気ままな旅

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伏見稲荷大社 外国人に大人気の朱塗りのトンネルが・・・娘たちとの京都旅行・・・その③

2016-05-25 22:30:25 | 思い出

 2016年(平成28年)3月15日(火)晴れ、インドネシアバリ島に住む娘や孫たちと、昨日から京都旅行に来ている。

昨日はあいにくの天気であったが、今日は一転し青い空が広がり、観光には申し分のない天気である。

午前中は宇治にある平等院を見学、浄土庭園の中島に造られた鳳凰堂(ほうおうどう)の建築様式や色鮮やかさに感動していた。

鳳凰堂の見学を終えた私たち家族4人は、JR宇治駅から伏見稲荷大社のある稲荷駅に向かった。

宇治駅から15分ほどで稲荷駅に到着すると、駅には多くの外国人が家族連れで訪れている。

伏見稲荷大社の第一鳥居の前でにある稲穂をくわえている狐の像、稲荷社では、神様の使いとして狛犬に代わって狐が入口におかれる。

稲荷大社は商売繁盛や五穀豊穣の神として多くの人たちから崇敬されている。 

狐が稲穂をくわえている姿は、五穀豊穣を強く祈願する当時の人々の気持ちが理解できそうである。

 

伏見稲荷大社は、JR奈良線稲荷駅の目の前にあり、道路を挟んで大きな朱色の鳥居が立てられ、

大理石で敷かれた参道が真っすぐに稲荷大社本殿方向に延びている。

参道の奥には、朱色の鳥居や伽藍が立てられ、訪れた多くの人たちで賑わっている。

 

ここ京都にある伏見稲荷大社は、境内に朱色の鳥居が1万本以上あり、

朱色の鳥居はトンネルのようにどこまでも続く、圧巻の光景が外国人を魅了する、大人気の観光スポットになっている。

2013年の「外国人に人気の観光スポット調査では2位を、2014年では「広島平和記念資料館」を抜いて1位を、

2015年も連続で一位となっている。

これは、紅い鳥居が続く風景が非常に日本的なことと、拝観料不要や、閉門時間もないことと、

稲荷山の山巡りが、欧米人が好むウオーキングができることなどが理由としてあげられている。

私たちも駅前の第一鳥居をバックに記念撮影した後、家族4人で楼門の方に向かって行く。

 

伏見稲荷大社は、全国に三万余りある稲荷社の総本社である。

京都市伏見区の稲荷山の山麓に本殿があり、稲荷山全体を神域としている。

稲の神、農耕の神として信仰され、時代とともに商売繁盛、家内安全、芸能まであらゆる神徳を持つとして、多くの人々に厚く信仰されている。

鳥居は、私たちの住む領域と、神様の住む神域を結ぶ入口の部分に建てられ、鳥居ををくぐると、そこは神様の住む神域である。                    

伏見稲荷大社の案内図

伏見稲荷大社の祭神は、宇迦乃御魂大神(うかのみたまのおおかみ)、佐田彦大神(さたひこのおおかみ)、大宮能売大神(おおみやめのおおかみ)、田中大神(たなかのおおかみ)、四大神(しのおおかみ)である。

創祀は、元明(げんめい)天皇の和銅4年(711年)で、稲荷山の三ケ峰に神が鎮座したのが始まりと伝えられている。

もとは渡来系の秦氏の氏神だったと云われ、明治まで秦氏の子孫が神職として奉仕していた。

豊臣秀吉によって建立された楼門(重要文化財)

 

 戦国乱世に終止符をうち、天下統一を成し遂げた豊臣秀吉は、文禄3年(2594年)伏見に大城郭の建築と城下町造りを開始し、伏見の街一帯は大きく変容していった。

稲荷大社の出世開運、商売繁盛など、現世の招福が多いことから、秀吉は稲荷大神に深い崇敬をよせていた。

そんな折、秀吉の生母大政所の大病平癒を稲荷大神に祈願し、大がかりな祈祷を執行した結果、大政所の大病は平癒していく。

これによって、秀吉は稲荷大神への信仰を益々深め、稲荷大社の本格的な修復を行っていった。

この楼門はその折に建立されたものである。

多くの人たちが訪れ、鮮やかな建築美を放つ第二鳥居からの楼門(重要文化財)

手水舎(ちょうずや)で参拝の前に自分の身体である口や手を清める人達。

多くの人達が訪れる楼門、鮮やかな着物姿の女性や外国からの観光客が多く見られた。楼門の前の両側には、狛犬に代わって狐の像がおかれている。

楼門に掲げられている 色鮮やかな 「伏見稲荷大社」

訪れた多くの人たちはこの楼門をくぐり抜け、外拝殿(げはいでん)・参拝する内拝殿へ向って行く。

 

私たちは、楼門をくぐり抜けると、その後には、外拝殿(げはいでん)がある。そのうしろには、内拝殿(ないはいでん)と本殿があり、その方向に進んで行く。

これらの伽藍は、第一鳥居からは本殿まで、直線状に並んで建てられている。

下拝殿は、楼門の後ろ側にあり、内拝殿の前にある。 きらびやかな美しい建築美を見せる外拝殿(げはいでん)(舞殿)

外拝殿(げはいでん)、後ろには内拝殿があり、多く人たちが参拝する姿が見えている。 本殿は内拝殿の後ろに建てられている。

外拝殿は楼門と同時期に建立され、1840年(天保11年)に改築される。

外拝殿の軒先には12基の釣り灯篭が下がり、黄道12宮の星座を表したデザインが施されている。

きらびやかなで美しく飾られた外拝殿(舞殿)の舞台から内拝殿(ないはいでん)方向を見る。

毎日のように舞いや琴、笛などの優雅な音楽が奉納される神楽殿

1882年(明治15年)能楽殿として建造される。 神楽殿では祈祷に訪れた人々のために毎日のように神楽が奉納されている。

神楽女の舞や、神鈴や琴、笛の優雅な音楽が境内に鳴り響き、人々を楽しませてくれる。

この石段を上ると内拝殿(ないはいでん)の拝殿があり、本殿は内拝殿の後ろ側に建てられている。

 

内拝殿は、1694年(元禄7年)の建立の時に、本殿に付け加えられた唐破風朱塗向拝を、1961年(昭和36年)に本殿から切り離して現在の形にしている。

 内部は祈祷拝受座になっている。

本殿は内拝殿の後ろ側にあり、内拝殿は本殿の前に建てられて、本殿と内拝殿を一緒にされる場合もあるようです。

訪れた多くの人達が内拝殿の拝殿から各々の願い事などを秘めて参拝している。

本殿をバックに記念撮影、本殿と内拝殿は部分的にはつながっているが別個の建物である。 左側が本殿、右側が内拝殿である。

左側にあるお守りやお札などの受与所があり、買い求める若い人達で賑わっている。

私たちは、内拝殿で参拝した後、賑わう お守りやお札の授与所の前を通り鳥居千本に向かって行く。

私たちもこの鳥居をくぐり、大勢の人たちと一緒に鳥居千本へ向かって行く。

鳥居千本までの途中にある玉山稲荷社(祭神は玉山稲荷大神)

この神社の前を通ると右側に石段があり、鳥居千本に向かって一段一段と登って行く。

鳥居千本の入り口、ここから参道には一寸の隙間もなく鳥居が立てられ、鳥居のトンネルが続く。

 

朱塗りの信者から奉納された鳥居がトンネル状に隙間なく立ち並ぶ千本鳥居。

願い事に御利益があった信者が、お礼の意味から鳥居を奉納する習慣が江戸時代以降に広がる。

その結果 「鳥居千本」 誕生するが、現在では一万基以上の鳥居があると云われ、

稲荷山の参道全体に林立している。

朱色で塗られた鳥居が立ち並ぶ参道は、ゆりやかな坂道になっているが 私たちも訪れた大勢の人達と一緒に参道を上って行く。

鳥居千本の参道も 二つに分かれるが 途中で また 合流する。

誰もいなくなった鳥居トンネル、ゆりやかな曲線を描きながら、色鮮やかな鳥居と太陽光線が独特のコントラスを描いて美しい光景を見せている。

鳥居千本の鳥居トンネル内の参道は道幅が狭く、通行する多くの人同士のぶつかりあいがあって、時々よろけたりする時もある。

鳥居トンネルが続く参道をしばらく上って行くと、鳥居トンネルがなくなり、小さな祠が無数に建てられている場所に出てくる。

参道沿いには多くの塚と呼ばれる祠が林立しているが、私たちはそのまま参道を進んで行く。 

私たちは塚の横にある石段の参道を登って行くと、山に囲まれた小さな池があり、その周辺には鳥居や小さな伽藍が建てられている。

新池、 谺ケ池(こだまがいけ)の別名があります。 

行方不明になった人の居場所を探す時、「池に向かって 手を打ち こだまが返ってきた方向に手掛かりがつかめる」 という云い伝えがあります。

当初私たちは、鳥居トンネルの続く稲荷山の山頂まで登る計画をしていたが、

新池近くの人に、稲荷山までの登頂時間を尋ねると、まだ、この場所から30分はかかるとのことであった。

京都駅から関西空港行の特急電車「はるか」の予約時間が16時45分である。 稲荷山まで登ると間に合わない恐れが出てくる。

みんなで相談した結果、この場所から下山して、京都駅に向かうことにした。

下山ルートは、途中までは同じであるが、別ルートで下山を始める。

鳥居トンネルの続く別ルートから下山を始める。

下山する参拝道から、鳥居トンネルの様子が一望できる場所にでてくる。 それにしてもすごい鳥居の数で、その多さには驚かされる。

 

私たちは、内拝殿や楼門の横を通り、JR奈良線稲荷駅まで下って行く。

初めて訪れた伏見稲荷大社、さすが外国人の人気ナンバーワンだけの見ごたえのある神社である。

どこまでも続き、きわめて日本的で、紅い鳥居でできたトンネルがどこまでも続く光景はまさに圧巻である。

今回の京都への旅でも、外国人の多さにはお驚かされるが、ここ伏見稲荷大社では、日本人よりも外国人が多いようにさえ感じる。

それに、鳥居トンネル以外でも、伏見稲荷大社の多くの伽藍が、きらびやかな紅い色で統一された美しさを、神社全体的を引き立てるように見せている。

特に楼門などの細かい細工や鮮やかな色彩は、いつまで眺めていても飽きることがなく、日本木造建築技術の伝統と美しさや奥深さを感じさしてくれる。

特急はるかで車内で談笑しながら、車窓から見える日本の美しい風景を楽しむ。

特急「はるか」は速いもので午後6時ごろには、日根野駅に到着する。

昨日の出発前には、かなり強い雨が降り、午前中の東寺などの観光はあいにくであったが、午後からの清水寺では、天気は回復してくる。

今日は、朝から観光には申し分のない天気で、平等院や伏見稲荷大社の観光を楽しむことができた。

娘や孫たち初めて観光に訪れた平等院の日本建築の素晴らしさや、圧巻の紅い鳥居トンネルの続く伏見稲荷大社を見学出来て満足そうであった。

また、娘たちは明日から、孫の要望で長野県の野沢温泉へスキーに行く予定になっている。

私たちは、仕事の関係で、明日の午後から東京へ車で出発する予定である。

娘の提案で実現した今回の京都旅行は、ほんとに思い出の残る、いい旅であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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