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サーカスな日々

サーカスが好きだ。舞台もそうだが、楽屋裏の真剣な喧騒が好きだ。日常もまたサーカスでありその楽屋裏もまことに興味深い。

mini review 09420「花の生涯~梅蘭芳(メイ ラン ファン)~」★★★★★★★★☆☆

2009年11月18日 | 座布団シネマ:は行

『さらば、わが愛/覇王別姫(はおうべっき)』のチェン・カイコー監督が再び京劇の世界に戻り、実在した女形の名優、メイ・ランファンの最盛期を描いた時代劇。激動の現代中国で芸一筋に生きた役者の真の姿に迫る。青年時代のメイ・ランファンを新星のユィ・シャオチュンが演じるほか、成長した姿を香港のスター、レオン・ライが演じている。そのほかチャン・ツィイーや安藤政信らの共演も見逃せない。中国国内の人気はもとより、初の海外公演を成功させた彼の功績の大きさに驚く。[もっと詳しく]

京劇の真髄である「圓」を演じたふたりの役者に、驚愕した。

チェン・カイコーは、『北京ヴァイオリン』(02年)のような貧しい父子の都会に出てきての苦労物語の中にある叙情性や、『PROMISE プロミス』(05年)のようなはったりめいた神話世界の構築の壮大さや、そういうものも好きなのだが、やはり『さらば、わが愛/覇王別姫』(93年)は、僕の中でも別格の作品である。
カンヌ国際映画祭でもパルム・ドールを受賞しているが、レスリー・チャン、チャン・フォンイー、コン・リーの京劇を舞台とした三つ巴の愛憎劇には、身震いしたものだ。
たぶん、僕の中でも、これまでの好きな映画ベスト5には数えてもいい作品となっている。
03年、レスリー・チャンが高級ホテルから投身自殺をしたときには、彼のこの作品での妖艶な女形の姿態を思い出して、ひとりしみじみと別れの杯をあげたものだ。
そんなわけで、同じく京劇の史上最高とも呼べる実在の女形梅蘭芳を描いた『花の生涯』で、青年時代の梅蘭芳を中国の伝統演劇の若手役者でもあるユィ・シャオチュンが艶やかな女形を演じてスクリーンに登場した時には、その化粧の背後にレスリー・チャンが二重写しになるのを避けることができなかった。
もちろん、『さらば、わが愛』は、特定の京劇役者をモデルにしているわけではないのだが・・・。



梅蘭芳は、1894年生まれ、祖父から続く女形の名門梨園の子どもとして生まれた。
「愛を舞い、愛に散る」というこの作品でもキャッチフレーズをつけられているが、清朝崩壊後、中華民国となった時代にあって、それまで「京劇王」の名をほしいままにしてきた十三燕(ワン・シュエチー)を現代(新)京劇によって凌駕し、100作にものぼる創作京劇を世に送り出し、民衆の喝采を浴びたのである。
ニューヨーク、ロシア、日本での遠征公演にも成功を収めたが、日本軍の侵攻後は、協力を潔しとせず、舞台から離れる。
日本軍撤退後に、上海租界地から北京に戻った梅蘭芳を、熱狂的な北京の6万人の民衆が、歓呼を持って迎えたという。
その後も活動を再開し、1961年文革直前に、66歳で死去している。
脚本はアメリカ在住のゲリン・ヤンだが、160分というやや長めの上映時間であるが、まったく遅滞することのない構成に、驚嘆してしまう。
梅蘭芳の生涯のなににテーマをおき、かつ舞台人生のどのエピソードに観客の興味の高まりを持ってくるのか、その構成の仕方がまことに心憎いのだ。



両親を早くに亡くした梅蘭芳にとっての育ての親でもあった胡弓奏者の梅雨田が、清朝官吏のつまらぬいいがかりで紙の首枷をぶらさげられるという屈辱を受け、その遺書を大切に読み返す少年。
「京劇の世界からおまえは離れるほうがいい」。
名門「梅」家の運命は、この痩せ細った少年の両肩にかかっている。
孤独な少年のその後の苛烈な人生を暗喩するような導入部。
そして10年後、いきなり女形のトップスターに駆け上がった梅蘭芳の妖しの舞台に観客は招かれる。
ここで『さらば、わが愛』の既視感を、僕たちは体験することになる。



五代続く高級官吏の家の出である司法長官の邱如白(スン・ホンレイ)は海外留学もした芸術好き。
「京劇の世界は約束事ばかりで、自由がない」といった持論を、京劇役者らも集う講演会で挑発的にぶちあげる。
そんな彼だが、梅蘭芳の舞台に招待され、その演技を垣間見るや、凍ってしまう。
邱如白は喉が渇き、生唾を飲み込み、喉仏を震わせることになる。
この出会いの衝撃性は、観客である僕たちにも丸ごと伝わってくる。
邱如白は、一瞬で梅蘭芳という才能に恋をしたのだ。
「いったい、わたしは男に参ったのか、女に参ったのか」
独自の芸術理論を持つ邱如白は、司法長官のポストも捨て去り義兄弟の契りを結んだ梅蘭芳を後援することになる。
そして前半のクライマックスである京劇の新旧ふたりの師弟対決となり、梅蘭芳は大衆の支持を勝ち取り、十三燕をして「負けることは恥ではない。怖れる事が恥なのだ」と言わしめ、役者の地位向上を託されるにいたる。



次の山場は、役者仲間の福芝芳(チェン・ホン)と結婚をし、ますます京劇の名声もあがっている梅蘭芳だが、ある集まりで男役の評判のスターである孟小冬(チャン・ツィイー)と出会い、お互いに尊敬以上の感情を持つ箇所である。
男の梅蘭芳は女を演じ、女の孟小冬は男を演じる。
この倒錯は、きわめてスリリングだ。
ここでは、梅蘭芳は、レオン・ライに代わっている。
歌手としてもアンディ・ラウ、ジャッキー・チュン、アーロン・クォックと並んで香港四天王といわれ、役者としても『インファナル・アフェア3』(03年)のクールな警官役などで日本でも御馴染みだ。
チェン・ホンは、チェン・カイコー監督の奥様でもあるが、彼の作品に出演したり、プロデュースをしたり、知的で美しい女性だ。
『さらば、わが愛』ではコン・リーを起用したチェン・カイコーだが、今回は愛人役にチャン・ツィイーを起用するとは、このふたりの女優のライバル関係を知るものにとっては、心憎いキャスティングだと思ってしまう。
梅蘭芳にとっては、生涯唯一本当に愛した女性かもしれない。
けれども、運命的な孤独をバネとして芸を磨いてきた彼に安息の存在ができることは、芸に打ち込むことへの阻害要因となるかもしれない。
嫉妬の感情もあるにはせよ、邱如白も福芝芳も体を張ってこの二人を別れさそうとする。
ことに、福芝芳と孟小冬の、「女」の静かな対決は圧巻だ。
福芝芳は、「梅蘭芳の才能は、私のものでもなくあなたのものでもない。観客のものだ」と諭すことになる。



次の山場はアメリカ公演。
アメリカ人に京劇の魅力が伝わるものなのかどうか。
興行には、きわめて大きな資金的なリスクも伴うことになる。
しかも、1930年、アメリカは金融恐慌の直後で、不景気のどん底である。
歌舞を愉しむ余裕もないかもしれない。
公演前の、新聞の前評判もあまりよくない。
ホールは満杯になっているようだが、京劇特有の「決め」のシーンで、中国ならば「好(ハオ!)」の歓声がわくところだが、アメリカ人はしーんとしている。途中で席を立つ客も。
気が気でない邱如白は、会場の外で頭を抱えるが、終わってみればスタンディングオベーションの嵐。公演は成功したのだ。
日本にも三度、来日しているらしい。
もともと、梅蘭芳の京劇改革は、日本の歌舞伎の果敢な創作性に、影響を受けたものでもあるらしい。
チャップリン、エイゼンシュタイン、演劇のブレヒトらも梅蘭芳を絶賛しているし、日本でも女形であり芸術活動にも貪欲な坂東玉三郎が、梅蘭芳の創作劇「牡丹亭」にチャレンジもしている。
ちなみに梅蘭芳の艶やかな女形の容姿は、本国では「牡丹」に喩えられている。



この作品の最後の山場は、日本軍から逃れて北京から上海のフランス疎開地に逃れる梅蘭芳だが、日本軍はその上海にも迫り、乱暴な吉野中将(六平直政)に恫喝され、演じることを強制される場面である。
梅蘭芳に日本公演で接し、深く尊敬する田中少佐(安藤政信)は、なんとか間を取り持とうとするが、自殺するハメに追いやられる。
梅蘭芳は、チフス菌を自分の腕に注射し、口ひげも伸ばして、舞台に立つことを断固として拒否する。
梅蘭芳の生涯を追った大河ドラマといってしまえばそれまでだが、僕たちは芸人の矜持に、尊敬の念を抱くことになる。
そうかといって、梅蘭芳も完全無欠ではなく、大事な舞台の前では、怖ろしくて、隠れてしまうようなエピソードも挿入している。
すべては、冒頭の、伯父の手紙の呪縛と、闘った人生でもあったのだ。



梅蘭芳の死後、文化大革命がはじまり、「京劇」は反革命と見做され、公演を禁じられたリの冬の時代が続いた。
梅蘭芳の息子で、現在も「梅派」の総帥であるメイ・パオチウは本作のスーパーバイザーで時代考証、演技指導をしている。
その彼も13歳からの女形であるらしいが、その父と同じように、文化大革命のブランクの時代を、また己の運命の必然とみなし、その芸に繰み込んだのかもしれない。
京劇の真髄は、「圓」ということにあるといわれる。
これは、まるい、まろやか、たおやか、という意である。
もちろん、『さらば、わが愛』のレスリー・チャンもそうではあったが、この作品で梅蘭芳の妖艶な「圓」をよく演じたユィ・シャオチュン、レオン・ライに対して、最高の賛辞を贈りたいと思う。

kimion20002000の関連レヴュー

PROMISE プロミス
インファナル・アフェア3












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6 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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あでやか~ (latifa)
2009-11-29 16:27:13
kimionさん、こんにちは!
自分ちにも書きましたが、「みなさん、さようなら」はkimionさんちのレビューは、実は随分前に拝見させて頂いていたんですが、私が酷評してしまったので、お声をかけずらく・・・(^^ゞ

で、こちらに^^
見た直後よりも、今思い出してみると、やっぱり良かったなぁ~と思う映画です。
芸術家(芸人だったかな・・)は、淋しくないと良いものを作れない・・みたいなセリフがあったのが印象的でした。
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latifaさん (kimion20002000)
2009-11-29 21:41:00
こんにちは。

芸術家というのは、やはり孤独で、残酷な面もあると思いますね。

そのかわり、栄光がついて回るんですけどね。
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TB致しました。 (オカピー)
2010-04-01 20:47:52
「さらば、わが愛/覇王別姫」の騒がれ方に比べると、本作に対する世間の関心の低さは寂しいですね。
僕がよく寄らせて戴いているブログで記事があったのはkimionさんだけですよ。

>男の梅蘭芳は女を演じ、女の孟小冬は男を演じる。
>この倒錯は、きわめてスリリングだ。
全くです。
歌舞伎と違って女優がいるなら女性役にすれば良いのにねえ。変態ですねえ。(笑)

>次の山場はアメリカ公演。
場面としては非常に印象的ですが、お話の流れを考えると、ここは日本公演にしたほうが自然だったような気がします。
日本公演を観た若い日本軍人が後で出てきますから。
当たり前すぎると思ったのでしょうか?
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オカピーさん (kimion20002000)
2010-04-01 22:50:04
こんにちは。

>ここは日本公演にしたほうが自然

なるほどそうですね。
メイランファンの世界性を強調したかったのか、それともこの作品の海外配給を意識したのか、ということかもしれませんね。
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梅蘭芳 (いまどき)
2010-04-03 20:18:28
またお邪魔しました。
梅蘭芳は、昭和30年代前半に日本に最後の来日公演をしているんですね。歌舞伎座で。もちろん私はまだ生まれていないので、本物を観るべくもないんですが、今から15年前、中国に手作りの玩具を作るお爺さんたちに会いたくて、言葉もできないくせに行ったことがありました。そのついでに、北京市内の梅蘭芳の旧宅へ行きました。入れませんでした。デパートで昔の梅蘭芳のビデオをみつけ買ってきました。その存在感はすごいものですよ。歌舞伎でもそうですが、男が女を専門的に演じるということは、人によっては生理的に受付られないかと思いますが、本物の女性が演じるのと異なった不思議な存在感なり風格が出ます。
女形は気持ち悪いと思う人は少なくないかと思いますが、その気持ち悪さこそ、歌舞伎の味、京劇の一番おいしいところなのではないかと思います。
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いまどきさん (kimion20002000)
2010-04-04 01:02:21
こんにちは。
僕も、写真で日本公演の熱狂振りは見たことがあるんです。
日本では女形の芸の歴史も長いですから、受容されやすいでしょうね。
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