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ロザリオの間

今回のニースの事件で思い出すのが、、、
サクラダファミリアの「ロザリオの間」です。

ロザリオの間は、ガウディがいち早く完成させた建物内にある間です
そこはガウディの想いが詰まっている間です
分かりやすく言うと、サグラダ・ファミリアの設計図そのものです
ガウディは自分が死んだ後も円滑に建設が進められるよう、その間の構造や彫刻たちに
自分の想いの全てを残したと言われています

そしてその「ロザリオの間」を外尾さんが復元しています。




「ロザリオの間」を見るたびに、ガウディは現代社会が抱えている問題を見抜いていたように感じます。

今まさに爆弾を投げつけようとしている貧しいアナーキストの青年の指が、実は小指しか爆弾にかかっていロザリオの間ない。迷っているのです。しあわせな社会をつくるためには爆弾テロを起こすしかない。しかし忍び寄った悪魔が渡した爆弾を受け取る手が一瞬止まったのは、罪もない人々の生命を奪うことにためらいを覚えたからで、そこには大きな葛藤、苦悩が生じている。

一方の少女も、悪魔が差し出したお金を前に、やはり迷っている。身体を売ってでもお金が欲しい。それは自分のためではなく、病気の家族のためかもしれない。どうしても必要なお金だけれど、身を汚す恐ろしさに震えている。

ロザリオの間には、“誘惑(tentacion)”という象徴的な副題が付いています。このふたりは迷いのなかで、マリア像を仰ぎ見ている。助けを求めている。でも、彼らが誘惑に克かったか負けたか、答えはこの部屋にはない。ガウディは、見る者に問うているのだと思います。権力や暴力、お金の誘惑に、あなたはどう立ち向かいますかと。

こうした誘惑は、今にはじまったことではなく、何千年、何万年も前から連綿と続いているテーマです。ただ確かに、現在の社会では特に、それはサグラダ・ファミリアも含めてですが、すべての人間が自らに問い、答えを見つけていかねばならないことでしょう。

http://www.sotokoto.net/jp/interview/?id=35

社会は繰り返されるだけなのかな?

犯人がもし、、、犯罪を起こす前に、家族との事、友人との事なんかを思い出してくれていたらって思います。
そこには友情や愛情があり、人のぬくもりがあったはずです。
そのぬくもりは、やはり食事を通して食卓を通して育んでいくものだって思います。

http://ameblo.jp/shinco-wouldnot-go/entry-11361252267.html
すごく上手にまとめられています。

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