「 校門を閉めることで遅刻寸前の女生徒の命を奪った事件がありました。道徳教育で強調されている「法やきまりを守り、みんなが使うものを大切にする。」となっていますが,一番大切なのは、命ではないでしょうか❓イギリスに在学していた生徒は「遅刻より一番強調されることは差別をしないこと」と言っていました。障害者への理解、競争でなく共に生き学ぶ共生こそ大切と,遅刻は個人の問題だが、差別は他者への人権侵害だと考えているからです。
3.11の被災地では「てんでんこ」と自分の判断で高いところに避難した児童が助かった事例があります。自主的に考える子等を育てることが命を守ることになるのですね。そのためには、自主的判断ができる表現の自由 なんでも言える雰囲気がなければいけないのではないでしょうか?
上からの道徳教育では、自分の考えより評価基準に合わせるようになるのではないでしょうか?「せんせい いつもありがとう。うちのおねいちゃんは、いつもおこられています。ぼくはこのごろいいこで ほめられてばかりいます。おめんを かぶっているとおもいます。」 1年 Ñ君 本音とたてまえの2重構造になるのではないでしょうか?本音を出し合い「問いかけ」こそが大切だと思います。
「せんそう ぼくはせんそうって かっこいいなあ もう1かいだいとうわせんそうがおこらないかなあ。 だってぼくのおじいちゃんは りくぐんたいさだ。そしてくん3とうをもらってる。けれど よく考えてみると せんそうは かっこいいのか いやなのか わからない。」(2年T君1969年軍人恩給増額逆子-スの流れの中で)子供の問いかけを大切にしながら考えを深めることがどんなに大切か!「はだしのげん」「こどたちの遺言」などvideoを利用 事実を通して考えを深めることがどんなに大切か!平和こそ宝
学習指導要領では、「公徳心をもって法やきまりを守り、自他の権利を大切にし進んで義務を果たす」と述べているが、母子家庭の母親が家賃滞納で娘を殺した事件は何を私たちに訴えているのでしょうか!フインランドの中学教科書では「…助けとは自然とどこから与えられものではなくそれを得るためには求めなければなりません」と福祉国家の多様なサ-ビスを知らせ、社会には、セフテイネットがあるため失業 病気という事態になってもサ-ビスが受けられることを教えているのです。義務を強調し権利を教えない現状は、貧困家庭を救うことにはなっていないのです。
上からの「心のノ-と」の道徳教育は児童を丸ごとつかむことに欠け、一方的でおまけに評価がつくということは、2面制になるのではないでしょうか❓自由な発言 上からの指示待ち人間でなく異なる価値観や他者とのやり取りで共存の社会が成り立つのに! 学校には表現の自由が大切なのですね。「安全という名の管理』が蔓延し、児童生徒のぶつかり合い 失敗の場 自主活動の時間と場を奪い 学びが競争に勝つことに重点が置かれています。 どの子にも 豊かな人間関係 教師 地域との共存の中での学びを! 無関心 排除 差別でなく 大阪での低所得家庭1万円の塾手当より 個別指導の教師を増やし軍事予算より教育予算を増やし、どの子にも生き甲斐と学ぶ喜びを!中1生徒の事件は何を訴えているのでしょうか!
担任の教師の心痛は❓現在の教師の仕事は限りなく多く、家庭環境の変化 教科担任の仕事 提出書類の多いこと 父母との関係等 私も父子家庭の小学1年担任時、登校拒否気味Ⅰさん、父親はパチンコ店勤務 深夜に帰宅 子も起きられず、私の車で家庭訪問して学級へ 学級の児童は自習 見かねた近所の母親が連れてくるようになったのです。何回電話をかけたとかだけの問題ではないのです。教師にゆとりがなく 管理体制 勤務評定とバラバラにされている教師の労働条件を考えてほしいのです。教師と父母の協力関係も共に子を育て合う関係より、ただの利用者の関係になっているのではないでしょうか?
2年生の教え子が野川で事故死 よく調べてみれば 地域の子たちも何回か排水口の壊れたところで危険に遭っていたのです。「川で遊んではいけない」の建前で排水口の枠を直すことができなかったのです。担任して3週間、昭和の日の祝日で教え子の仲人として結婚式に参加していた私への知らせでした。悲しみは深く、事故処理に追われる日々でした。我が子3人の子の食事の準備もままならぬ時、教え子のお母さんが夕食をくださり担任の気持ち同様の気づかい 嬉しかったのです。
事故を無くすためにも本質を考えて父母と共に地域の教育力を!どの子にも命の大切さの教育を!子等が自由に 問題を起こしながらも互いに尊重し合える場が必要ではないでしょうか!管理と安全の名のもと受検戦争で 学校での自由な集いの場と時間を奪い ゲ-ムセンタ-やメ-ルが交流の場になり異年齢の暴力の支配に取り込まれていったのでしょうか?母子家庭の生活状態など丸ごとつかみ 個人の自己責任と考えず社会全体で考えてい行きたいものです。