川越だより

妻と二人あちこちに出かけであった自然や人々のこと。日々の生活の中で嬉しかったこと・感じたこと。

奏太くんを訪ねて

2010-06-09 13:04:51 | 友人たち
 6月7日(月)晴れ

 8時過ぎに家を出て10時半には神奈川県大船駅に着きました。今日は桂子さんと一緒に多美子さんと生まれたばかりの赤ちゃんを訪ねる日です。

 「桂子・多美子」(普段は敬称はつけません)の二人は1998年4月、文京高校(1G)で出会って以来の親友同士です。僕はそのときのHR担任です。

 赤ちゃん誕生の知らせを受けたときに今日の日のあることは決まっていました。

 川越だより [我らこの地に奏でて燃える]http://blog.goo.ne.jp/keisukelap/c/341200a0619b9105e35c190f296b2b14 


 桂子さんが連れて行ってくれたのは多美子さんの実家でした。お母さんとお連れ合いの輝夫さんが一緒に出迎えてくれて望外の喜びです。

 奏太(そうた)くんは4月24日生まれですから生後40日あまりです。早速抱かしてもらって記念撮影です。ずっしりと重い赤ちゃんです。

 誕生時に3700gあったといいます。僕が「一貫目だね」というとみんなきょとんとしています。お母さんまでが理解不能だということです。

 僕がこどもの時に母からこんな言葉を聞かされていたのです。一貫あると大きな赤ちゃんだったようです。いつの頃からか、尺貫法が消えて通じない言葉になったのですね。ちなみに一貫は3750gです。

 最初に僕が出られなかった結婚式当日のVTRを見せてもらいました。桂子さんのお祝いの言葉をすべて聞くことが出来ました。

 桂子さんが苦しみの中にあったとき「ともに闘おう」といって励ましてくれたと言います。多美子さんが人を心から思うことの出来るたぐいまれな人であることは僕は昔から知っています。卒業してからも交流しながら友達であり続けたことがよくわかります。

 アフリカ・ケニヤからのビデオレターとケニヤの「両親」からのメッセージが印象に残りました。

 学生の時にボランティアとして働いた孤児院のこどもたちから「おめでとう」の言葉が届いていたのです。現地で「娘」としてかわいがってくれた「両親」からは生の電話です。2年次と4年次に世話になったといいます。

 「両親」にとっては日本に帰すのがよっぽど辛かったのでしょう。僕には多美子さんがケニヤのこどもたちと遊ぶ風景が手に取るようにわかります。日本から来た若い先生のはつらつとした印象は今もこどもたちの思いの中に生きているのだと思います。

 僕は勝手ながら多美子さんはアフリカに住み着くのかと思ったこともあります。それはそれでいいなあ、とも。何事にも臆病な僕も多美子がいればケニヤに行ってみたいと思うかもしれないのです。

 そうはならず、実家の引っ越し先の大船で輝夫さんと一緒になりました。夕方5時過ぎまで交流の時を過ごしましたが、この二人はお互いを大切にすることが出来るしっかりした夫婦だなあと思いました。
 
 新郎のお父さんが結婚式の締めくくりの挨拶の中でこどもたちが皆心優しい人に成長したことを喜んでおられましたが親がこう言い切れるくらいの人なのだと実感したのです。

 心を許しあう人達に恵まれたせいか、この日の僕はいつになく雄弁?で一人何事かをしゃべっていたような気がします。それぞれに恵まれた育ち方をした二人の青年とそのこどもの奏太くんに希望を感じたためかもしれません。

 家にたどり着いたら桂子さんからメールが届いていました。

 「今日はとっても楽しかったです(^-^)!また計画立てて、楽しいことしましょうね
♪」

 本当に楽しかったね。
 
 桂子さんが学生時代に高知の浦戸でホエールウォッチングの研修をしていたことを知りました。土佐湾を走り回っても酔うことがなかったといいます。今夏も仕事の合間に2泊3日の予定で高知に行くのだそうです。心を許す友達は徳島の出身で海釣りに室戸岬に通っているとか。

 桂子さんとは昔から沖縄に行こうといいながら未だ実現していません。その間に僕の故郷の人や海としっかり交流していたのです。

 土佐に育った僕よりも遙かに土佐湾になじんでいる様子です。本当にうれしいことです。

 今度はこの方面で楽しい計画をたててくれるかもしれません。

 土佐のホエールウォッチングといえば僕にとっては「健ちゃん」を抜きには考えられません。桂子に「健ちゃん」と出会う機会をつくってあげようと思い始めました。

 けんちゃんの吠えるウォッチングーhttp://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/cat2367757/index.html
 


 
 



 

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