好きだなあというコピーと出会って、ちょっと元気になった。
コブクロのベスト版が出たときの、テレビ・グラフィックのコピー。
菅野美穂の表情とのシンクロがすごく好き。
--------------
せっかく
忘れかけてたのに、
ラジオがコブクロなんか
流すから。
--------------
私にコブクロを
教えてくれたときの、
あなたの年齢に
追いつきました。
--------------
これを好きだと言ったら、
年下のADに、
「ロマンチストですね」と言われてしまったけど、
彼も好きだと言っていた。
あと、有名だけど、マリエールの40本のCMの中にも好きなコピーが多い。
--------------
約束。
一個だけ約束。
先に死なないで。
世界でいちばん
大切な男性(ひと)
--------------
あ、緊張してる。
ワタシのお父さんに緊張してる。
こういう顔もするんだぁ。
世界でいちばん
大切な男性(ひと)
--------------
あなたは何でも
おいしいって言ってくれる。
たぶん味覚音痴。
世界でいちばん
大切な男性(ひと)
--------------
「好きな表現に拘泥されてはいけない」と言われる。
ぼくが好きな世界は、そーいう世界だけど、それが機能しているかどうかを、
前提として検証するべきなのは確かにその通りだ。
でも、でも、
世の中は世知辛い。面倒くさい。ままならない。
そんなとこ、みんな知ってる。
だから、だから、
少しでも素敵なことを。いい話を。キレイ事を。
世の中に発信したい。
テレビとか、映画とか、広告とか、
作り物の世界くらい、キレイ事でいい気がする。
でも、それは本当はキレイ事じゃない。
みんな、持っているのだから。そーいう部分を。そーいうカケラを。
人間は、ズルイし、したたかだし、汚い。
そんなことは、みんな知ってる。
だから、だから、
たまに、確認しなきゃいけない。
自分の中にある、キレイ事のカケラを。
その確認のキッカケになるべきものは、
フィクションの役割なのだ。宿命なのだ。
誰もキレイ事を言わなくなったら、どーする?
そんな世界で、自分の子どもを育てたくはない。
だって、誰だって、どんな親だって、
自分の子どもには「キレイ事」を教えるだろ?
昼間の会社で、
自分では納得していないことでも飲み込まざるをえないお父さんだって、
自分の子どもには「キレイ事」を言うだろ?
場末のホテルで、
どうしようもない寂しさを、見知らぬ男で紛らわしているお母さんだって、
自分の子どもには「キレイ事」を言うだろ?
そーいうことさ。
そーいうことだ。
もう、キレイ事にすがってなきゃ、生きていけないの。
そーいう意味でも、
今日、忙しい中、OB訪問を手伝ってくれた、駆けつけてくけたみんなに感謝。
みんなにすがって、生きています。
みんなの中の、「キレイ事」のカケラにすがって。
いつか、みんなのそのカケラを集めて、集めて。
それを、肴に飲めたらいいね。
コブクロのベスト版が出たときの、テレビ・グラフィックのコピー。
菅野美穂の表情とのシンクロがすごく好き。
--------------
せっかく
忘れかけてたのに、
ラジオがコブクロなんか
流すから。
--------------
私にコブクロを
教えてくれたときの、
あなたの年齢に
追いつきました。
--------------
これを好きだと言ったら、
年下のADに、
「ロマンチストですね」と言われてしまったけど、
彼も好きだと言っていた。
あと、有名だけど、マリエールの40本のCMの中にも好きなコピーが多い。
--------------
約束。
一個だけ約束。
先に死なないで。
世界でいちばん
大切な男性(ひと)
--------------
あ、緊張してる。
ワタシのお父さんに緊張してる。
こういう顔もするんだぁ。
世界でいちばん
大切な男性(ひと)
--------------
あなたは何でも
おいしいって言ってくれる。
たぶん味覚音痴。
世界でいちばん
大切な男性(ひと)
--------------
「好きな表現に拘泥されてはいけない」と言われる。
ぼくが好きな世界は、そーいう世界だけど、それが機能しているかどうかを、
前提として検証するべきなのは確かにその通りだ。
でも、でも、
世の中は世知辛い。面倒くさい。ままならない。
そんなとこ、みんな知ってる。
だから、だから、
少しでも素敵なことを。いい話を。キレイ事を。
世の中に発信したい。
テレビとか、映画とか、広告とか、
作り物の世界くらい、キレイ事でいい気がする。
でも、それは本当はキレイ事じゃない。
みんな、持っているのだから。そーいう部分を。そーいうカケラを。
人間は、ズルイし、したたかだし、汚い。
そんなことは、みんな知ってる。
だから、だから、
たまに、確認しなきゃいけない。
自分の中にある、キレイ事のカケラを。
その確認のキッカケになるべきものは、
フィクションの役割なのだ。宿命なのだ。
誰もキレイ事を言わなくなったら、どーする?
そんな世界で、自分の子どもを育てたくはない。
だって、誰だって、どんな親だって、
自分の子どもには「キレイ事」を教えるだろ?
昼間の会社で、
自分では納得していないことでも飲み込まざるをえないお父さんだって、
自分の子どもには「キレイ事」を言うだろ?
場末のホテルで、
どうしようもない寂しさを、見知らぬ男で紛らわしているお母さんだって、
自分の子どもには「キレイ事」を言うだろ?
そーいうことさ。
そーいうことだ。
もう、キレイ事にすがってなきゃ、生きていけないの。
そーいう意味でも、
今日、忙しい中、OB訪問を手伝ってくれた、駆けつけてくけたみんなに感謝。
みんなにすがって、生きています。
みんなの中の、「キレイ事」のカケラにすがって。
いつか、みんなのそのカケラを集めて、集めて。
それを、肴に飲めたらいいね。