バイブルサロン

礼拝説教、聖書を読んで感じた事

一歩踏み出す信仰

2018-01-02 09:01:37 | 礼拝説教
2018/1/1元旦礼拝説教
【テーマ】  信仰の成長
【説教題】 「一歩踏み出す信仰」
【聖書箇所】 ヨシュア記3:14-17
  3:14 民がヨルダン川を渡るために、天幕を発ったとき、契約の箱をかつぐ祭司たちは民の先頭にいた。
3:15 箱をかつぐ者がヨルダン川まで来て、箱をかつぐ祭司たちの足が水ぎわに浸ったとき、──ヨルダン川は刈り入れの間中、岸いっぱいにあふれるのだが──
3:16 上から流れ下る水はつっ立って、はるかかなたのツァレタンのそばにある町アダムのところで、せきをなして立ち、アラバの海、すなわち塩の海のほうに流れ下る水は完全にせきとめられた。民はエリコに面するところを渡った。
3:17 【主】の契約の箱をかつぐ祭司たちがヨルダン川の真ん中のかわいた地にしっかりと立つうちに、イスラエル全体は、かわいた地を通り、ついに民はすべてヨルダン川を渡り終わった。

○ 昨年最後(昨日)の礼拝では、出エジプトしたイスラエルの民が、神の息によって分けられた海の底を歩いて渡ったことを語りました。今日はそのイスラエルの民が40年の荒野の生活を終え、いよいよ約束の地へと入るヨルダン川のところです。

Ⅰ.紅海とヨルダン川で方法が違う
A.ヨルダン川の時
  今日の御言葉の大事なところは 箱をかつぐ祭司たちの足が水ぎわに浸ったとき です。ヨルダン川が干上がっていくような時期だったら、もしかして簡単に渡れたかもしれないのに、神様は敢えて ──ヨルダン川は刈り入れの間中、岸いっぱいにあふれるのだが── という時期、水がいっぱいの時期を選んでおられます。そして、祭司が足を水に入れた時、水が堰き止められたということです。

B.紅海の時
  出エジプトした時、後ろからエジプトの軍隊が押し寄せてきました。人々はうろたえ、モーセに文句を言い「俺たちをここで殺す気か」というように罵ったのです。この時は、神が東風を吹かせ、紅海を真っ二つに割り、その海の底を歩いて渡る事ができるようにされました。

C.足を水に入れた時
  今回もヨルダン川に神の息を吹きかけ水が堰き止められてから渡るようにすることもできたのですが、神はそうではなく、祭司の足が水に浸った時に水が堰き止められるという方法をとられました。

Ⅱ.神様の訓練がある
A.信仰生活の度合いに応じて
紅海の時はイスラエル人がまだ力も無く、信仰も薄く、逃げることで精一杯だった時です。モーセもまだ神に従う事を始めたばかりでした。そんな時ですから神は一方的な助けをくださったと思います。
私たちも信仰生活が短い間は神の一方的な助けがあるものではないですか。

B.荒野が訓練の場
1.イスラエル人は荒野での40年間の生活の中で恵み深い神であることや、人間は神の言葉に従うべきだという事を教えられてきました。例えば神が水を湧かせたり、マナを必要なだけくださったり、ウズラもくださいました。また、くつも服もすり切れなかったのです。十戒という神の教えもいただきました。
2.こうしたことの後、このヨルダン川を渡る時が来たのです。彼らは神の言葉に従う事の大切さを理解していましたので、神はヨルダン川を枯らせてから渡らせたのでは無く、足を踏み入れると水が堰き止められるという方法をとられました。

Ⅲ.クリスチャンは成長しなければならない
A.神の御業を見るため
1.私達も決して楽ではない2017年を過ごしました。イスラエル人が荒野の40年間を過ごしたように私達もそのようなところを通ってきたと思います。それは私達がヨルダン川に足を浸した時にヨルダン川が堰き止められるという神の御業を見るためです。
2.しかし、神の御業を見るというのは見ることのできない期間もあるということです。その期間を耐え忍ぶのも訓練です。

B.荒野の訓練
1.訓練には色々なものがあります。イスラエル人はエジプトでの長い生活で、神様への礼拝がわからなくなっていました。そして、神様の御心もわからなくなっていました。
2.そこで、神様は荒野にいる間に、12部族を整え、幕屋を作らせて神礼拝を教えました。みこころを教えるために十戒を与え、実際的に神がどのようなお方なのかわからせるために、マナを与えたりなさったのです。しかし、神に従わないものに対しては「死」さえも与え、神様の義と愛を示してこられました。

C.神は私たちの成長を望まれる
1.私たちは成長しなければなりません。子ども達が身体的にも学力的にも成長するのは大人にとって嬉しいように、神様にとっては私たちが成長することが嬉しいのです。
2.成長のためには訓練がつきものです。そして、私たちにはそれを受けて立つという決断が必要です。その上で神様ご自身からの働きかけをいただいて実際的な信仰の成長があります。
3.そこで、信仰によってヨルダン川に私たちは足を踏み入れる決心ができるのです。

★ 神の訓練によって私たちは一歩踏み出す信仰が得られるのです。用意された路線を行くことから、一歩踏み出す信仰へと成長するのです。

◆ 私たちは昨年の私たちではないはずです。あなたの一歩は何でしょうか? 今まで拒んできた奉仕かも知れないし、献身かも知れません。