半世紀水俣と向き合い40年かかりで「苦海浄土」を書き パーソン病と闘いながら、胎児性水俣患者に本を届ける姿に心が洗われる思いです。
16歳で代用教員になり、戦災孤児の「タデ子の記」を書き子供は国家の宝から戦災孤児はゴミのごとく放置され世話をしたが最後までできず また軍国主義から民衆主義の転換に疑問を持ち続け「書く言うこと」国家とは何か、人間がはずかしめられること、胎児性水俣の娘さんが桜のひとひらの花びらを拾うのに花びらをくしゃくしゃにしてやっとつかむ、その桜の花びらに思いを重ねて「言葉も1字1字探して書く」と語ったのです。
昭和22年、海の異変に、猫の子が猫踊り鼻で逆立ち 鳥が落ちるを見たのです。昭和34年長男が病気で入院隣の水俣病患者漁師の潮風でしきしまった皮膚も顔も両足は流木のように ベットで転げ落ち苦痛より怒りを 自分にとって水俣病とは何か 人間として生きるということはどういうことか ジャーナリストとしてではなく人間の言葉を使う人間として「花奉る」如く書きつづけたのです。
胎児性水俣患者の爺 婆が自分たちの死後誰が世話するか 物言えない息子の魂は他のどの子よりも深い,一言でも話せたら 親より先に死ぬことを願ったり、水俣患者だけでなく漁師の暮らしも書き続けたのです。姑から書くことを嫌がられたのですが、書くことをやめようとは思わなかった。
漁師の患者も1軒1軒様子が違うのです。利にならなくても合理的にと眼を奪われず、患者と一緒になって悩む知恵と情愛が欲しかった。平成21年水俣病認定 1時金210万円 大規模検診2日間で1000人差別を恐れて黙っていた人の9割が認定 5万人と増え続けている。今年の7月締切だが、民間医師が、山間部住民 行商人から魚を食べた人の中にも患者がいるのです。認定を取り下げ和解すれば210万円 でも、生活保護もとリさげと1年間210万円で暮らせるのか、
水俣 核地球全体がおかしくなった。
東京都はなんなのか?昭和46年10月から丸の内水俣本社に座り込み1年7か月 冬の凍てつく路上で、猫が排泄物を始末しようと泥をかけていたが泥がなくて足につけて恥ずかしそうにしていた。泥のない 土のない東京 近代の卒塔婆だと思った。東京に行くと息がしにくい、大地をもっと呼吸させたい。どこに向かって漂流するのか 死相を浮かべた東京 「お互いを思うこと、誰かが思うことの幸せ」と問題を投げかけながら「一文字一文字を花奉るごとに書き続けている」と 今 私たちに「表現するということはどんなことか」を問いかけているのです。
水俣被害者が地域限定できないように、原発労働者の内部被曝者の現状がもっと早く表現され我が事と知りえたら、境界なき原発被害を防げたのではと思いました。