サーカスな日々

サーカスが好きだ。舞台もそうだが、楽屋裏の真剣な喧騒が好きだ。日常もまたサーカスでありその楽屋裏もまことに興味深い。

mini review 07263「叫 さけび」★★★★★☆☆☆☆☆

2007年11月12日 | 座布団シネマ:さ行

『LOFT ロフト』などの黒沢清監督と『呪怨』シリーズの一瀬隆重プロデューサーが初めて手を組んだ本格派ミステリー。ある連続殺人をきっかけに、過去と現在が入り乱れる迷宮に足を踏み入れる刑事の苦悶をあぶり出す。黒沢監督作品7作目の主演となる役所広司が主人公を熱演。『天使の卵』の小西真奈美や『ゆれる』のオダギリジョーら豪華共演陣も見逃せない。すでに世界配給も決定した想像を絶する物語に引き込まれる。[もっと詳しく]

場面場面の演出の見事な緻密さと、「脚本」総体に感じられる詰めの曖昧さと。

もともと、蓮實重彦教授の薫陶を受けたからか、あるいは、若き日に長谷川和彦や相米慎二監督に師事したからだろうか。黒沢清監督は、現役の監督の中では、もっとも、理論家であり、映画論を語らせても、王道から映画の歴史や表現の現在を語れる人ではないか、と僕は思っている。
どの作品をとってもいいのだが、観客に与える<効果>というものを、とても隅々まで、よく計算しつくしている。
ロケーション、構図、カメラワーク、効果音、美術、小道具、色調、照明、音響、音楽・・・・・。
作品をテクストとしてとりあげ、なぜそのような撮影手法をとったのか、演出としてどうしてこのようなセットにしたのか、たぶん黒沢監督は、それらの一つひとつを正確に解説することが出来るはずである。



けれども、これは僕の偏見であるかもしれないのだが、「脚本」に関してだけは、曖昧というか、詰め切れていないというか、おそらく本人がそれでもよし、としているところがあるような気がする。
監督自身も、自分で脚本を書く嵌めになっても、ある程度までで、現場で臨機応変に変えてしまうんだ、というようなことを言っている。
もちろん、細部の演出意図が変わるわけではない。何が撮りたいのか、いつも明瞭な人なのだ。
なぜ、カメラは主人公の背後から、静かに忍び込むようにして、必ず、そのフレームに、窓や鏡が映りこむようにして、時計や雨だれや廊下の軋むような音をこの場面で差し挟まなければならないのか。
こういうシーンの意図を問うたとしても、たぶん明瞭に、答える人であると思われる。

特に、前作「ロフト」でもそうなのだが、ホラー的色彩を帯びた作品の場合は、黒沢監督は、観客の想像を繰り込みながら、徐々にテンションを高めていったり、逆に鎮めていったりしながら、恐怖の感情を揺さぶっていこうとする。
そして、盛り上げるだけ盛り上げておいて、期待通りの驚かせ方をしたり、つれなく場面転換をしたり、観客が想像もしないようなリズムでいきなり、ビクっとさせたりするのだ。
観客の反応を先回りしているとも言えるし、弄んでいるともいえる。
それこそ、ホラー映画監督の才能の発揮のしどころであるし、冥利に尽きるところでもある。
海外でも高くこの監督が評価されており、カルト的なファンがいるのも、頷けるところだ。



吉岡刑事(役所広司)は、海水溜りで溺死させられた赤い服の女(F-18)の死体検分に立ち会う。
F-18の爪から検出された指紋、現場にあったボタン、絞殺に使われた黄色のコード・・・そのいずれもが、奇妙に吉岡と関係しているが、彼はその女に見覚えはない。
一方で、同様の連続殺人事件が続き、吉岡は「赤い服の女」の幻覚を見るようになり、同僚の宮地刑事(伊原剛志)からも疑いの眼で見られ、警察の精神分析医高木(オダギリジョー)のカウンセルも受けるようになる。
湾岸地帯の地震で液状化が進んでいるような古い団地に住む吉岡は、神経が衰弱してきて、付き合っている春江(小西真奈美)と逃避しようともする。

吉岡が幻覚で見る赤い服の女はF-18とは別人で、15年ほど前、戦前からあった精神病棟に閉じ込められ、監禁状態のまま抵抗すれば盥の水に頭をつけて罰せられた女(葉月里緒奈)であったことがわかる。
病室から外を見やる女といまは廃止になっているフェリーに乗り合わせ目をかわした人々がいた。
吉岡もその一人であり、女は、「私は死んだ。だから、みんなも死んでください」という。
とんでもなく理不尽な話ではあるが、連続殺人事件は、殺人者にとって相手が自分の存在を軽んじることに対し、ストレスが昂じて、「全部なしにしようと思う」ちょっとした心の隙に、「赤い服の女」の孤独な想念、憎悪が憑依した結果、生じたといったような解釈に誘導しようとしている。



たしかに、過去の記憶などは曖昧で、人間は自分に都合の悪い記憶や想念は、なかったことにしてしまおうとすることは、思い当たる節もある。
それはしかし潜在意識に滞留して、なにかの拍子に、しっぺ返しのように悪夢の形をとって、意識下から這い上がってくる。

この作品では、忌まわしい記憶、不要になった遺物、忘れられた廃墟を、都市化の中で海に侵食するかたちで土地を埋め立て、また、バブル以降に忘れられたように開発計画が中座したり放置されたりした東京湾岸地帯を舞台にしている。
まるで、海(自然)からの復讐のように、地震による液状化によってできた水溜りや海水溜り、放置された工事現場や廃墟を浸す泥濘によって、地霊の怨念と忘れ去られた不遇の死を遂げたものの怨念が、重なるように、弱った心を奪いにくる。

とても不気味な光景だし、僕たちも東京湾岸のそういう光景をなるべく見ないように、やり過ごしている。しかし、いつもいつも、見なかったことに都合よくしてしまうわけにはいかない。
恐怖は、向こうから、こちらをめがけて、やってくる。
怨念の叫び声のような音が脳を突き刺す。狙われたら、逃れることはできない・・・・。

それにしても、やはり「脚本」がどこかで布石を与えるところが、さらなる謎になっていたり、謎の解明であるべきところが曖昧になっていたり、人格の解離状態や心身症的な統合失調に帰属させてしまえば、矛盾も矛盾にならないといった安易とも見える筋立てにも思えるようになってしまっていたりするのは、どうしたことか。



ラストシーンだけをあげてもいい。
たとえば、同僚宮地が吉岡の部屋で盥を発見する。
たぶん、春江の屍骸を発見したのだろうが、その直後に、干からびていた盥は水で満たされており、振動で漣だっている。
不思議に思った吉岡がじっと水面を覗き込むと、赤い服の女が垂直に落下して、あっという間に吉岡を盥の中の水の異世界に、引き擦り込んでしまう。
これはどういう意味なんだ?
笑いをとる場面なのか?

たとえば、吉岡は、自分が付き合ってきたのは殺してしまった亡霊の春江であることに気付く。
骨をていねいに拾い集めて鞄に入れて部屋を出る。
いったいこれからどこに行こうとするのか?

たとえば、思わせぶりに出てきた作業船の男(加瀬亮)や精神医は、もっとなにかを知っているようで、肝心なところで、口をつぐむ。
どういうキャラの設定なんだ?

たとえば、まったくといっていいほど、受動的で感情を表に出さなかった春江が、再び登場する。
ラストでなにかとんでもないものを目撃したかのように、叫びだしそうな表情をする。
いったい、何に、驚愕したんだ?



想像しようとすればいかようにでも出来るのだが、これはやはり、黒沢監督が、場面場面の細部ほど、全体の「脚本」そのものを詰め切れていないことによるものだという思いを、僕は拭い去ることが出来ないのだ。
前作の「LOFT ロフト」でも、同じように狐につままれたような感じがして、「まあ、謎は謎でいいけどさ」というところで、楽しみに残しておいたお菓子を取り上げられた子供のように、納得のいかない気持にさせられたものだ。

深層の暗喩を解読できない観客が馬鹿なのか、それとも、黒沢監督の「脚本」の甘さのせいなのか、みなさんはどう思います?(笑)







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18 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
これはこれで (hal)
2007-11-12 19:24:40
TBありがとうございました。この手の作品ではあまり説明的になりすぎずに曖昧のままの方が良いように思います。ロフトまだ見ていないので、見てみたいと思います。
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halさん (kimion20002000)
2007-11-12 21:51:38
こんにちは。
デヴィット・リンチの作品のようにね(笑)
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TBありがとうございました (ガラリーナ)
2007-11-12 23:22:49
>楽しみに残しておいたお菓子を取り上げられた子供のように、納得のいかない気持

思わず笑ってしまいました。私は、リンチ作品は「答は一つしかない解読系」ですが、黒沢作品は「答は観客に任せます」という映画なんだろうと思っています。つまり「勝手に解釈してください。一応ボクなりの辻褄はあるんですけどね」と言ったスタンスといったところでしょうか。
(もちろん、黒沢監督がそう思っておられるかどうかは別にして^^)
同僚の宮地は、あれは単に観客をびっくりさせたかったんじゃないでしょうか(笑)。そして、私の解釈は、あの水面は赤い服の女の通り道だった。そこ宮地はにたまたま出くわしてしまった、です(笑)。
ラストの叫びは、吉岡が時折耳にしていた叫び声ではないかしら。つまり、赤い服の女が発していると恐怖していた吉岡だったけど、その声は自分が殺した春江の怨念、またはその罪悪感によってもたらされていた幻聴であった。
とまあ、ものすごく適当なことを勝手に考えています。
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ガラリーナさん (kimion20002000)
2007-11-13 00:00:07
こんにちは。

>あれは単に観客をびっくりさせたかったんじゃないでしょうか

でしょうね(笑)
黒沢監督も、「おいおい、娯楽なんだからさ」といいそうだしね。

ちょっとムキになったフリをしてみただけです(笑)
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こんばんは! (hyoutan2005)
2007-11-14 22:04:08
お久しぶりです。
実はブログを引っ越しました。
古いほうのブログにTBをいただきましたが、記事を新しいほうにもインポートしているので、新しいほうからお返しさせていただいています。(インポートした記事は若干レイアウトなど見づらいかもしれません)

黒澤監督のほかの作品を観なくては・・・と思いつつなかなか実行できずにいます。
つくづく一日26時間とか欲しいですね(笑
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hyoutan2005さん (kimion20002000)
2007-11-14 23:03:56
こんにちは
blogの引っ越しは、しばらくは、大変でしょうね。
僕もそれぞれの監督の過去作品を見たいなあと思いつつ、新しい作品が来ちゃうんですよね(笑)
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こんばんは! (パピのママ)
2007-11-15 00:56:41
コメント有難うございました。
黒沢監督もの「LOFT」もそうでしたが、観客が恐怖を味わいながら、自分で想像するようなそんな感じですかね。
今回は、音響効果が映像に拍車をかけていかにもというような、主人公吉岡が全部の犯人みたいな錯覚を覚えました。
でも、いつもながら監督の美女を綺麗な幽霊に撮ることに関しては、あっぱれだと思いましたね。
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パピのママさん (kimion20002000)
2007-11-15 03:38:16
こんにちは。
ともあれ、音響効果は、いつも匠ですね。
なんか、深層心理をゆさぶるような効果音です。
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まったくです (睦月)
2007-11-19 11:04:03
こんにちわ。
私、あんまり映画のことを立派に語れるほどの
知識はないのですが・・・。

kimion20002000さんのおっしゃることは実に
的を得ていると個人的には感じました。

この人の作品って、脚本的に放り投げられたまま
回収しきれてない部分が散見できるんですよねえ。
だからこちらとしては「何が?」「一体?」
「どうして?」と疑問符ばかりが並んでしまう。

こういった曖昧さを好む方もいらっしゃるかと
思いますが、基本的に映画に整合性を求めるタイプ
の受け手にとってはいささか入り込みにくい一面を
持っている作品ではないか?と感じます。
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睦月さん (kimion20002000)
2007-11-19 16:47:14
こんにちは。
ですよね。
僕も、それほど、整合性を求めているわけではないんだけど、細部の凝り様が徹底しているだけに、なんかなあ、と思ってしまうわけです。
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