GWにボランティアをしたい、という人が多いと聞きます。
困っている人のために役に立ちたい、と思う人が増えることは好ましいことと思います。
でも、自分より弱い立場にある人を助けることは、相手の益になる以上に、自分自身が多くをもらうことであると、心にとめおいて臨んだほうがいいでしょう。
自分が行動することによって、自分が何を得るのか、を前もって、きちんと把握し認識しておくことが大切ではないでしょうか。
自分が何ゆえにボランティアを志望するのか、を掘り下げてみてほしいのです。
たとえば、自分の存在価値を確かめたい、だとか、生きがいを感じたい、だとか、感謝される喜びを味わいたい、だとか、友人に自慢したい、だとか・・・
動機はそれならそれでいいのです。
心の中に少しでもそんな気持ちがあるなら、それらすべてを書き出してみてほしいのです。
そして、自分自身のために、自分のために自分はボランティアに行く、という認識をもって向かうのがいいと、私は思います。
「いや、僕は、被災者を助けたいのだ。それだけだ。」というかもしれません。
でも、「相手を助けたい」といった思いが、
「助けたら、(相手に)感謝されるはず」といった思い込みを生むこともあります。
もし、まだ、「愛」だけで行動するほど魂が成長していない、と自覚するなら、動機となる「欲」を認めて行動したほうが、相手に失礼にならないのではないでしょうか。
その「欲」を充たしてもらうことで、むしろ、相手に感謝できるからです。
それは、普段の生活の中にもよくあることです。
時間や費用や体力を使って相手のために頑張った行為に、相手が感謝するとはかぎりません。
そんな時、私たちは、悲しい気持ちになったり、時には、感謝を示さない相手を「恩知らず」とうらんだりすることもあります。
純粋に愛の気持ちで対するなら、相手に感謝を求めることはないはずです。
相手からの感謝は、結果であり、目的ではありません。
親が子どもに対して、あなたを苦労して育てた、と言って、そのことで親孝行を期待するとしたら、それは、「愛」ではなく「欲」です。
困っている人のために役に立ちたい、と思う人が増えることは好ましいことと思います。
でも、自分より弱い立場にある人を助けることは、相手の益になる以上に、自分自身が多くをもらうことであると、心にとめおいて臨んだほうがいいでしょう。
自分が行動することによって、自分が何を得るのか、を前もって、きちんと把握し認識しておくことが大切ではないでしょうか。
自分が何ゆえにボランティアを志望するのか、を掘り下げてみてほしいのです。
たとえば、自分の存在価値を確かめたい、だとか、生きがいを感じたい、だとか、感謝される喜びを味わいたい、だとか、友人に自慢したい、だとか・・・
動機はそれならそれでいいのです。
心の中に少しでもそんな気持ちがあるなら、それらすべてを書き出してみてほしいのです。
そして、自分自身のために、自分のために自分はボランティアに行く、という認識をもって向かうのがいいと、私は思います。
「いや、僕は、被災者を助けたいのだ。それだけだ。」というかもしれません。
でも、「相手を助けたい」といった思いが、
「助けたら、(相手に)感謝されるはず」といった思い込みを生むこともあります。
もし、まだ、「愛」だけで行動するほど魂が成長していない、と自覚するなら、動機となる「欲」を認めて行動したほうが、相手に失礼にならないのではないでしょうか。
その「欲」を充たしてもらうことで、むしろ、相手に感謝できるからです。
それは、普段の生活の中にもよくあることです。
時間や費用や体力を使って相手のために頑張った行為に、相手が感謝するとはかぎりません。
そんな時、私たちは、悲しい気持ちになったり、時には、感謝を示さない相手を「恩知らず」とうらんだりすることもあります。
純粋に愛の気持ちで対するなら、相手に感謝を求めることはないはずです。
相手からの感謝は、結果であり、目的ではありません。
親が子どもに対して、あなたを苦労して育てた、と言って、そのことで親孝行を期待するとしたら、それは、「愛」ではなく「欲」です。