サーカスな日々

サーカスが好きだ。舞台もそうだが、楽屋裏の真剣な喧騒が好きだ。日常もまたサーカスでありその楽屋裏もまことに興味深い。

mini review 07231「バッシング」★★★★★★☆☆☆☆

2007年05月19日 | 座布団シネマ:は行

北海道のとある町。アルバイト先のホテルを解雇された高井有子(占部房子)は、ボランティア活動で中東に滞在中、武装グループに拉致、監禁され、人質となった過去を持つ。無事解放されて帰国しものの、自己責任を問われて世間から冷た... 続き

あの「自己責任」議論の厭な空気を、決して忘れることはない。

2004年、イラク日本人人質事件。まだ数年前のことである。
世界中でイラクへのアメリカの「侵略」とよんでもいいかもしれない「介入」に対して、自国から応援軍を出すべきかどうか、迷っていた時期。
日本では、PKO法の拡大解釈か否かという議論以前に、アメリカにいちはやく忠誠を誓うことが当然であるかのような世論が形成された。
そして、非軍事地域の後方(復興)支援ということで、「戦争地域ではない」という子供騙しの理屈によって、戦後はじめての、そして最大級の本格的「派兵」をやりとげたのである。



現地にボランティアとして入っていた男女など日本人3人が、武装グループに拉致・監禁され、アルジャージラの取材でその様子が、全世界に放映されることになった。
外務省からはイランに対する渡航自粛勧告が出ていた。そして、イランに滞在していたマスコミなど邦人に対して、イラク退避勧告も出ている。
日本のマスコミはこぞって、サウジやクェートなどの安全地帯にいち早く引っ込み、現地取材は、もっぱらフリーランスに任せるというテイタラクで、世界のジャーナリズムの失笑を買ったりもしていた。
イラク派兵をめぐって、世界中で、反対運動が起こった。
アメリカの空爆に対抗して、ソ連からの解体・独立運動の際の「人間の鎖(くさり)運動」が現地で組織され、一部の日本人の参加も確認された。

そうした情勢下での「邦人人質事件」である。
その映像は衝撃的であった。
被害者家族はマスコミの取材攻勢に在った。
ゲリラの要求は、当然ながら、自衛隊の撤退要求である。日本政府は、現地の宗教団体などの交渉役をたどって、身代金交渉で、解決をしようとはかる。
家族の一部の声明から、「自衛隊の撤退」を願うようなコメントが出た。
そのあたりから、今から思い出してもおぞましい、国家レベルの陰湿なバッシングや世論操作が表面化してくるのである。




「あんな場所にのこのこ出て行く方が、どうかしている」
「身代金だって税金じゃないか、こんな連中のために使う必要なんてない」
「自作自演じゃないか、ゲリラの宣伝政策に乗せられている馬鹿どもだ!」
「自己責任をとれ!」

被害者家族はその風当たりをもろに感じたのだろう。ひたすら、「ご迷惑をおかけして」という萎縮した全面謝罪となった。特高警察の時代でもここまでやるかというほどのバッシング。政治家や知識人や市民主義者たちがどんな馬鹿げた議論をして、大衆を扇動したか、忘れたとは言わせない。



この作品は、人質事件のひとり高井有子(占部房子)が、PTSDにかかり、おどおどしながら、世界を敵に回し、閉塞している姿を描いている。
北海道のたぶん苫小牧あたりの海辺に立つアパート団地。寒々とした海凪の音が、吹きすさんでいる。
有子はラブホテルの清掃のアルバイトを解雇される。もちろん、事件のあと、日本に戻ってから、より陰湿に続くバッシングのせいである。
町の悪ガキ連中に襲われる。コンビニの店員に「もう、ウチに来るな!」とシカトされる。昔の恋人からも事件を蒸し返され悪態をつかれる。
父・孝司(田中隆三)、継母・典子(大塚寧々)とも、うまくコミュニケーションをはかれない。
有子は自転車に乗って、貝殻のように身を硬くして、走る。おでんを買って、団地の階段を黙々とのぼり、部屋に引きこもる。
40年間、真面目に地元の工場で働いてきた父も、「辞めてくれ」と圧力をかけられる。仕事もなくし、家で酒を浴びる父は、耐え切れず、ベランダから飛び降りて自殺する。
有子は「私がしたことって、そんなに悪いことなの?」と典子に言う。典子は「あの人を、返してよ!」という。ふたりはつかみ合い、そして瞬間、家族に戻る。



有子はもう一度、イラクに行くことを宣言する。
それはもう、日本を棄てるということだ。
失敗ばかりの自分の人生。
イラクのボランティアで出会った子供たちだけが、自分を必要としてくれている。
そして、鞄に子供たちへのみやげに駄菓子をつめる有子・・・。

高井有子という存在が、人質事件の一人の高遠菜穂子がモデルになっているかどうかは、重要なことではない。インスピレーションは受けたであろうが、この作品はあくまでもドキュメンタリータッチのフィクションである。
撮影にはたった6日。役者の衣装も自前であったようだ。
占部房子が、閉塞する主人公をよく演じている。
2005年カンヌコンペティション部門に出品し、その後東京フィルメックスでも最優秀作品を授賞した。



小林監督は僕とほぼ同年齢だ。70年代初め、林ヒロシという名前で、フォークシンガーであった。この作品でもエンディングテーマは彼のソングだ。僕もその頃、似たような世界に身をおいていたので、よく知っている。
その後、シナリオライターとして数百本のテレビドラマを書いている。
カンヌには3年連続で出品しているが、別に、社会派として登場している人ではない。
けれども、なぜ、この作品を制作しようと思い至ったのか、僕にはよくわかるような気がする。
あの「自己責任」論議の気味の悪さ、そのことに本当に耐え難かったのだろう。
僕も、そうだった。

現実の高遠菜穂子らのその後の活動をたまにWEBなどで見ることがある。なんらの同調もする気がおこらない。もともと、自分とは、遠い思想にある。劇中の有子もそうだと思う。たまたま、隣にいたら、イライラしてひっぱたたくかもしれない。でもそれは、世論をバックにしたバッシングとはまるで程遠いものだ。



中東で死んだ外務省の若き領事たち。フリージャーナリストとして最後までメッセージを伝え続けた橋田信介さんと甥の功太郎さん。そして、同じく人質になり殺害された純朴なバックパッカーともいえる香田証生さん。

それぞれ、その人たちの必然でもある行動と運命が交わった。
ゲリラのせいにしても、アメリカや日本の政府を非難してもしょうがない。
けれど、たったひとつだけ言うべきことがある。
のうのうとした立場から、「自己責任」などとわかったようなことを言う人間を、僕は認めない。
たとえそれが、政治家や官僚であろうと、右や左の知識人であろうと、あるいはワイドショーにどっぷりつかった普段は人のいいオバサンであろうと、真面目に良識を説く学生であろうと、だ。

彼らの行動を安全な立場から、哂うべきではない。






 



最新の画像もっと見る

16 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
こんにちは (えめきん)
2007-05-20 07:30:49
TBありがとうございました。

この映画、てっきり中東問題を描いた作品だと思って観に行ったのですが、予想した内容とあまりにも違っていたのでビックリしました。
有子へのバッシング描写も、もっと中立的な立場から語られると思っていたら、誰一人擁護する者がいないという一方的な描写が続きましたからね。

僕は監督の舞台挨拶のある回を観たんですが、監督の「一人の女性をとことん追い詰める事を目指した」という言葉でやっと作品を理解できました。
えめきんさん (kimion20002000)
2007-05-20 10:24:38
こんにちは。
監督の視線も、別に有子に加担もしているわけではありませんし、単純な同情でもありませんね。
こんなことはありうるんだ、と誇張してひとりの女性の追い詰められていく心性を、扱ったのだと思います。
TBありがとうございました (mugi)
2007-05-20 20:55:12
TBありがとうございました。

>>彼らの行動を安全な立場から、哂うべきではない
とは言え、人は人のことをいうものであり、人の口に扉は立てられないものですからね。それさえ認められないなら、全体主義の方向に陥りませんか?

個人的に中東に関心がありますが、あちらのバッシングなど、日本の比ではありません。宗教の戒律に背いたと見なされれば、身体生命の保障などない。「名誉の殺人」で、若い女性が殺害されるのも珍しくありません。勝手に男と付き合って、家族の体面を汚したとされれば、男の親族によって殺害されるのです。
TBありがとうございました (ぴむ)
2007-05-20 21:28:08
ほんと、現実のバッシングは気分の悪いものでした。
でも、それに対して何もいえなかった私も、もしかして同類なのかもわかりません。それでも、一般市民が言うならともかく、首相など国の偉い人々が自己責任論をふりかざしたことは、やっぱり許せませんね。

同じく小林監督がまったく違うテーマで撮った「幸福(しあわせ)」もぜひご覧になれるといいのですが。ユーモアも交えつつ、すごく深くて、うなってしまうような秀作でした。一般公開のメドはたたないのかなあ。
コメントありがとうございました (rino)
2007-05-20 22:05:22
当時、自己責任の取れない人達が「ジコセキニン、ジコセキニン」と騒いでいたのを滑稽に感じていました。
私は個別化というものは人間の進化だと思いますので、モラルハザードも我が侭ボランティアもやりたい人はやればいいと思います。
その迷惑を引き受けるのが例え、全く他人の私であっても全て受け入れればいいだけだと・・・
コメント多謝 (kimion20002000)
2007-05-21 02:35:00
>mugiさん

あくまでも個人的な見解です。
中東の一部の風習は、僕自身はそんなヒステリカルな風習に我慢できませんが、あくまでも共同体の悪しき文化水準だと思います。

>ぴむさん

まあ、小林監督の周りの人たちは、ご苦労が多いでしょうねぇ(笑)また、映画を、撮るんだってさ、ハコなんて、決まってねえよ!

>rinoさん

どこまで、透徹した覚悟が出来るか、まあ、人間が出来ていない僕にとっては、容易なことではありませんが、おっしゃる趣旨は、よくわかります。
こんばんわ (睦月)
2007-05-25 18:32:15
TB&コメントありがとうございました。

小林監督とkimion20002000は同い年でらっしゃるんですね。
私はこの作品を公開当初に早々と観に行ったのですが、
劇場で小林監督がフォークギターでミニライブを
披露してくださいました。

上手くは言えないけれど・・・私はこの作品からいろんなことを
感じ取り、いろんな感情がわきあがったことは事実です。
大変有意義な1作だったと思います。
複雑な気分・・・ (狗山椀太郎)
2007-05-25 23:51:53
こんばんは、トラックバックありがとうございました。

3年前の人質バッシングには、私も強い憤りを覚えたことを思い出します。あのような無責任な物言いは絶対に許しません。
ただ、わたし自身が現在、ブログという場所を借りて好き勝手にあれこれ言っていることを鑑みると、少し複雑な気分になってしまいます。ネット社会の必然かも知れませんが、時には「他人を批判するのは容易いけれど、自分はどうなの?」と立ち止まって考えてみることも必要だな、と感じています。
睦月さん (kimion20002000)
2007-05-26 04:11:31
こんにちは。
僕はDVDで見たんですけどね。
特典映像で、小林監督は、ギターを持って出てきて、歌っていましたね。飄々としたおっさんですけど、映画のことをしゃべるより、歌う方がいいやというような映像でした(笑)
狗山さん (kimion20002000)
2007-05-26 04:18:03
こんにちは。
ひとつは、匿名表記の問題がありますね。
もちろん、僕も、このblogはあまり深くも考えずに、匿名でやっています。
けれど、前も、書いたことがあるんですが、自分のアドレスもコメントなどには記入しますから、反論や批判があれば、どんどんやってくれ、そこでは、本名でも構わないよ、という構えでやっています。
批判も難癖づけもドンドンやればいいと思うんですね。でも、それは自分も受けるぞということであり、バッシング意識とは、異なると思うんですね。

コメントを投稿