体力のこと、ぼちぼちではありますが、
休日だからといって、まだまだ遠出はかないませぬ。
でもって、深まる秋も、去り行く秋も、
そして訪れてくる冬枯れの情景も、
ごく近場のお散歩道で味わうのみでございます。
(信州の秋も京都の紅葉も今シーズンは無し。残念ね。)
散歩道の途上、住宅街にハクセキレイ。↓
入院時の同室の隣のベッドのおっちゃんは
なかなか楽しい方でありました。
胆のうに脾臓、肝臓の一部を切除する手術を行ったようですが、
「一日一度必ず熱が出る。」「お腹に水がたまる。」
「検査ばかりで、原因がわからん。」
と、あまり術後が良くなく、
ひと月ほどたっても退院のめどが立っておりません。
病院への不満をよくしゃべる69歳にもなる方でありますが、
どこか少年のようなところがあってやんちゃなおっちゃんであります。
話を聞いていると、これがうれしいことに
なかなかあなどりがたい鳥名人なのでありました。
「今年はもう鳥飼いも無しやな。今までずっとやってきたけど。」
千早の山中の住人であります。ちょっとさびしげに申します。
「子供の頃は学校から帰ると、兄貴に言いつけられて、鳥の餌作りやな。」
「フナをまず釣ってきて、そのフナを七輪で焼いてね、
それを潰して、それに米ぬかを混ぜて、きな粉をいくらいくら混ぜて、、、
とかね。そんなことばっかりやっとったね。」
「ルリビタキにジョウビタキ、それから秋になるとね、いろんな鳥が
渡りの途中で寄ったり、迷い込んだりするからね。今頃は楽しいよ。」
「ベニマシコという珍しい鳥も見たけど、あれはきれいな鳥やったね。」
私めがいまだ見ていない鳥さんの名前が次々と出てきて
なんだか聞いてるだけでわくわくするのでありました。
「鳥も、巣の遠いところに降り立って、それから巣に戻るんやけど、
カラスも賢くてね、たいがい巣を見つけよる。そいでも卵はとらへん。
卵がかえるのを待っとるねん。」
「まあ、ひな鳥がちゃんと育つということはまずないね。
たいがい、カラスにやられてしまうな。自然の摂理というかね。」
鳥を捕まえて、鳥かごで飼う、というのは
私らの子供のころ、年配のあんちゃんらがよくやっていたように思います。
目の前のおっちゃんはどうやらその時代の貴重な生き残りのようでありまして、
鳥さんの話になると次から次へといろんな話が出てきます。
やがて子供のころの、お酒やら煙草やら、
やんちゃな話にも広がってしまうのでありました。
そのおっちゃんも結局私より早く退院されたのですが、
万全の状態ではないはず。
千早の浄水場の管理の仕事に復帰できたかどうか。
十分養生していただいて、長生きしてもらいたいですね。
さてさて、おっちゃんに刺激を受けて、
退院後は近場の森の散歩に尚更いそしんでおるのですが、
カワセミはどっかへ引っ越した様子でありますし、
他の鳥さんも、なかなか色とりどりというわけにいかず、
何だか森の中はもう冬の侘しさへ向かっている雰囲気なのであります。
(やっぱり良い時期のひと月を逃したみたいですな。)