川越だより

妻と二人あちこちに出かけであった自然や人々のこと。日々の生活の中で嬉しかったこと・感じたこと。

『秋刀魚の味』『麦秋』

2009-10-29 09:32:45 | 映画  音楽 美術など
一昨日(10月27日)珍しい体験をしました。二本立て映画を見たのです。13時から始まって17時半まで。

 小津安二郎監督の松竹映画『秋刀魚(さんま)の味』と『麦秋』です。以下のHPをクリックしてみてください。ぼくと同世代の方ならタイムスリップして懐かしい人々にあった喜びに包まれることでしょう。


  スカラ座http://k-scalaza.com/index.html

  『秋刀魚の味』http://shochikuonline.jp/cinfo/s/000000072a/c/00048/

  『麦秋』http://ecx.images-amazon.com/images/I/51814tPuzbL.jpg

 
 『麦秋』は1951年(昭和26年)、『秋刀魚の味』は1962年(昭和37年)の作品です。11年の時の開きがあります。ぼくは小4と大2です。

 主役はいずれも笠 智衆(りゅう ちしゅう)。『麦秋』の笠 智衆を観て会場にどよめきがありました。「若い」のです。当日の観衆の多くのイメージは『秋刀魚の味』の笠 智衆だったのではないかと思われます。

 女性の主役は原節子と岩下志麻。ぼくは原節子ファン世代とはいえません。岩下志麻、本当に「美人」です。
 淡島(あわしま)千景、岡田茉莉子(まりこ)、杉村春子、岸田今日子。東野(とうの)英治郎、佐田啓二…。

 映画通だとはいえなかったぼくでさえ、懐かしさが染みわたってくる人々です。

 川越スカラ座は超満員になりました。ぼくは上映開始30分前に行ったのですがほとんど満杯で、一番前の中央の席に座りました。いつもの指定席には座れなかったのです。
 ここにはどういう訳か座席の前に長い台があってぼくはそれに足を載せて映画を観ます。こうすると足が冷えないのです。困ったなあと思っていたのですが一番前の中央の座席の前にも移動式の台があるではありませんか。助かりました。足を載せてその上に毛布をかぶせることができたからこそ5時間の上映を楽しむことができたのです。

 通常は数人程度の観客です。優れた作品なのに寂しい限りです。でも、この日は違いました。多くの人々とともに観る喜びを感じました。抑制的ですがどよめきがあり、喜びの声がありました。

 1950年代前半には室戸岬の町にも二軒の映画館(「ユニオン」と「岬劇場?」)があり、毎日二本立て上映でした。ぼくは小学生ですが夜の9時過ぎ、映画館から帰る人の足音やざわめきを毎日聞いて育ったのです。たまにはぼくも見に行きました。『鞍馬天狗』や『笛吹童子』などのこども向けの作品のほか、『原爆の子』『ひろしま』などではなかったかと思います。
 岬の町に映画館ができる前は学校から行列して隣町の「中央館」に行きました。『鐘の鳴る丘』や『蜂の巣のこどもたち』『三太物語』などかな。

 中高時代(50年代後半)は高知市、学生時代(60年代前半)は東京でたくさんの映画を観ました。映画は娯楽であるとともに人生の学校でもありました。

 この日、スカラ座に集まった人々のほとんどはぼくと同じような映画体験の持ち主といえるのかもしれません。右隣のご夫婦は80代で夫君はシベリア抑留の体験者でした。大正の末年生まれだとか。奥さんが昔の映画を観たいというので夫婦できたとか。右隣は同年配かやや上でスカラ座にはふだんから通っているようです。いつも数人ですから、電気代にもならないのではないかと、心配してきたといいます。今日の満杯に驚き、喜んでおられます。

 映画館で映画を観る喜びを久しぶりに味わったなあ。そんな感じです。30分の休憩時間には蔵造りの街に出て、蜂蜜ソフトを味わいました。

 『秋刀魚の味』は小津さんの最後の作品だとか。ぼくも人生を重ねたせいか、こういう作品を味わうことができるようになったようです。

 題名は佐藤春夫の「秋刀魚の詩」を意識したものでしょうか?秋刀魚は映画のどこにも出てきません。

 秋刀魚の詩http://www.midnightpress.co.jp/poem/2009/06/post_95.html 


 

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