サーカスな日々

サーカスが好きだ。舞台もそうだが、楽屋裏の真剣な喧騒が好きだ。日常もまたサーカスでありその楽屋裏もまことに興味深い。

mini review 07216「長い散歩」★★★★★☆☆☆☆☆

2007年03月20日 | 座布団シネマ:な行

妻をアルコール依存症に陥らせて亡くし、娘の憎しみを買い、家庭の和を築くことができなかった安田は、定年退職を期に小さなアパートに独り暮らし始めた。安田の隣に住むのは母子家庭の母子。激しい虐待を繰り返す母親から幼い少女を... 続き

世界はあまりに残酷に、わかりあえなくなっている。

奥田瑛二監督の長編3作目にあたる。
第1作の「少女」は、奥田瑛二自身が主役でもあるのだが、いいも悪いも、「これが奥田瑛二の世界だぜ」という感じで、下手糞な自主制作映画に延々とつき合わされているような感じを受けた。監督の視線より、アクの強い奥田瑛二という一役者の演技論につき合わされているという感じであった。
第2作は「るにん」。松坂慶子という最高の女優を迎え、はじめて、監督奥田瑛二として、全力投球の映像作りであった。賞も受けたが、僕はさほど評価しない。場面ごとに力が入りすぎて、押し付けがましい監督としての奥田瑛二ワールド全開である。しかも、やはり、役者として、松坂慶子以外には、演技指導を強制している。集団劇の場面では、地下演劇のようなおどろおどろしい演技の連続で、観客(僕)は疲れ果ててしまうのだった。

そして3作目。ようやく、演技者としての自分と、監督としての自分とを、自然に分かつことが出来たような気がする。なにより、緒方拳という日本最高の俳優を主役に迎え入れることが出来たこと、そしてもうひとりの主役が5歳の子役であったこと。当然だが、ここでは、奥田瑛二のこだわりの演技論など、展開する場面もたいしてなかったであろう。
その他の登場人物も少なく、その分、映画の本道である物語の生成に、監督の神経を集中できたのかもしれない。



「長い散歩」は、幼児虐待が主題である。
母親(高岡早紀)から虐待を受け、幼稚園にも行かせてもらえないサチ(杉浦花菜)を見るに見かねて、隣室に住む元高校校長の松太郎(緒方拳)が、「長い散歩」に連れて出る。
少女の保護ではある。けれど、本当は、近くの民生委員などに届け出るのが常識である。

映画では、松太郎自身が、家族をうまく営むことが出来ず、万引きに走った娘を殴り、妻をアルコール常習に追い込み、妻の葬儀を終え、娘からは「人殺し」と罵られながら、最低限の荷物とともに、荒れ果てた木造アパートに越してきた男として設定されている。
ここでサチの居場所の無さは、松太郎の後悔の念と、同期することになる。

松太郎が、唯一、大切に持っている写真。それは、妻と娘を連れて、高原に旅行したときのもの。あの山に登り、あのときの白い雲、青い空をもう一度見たい、そしてこのサチにみせてあげたい。そうした脅迫観念に松太郎は駆られてしまう。



少女はまだ父親がいたころ、幼稚園で踊った「天使のパンツ」の遊戯が忘れられない。ぼろぼろになった段ボールで工作された羽を、背中にずっとつけている。家に帰っても、アルコール中毒の母に折檻されるだけだ。初老の松太郎の意図はよく理解できない。ぎくしゃくした逃避行、まったく性のかけらもない道行、あるいは「青い空、白い雲、白い鳥」の世界を確認するための「長い散歩」に、二人は道程するが、当然、警察からは、幼女誘拐事件として、追われることになる。

途中で、ワタル(松田翔太)という帰国子女のバックパッカーが同行することになる。ワタルとサチは、妙に仲がよい。しかし、ワタルもまた、引き篭もりに苦しむ青年であった。所持していた銃で、松太郎の制止も聞かず、「さようなら」と無音の挨拶を残して、笑顔で自殺する。ワタルにはもう、サチがもつ天使の羽の幻想も、昔、松太郎が写真に書き添えた「おーい君 おーい天使 おーい青い空」という詠嘆もなかったのである。



結局のところ、「長い散歩」は、つらい現実からの、ひとときの退避の思想である。
なぜ、悲惨は、招きよせられたのか?この作品は、なにも説明しない。
なぜ、松太郎は、自分の家族につらくあたってしまったのか?
だとしても、なぜ、妻はアルコール依存症にまでなり、娘は徹底して父を否定するようになったのか?
なぜ、サチの母親は虐待に走るのか?「自分もそうやって育てられたから」というが、それがどのようなものであったのか、説明はされない。
ヒモのような自堕落な青年水口は、なぜ、母親の虐待を止めることができないのか?ごくまれには、サチに優しげな表情を見せかけることがあるのに。
なぜワタルは、銃まで持ち込んで自殺を決意したのだろう?ザンビアの外交官の息子であるかのように、におわされている が本当かどうかはわからない。どういう家族で育ったのかも、なにも説明されない。

山から下りた松太郎は、交番に出頭する手前で、道にしゃがみこみ、憑きものが落ちたように放心し、そして、激しく慟哭する。少女の羽は半分もがれている。



裁きを受け、出所の雪降る日。松太郎に誰の迎えも無い。一瞬、サチの幻が見える。擬似家族の切ない仮構があった松太郎とサチ。けれど、当然、サチのその後もわからない。

「長い散歩」には目的があった。
けれど、もう、帰り道は、どこにもないのである。
UAが井上陽水の「傘がない」をカバーしている。

   つめたい雨が今日は心に浸みる    君の事以外は考えられなくなる    それはいい事だろ?

それはいい事だ。
けだし、「長い散歩」の道程に、限ってみれば・・・。






 



最新の画像もっと見る

10 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (りん)
2007-03-22 01:16:44
TBやコメントいただき寄ってみました。
まだ少ししか拝読させて頂いていないのですが、精力的に活動され記述されておられるようですね。
年代が近い?ものとしては励まされます。
またゆっくりおじゃまさせていただきます。
りんさん (kimion20002000)
2007-03-22 02:14:45
こんにちは。
年代が近いのですか?
それはよかった(笑)
いろいろ、感想ください。
Unknown (バラサ☆バラサ)
2007-04-04 21:14:43
トラックバックありがとうございます。
わたしは説明が足らないことには、特に違和感は持ちませんでした。
あの終わりも、結局、贖罪はされないかったということでいいのではないかと思っています。
「傘がない」は、?ですが。
バラサ☆バラサ (kimion20002000)
2007-04-04 22:25:58
こんにちは。
「傘がない」は個人的に好きでね。UAもそう。
この映画の余韻と合っているかどうかは、また別問題だけどね。
はじめまして (井猴)
2007-07-24 00:31:33
こんばんは。
トラックバックありがとうございます。

あのラストシーンには、同じく緒方拳主演の映画「流★星」を彷彿とさせられました。
どちらも全てを失ったかのように見える主人公ですが、あちらはやけっぱちな能天気さがありましたけどね。

「長い散歩」のような作品の鬱々とした人物描写を観ていると、ああこの人はマジメなんだな、と感じます。
全てを受け止めてしまうのでしょう。
もっと流せればいいのに……。
それは現実世界でもそうなのですが、まあなかなか難しいのでしょうね。

他の記事も読ませていただきますね。
初めてなのに長々と失礼いたしました。
井候さん (kimion20002000)
2007-07-24 03:17:08
こんにちは。
まあ、しかし、緒方拳はどういう役を演じても、さまになりますねぇ。
こんばんは♪ (miyukichi)
2007-08-03 23:04:50
 TBさせていただきました。

 緒方拳さんがすばらしかったです。
 見事でした。
 花菜ちゃん、松田翔太クンもよかったし、
 役者さんたちは皆好演でしたね。

 心が通い合っていく道程に、泣かされました。
miyukichiさん (kimion20002000)
2007-08-03 23:37:50
こんにちは。
基本的には、傷ついているものたちの、道程であり、その寂獏とした世界に、惹かれます。
弊記事までTB&コメント有難うございました。 (オカピー)
2009-11-25 01:32:58
>「傘がない」
初期の井上陽水の素朴でナイーヴなところが好きで、この曲は大学時代に押韻までして英訳なんかしてみました。
UAの粘っこい歌い方も良いですね。

で、この曲を聞きながら僕が思ったのは、人生は雨の中を歩いている状態であり、人と人との関わり合いが即ち傘の役目なのだ・・・ということです。
だから、少女の母親は濡れ鼠で・・・同情とは違いますが、可哀想な人なんですね。あの短いショットは彼女の人生そのものを意味しているのでは?

しかし、誰にしてもずっと他人のために傘を差し掛け続けることはできないわけで、サチと呼ばれる少女は母親の元に戻ったのか、どこかの施設に引き取られたのか・・・いずれにしても名前とは裏腹に幸の多い少女時代は送れないでしょう。

人生とは、切ないものですね。
オカピーさん (kimion20002000)
2009-11-25 16:22:10
こんにちは。

オカピーさんのさしかける傘の解釈は、とても余韻があっていいと思いますよ。
それにしても、今更ながら、緒方拳さんが偲ばれますね。

コメントを投稿