バイブルサロン

礼拝説教、聖書を読んで感じた事

最後の審判

2017-10-01 17:57:41 | 礼拝説教
2017/10/1礼拝説教
【テーマ】  再臨と裁き
【説教題】 「最後の審判」
【聖書箇所】 黙示録22:12-20
 22:12 「見よ。わたしはすぐに来る。わたしはそれぞれのしわざに応じて報いるために、わたしの報いを携えて来る。
22:13 わたしはアルファであり、オメガである。最初であり、最後である。初めであり、終わりである。」
22:14 自分の着物を洗って、いのちの木の実を食べる権利を与えられ、門を通って都に入れるようになる者は、幸いである。
22:15 犬ども、魔術を行う者、不品行の者、人殺し、偶像を拝む者、好んで偽りを行う者はみな、外に出される。
  22:16 「わたし、イエスは御使いを遣わして、諸教会について、これらのことをあなたがたにあかしした。わたしはダビデの根、また子孫、輝く明けの明星である。」
  22:17 御霊も花嫁も言う。「来てください。」これを聞く者は、「来てください」と言いなさい。渇く者は来なさい。いのちの水がほしい者は、それをただで受けなさい。
  22:18 私は、この書の預言のことばを聞くすべての者にあかしする。もし、これにつけ加える者があれば、神はこの書に書いてある災害をその人に加えられる。
22:19 また、この預言の書のことばを少しでも取り除く者があれば、神は、この書に書いてあるいのちの木と聖なる都から、その人の受ける分を取り除かれる。
  22:20 これらのことをあかしする方がこう言われる。「しかり。わたしはすぐに来る。」アーメン。主イエスよ、来てください。

使徒信条の「かしこより来たりて生ける者と死にたる者とをさばきたまわん。」の部分です。

○ 「裁き」という言葉はあまりうれしい言葉ではありません。恐さを感じる言葉です。バチカンのシスティーナ礼拝堂にミケランジェロが描いた有名な壁画「最後の審判」は、中央に再臨のキリストがおられ、左側には天国へと昇る人々、右側には地獄に落ちる人々が描かれています。全部で400人以上の人物が描かれているそうです。今日は聖書の最後の最後に書かれているところを中心に「裁き」を見てみましょう。

Ⅰ.人は必ず死ぬ
A.死ぬことは決まっている
1.人間には「絶対」と言い切れるものは無いと言いながら、「『人はみんな死ぬ』というのは絶対だ」と言われます。確かに人間はいろいろな可能性で満ち、不可能ということを無くしてきましたが、いまだ「死」は克服できていません。
2.「人は必ず死ぬ」ということはわざわざ言わなくても当たり前ですが、聖書にもきっちりと書いてあります。 ヘブル9:27 そして、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているように、 と死後の裁きがあることもです。

B.永遠の別れだろうか?
1.「死」は悲しいです。今までコミュニケーションがとれていた人とまったくコミュニケーションがとれなくなるのです。よく、永遠の別れとも言われます。
2.しかし、本当にそうでしょうか? 死んだ人とコミュニケーションがとれるというのは大問題ですし、基本的にあり得ないです。悪霊がその人のふりをしてだますことがあるので、要注意と言われています。
3.ただ永遠の別れにならないことは覚えておきたいものです。死んで終わらないということです。

Ⅱ.人は裁かれる
A.二種類の裁き
1.裁きは恐ろしく感じるものですが、何ら問題のない人にとっては裁きは恐ろしくありません。それが記されているところを見ましょう。 黙示録20:12 また私は、死んだ人々が、大きい者も、小さい者も御座の前に立っているのを見た。そして、数々の書物が開かれた。また、別の一つの書物も開かれたが、それは、いのちの書であった。死んだ人々は、これらの書物に書きしるされているところに従って、自分の行いに応じてさばかれた。 20:13 海はその中にいる死者を出し、死もハデスも、その中にいる死者を出した。そして人々はおのおの自分の行いに応じてさばかれた。 20:14 それから、死とハデスとは、火の池に投げ込まれた。これが第二の死である。 20:15 いのちの書に名のしるされていない者はみな、この火の池に投げ込まれた。 とあります。
2.いのちの書に名前が記されている人と、そうでない人です。この二種類の人がいるということは、それぞれの人の場所があるということです。死後のその場所を自分で用意した人はいません。神様が用意しています。

B.誰が天国に入るのか
1.神様にしか用意できないこの場所に入るための裁きがあります。当然神様が、どのような人を天国に、どのような人を地獄に入れるかも決めておられます。それを裁きと呼ぶわけですが、絶対に地獄には行きたくないですね。
2.天国か地獄かは、この個所を読むと、どうやらこの地上にいる間に私たちがどうしたのかが問われるようです。良いことをしたら天国、悪いことをしたら地獄。確かにそうなのですが、聖書は正しい人はいないと言っていますので、みんな地獄となります。
3.では、聖書的に正しい人間とは誰か、神が「あなたは天国!」と言っていただける人とは? それは自分は罪人と認め、イエス様にその解決があると信じ、イエス様を愛した人です。

Ⅲ.いのちの水を受けよ
A.イエス様につながる人
1.17節の御言葉は、ヨハネ7:37-38を思い起こさせます。 7:37 さて、祭りの終わりの大いなる日に、イエスは立って、大声で言われた。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。 7:38 わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」 
2.要はイエス様を求めればよいのです。私たちが何かできるのではありません。井戸を掘ることはできても、そこに水がなければ湧いては来ません。イエス様に繋がればいのちの水は溢れます。

B.聖霊を受ける
1.人間にとって「死」を解決することはとても大事な課題ですが、人間には解決できないことです。しかし、神には解決できるのです。つまり、解決できる神様に繋がることなのです。神様に立ち返れば解決が見えてくるのです。
2.神様に繋がるとは、イエス様といういのちの水を飲むことなのです。さらにその水をイエス様は「聖霊」という私たちの内に住むことのできる神様であると教えてくださったのです。
3.聖霊をいただいてください。

● いくら水道がひかれていてもその蛇口を開かないと水は出てきません。「喉が渇いた」「死にそうだ」と言っても、蛇口をひねるという自分にできる一つのことをしなければなりません。

★ 神は絶対に裁きを行われます。あなたも裁かれます。しかし、 ヨハネ3:18 御子を信じる者はさばかれない。信じない者は神のひとり子の御名を信じなかったので、すでにさばかれている。 の通り、イエス様を信じれば裁かれないのです。