日々の泡盛(フランス編)

フランス在住、40代サラリーマンのどうってことない日常。

カンパーニュ・プルミエール通り界隈

2005-04-24 17:39:07 | パリ左岸
午後になると、気持ちのいい日光が差してきて
気温も上昇。散歩日和になったので、
重い腰を上げて、左岸のほうを歩きに行く。

エドガー・キネの駅で降りて、
地上に出ると、巨大なモンパルナス・タワーが
目の前に現れた。タワーから東のほうへ、
モンパルナス墓地沿いに続く気持ちのいい
並木道を行こう。街路樹は大きく枝を広げて
心地いい木陰を作っている。その木陰の下に
テラス席を張り出した幾つかのカフェでは
パリジャン達がものすごい勢いで討論している。
中には1人で席をとって、ぼーっとしている
パリジャンもいるけど。

並木道が終わって、ラスパイユ通りを越えると
憧れのカンパーニュ・プルミエール通りに迷いこむ。
今では、何の変哲もない、静かな通りだが、
1920年代、モンパルナスが芸術の中心地だった頃、
多くの芸術家が集った通りだ。
通りにああるホテル・イストリアには
このホテルに当時投宿した数々のアーティスト
の名前がプレートに掲げられている。

エリック・サティ、フランシス・ピカビア、
キキ、レイモン・ラディゲ、リルケ・・・。

今じゃ、何もなかったように、ひっそりと
ただそこに建っている佇まいが、またいいんだ。
ああ、昔エリック・サティ大好きだったなあ。
彼の生家見に行ったり、住んでいた家・・郊外の
ARCUEILにあるんだが・・・探したりして。

翻訳三昧

2005-04-23 06:44:21 | フランス
最近仕事がきついので、
ちょっと、一服、と午後ぼーっとしていたら、
いきなり上司から、
「これ、翻訳してFAXしておいて」
と新聞記事を渡される。見ると
LE MONDE紙の記事。

「げ、まじ?」とか思いながら
ぶつぶつ翻訳をしていると、これがまた難物。
普段いかに分からない単語を飛ばして
新聞や週刊誌を雑多に読んでいるかが身にしみてわかった。
一字一句、そつなく翻訳するって大変なのだ。
GARDE DES SEAUX
が法務大臣のことを意味するなんて
恥ずかしながら、今日知ったよ。記事中の単語だけど。

同僚のバレリーにも内容を聞きに言ったりして
ようやく翻訳完成。くそ、1時間もかかってしまった。
と思っていたら、次の翻訳の仕事が・・・。


いまさらI LOVE YOUー種ともこ論2

2005-04-22 06:26:24 | 種ともこ
昼は会社のみんなと近所の
アルジェリア人のオヤジがやっている
クスクス屋にクスクスを食べに行く。
野菜タップリのスープを食べ、
メルゲーズなどおなじみのソーセージを
がつがつ食う。
デザートを持ってきたアルジェリア人の
おやじが一生懸命デザートの説明をする
姿にちょっとほろっとなる。
何事も必死になっている人間の姿は美しい。

ところで、ふと種さんの『いまさらI LOVE YOU』
という歌を思い出したので、ここで書いておく。

アルバム未収録、シングル『素直になりたいね』
のカップリングだったと思う。
このシングルも秀逸な曲なんだが、このカップリング。
出来心の浮気がばれた男の決まり悪さを表現した
曲なんだが、この曲の「さりげなさ」とか
「気まずさ」がすごくいい。

今さらI LOVE YOU
言える状態じゃないよね

あんまり歌詞を覚えてないんだけど、
真面目な彼女にいくら弁明の説明をしても
全然分かってもらえない、男のつらさを
なぜか種さんが表現していた。
うう、実家に戻れば全部CDがあるんだけどね。


で、最後に

天気がいいね、
タコ焼き買おうか

歌詞にたこ焼きなんて出てくる
アーティストなんてそうそういないよ。
素敵、種さん。なんて感服しっぱなしの
一曲です。


我36にして家族を思う

2005-04-21 06:19:46 | 自分について
まったく忘れていたが4月10日は
うちの姉貴の誕生日だった。誕生日
おめでとう、の電話をかけようと思ったが
もう10日も経っていたのでやめた。

会社に行くと、同僚のファビアンが
忙しく働いていた。彼に向かって
別の同僚が、「ファビアン、誕生日おめでとう」

そう、今日はファビアンの誕生日だったのだ。
「いくつになったのか?」と彼に同僚が聞くと、
彼は、「今日で38だよ、もう歳だよ」
おいおい、じゃあ、36の僕ももう歳かよ。

そう、ファビアンうちの姉と誕生日が
10日しか離れていない。うちの姉もこないだ
38になった。で、ファビアンの弟も
僕と誕生日が10日ぐらいしか離れておらず、
こないだも、「おまえが喋ると、弟が
喋っているみたいだ」などと言われたばっかり。

ファビアン、僕のことが視界に入ったらしく、
また家族構成が僕と同じで・・・、などと
話し始めた。いいんだけどねえ。なんか
コメントして話しに入ろうと思ったんだが
電話がかかってきたんでやめた。

よくあちこちで僕は、一人っ子か末っ子だろうと
言われた。どうも弟体質らしい。ってあんまり
しっかりしていない、ってことなんだろうが。
最近も言われたばっかりだ。まさか36に
なっても言われるとは・・・。

空想の宮殿、シャルトル

2005-04-19 05:56:24 | フランス
なんかのんびりしたいんだよね~、
などと考え、1人有休を取って
電車でシャルトルにでかけていく。
モンパルナスから1時間、あっという間。
あのゴシック建築の至宝、
シャルトル大聖堂が目の前にそびえたつ。

今回の目的はカテドラルじゃないんだ。
もう何年も前から行きたい、行きたいと
思っていたピカシェットの家を訪問するため。
シャルトル郊外の墓守、レイモン・イジドール氏が
あちこちの家々が捨てた皿やガラスの破片を
何十年も拾い続けて作り上げた彼の夢の宮殿、
「ピカシェットの家」。ピカシェットとは
夕飯の残り物をたかる人のことらしい。

自分のことだから、地図も見ずにやみくもに
歩き始める。シャルトルは小さい町だから
すぐピカシェットの家も見つかるだろう、なんて。
あっという間に旧市街から出てしまうけれど、
一向に目的地は見えない。パーキングの脇に張っている
地図にふと目をやると、ピカシェットの家が。
もう少し南のほうに歩かないといけないらしい。
通りを歩いて、EURE川を渡って、緑地公園を
横切って。川沿いの公園では子供づれの家族が
思い思いに遊んでいる。

歩いても歩いてもピカシェット家にはたどり着かない。
しかも標識すらない。観光地としてあまり力を入れてない
のだろうか? 引き返そうかと思ったとき、
近くのバス停の地図にピカシェットの家が。
あとバス停二つらしい。と・・・遠い・・・。

ピカシェットの家の入り口は慎ましい細い路地。
路地を抜けたところに、申し訳程度の切符売り場がある。
4ユーロ10サンチームを払って中に。

中はまったく別世界。壁も、屋根も、窓も、
庭も、すべてイジドールが自分で作ったもの。
細かいガラスや皿の破片がモザイク模様にぎっしりと
埋め込まれている。ある部屋の壁にはモンサンミッシェルが、
ある門の壁にはシャルトル大聖堂が。
庭にはエッフェル塔が立っている。そして中には
きらきら光る王様の椅子が、いくつも備え付けられている。
色と模様の洪水。こりゃ、想像力の勝利だなあ。
見上げるとシャルトルの真っ青な春の空が広がっていた。




スイスは遠くて

2005-04-17 18:48:56 | Weblog
久しぶりに福岡の実家から
国際電話がかかってきた。
何かと思えば、種ともこのファンクラブ
から、会員更新および更新代金払うように、
との書簡が来ていたらしい。
ああ、5000円なんだよなあ。高い・・・。
親に頼んで郵便振込みしてもらう
ことになったが。

うちにはパリのスイス観光局からスイスの
バカンスカタログが送られてきた。
スイスといっても、フレンチスイスのほう。
ジュネーブ、レマン湖地方、ヴァレ州、フリブール地方など。

ページをめくっているうちに、去年の秋
旅行したローザンヌ行きの電車の窓から
見えた、レマン湖沿いの、日当たりのよさそうな
ブドウ畑の風景や、箱庭のような自然など
が思い出されて、幸福な気持ちになる。

ケーブルカーの割引券の付録など
ついていた。なんかロッテリアの割引券
ぽくて笑ってしまった。今度はシティ・ガイド
請求しよ、っと。

メール攻撃

2005-04-15 06:15:38 | パリ左岸
今週は職場で理不尽なことばかりあり
なかなか仕事に集中できない。憤りもたまるし。
本当は怒りと言うのは溜めるのはよくない
んだけどね。怒りがたまりそうな人間との
会話はできるだけ短くしてそそくさと
どっかいったりして。なんて姑息な手段をとり
平常心を保つ自分。つまんないサラリーマンだなあ。

実は明日、某国立大学の校舎を仕事で見に行く
という予定があったのだが、大学側の
カウンターパートから朝、電話が。
「校舎が水漏れして工事を要するので明日はキャンセル」だと。
大講義室の天井からなぜか水漏れがしているらしい。
新築した校舎なのに故障が多く、いつかは
床下浸水も起きたらしい。確かにその大学の校舎は
パリ郊外のセーヌ川の真横にあって水気が多そうだけど。

カウンターパートの女性は、集中して仕事を
やるタイプらしく、今まで何も連絡なんか
なかったのに、今日になってそのアポのキャンセルの
電話を皮切りに、メールで少なくとも5回ぐらい
仕事の質問が来た。レポートをつくって上司に
見せるらしい。短期決戦型というのは分かるが、
メールに返事してるうちに僕は僕の仕事ができない。
しかもフランス語のメールだから、返事するのに
いちいち時間かかるし。スペルチェックとかしないといけないし。
ああ、どんくさい。

夕方いろいろ電話で話した後、彼女が言った。
「4月の22日からバカンスに出るから」
それで急いでるのかよ。


人間観察

2005-04-13 05:51:45 | 自分について
最近スーパーに行くと、にんにくが
山のように積み上げられていて本当にうれしい。
自炊のときはかかさずにんにくを使って
料理をしている。といっても、僕のことなので
初歩的な料理しかできないのだが。

今日は会社でたらたらしていたら、
同僚の日本人につかまって話を聞いているうちに、
途中から、「これって、単なる愚痴の聞き役?」
と思ってしまうような状況に。結局、最後まで
同僚の愚痴を聞いてしまった。

日本にいるときも思ったのだが、多分
サラリーマンという人種は同期なんかが
集まると会社の人間関係や仕事の
愚痴を言い合ったりするんだろう。
僕は東京にいるとき、サラリーマンのメッカ
と呼ばれる場所で働いていたけれど、
飲み屋じゃそんなんばっかりだった。
ちなみに僕には愚痴を打ち明けるような
相手もいなかったので、そんなことしなかった。
打ち明けられる側にはよく回っていたけど。

そのあと会社で同僚同士のひどい
口論があった。最後は殴りあいに
なりそうなぐらい。聞いていたが、
お互いがお互いを非難し責めあっていた。
どちらも引かない。無理もない。
責められてうれしい人なんていないもんな。
非難しあうだけじゃ、全然建設的じゃないよ、
なんて外野の勝手な考えだが。



リチャード・クレイダーマン現る

2005-04-12 06:05:39 | Weblog
なんか有名人シリーズで悪いが、
今度はテレビにリチャード・クレイダーマンが
出演していた。彼をテレビで見ることは
滅多にない。テレビ界の人気者って訳でもないし。

実は、中学生の頃、僕はピアノなんか
習っていて、暇な時間に教則本以外の
ピアノの楽譜など勝手に買って、
1人で弾いては楽しんでいたのだが、
その中には「リチャードクレーダーマン全集」
なるものもあったと思う。手軽に弾けて
大げさに聞こえるから、中学生の自尊心を
満たすには非常にいい曲だったと思う。

で、ここ本国フランスで彼の評価は、
というと、恐ろしく低い。
知り合いのフランス人は、「トラックの
運転手が聞く音楽」とか言っていた。
テレビ番組でも、「環境音楽」なんて
最初は言ってたが、そのうち揶揄されて
本人に向かって、「エレベーターの音楽、
もしくはスーパーマーケットの音楽と
言われることについてどう思いますか?」
なんてイジワルな質問が投げかけられていた。
エレベーターの中で、流れてる音楽ってこと?

ベアトリス・ダル

2005-04-10 16:36:47 | フランス
深夜のトーク番組に女優、
ベアトリス・ダルが出演していた。
美人ではないが、女優としての
オーラが出ていて、ついつい
次に何を話し出すのか、聞き入って
しまう。安心してみてられない。
話すこともちょっと支離滅裂だし。

トークが一段落したときに、
司会者が「次はあのコーナー」。
なんだと思っていると、ADが
トランプのカードをベアトリスに
持ってくる。カードを裏側にしたまま、
一枚カードを選ばせる。
カードには罰ゲームのようなもの、とか
きわどい質問が書かれていて、それに
出演者は答えないといけないルール。

ベアトリスが一枚カードを引く。
何が書かれているか、視聴者には
よく見えなかったが、書かれている文を
見た途端、彼女は大声で、「嫌よ!」
どうも内容が気に入らなかったらしく、
また別のカードを引く。引いたカードの
文章を見て、「できないわ!」
そのうち彼女は、ADからカードを全部
ひったくって、「自分で選ぶから」とか
司会者に言って、カードをすべて一枚一枚
調べ始めた。

こうなると、周りは何もできない。
ベアトリス・ダル。ちょっと傍若無人かも。
しかも全部のカードを見終わった後、
「全部、嫌」とか言って、無理やり
コーナー終了させたし。


18区

2005-04-09 07:00:52 | パリ右岸
先週の週末の夜、18区を歩いて帰ったので
その様子を少し書く。

土曜の夜10時半、
大通りには未来も明日も失ったような、
暗い目をした若者が通りに
集団でしゃがみこんでいる。
みんな黒い革ジャンとか着込んでいる。

その隣を僕は通り沿いに歩く。
世紀末的な感じだ。パリの空は相変わらず
真っ暗だし、通りを歩く人々は誰一人
他人の事なんて構おうとはしないし。
昔、中学生の頃聞いたユーミンの歌にあった、
「孤独のドアを叩きあいはしない」
なんて歌詞を思い出した。

メトロ、ピガール、アンベール、バルベス。
二号線沿いには悪名高い駅が並んでいる。
悪名高いというか、歓楽街と、
アフリカ系住民が集中して住んでいる地区だ。


表現する意欲

2005-04-08 07:21:03 | 自分について
会社の同僚となぜか知らないが
遅くまでディナーを一緒に食う。
雑談とか思い出話とか。大して話すことも
ないため、聞き役に徹する。

よく思うのだが、僕はあまり
話をしたり、自分の意見を相手に
伝えることに魅力を感じないのかも。
自分の考えを表現することに
長けてないし、それを他人に伝えること
にもエネルギーを注ごうとしないし。

何か素晴らしい芸術を見て、
それに感化されて、その感想なんかを
話すことはすきかもしれないが、
どうでもいいことをだらだらと話すのは
好きじゃない。大抵、他人が話すことって
誰かの受け売りであったりすることも多いし。
なんて言ってると、無口だとか無愛想だとか
って思われて、他人が寄り付かなくなるんだ
ろうなあ。それでもいいけど。

マルセイユ訛り、日本人訛り

2005-04-07 07:03:30 | Weblog
辞職して故郷のマルセイユに戻った
元同僚から1年ぶりぐらいに、職場に
電話がかかってきた。何気なく話しているうちに、
気がついた。「こいつ、訛ってるよ!」
一緒にパリで働いているときは気づかなかった
なんだが、今話すと、明らかに
パリのフランス人と発音が違う。
僕の耳が発達したんだろうか?
とくに、数字の「40」を言うとき、全然発音が違う。

その後、友人の家に遊びに行く。
地下鉄に乗っていると、1人の若者が
乗ってきた。普通の男の子なんだが、
よく見ると顔に、文字を書いてある。
よく見分けられないんだが、何かが
迷惑なんだ、とかそういう文章。
ユニークな若者だ。

友人の家で、パスティスなどもらい
ほろよい加減で話していていたのだが、
そのうち、ちょっと朦朧とした頭で
気がつく。「俺のフランス語訛ってるよ!」
訛っていると分かって、正しく
発音できない外国人のつらさ。

そのあとまたメトロに乗って家路を
辿るとき、猫背の1人の若者が
乗ってきた。今度は懐から、
大きなシールを取り出して、
車両の入り口ドアに張っている。
シールには「広告機構」とかよく
分からない文字が書かれている。

一瞬、壁新聞なんか作って
あちこちにべたべた貼っていた
大学生の頃の自分を思い出した。
自己防衛的で内省的な人間だったもんな。
今もあんまり変わらないけど。

マリヴォーダージュ

2005-04-03 19:02:03 | パリ右岸
以前から、「素晴らしいので、是非見に行け」
とフランス人の知り合いに言われていた、
18世紀の劇作家、マリヴォーの演劇を晴れて、
見に行く。

演出は、ピーターブルックの娘の、
イリーナ・ブルック。
格調高いマリヴォーのフランス語の台詞回し(軽いけど)
とイリーナ・ブルックの現代的で、キッチュな
演出の融合。こりゃ、面白くないわけがない。

モンマルトルのアンヴェール駅近くの劇場、
テアトル・ド・アトリエ。夕闇の始まる9時ごろ。
シャルル・デュラン広場。観光客の群れ。
レストランの明かり。劇場前に集まった人たち。

開幕。演目、『奴隷の島』は、地中海の孤島に
遭難した二組の「主人ー奴隷」(ギリシャ時代
という設定)が、いきなり役割交代する喜劇だ。
その孤島では、逃亡奴隷が共和国を設立している。
奴隷が統治する国なのだ。

名前のない奴隷が名前を持つ。主人のばかばかしい
日々の営みを、再現して笑いものにする奴隷。
キッチュな演出、派手な服装、拍子の抜けた音楽。
腹を抱えて笑いつつ、この演劇が初演されたのは
1725年。革命前夜だったことを考えると、
強烈な社会風刺、そして革命の予言でさえ
あったのではないかと思わずにはいられない。
なんて、ちょっとインテリぽいな。

ローマは遠くて

2005-04-02 06:53:16 | フランス
昨日の会議は参加者5人中、
1人がフランス人。あとはみんな
日本人だったのだが、この1人のフランス人
のために、みんなフランス語で会議を行なう。
よく考えるとかなり変な光景かも。

朝家を出るとき、テレビで
ローマ法王が危篤とのニュース。
法王庁前の騒然とした雰囲気が伝わってきた。

職場の上司が週末にボストンに行くという
ので、ちょっとアメリカについての雑談などをする。
フランスからアメリカに行った同僚は
エネルギーが満ち溢れていることに
非常にショックを受けたらしい。
「前進すれば道が開ける」とか
「自分を信じていれば何とかなる」とか
そういうポジティブな雰囲気が溢れていたらしい。
そういう環境からまたフランスに戻ると
人間がみんな「ひねくれて」見えるらしい。

そういえば昔、ニューヨーク帰りの知り合いから
「自分に投資しなくてどうするんですか?」
なんて叱咤されたことがあったっけ。
でも、何もしなかったけど。

夜半にアパートに戻ると、まだ法王の
危篤は続いていた。急遽テレビで特別番組
なんかやっている。今日は特別な日だったんだなあ。