 カウマン夫人著より
  ひとりの百万長者(公共の利益のために多くの事をした) の夕食の席で
祈りの価値について話し合われた。
百万長者は、祈りを信じていませんと言った。
欲しい者は何でも手に入ったので、恵みを祈り求めたことはありませんと。
同席したあるスコットランドのある大学の学長がいった。
「あなたの祈り求めて良かったものがひとつありますよ。」
「なんですか」「謙遜を祈り求められると良かったのではないでしょうか。」
「神のもろもろの憐れみを感謝できるような、謙遜な心」
を祈り求めるならば、財産の多い少ないに関係なく、
私たちはさらに幸福な者となるでしょう。
サンデー・スクールズ・タイムズ

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家庭の外でほほえむことはたやすく、家庭の中では難しい

2012年01月29日 | お気に入りの言葉

 マザー・テレサ 日々のことばより
  自分の家庭の外で人々にほほえむことはたやすいことです。
あまりよく知らない人をお世話することは、実はとても易しいことなのです。
あなたの家の中で毎日会っている家族を、
思いやりをもって、優しく、ほほえみを忘れずに
愛し続けることはとても難しいことです。
特に疲れていたり、イライラしたり、
機嫌が悪かったりする時はなおさらです。
だれにでもそんな時があります。
そんな時こそ、苦しむ姿のうちに救い主が
私たちのところに来ておられるのです。

 家庭の外でほほえむことはたやすく
家庭の中では難しい。
家庭の中では、我がままもでるし・・・・・。
 心の中にイエスに来てもらうしかない。

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祈りの効果が現れるまでには時を必要とする 失望せずに常に祈ろう

2012年01月28日 | 聖書

  ルカによる福音書18:1-8
 また、イエスは失望せずに常に祈るべきことを、人々に譬(たとえ)で教えられた。
「ある町に、神を恐れず、人を人とも思わぬ裁判官がいた。
ところが、その同じ町にひとりのやもめがいて、彼のもとにたびたびきて、
『どうぞ、わたしを訴える者をさばいて、わたしを守ってください』と願いつづけた。
彼はしばらくの間きき入れないでいたが、そののち、心のうちで考えた、
『わたしは神をも恐れず、人を人とも思わないが、このやもめがわたしに面倒をかけるから、
彼女のためになる裁判をしてやろう。
そしたら、絶えずやってきてわたしを悩ますことがなくなるだろう』」。
そこで主は言われた、「この不義な裁判官の言っていることを聞いたか。
まして神は、日夜叫び求める選民のために、
正しいさばきをしてくださらずに長い間そのままにしておかれることがあろうか。
あなたがたに言っておくが、神はすみやかにさばいてくださるであろう。
しかし、人の子が来るとき、地上に信仰が見られるであろうか」。
 
 そよ風のように生きる-旅ゆくあなたへ バレンタイン・デ・スーザ著より
  祈りの効果はすぐには現れません。
行為の結果はお礼の言葉や金品ですぐ返ってきますが、
種をまいて花が咲くまでに
時間がかかるように、
祈りの効果が現れるまでには時を必要とします。

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被造物は造られたか、偶然にできたか

2012年01月27日 | 聖書

   ローマの信徒への手紙1:20
  世界が造られたときから、目に見えない神の性質、
つまり神の永遠の力と神性は被造物に現れており、
これを通して神を知ることができます。

  神の力と神性は被造物に現れている。
太陽や月の規則正しい運行、植物、動物、人間等などの驚異の世界は、
偶然にできたとは思われない。
造り主がおられるとしか思われない。

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お金に頼らず主に頼る人 金銭に執着しない生活

2012年01月26日 | お気に入りの言葉

 そよ風のように生きる-旅ゆくあなたへ バレンタイン・デ・スーザ著より
 お金というものは必要なだけあればよいもので、
必要以上に持つと不安が生じ、争いを招きます。
お金に頼らず主に頼る人は、いつも心が穏やかです。
一方、お金に頼る人は常に不安や心配にさいなまれます。
主に頼る人がお金をなくしても銀杏の木が葉を落としたようなもので、
また時が来れば葉を茂らせます。
お金だけが頼りな人はお金をなくすと失望落胆のあまり幹まで枯らして、
自殺しようとしたりします。
主に寄り頼む人は幸せです。
どんなときにも動揺することがありません。
これが信仰を持つ者の強みです。

 ヘブライ人への手紙13:5
 金銭に執着しない生活をし、今持っているもので満足しなさい。
神御自身、「わたしは、決してあなたから離れず、
決してあなたを置き去りにはしない」と言われました。

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多くのことに思い悩み、心を乱すな! 必要なことはただ一つだけである。

2012年01月25日 | お気に入りの言葉

   ルカによる福音書10:38-42
   一行が歩いて行くうち、イエスはある村にお入りになった。
すると、マルタという女が、イエスを家に迎え入れた。
彼女にはマリアという姉妹がいた。
マリアは主の足もとに座って、その話に聞き入っていた。
マルタは、いろいろのもてなしのためせわしなく立ち働いていたが、そばに近寄って言った。
「主よ、わたしの姉妹にはわたしにだけもてなしをさせていまが、何ともお思いになりませんか。
手伝ってくれるようにおっしゃってください。」 
主はお答えになった。「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。
 しかし、必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない。」

  私たちは、マルタのように多くのことに思い悩み、心を乱して忙しくしている。
しかし、イエスは「必要なことはただ一つだけである」と言われる。
忙しくして「ただ一つのもの」を見失わぬように祈りたい。

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敬われたいなら、まず先に人を敬うことから

2012年01月24日 | お気に入りの言葉

  そよ風のように生きる-旅ゆくあなたへ バレンタイン・デ・スーザ著より
 人を憎むエネルギーは大変なものです。
この力を進歩のために向けることができるなら、
大きな力となるでしょう。
人は人として美しいのです。
自分が敬われたいなら、まず先に人を敬うことから始めてみてください。
自分もひとも同じように貴い人間です。

 フィリピの信徒への手紙2:3-4
 何事も利己心や虚栄心からするのではなく、
へりくだった、互いに相手を自分よりも優れた者と考え、
めいめい自分のことだけでなく、
他人のことにも注意を払いなさい。

イザヤ書43:4

わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。  

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弟との再会と復活を祈り、納骨

2012年01月23日 | 

 今日は、弟の遺骨を墓に納めた。
私と家内と2番目の弟と3人でおこなった。
さみしい納骨となったが弟にはふさわしく思った。


 弟の上司から聞いた話では、昇進や結婚話を断っていたとのこと。
欲がないといおうか、ひたすら現状ままで満足し、にぎやかになるのを好まなかったようだ。
一人での山歩きを趣味としていて、遺品には山や草花の写真が残されていた。

 正面の墓石を、横に寄せると、中に父と母の骨壷があった。
その横に弟の骨壷を置いた。三つの骨壷を並べて置いたら安堵した。
生前3人が中睦ましかったのでほほえましく思えた。

  ついでに三人の骨壷を少し奥に押しやり、前にスペースを開け、次の骨壷の置き場を確保。
そこには順番では、私か家内の骨壷が置かれるはずである。
 

  墓碑には十字架と名前を刻んだ。
イエスが再び来られる時、弟との再会と復活を祈った。

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鍛錬というものは、当座は喜ばしいものではなく、悲しいものと思われるが

2012年01月22日 | お気に入りの言葉

  シスター鈴木秀子の愛と癒しの366日より
霊の成長のため、すべての体験は益です。
病気はすぐには癒されないことがあります。
まったく癒されないこともありますが、それはわたしたちの成長に必要だからです。
霊の成長を助けるために、すべての体験が益となります。
時には、私たちの目にはどう見ても後ろ向きとしか思えないような体験を与えられることもあります。
この世で経験するあらゆる病気や事故も視点を変えてみると、静かに自分をも見つめ、周囲との無関係を修復するよい機会とみることも可能なのです。
 
 ヘブライ人への手紙12:10-11
 肉の父はしばらくの間、自分の思うままに鍛えてくれましたが、
霊の父はわたしたちの益となるように、御自分の神聖にあずからせる目的でわたしたちを鍛えられるのです。
およそ鍛錬というものは、当座は喜ばしいものではなく、悲しいものと思われるのですが、
後になるとそれで鍛え上げられた人々に、義という平和に満ちた実を結ばせるのです。

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すべての人と国民は、神の備えたもう逆境の学校で学ばねばならぬ

2012年01月21日 | お気に入りの言葉

  荒野の泉 レテー・B・カウマン 山崎亭治訳 より
 すべての人と国民は、神の備えたもう逆境の学校で学ばねばならぬ。
わたしたちは、夜は幸福だ、夜は星を私たちに見せるからということができる。
それと同じで「悲哀は幸福だ、それは神の慰めを示すから」と言い得る。
洪水は一人の貧しい人が持っていた家庭と水車とその他一切を洗い流した。
彼は水が退いてから、その損失の光景の前に立った時、失望落胆していたが、
水が岸を洗ったところに一つの光る物を見だした。
これは「黄金のようだ」と言ったがたしかに黄金であった。
彼をこじきにした洪水が、今や彼を富ませたのだ。
わたしたちの生涯にもしばしば同じようなことがある。
H・C・トランブル

  ヘブライ人への手紙4:15-16
  
この大祭司は、わたしたちの弱さに同情できない方ではなく、罪を犯されなかったが、
あらゆる点において、わたしたちと同様に試練に遭われたのです。
だから、憐れみを受け、恵みにあずかって、時宜にかなった助けをいただくために、
大胆に恵みの座に近づこうではありませんか。

   東日本大震災の津波ですべてを失った人を思わされるような譬えである。
大変な目に遭われたと思うが「一つの光る物」を発見していただきたい。

 

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イエス・キリスト以外では救われない

2012年01月20日 | 聖書

 使途言行録4:12

 ほかのだれによっても、救いは得られません。わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間にはあたえられていないのです。

  イエス・キリスト以外では救われない。
他の宗教では救われない。
これは他人からみれば偏見にみえるだろう。


「分け登る麓の道は多けれど 同じ高嶺の月を見るかな」

  救われる道は、幾通りもあるとこれなら万人受けするかもしれない。
しかし、一つの道しかない、これが私の信仰である。

あらゆる宗教を学んで、キリスト教を選んだわけではない。
学んで、比較して選ぶことは不可能だと思う。

   結局は出会いであると思う。この信仰を与えられたのは神の恵みである。
他の宗教を信じている人も、救いは自分の信じた宗教しかないと思っておられるだろう。
従って、他の人の信仰も尊重するし、逆に私の信仰も尊重して貰いたい。
これが日本憲法で保障された信仰の自由というものである。
救いはこれしかない、他はダメだとなると宗教戦争になる。

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太極拳教室

2012年01月19日 | 日記

  今日は、太極拳教室に参加。
運動不足の解消と気功に興味があるために参加。
数年前に一度習ったことがある。
習ったことのある動作は思い出しながらなんとかついていけた。
今日は、歩き方等をならったが、とにかく同じ様な動作が多く、
覚えるのに一苦労。
案外足腰が疲れる。
心地よい疲れ。
しばらく続けてみようと思う。

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琴浦町囲碁同好会主催 正月囲碁大会

2012年01月18日 | 日記

     

  今日は、琴浦町囲碁同好会主催の正月囲碁大会に参加した。

 会場は、小泉八雲・セツ夫人が新婚旅行を兼ねて、琴浦町を訪れ宿泊したとされる「旧中井旅館」であった。
会場の見学を兼ねて、気分転換とボケ防止のために出席した。
碁を打つのは、18年ぶりである。3級(少し謙遜?)で打ってきた。

戦績は、2段の人に、4目置いて、負け。3級同士では勝った。やはり実力は3級程度か。
大学時代から打っているが一向に上達しない。
(授業中にこっそり囲碁の本を見て熱心に勉強し、実践経験もかなり豊富だと思うが・・・)
しかし、良い気分転換になった。

  

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見えないものをしっかり見据えて、まっすぐ目的に向かって歩こう

2012年01月17日 | お気に入りの言葉

  そよ風のように生きる-旅ゆくあなたへ バレンタイン・デ・スーザ著より

  人生は旅です。心の旅路です。今いるところは仮の住まいです。

ほんとうの住まいを目指して、これからどのような旅をすればいいのでしょう。

旅をするためには多少の蓄え、物が必要です。けっしてそれ自体が目的ではありません。

見えないものをしっかり見据えて、まっすぐ目的に向かって歩きたいものです。

要らないものは少しずつ捨てて、生活をシンプルにしていきましょう。

暗い旅ではなく、明るい旅をしたいものです。

 コリントの信徒人 へ手紙二 4:18

  私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。

見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。

 旅をするためには、蓄え、物が必要であるが、それ自体は目的ではない。

いつまでも続く見えないものを、目的として歩るきたい。見えないものとは・・・・・。

 

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