小耳はミーハー

小耳にはさんだことへの印象批評

「とりとめない」は好き?

2007-03-23 02:43:09 | ドラマ
土曜日に動き出した志高きプロジェクト。
私的なことだけど。

仕事じゃない。私事だ。
でも、楽しくなりそうだ。
なんたって、メンバーがいい。
あいつらとだったら、なんでもできる気がするなあ。

足を引っ張らないようにしなきゃと、心から思う。
幸せなことだ。

あと、
スペシャのMVAライブは良かった。
ありがとう。クニヒロ。

カエラ、かわいいじゃないか。
好きになりまいた。

生ライムスターも、初体験。

ミスチルも、やっぱ貫禄ありあり。

でも、でも、
りゅうたろーが行ったというアゲハでのライブに、
岡村ちゃんが出ていたという話を聞いて大ショック。

なんと運の良い人だろう、りゅうたろー。
羨望。
ほんまにええなー。

明日、ワサビ一本まるごと食わされる~。
仕事とはいえ、金曜日にすることやないで。
どんな仕事やねん。
笑けてくるわ。ほんま。
カラシより、ええけど。






「掃除機」は好き?

2007-03-10 08:36:34 | ドラマ
会社に毎朝くる掃除のおじさん。
毎朝、五時くらいから掃除してる。

会社に泊まることがおおいから、仲良くなってしまう。
その中の1人で、役者みたいなカッコいい人がいて、ちょっと話し込む。

「昔は、デザイナーをやっていたんだ」と、おじさん。
定年して、いまの仕事をしているという。
「若いうちだけだよ、楽しいのは。歳とると、どんな仕事でもおんなじさ」と。

その真意は、まだぼくにはよく分からないけど、
応援してくれているので、「ありがとう」とだけ返しておく。いつも。

おじさんのかける掃除機の音で、今日は目が覚める。

で、さっき送ったコピーを見直すと、
自分の書いた言葉とは思えない文章が、そこには綴られていた。

掃除機を丁寧にかけるように、仕事をしよう。


「彩り」は好き?

2007-03-08 00:29:29 | ドラマ

ただ目の前に並べられた仕事を手際よくこなしてく
コーヒーを相棒にして
いいさ 誰が褒めるでもないけど
小さなプライドをこの胸に 勲章みたいに付けて

僕のした単純作業が この世界を回り回って
まだ出会ったこともない人の笑い声を作ってゆく
そんな些細な生き甲斐が 日常に彩りを加える
モノクロの僕の毎日に 少ないけど 赤 黄色 緑

今 社会とか世界のどこかで起きる大きな出来事を
取り上げて議論して
少し自分が高尚な人種になれた気がして
夜が明けて また小市民

憧れにはほど遠くって 手を伸ばしても届かなくて
カタログは付箋したまんま ゴミ箱へと捨てるのがオチ
そして些細な生き甲斐は 時にばかばかしく思える
あわてて僕は彩(いろ)を探す
にじんでいても 金 銀 紫

ただいま
おかえり

なんてことのない作業が この世界を回り回って
何処の誰かも知らない人の笑い声を作ってゆく
そんな些細な生き甲斐が 日常に彩りを加える
モノクロの僕の毎日に 増やしていく 水色 オレンジ

なんてことのない作業が この世界を回り回って
今 僕の目の前の人の笑い顔を作ってゆく
そんな確かな生き甲斐が 日常に彩りを加える
モノクロの僕の毎日に 頬が染まる 暖かなピンク
増やしていく きれいな彩り

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「フェイク」で腰を振っていた人が、ここに見せる真骨頂。

櫻井和寿の、「彩り」。

まさに、
「色っぽい唄」である。

宇多田ヒカル「colors」との、共通点と相違点について。

歌詞の上での「色」の使い方は、宇多田が圧倒的に上手い。
そんじょそこらの詩人よりも、ぜんぜん上手い。
詩的である、ということは、
非常にグラフィカルなコトバの使い方であるということだ。
だから、彼女にとって「色」というモチーフは持ってこいだった。

ただ、櫻井の場合は、モチーフ云々の前に、まずストーリーの構築が上手い。
つまり、分かりやすい。
だから、「色」というモチーフでなくとも、この唄は成立する。

でも、「彩り」という一言が、
櫻井の見せたストーリーに心震えた人が期せずして用意してしまった
キレイ事のカケラに、見事に映り込む。腑に落ちる、という奴だ。
そのために、「モノクロの僕の生活」とか、
平易な言葉でストーリーを作ってあげて、まず最大公約数の理解と共感を獲得する。

ま、どっちもそうとう考えられている。考えさせられる。







「宇多田」は好き?

2007-03-07 21:45:18 | ドラマ
宇多田ヒカル、離婚について。
彼女は、現代の谷崎潤一郎だから当然だ。

1つの愛で、その人生を、いや、その歌手人生を終えてしまうのは、
あまりにもったいない。

「蓼喰う虫」みたいな、
名作を、音楽で、ぼくのもとに届けてほしい。






「卒業」は好き?

2007-03-07 01:24:39 | ドラマ
卒業について。

友達に教えてもらった、リクルートの「卒オメ」CMを観て、卒業ついて。

いま、26歳だけど、振り返ると卒業といえば、
やっぱり18歳の春、高校の卒業を思い出す。

大学は、数日後からはじまる社会人としての生活への不安で、卒業に感慨を覚える暇もなかったし(単位不足を乗り越えたとか、そーいう意味での感慨深さはあったけど)。
中高一貫校に通っていたボクにとっては、中学の卒業にはあまり意味はなかった。

やっぱ卒業っていう言葉とちゃんと向き合ったのって、
高校三年だったと思う。

高校三年生。
橋幸夫の歌にもあるけど、やっぱ「青春」だった気がします。
吉田修一の小説にもあるけど、当時のボクに言ってやりたい。
「お前は、いまがどんだけ輝いているか知らないんだ」と。

卒業式のことは、よく覚えている。
その前日に、ぼくは浪人することが決まった。
奈良の田舎にいたのに、
何故か東京の大学しか希望しておらず、全滅した次の日。
何故かボクは卒業生代表で、答辞を読んでいた。
次の日から、ただの食い詰め浪人になるボクが、
偉そうに「いかにこの三年間が有意義だったか」「いかに僕たちの未来が輝いているか」を語るはずが、、、
ボクは推薦でいち早く進路が決まっていた同級生たちが用意していた上記のような内容の原稿を読むことを、直前で拒否した。
だって、進路が決まっている人間が振り返る「三年間」と、
進路が決まらなかったボクが振り返る「三年間」には明らかに違いがあったから。
そんな唯の代弁者にはなりたくなかった。

ボクは、当たり障りのないことを明るく前向きに話すなんてことは、嫌だった。
まるで、最近の「前向きヒップポップ君」たちみたいで嫌だった。

だから、ボクはまた自分勝手に。
自分だけが分かる内容の話をした。
で、最後に至っては、みんなの前で床をガンガンと何度も踏みつけ、
「この地面で、ぼくたちはいつだって繋がっている」とか、
「この空で、ぼくたちはいつだって繋がっている」とか、
「真実は、恋人たちの涙の中に」とか、
もうほとんど叫んでいた気がする(うる覚えだけど)。

そんなこと言ってる奴が、
大学受験では、現代文の内容も読解できていなかったのだから、お笑いだ。

でも、なんというか、
吉田修一の小説にもあるけれど、
「お前は、いまがどんだけ輝いているか知らないんだ」と、
言ってあげたくなるような思い出だ。

同級生にとっては、なんだそれ?
もっと健康的で。明るい話をしてくれよ、俺は来月から華の大学生なんだからと
思っていたかもれしないけどね。

ただ、1つ。
良かったと思うのは、
ボクは挨拶の前に全校生徒の前に立ち、シャッターを切ったこと。

その写真は、いま見ても、なかなか面白い。
みんな、「あいつ、また変なことやってるよ」と笑顔で写っている。
初めて、見た。
人間のそーいう表情を。ブルッと体が震えたのを、覚えている。

だから、その写真は、
ボクの高校生活の集大成のような一枚なのだ。
ボクという人間の集大成のような一枚なのだ。

あれから、8年。
「あいつ、また変なことやってるよ」
いまも、ちゃんと周りの人にそう思われているだろうか。

あのシャッターを切った瞬間から、何かがいまに繋がっている気がする。
何かが始まった気がする。

「卒業って、
 出会いだ」

冒頭の「卒オメ」のコピー。

ボクも確かに、あの瞬間、何かと出会っている。

卒業おめでとう。