日々の泡盛(フランス編)

フランス在住、40代サラリーマンのどうってことない日常。

夏の始まり

2012-05-26 23:34:15 | パリ右岸
2-3日前から夏のような陽気になり、日中の最高気温も
28度とかになってきた。日本はこの時期は梅雨入りの直前で
やっぱり暑かったような気がするが。

1年前はまだ大阪にいて、スペイン語の教室いったり、
大阪の南部の、アパートから見える外の景色を見て、
なんかため息ついたりしていたような気がする。世界のどこに
行ってもいいような気がするのだが、日本国内だと
やっぱ保守的になるよな。なんで、自分が大阪に?みたいな。


とそれはどうでもいいのだが、夏みたいな陽気の夕方、
歩いていたら夕日を浴びた公園の木が写真を撮ってください、
と言わんばかりだったので一枚。好きな季節が始まるよ。

アクセント

2012-05-23 22:30:26 | フランス語
今日、健康診断を受けに職場近くのクリニックに行ったのだが、
普通のフランス人向けのクリニックで、それこそ、まったく
普通のフランス人の医師に対面。
診察中に、
「フランスに来てどのくらいになる?」と聞かれる。
正直に半年前に来た、と言ってもよかったのだが、
それじゃなんか変なんで、
「実はフランスと日本をよく行ったり来たりしてるんです」
と答える。そうすると、
「だからフランス語できるんだね。ほとんど外国人アクセントがない」
と誉められた。
しかし、だ。ほとんどないということは、やっぱりアクセントが
あるということに他ならないのでは、などと思っていたら…。


案の定、支払いのとき受付のおばちゃんが、
「あなたにはちゃんと説明するように、とドクターから
言われたから」などと言われ、やっぱ、先生も外国人だから
理解力が低いと思ってんじゃん、などと心の中で
思った自分だったのだ。

アパートの鍵(3)

2012-05-21 00:42:45 | パリ右岸
最終的に、翌日別の鍵屋(今度は鍵の専門店)に行き、なんとか交渉。
どうもうちのアパルトマンの管理人を知っているらしい。
鍵職人というかserrurierというのだが
(鍵穴がserrure 鍵業者がserrurerieと一挙にいろいろ覚えた)、
彼を建物まで連れていくと、出てきた管理人と親しく
自分の国の言葉で話している。どうもポルトガル人らしい。

ということで昼過ぎに僕は会社に。僕が会社に行っている間に
直してくれるらしい。取り付ける予定の錠前とシリンダに合う、
新しいキーを受け取る。

夜戻ってくると、アパルトマンのドアのかぎの部分が壊され、
新しい錠前がついている。シリンダも変わっている。
ガチャと鍵を回すと、三日ぶりに我が家に。
こんなうれしいことはない!というか鍵失くすか、普通。

ということで一件落着かと思いきや、ドアノブの鍵の取り付け工事をふさぐ
プレートをまだつけられておらず、錠前やらがむき出しになっている。
今日のオペレーションはそこまで気が回らなかったらしい。
なんかハタから見ると、強盗に入られた後のよう。

アパートの鍵(2)

2012-05-13 21:57:59 | パリ右岸
翌日、大家に電話して相談すると、アパートの
鍵をそもそも取り替えた業者を教えてくれた。そこに
電話して、スペアキーを作ってもらったらいい、と。

業者に電話すると、「レフェランス番号がないと鍵が特定できない」
「そのレフェランスはどこでわかるんですか?」
「普通は鍵に書かれている」
いや、そのカギを失くしたから困ってんだけど。
もしくは、鍵を交換したときに大家に保証書を渡しているので
その保証書にも書かれているとのころ。
で、大家に電話すると、そんなものもらってない、と。

などとやっているうちに、夕方になってしまい、また
ラチの開かない状況に。最終的に大家の助言で、鍵そのものを
交換するということになり、アパルとマンの一階に
たまたま入っている、靴屋兼鍵屋に相談しに行く。
一緒に開かないドアの前まで行き、鍵の形など見てまた
お店に戻る。鍵屋のオッサンが仁王立ちになり、
部品の束をじっと見つめる。で、最後に、
「部品がない」と一言。鍵屋を兼ねているものの、
本職は靴屋のほうらしく、ツールが揃っているわけではないらしい。

時刻は既に21時30分。仕方なく、この日もホテルに
泊まる羽目に。

アパートの鍵

2012-05-12 22:33:14 | パリ右岸
嵐のような日本滞在をこなし(1週間のうちに日本縦断)、
フラフラになりながらフランスに戻ってきた僕だったが、
戻った途端、不運に見舞われることに。

どうも祝日に15区に住む友人の家に歩いて遊びに行ったのだが、
こともあろうにどこかの路上で鍵を失くしてしまったらしい。
友人の家で酔っぱらって、これから帰ろう、というときに
胸のポケットを探ったら、鍵がない。

焦る心をこらえつつ、友人に、「大丈夫、ここまで来た道を
もう一度調べてみる」とやせ我慢をいい、とはいえ、半分
酔っぱらっていたのだが、アパートまでの帰り道、これまで
来た道を丹念にもう一度、下を見ながら歩く。鍵がどこかに
落ちてないかと思って。時刻夜の23時。ってこりゃ無理だろう。

見つからないまま、アパートに戻るともう23時30分に。
迷惑かと思いつつ、深夜にもかかわらず、アパートの管理人を
起こして、スペアキーを持ってないか尋ねる。案の定持っていない。
当たり前か、渡した覚えないもんな。

ということで仕方なくアパートに入れず、ホテルに宿泊する羽目に。

日本に戻ったのはいいが(5)

2012-05-08 01:26:00 | 東京
沖縄で離島に行き、満喫したわけではないが、とりあえず
行ったという達成感を携えて、今度は飛行機に乗り東京に戻る。

都内で仕事関係の打ち合わせと、東京の友人らに会うため。

恵比寿駅で待ち合わせて、古い友人と明治通り沿いの
イタリア料理レストランで食事する。
思えば東京に住んでいた時は、いつも西荻のアパートで一人で
食べていて、外食なんてしなかったなあ、なんて。

久しぶりに会った友人は、もうすぐ会社をやめて
フリーで翻訳はコーディネーターの仕事をするらしい。
人脈もあり、語学もすぐれ、何より状況を見極め、どんな
局面でも難なくやりすごすことができる友人ならでは、
フリーでやっていけることができるんだろうなあ、なんて
感心しながら一緒にイタリア料理を食べる。

10時前に友人と別れ、そのあと渋谷に移動。
夜11時に別の友人とまた落合う。フランスにいた時から
知っている知り合いだ。今度は、渋谷の一蘭に行き、
深夜のトンコツラーメン。こういうのっていいんだろうか?
と自問しつつ、博多ラーメンをすする。福岡で
実家にいるときにはラーメンは体に悪いとかで、
全然食べないのだ。

日本に戻ったのはいいが(4)

2012-05-05 22:40:43 | 日本
渡嘉敷島の海岸、阿波連ビーチに行くが空の色はさえない。
さえないどころか、雨まで降りだしてきて、仕方なく岩場の
陰で雨宿り。とりあえず泊港のコンビニで買ったビールなどを
飲むが、気温も上がらず、雨も降っているので全然おいしくない。
う~、沖縄の海岸でオリオンビールを飲むのが夢だったのに。

などとがっかりしているうちに、午後3時ごろになり
帰りのフェリーの時間に。帰りの航路は朝ほど雨が叩き付けたり、
波しぶきが飛んだりしておらず、普通にないでいたので
カンパンに出て、ぼんやり東シナ海を見ていた。あと、
フェリーの航路が海の上で作り出す波しぶきの模様も。
そのうち、目の前に那覇の街並みが見えてきた。

子供のころ、鹿児島港から種子島の港までフェリーに乗って
おばあちゃんに会いに行った。いつも4時間ぐらいかかっていたが、
一人で甲板に出ては、薩摩半島とか、佐多岬とか、海の上を
跳ねるトビウオとか、フェリーについてくるイルカの群れとかを
ぼんやり見ていた。その頃の自分をふと思い出した。

那覇は相変わらず都会で、白い街並みが輝いていた。


日本に戻ったのはいいが(3)

2012-05-04 22:48:21 | 日本
ということで時差ボケの頭も治らないまま、
福岡を後にして、沖縄に飛行機で向かう。こんな短い時間で
移動ばかりして、もっとゆっくりすればいいのに、と
家族に呆れられながら。

那覇に夜半に着くと雨が降っている。4月末の沖縄は
梅雨入り直前でまだ天気がいいのか、と思いきや運の悪いことに降雨。
予約していたホテルにチェックインして、とりあえず寝る。
本当は那覇に着いたら、夜の街に繰り出し、飲み屋でも
行こうと思っていたのだがなんだか疲れて床についてしまった。
なんか行動パターンが中年ぽいっすね。

翌日、7時に起きてさっさと支度して、泊港へ。
高速船に乗って渡嘉敷島へ。この短い期間に沖縄、しかも
沖縄の離島にいく自分もかなり物好きだなと思いつつ
ジェットフォイルは進む。天気は雨でものすごい波であった。