川越だより

妻と二人あちこちに出かけであった自然や人々のこと。日々の生活の中で嬉しかったこと・感じたこと。

東京新聞「中国の核実験被害」報道

2008-11-28 09:55:35 | 中国
 『東京新聞』に中国の核実験被害にかかわる記事があったことを知りました。このことについては8月に「川越だより」に何回か書きました。

 中国の核実験(4)ロブノル                       http://blog.goo.ne.jp/keisukelap/e/739ee96ad1c34c5e3989ed8372a94239
 

 日本のマスコミは中国政府の報復を怖れてタブーにしてきました。
 『東京新聞』は比較的マイナーな新聞ですがときどきおかしいことにおかしいという記事を掲載します。一部100円ですので電車に乗るときに買って読みます。私たちがいかに恐ろしい情報操作のもとに生きているか、思い知らされます。高田純さんの地道な研究がさらに多くの人に知られていくことを願います。


 東京新聞 11/21朝刊 【特報】

   中国核実験 96年まで46回実施か 
   住民19万人が死亡と推定 隣国カザフの調査 

     日本人科学者が分析 (2008年11月21日)

 東アジアでは北朝鮮の核兵器開発が国際社会から問題視されているが、中国は既に一九五〇年代半ばから核兵器開発にまい進してきた。

 少数民族が居住する新疆ウイグル自治区で行った核実験は四十回以上に及ぶ。
しかし中国政府は実験データはもちろん、実施の事実すら公表していない。核汚染や周辺住民への被害はこれまで闇の中だったが、その実態が日本人科学者の手によって初めて明らかになりつつある。  (外報部・浅井正智)




「旧ソ連時代、中国の核実験による放射線の影響は、(新疆ウイグル自治区の)ロプノル核実験場から北西に約千キロ離れた隣国カザフスタンで監視されていた。そのデータを2001年に入手したことは、中国の核実験の実態を追跡する上で大きな意味があった」

 原発事故のチェルノブイリや臨界事故の東海村をはじめ、世界各地の放射線被害の現地調査を手掛けてきた高田純・札幌医科大学教授(放射線防護学)は、札幌市内の研究室でこう語りはじめた。

 中国は実験現場を公開していないが、どう調査したのか。用いたのは、旧ソ連が監視していた中国の核実験威力や爆発温度、風向き、さらに風下のカザフスタン東部マカンチに実験直後に降り積もった核分裂生成物の分析から、新疆ウイグル自治区の被害を推定するという手法。

 現地調査をせずに核汚染を科学的に分析するこの方法を適用することで、中国が隠し続けてきた核実験災害の実施時期に突破口をひらいた

 中国が同自治区で行った核実験は、1964年か96年までに延べ46回とみられ、「これらの実験のために致死レベルの放射線を浴び、死亡した住民は19万人と推定される」と高田教授は具体的な数字を挙げた。

 劣悪な医療環境などから、その4倍の75万人が死亡したとする説もあるという。
死に至らなくとも、白血病やその他のがんの発生、胎児への影響が高まる地域には129万人がいたとみられる。核実験はもう10年以上行われてはいないものの、「住民の健康被害は続いており、まさに現代の問題」にほかならない。

 実験地点は シルクロードの要衝として栄え、日本人が好んで観光に訪れる楼蘭に近い。「地下核実験で地下水が汚染されている恐れがあり、飲むのは避けるべきだ」と警告する。

 46回の実験のうちメガトン級の地表核爆発は67年、73年、76年の三回。核爆発は爆発点により、空中、地表、地下に分類されるが、地表爆発は核汚染された土壌の粉じんを巻き上げ、周辺および風下に大きな放射線災害をもたらす。

 高田教授によると、メガトン級の地表核爆発は米国も旧ソ連も内陸では行っていない。中国はそれを三回強行した。
 インターネットの動画サイト「ユーチューブ」では中国の核実験の映像が見られるが、防護服などを着ていない人々が巨大なきのこ雲に向って万歳する姿が映し出されており、安全面の対策を講じないまま実験を行った可能性が極めて高い。

 ただ中国当局は一つの重要な「配慮」をしたとみられる。67年と73年のメガトン級地表核爆発は同じ6月に行われ、当時の気象記録からカザフスタン方向に風が吹いていたことが分かっている。「毛沢東ら共産党指導者のいる北京に゛核の砂゛が飛んでいかない季節を選ぶという最大級の配慮をしたはずだ」と高田教授は皮肉を込めた。

 残る一回のメガトン級爆発時(76年11月)の気象データは、今のところ判明していない。11月という季節から、核の砂は北風によって南に隣接するチベット自治区に運ばれた可能性が考えられるが、解明は今後の研究に委ねられている。

 高田教授は研究成果をまとめ、北京五輪に合わせて今年、著書「中国の核実験」(医療科学社)を出版した。先月下旬、アルゼンチンで開かれた国際放射線防護学会でも「中国の核実験災害と線量評価」と題し報告を行った。

 これまで謎に包まれていた中国の核実験の実態から見えてくるものは、「主にウイグル人が居住している場所で、安全面の対策も立てず、国家によって犯罪的実験を行った。」(高田教授)というおぞましい現実だ。
 三回のメガトン級爆発は、すべて文化大革命(66~76年)という未曽有の大混乱の間に行われている。中国共産党は81年、新中国成立以来の歴史を総括する「歴史決議」でその文革を「過ち」と公式に認めた。

「ならば」と高田教授は強調する。

「文革の熱狂の中で行われた危険な核実験の過ちも認め、データを開示し、被災者の補償をすべきだ。それをしない限り、中国は決して国際社会から信頼される国家にはなれない」


◆通常兵力後回し、「核」に重点


 中国の核兵器開発のスタートは1955年ごろにさかのぼる。54年に日本で自衛隊が発足したのとほぼ同時期、当時の中国指導者、毛沢東は早くも核武装を決意していたことになる。国民経済は疲弊していたが「毛沢東は核兵器が米国と渡りあうために必要な政治兵器だと明確に認識していた」と中国軍事専門家、平松茂雄氏は話す。

 最初の核実験は64年。約十年で核兵器開発を成し遂げた。80年には米国に到達する大陸間弾道ミサイル(ICBM)の発射実験にも成功し、対米核抑止力を初めて獲得する。 米英仏などが通常戦力を整備した上で核兵器開発に移行したのとは異なり、中国は通常兵器を後回しにし、いきなり核兵器に重点を移したところに特徴がある。

 中国が核武装する究極的な目的は「台湾有事の際に米軍の介入を思いとどませることに 置かれている」(平松氏)

 中国は近年、軍事技術と密接にかかわる宇宙開発を精力的に進めており、ミサイル技術も着々と進化しているとみられる。中国の核弾道ミサイル数十発は日本に照準をあわしているとされ、「北朝鮮より中国の核兵器の方が日本の安全保障にとってはるかに脅威だ」と 平松氏は指摘している。


 <デスクメモ>

 実態以上に中国を汚染国に仕立て上げ、日本は安全、だから国産をえらびましょうーとの゛布教゛には疑いの念をもって接したい。偽装を生む土壌が増えるばかりだから。でも、チベット問題といい、核実験といい、「臭いものにはふた」の姿勢は大問題。 人の犠牲の上に築いた大国の地位に価値はあるのか (剛)






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