
『オオカミの誘惑』『百万長者の初恋』のキム・テギュン監督が、生きるために北朝鮮から中国へ渡った父子の悲劇を描いた人間ドラマ。100人近い脱北者への取材を基に北朝鮮の現実に根ざした骨太なストーリーに仕立て、第81回アカデミー賞外国語映画部門賞の韓国代表作品に選ばれた。過酷な運命に翻弄(ほんろう)される主人公を『ドクターK』のチャ・インピョが熱演。脱北経路を描くため、中国やモンゴルで撮影された雄大な映像美も見どころだ。[もっと詳しく]
脱北者のリアルを描くために、スタッフは公開のめども立たずに、カメラを回し続けた。
僕たちはどこかで、北朝鮮の国営放送の「首領様~」の女アナウンサーの、ある意味滑稽な演説調のニュース報道を聞きなれているせいか、実際の北朝鮮の大衆の生活もどこか機械仕掛けの人形のような四角四面の生活をしているように、錯覚してしまうことがある。
動員されるマスゲームの少年少女たちの光景や、首領様をお迎えする勤勉な生産現場の労働者たち、あるいは大きくはないが小奇麗な都市生活者の笑顔に満ちた食事風景。
そんなものは検閲されて都合のいい光景だけをセレクトされているのがわかっているから、逆に大衆の本当の生活が想像できないでいる。
たまに、スポーツ大会に歓び組の綺麗なお姉さんたちが出てきたり、サッカーなどの選手が日本にきても、ついつい色眼鏡で見てしまう自分に気づくことがある。
しかしちょっと冷静になってみれば、そんなことがあろうはずはない。
朝鮮戦争が休戦を迎えたのは1953年、この年に僕は生まれた。
以来、半世紀以上にわたって、世界唯一の分断国家として存在している北朝鮮は、金日成によるチュチュ思想で、情報統制を敷きながら、徹底した思想教育を施している。
しかし、たかだか二世代ぐらいの時間の流れの中で、根本的な庶民の遺伝子が変わるわけがない。
朝鮮半島の歴史を紐解けば、大陸からの流民がいくつかの部族に分かれて、中国の天の変革に気を使いながら、あるいは日本に何度かに分けて渡来した人たちと複雑に連携をとりながら、高麗、新羅、百済の勢力分布の変遷を遂げた後、李氏朝鮮で統一され、近世を迎えることになる。
近代に入り日本の統治の時代を経て、第二次世界大戦以降に、北と南の東西巨大大国の傀儡政権が代理戦争を行う羽目になり、38度線が固定化されるに至った。
しかしこの時点では、北と南の民衆は、ほぼ同一の単一民族とみなしてもいいところが、他の植民地政策以降に、民族の違いで国境線が引き直されたあるいは強引に併合させられた国々とは根本的に異なっている。
僕たちが普段は意識していないが、日本にもたとえばフォッサマグナの境界で、一応日本地図上で東日本と西日本に分割することが出来るとして、乱暴に言えばある日、日本が二分化されて、別々のイデオロギーを奉る国家に分断されたと思ったらいい。
いくら徹底した思想教育と情報の交通が注意深く遮蔽されたとしても、ほんの二代や三代でそんなに「異種」になりうる筈がないことは明白だ。
『クロッシング』は02年にひそかに撮影が開始された。
脱北者を扱ったテーマだが、02年に起きたスペイン大使館に25人の脱北者が扉をよじ登って駆け込み、亡命を一応成功させた事件を題材にしており、これはニュース報道でよく覚えている。
というより、その年同じく日本大使館に子連れを含んだ5名の脱北者が駆け込みを図り、無慈悲にも中国当局の武装警官によって殴りつけられて連れさられ亡命が無残に失敗に終わったことの方を、鮮明に覚えている。
いわゆる「瀋陽総領事館北朝鮮人亡命者駆け込み事件」である。
この時、中国の武装警官が日本の総領事館の敷地に入ったのだが、応対に出た副領事は武装警官の暴挙を停止するでもなく警官の帽子を拾うなど友好的な態度に出たことが、しっかりとNGOのスタッフによって撮影されていた。
当時の領事は阿南惟重。
終戦時に陸軍大臣であった阿南惟幾の息子で義姉が講談社の野間佐和子、チャイナスクールのドンである。
テレビを見ていた僕たちの臍を噛むような思いは、それからも何度も繰り返され、そして先般の尖閣事件に至るのである。
それはともあれ、中国・モンゴル・韓国で、100人を超える脱北者の証言を元に、北朝鮮の村落や収容所のセットをつくったり、逃避行のロケを敢行したりしながら、政治的な圧力で撮影が中断されるのを警戒して、ほとんど秘密裏にカメラが回されたのである。
撮影が始まったのはノ・イヒョン政権下であり、この主題では公開することは難しかった。
ようやくイ・ミュンバク大統領になって、08年に韓国での公開に漕ぎ着けたのである。
キム・テギョン監督は学園暴れの『火山高』、お涙ちょうだいの『オオカミの誘惑』、日本のコミックを題材にした『彼岸島』などに付き合ってきたが、荒っぽいつくりで肌に合わなかった。
けれども、『クロッシング』に関しては、スタッフに脱北経験者もいたらしいが、とても正面から韓国人でさえも実態が謎に包まれている北の庶民の貧しさ、怯え、忍耐・・・にもかかわらず変わらず平々凡々と家族を守りたいであろう人々を、演出はもちろんあろうがなるべくリアリティを大切に撮影していることに共感を持つことになった。
主人公キム・ヨンス(チャ・インピョ)は元サッカー選手で、首領様からの勲章も持っているが、いまは平々凡々と炭鉱で働いている。
妻は肺結核で苦しんでおり、なんとか薬を手に入れようと、中国に渡ることになる。
脱北というより、薬を手に入れるための密出国であった。
そして本意ではなかったが、中国から韓国への亡命の集団に加わることになり、北朝鮮に残した家族には秘密ルートで仕送りをしたりしたが妻は死に、残された11歳の一人息子キム・ジョニ(シン・ミョンチョル)は北朝鮮版ストリート・チルドレンであるコッチェビとなり、ついには収容所に入れられてしまう。
ヨンスの手引きで、ジョニはなんとかモンゴルに逃れ、父との再会を夢見るのであったが・・・。
ジョニと父は、サッカーのボールを蹴りながら、たぶん世界中のどこにでもいるような平凡な父子のように笑いあっていた。
ジョニは激しい雨が好きだ。つらいことも激しい雨が流してくれるように思えるから。
だから貧困の中で母に体力をつけるために飼っていた犬を食用にせざるを得なかった時も、幼い恋心を満たしてくれた少女ミソンが父が捕まったため追放され零落し二人で強制労働に追い立てられた時も、そのミソンが衰弱しとうとう死んでしまった時も、そしてたった一人果て無き道を歩きながら朦朧としてきた時も・・・激しい雨がジョニの哀しみを洗い流してくれた。
もう現世では幸せは来ないかもしれない。
おとうさん、約束を守れなくてごめんなさい。
ヨンスも神を信じてはいないが、またジョニと再会して、抱きしめることさえできたなら、なんでも信じることにしようと思っている。
河原で、ジョニやヨンスたちはサッカーに興じている。
ミンスは幸せそうに笑顔で犬を引き連れて走っている。
ジョニの母はみんなの料理を作るので忙しそうだ。
村の人たち、老若男女が笑いさざめいている。
それは本当にあった記憶なのか、それとも楽園で再会して幸せを満喫する幻想なのか。
朝鮮民主主義人民共和国・・・そんなものは勝手に権力が命名しただけに過ぎない。
世界中のどこにもある、普通の村々の光景が、ただひっそりと誰にも邪魔されずに、そこにありさえすればいいだけなのに・・・。
聞くところによると、日本のニュース映画の真似だということです。
実際、あれとそっくりのの喋り方をするニュース映画をTVで観たことがあります。
同じ調子で喋れるということは言語学的に近いのではないかとも思います。
将軍様について話す時は打って変わって気持ち悪い話し方になりますが、内容は「万葉集」における天皇賛美そのもので、時代錯誤だなって苦笑させられます。1300年くらい時間が止まっている感じ(笑)。
>キム・テギュン・・・荒っぽいつくり
テキトーとも言いますね(笑)。
僕も全く信用していなかったですが、本作は別人のようでした。
こういう作品を作りたいが為にテキトーな大衆映画をこしらえていたのでしょうか?
まあ、大本営発表というのは、どこの国もなんか先祖がえりするんですかねぇ。
キム・テジュンは、まあいままで着々それなりに道化て地歩を築いてきたんだろう、と解釈しましょう(笑)