神戸の空の下で。~街角の歴史発見~

足かけ8年、150万PV突破。「近畿の史跡めぐり」のサブタイトルも、範囲が広がったために少し変更しました。

神戸・湊川神社。

2005年11月13日 | ■神戸市中央区
国家安泰・開運招福・厄除け・家内安全・交通安全

湊川神社

(みなとがわじんじゃ)
神戸市中央区多聞通3-1-1

神仏霊場兵庫 豊饒の道・第5番札所
KOBE七福神・毘沙門天

通 称
楠公さん
(なんこうさん)



銅葺きの表神門。



〔御祭神〕
楠木正成公



 JR神戸駅から北に向かうと、銅葺きの立派な表神門が目に飛び込んできます。この神社は、国家に多大な貢献のあった人物を祀る神社に与えられる別格官幣社にも列せられた湊川神社。室町時代の南北朝の騒乱の中、後醍醐天皇に忠節を尽くして奮闘した南朝方の名将・楠木正成公を祀った神社で「楠公さん」の愛称で親しまれ、生田神社長田神社と並んで「神戸三社」のひとつとして厚い崇敬を集め、初詣の際には約100万人の参拝客で賑わいます。周辺には「楠町」「多聞通」「橘通」など、楠公さんにまつわる地名が残っていて、いかに地域に密着し愛されていた神社であるか実感することが出来ます。




 
クスノキに囲まれた参道(左)と、参道脇に鎮座する楠本稲荷神社(右)。



 湊川神社の神社としての歴史は意外と浅く、創建は約140年前の1872(明治5)年。ここには楠木正成公やその子・楠木正行公を含む17名が祀られています。主祭神である楠木正成公は河内国に本拠地をおいた豪族で、南北朝の騒乱では後醍醐天皇率いる南朝側に付いて挙兵し鎌倉幕府の打倒に貢献しました。兵法・知略に優れ、上赤坂城千早城に拠って僅かな手勢ながら知略を尽くして幕府方の大軍を翻弄するなど、倒幕に大きく貢献しました。

 その後、後醍醐天皇による「建武の新政」が行われましたが、やがて不公平な施政方針に対する武士たちの不満が爆発、足利尊氏公を中心に武装蜂起が起こります。一度は敗れて京都から西へと撤退した足利尊氏公は九州で軍勢を建て直して攻勢に転じます。京都へと向けて進撃する足利尊氏軍を湊川の地で迎え撃った楠木正成公は新田義貞公らとともに奮戦しますが、圧倒的な戦力を誇る足利尊氏公の軍勢の前に善戦するも敗北。ついに1336(延元3/暦応元)年5月25日、弟・楠木正季公や息子・楠木正行公ら一族とともに湊川の森で自刃し、波乱の生涯を閉じました。





1952(昭和27)年再建の社殿。近年、屋根の葺き替えが行われました。



 楠木正成公の忠節を慕った地元の人々は、無念の自刃を遂げた湊川の地に供養の塚を作り、大切に守り伝えてきました。江戸時代、「皇室の正統は南朝方である」という史観をもとに南朝方の忠臣の顕彰を進めていた"水戸黄門"こと水戸光圀公は、「楠木正成こそ南朝最大の功臣」と評価、1692(元禄5)年に「嗚呼忠臣楠子之墓」と刻文された顕彰墓碑を楠木正成ゆかりの湊川の地に建立しました。水戸光圀公自身は現地に足を運ぶことはありませんでしたが、名代として「助さん」の名で知られる佐々介三郎宗淳公が来神し、建碑の工事監督を務めています。1955(昭和30)年には、この碑の隣に水戸光圀公の銅像が建てられています。




 
社殿の左奥にある楠公自刃の地・湊川の森(左)。右は社殿東隣にある菊水天神社。



 幕末には天皇に忠誠を尽くした偉人の墓として多くの勤皇志士がここを訪れ、明治維新後には天皇中心の国づくりを進める国策の一環として、明治天皇の勅命により多額の資金を投じて1872(明治5)年5月24日に湊川神社が創建されました。社名に関しては他にも「大楠霊神社」や「南木神社」などの候補が提案されていましたが、地名を用いるほうが覚えてもらいやすいという理由で「湊川神社」に決定されました。

 先の大戦の際には神戸大空襲によって境内全域が焼失しましたが、1952(昭和27)年10月24日には戦後の困難な時期にも関わらず、氏子の方々の篤志と国の援助によって本殿と拝殿が再建されて遷宮祭が執り行われました。しかしながら、近年は再建から半世紀が経って老朽化が目立つようになり、2007(平成19)年より社殿や各門の改装が進められています。




 
水戸光圀公が建立した「嗚呼忠君楠子之墓」(左)と、隣接する水戸光圀公像(右)。



 東門を入ったところにある神能殿。この建物は「御鎮座百年祭」の記念事業の一環として1972(昭和47)年に建てられたものです。御祭神・楠木正成公の妹が能楽の祖・観阿弥の母親だったという伝説が縁で、ちょうど建て替えを計画していた観世流の能楽堂を譲り受け、東京から移築されてきました。この能楽堂に関しては、ぜひ譲って欲しいという希望が他にもいくつかあったそうですが、交通の要衝にありながら文化が育ちにくい神戸の地に能楽堂を置くことで伝統文化への親しみと理解を深めたいという思いから、先代の第25世観世左近氏が敢えて神戸にある湊川神社の境内を選んだそうです。




 
東門の脇に立つ収容人員500名の神能殿(左)と、その南にある兵庫県神社庁(右)。


アクセス
・神戸高速鉄道「高速神戸駅」下車すぐ
・JR「神戸駅」下車、北へ徒歩5分
・神戸市営地下鉄「大倉山駅」下車、南へ徒歩3分
湊川神社地図  【境内MAP】 Copyright (C) 2000-2009 ZENRIN DataCom CO.,LTD. All Rights Reserved.

拝観料
・無料

拝観時間
・日の出から日没まで

公式サイト


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1 コメント

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びっくり!! (yokko)
2005-11-14 22:09:08
こんばんは♪

「KOBE七福神」聞いたことはあったんですけど、詳しくは知りませんでした。

というか、湊川神社、仕事場が近くなんで、毎日見てます(笑)大学時代にお参りしたこともありますよ♪よく「楠公会館」への道を聞かれます(^-^;

びっくりでした~

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