限りある日々の記録

70代の生を前向きに生きて

表現するということ (花を奉る)

2012-02-27 11:25:44 | 日記
 26日のテレビ石牟礼道子の世界を見て「表現する」ということとは何かを教えられました。
半世紀水俣と向き合い40年かかりで「苦海浄土」を書き パーソン病と闘いながら、胎児性水俣患者に本を届ける姿に心が洗われる思いです。
 16歳で代用教員になり、戦災孤児の「タデ子の記」を書き子供は国家の宝から戦災孤児はゴミのごとく放置され世話をしたが最後までできず また軍国主義から民衆主義の転換に疑問を持ち続け「書く言うこと」国家とは何か、人間がはずかしめられること、胎児性水俣の娘さんが桜のひとひらの花びらを拾うのに花びらをくしゃくしゃにしてやっとつかむ、その桜の花びらに思いを重ねて「言葉も1字1字探して書く」と語ったのです。
 昭和22年、海の異変に、猫の子が猫踊り鼻で逆立ち 鳥が落ちるを見たのです。昭和34年長男が病気で入院隣の水俣病患者漁師の潮風でしきしまった皮膚も顔も両足は流木のように ベットで転げ落ち苦痛より怒りを 自分にとって水俣病とは何か 人間として生きるということはどういうことか ジャーナリストとしてではなく人間の言葉を使う人間として「花奉る」如く書きつづけたのです。
 胎児性水俣患者の爺 婆が自分たちの死後誰が世話するか 物言えない息子の魂は他のどの子よりも深い,一言でも話せたら 親より先に死ぬことを願ったり、水俣患者だけでなく漁師の暮らしも書き続けたのです。姑から書くことを嫌がられたのですが、書くことをやめようとは思わなかった。
 漁師の患者も1軒1軒様子が違うのです。利にならなくても合理的にと眼を奪われず、患者と一緒になって悩む知恵と情愛が欲しかった。平成21年水俣病認定 1時金210万円 大規模検診2日間で1000人差別を恐れて黙っていた人の9割が認定 5万人と増え続けている。今年の7月締切だが、民間医師が、山間部住民 行商人から魚を食べた人の中にも患者がいるのです。認定を取り下げ和解すれば210万円 でも、生活保護もとリさげと1年間210万円で暮らせるのか、
 水俣 核地球全体がおかしくなった。
東京都はなんなのか?昭和46年10月から丸の内水俣本社に座り込み1年7か月 冬の凍てつく路上で、猫が排泄物を始末しようと泥をかけていたが泥がなくて足につけて恥ずかしそうにしていた。泥のない 土のない東京 近代の卒塔婆だと思った。東京に行くと息がしにくい、大地をもっと呼吸させたい。どこに向かって漂流するのか 死相を浮かべた東京 「お互いを思うこと、誰かが思うことの幸せ」と問題を投げかけながら「一文字一文字を花奉るごとに書き続けている」と 今 私たちに「表現するということはどんなことか」を問いかけているのです。

水俣被害者が地域限定できないように、原発労働者の内部被曝者の現状がもっと早く表現され我が事と知りえたら、境界なき原発被害を防げたのではと思いました。


なぜ原発は止まらなかったのか

2012-02-26 09:48:32 | 日記
 1989年,イギリスに娘を訪ねて行った時、娘に会う喜びと旅への楽しさと期待でいっぱいでした。
86年のソ連のチェルノブイリ事故も、すっかり忘れていたのに、イギリスで毛織物を買う時、放射線の内部被ばくの危険性を友人から知らされたのです。放射能から防護の為のシェルター造りが話題になっていたのに、1954年のビキニ第五福竜丸(死の灰)での被ばくも、もっと真剣に身近な問題として考えなければいけなかったのに、3,11の原爆事故で原発とは何か思い知らされた
のです。
 地震国日本の「原発震災」世界で初めての4つの集中立地 チェルノブイリ事故も10日目に放射性物質の大量放出を収束できたのにまだできず 冷却水使用のため海岸近くに設置のため低濃度の汚染水を海に流し続けているのです。
 避難範囲も10キロ圏内のちに20キロと拡大せざるをえず、飯館村のホットスポットに住む住民に内部被ばくをさせたのです。

 故郷を追われて避難した人々 福島県内自殺者160人にも及んでいる原発を1970年代から54基もつくられたのです。電気を使えば使うほど原発予算が増える電源開発促進税が電気料金に加算されて、約45年間に総額1215億円が原発立地市町村に配られたのです。 原子力発電所の郵便番号は九XX―北陸四県南東北三県など過疎的な地域に地域格差の過疎地に札束で押し付ける構造になっている。
原発が「トイレなきマンション」なのに、「未来の電気」と宣伝され4大商業新聞 教育も真実を知らせていなかったのです。水俣も第五福竜丸も他所事と考えさせられ考えようとしなかったのです。
 原発は安い 温室効果ガス削減の宣伝 放射能廃棄物問題の解決さえされないのに、3,11は私たちに原発廃棄こそ安全に生きる道
と教えてくれたのです。
「脱原子力社会へ」-電力をグリーン化する―長谷川公一著 岩波新書を読んで下さい。原子力発電について社会学の視点から包括的に未来への展望を持って書かれています。私たちの世代が「脱原子力運動」に参加して要求で話し合い理解しあっていくことの大切さを語っています。新潟県巻町の住民投票実施原発建設反対の成功 山形県立川町の8基風車発電で温室ハウスの促成栽培 豚舎の暖房の成功例 1極集中の都市作りが原発を生むとデンマークドイツスエーデンなどの分権的な社会で電力自給率についても述べています。反原子力運動の外国、日本の運動と比べて課題も示しています。

出会いの楽しさ

2012-02-18 09:45:06 | 日記
朝の太極拳から出会いが始まり、市の教養講座で意見交流をして、読書会をしようと決まりました。
 4月は「今も心に」戦争体験を次の世代へということで集団疎開体験者の発表
 5月は 「なぜ人は永遠に生きられないか」生命ついて
 6月は 「3.11の災害の問いかけるもの」
 7月は 「詩 奈々子 吉野 弘」について
 8月は 「自然と人間の共生」外国と対比して
 9月は 「原発」について
 11月は 家庭科教師として、三人の子育て、単身赴任の夫を支えて
 12月は、「東京大空襲で夫を亡くした母の女性史」
 1月は 自然と共に幼児教育の実践した園長さんの話
 2月は 「なぜ戦争は起きるか

 戦争の歴史ー部族間の争い―「火器」古代社会から中世社会ー「軍艦や大砲が正義を作 り出す」-第1次、第2次世界大戦{戦車。毒ガス。潜水艦。飛行機}-戦争の質的変換
 「原子兵器」へと、
 なぜ戦争はなくならないか、ダーウインの学説 フロイトの学説等を述べ「効用」と「利 潤」と「GDP」の巨大化を目指す経済が原因である。
 欲望の更なる肥大化ーの悪循環を断ち切ろう。「豊かな社会」よりも「貧困のない社会」 へとのべ被爆国日本の「非戦」をつらぬく役割を強調したのです。参加者からは、第2次戦争の日本が果たした戦争について事実を通して見つめていかなくてはならないのではないか また、新しい世界史で戦争についても考えていかなくてはならないのではないか
等意見がたくさん出たのです。」
 4月は 詩集 小さな抵抗ー殺りゃくを拒んだ日本兵 渡部良三 岩波現代文庫よりで一兵士の見た戦争について話し合います。

旅の楽しさ

2012-02-18 09:38:09 | 日記

 夫婦2人旅で大仁温泉に行きました。伊藤園関係の温泉にしては値段の割りに良いので何回か利用しました。カラオケは、使ったことはないのですが、ちょっと覗いてみました。
 そこでHさん御夫婦に会い、日頃生活の中で感じていることを話し合いました。最近の大学生の読書離れやメール利用料の多さ、政治無関心層について話し合ったりしました。
 以前、青年の家を利用した時は、朝の集会で、お互いの紹介があり、コーラスの発表とか旅行者同士の交流がありましたが、旅は個人的なもので挨拶程度ですね。カラオケボックスは日頃の腕前の発表の場になっていますが、会話はないようです。
 イギリスなど居酒屋などで政治談議をする場が多くあるとか聞きましたが、日本ではバラバラにされ、政治の話などの場も少なく避けているようです。
 旅行から帰った夜、長野から友人が「学びサポート、なくそう子供の貧困」の講演を聞きに来て家に泊まりました。久しぶりの再会で、なんだか痩せたように見えました。
 母親の介護で郷里に帰り教員をしています。12人の1年生24の瞳に励まされているようです。夫婦別居をやめて夫も講師として中学に勤めているのです。長野は予算の関係で講師非正規の教員が多いそうです。夫が横浜の実家に両親と兄を見舞ったところ、異臭がして母親の尿漏れに気がついたそうです。父親が世話をしているのですが、軽い認知症、独身の兄、家は崩壊寸前のようでした。帰ってきた夫の話しを聞き、友人はすぐ引き取ることにしたのです。長野の病院で、子宮が下がっていること、治療を受けて在宅で介護をし、デイサービスに来週からいけそうだと語ってくれました。
 姑は 家の破産などで女学校を中途退学、苦労をしてニシンの魚場で重いものを持ったせいか腰が曲がっているそうです。まだらボケのせいか嫁に申し訳ないと言うそうです。
 よく姑の手編みのセーターを着ていたのに、

 ボケと病気は誰にも訪れるものです。小言から、友人の「あるがままを受け入れる」介護、地域の人たちに支えられての生活を語たり「教育実践も変わったでしょう。」と、自分の成長を知らせてくれました。以前はテスト問題の回答欄も選択性にしていたけれど、子ども達の記述を大切にしているのでしょう。

 見過ごすこともできるのに二人の老婦を抱えて、教師、そして退職教員の「なくそう子どもの貧困」の講座に参加する姿勢に打たれました。一晩とまり、家から離れた開放感を喜んでくれ翌日紀伊国屋によって帰りました。


 私は友を送り地域の45の「ひだまり交流会」に参加しました。地域でも絆を強くし、認知症予防も兼ねた市の福祉事業の一つです。
 でも毎回感じることは、高齢者の視野が狭くされていることです。過去の生きた歴史とこれから生きる子ども達へのまなざしをもち社会参加の自由な学びが大切なのに、何かをさけて本音が出にくいと感じました。
 依然あった学校プールを使っての「障害者と市民との交流水遊び」で、障害者の素晴らしい泳ぎを見て感動する子供がいました。もっと校庭 土曜日の空き教室 が開放され市民の集いの場 退職者による寺小屋のような補習塾の場になるといいですね。


「終らざる夏」浅田次郎 が問いかけてるのは?

2012-02-14 18:01:48 | 日記
今年の冬は寒い、今日は雨が降り寒さが身に沁みます。「古いアルバムめくり¨」と夫の口ずさむ声が聞こえてきます。
涙そうそうの歌です。ああ 最愛の初孫を偲ぶ悲しみの歌だと私も共感しました。「命」の尊さ儚さを強く感じるのです。
今 「終わらざる夏」を読み「何が終わらざる」なのかと考えました。

 2月11日NHKテレビ「原爆投下極秘情報生かされず」芸術祭優勝賞受賞をみました。原爆投下の情報を知りながら庶民に流さず、知らされていた動員の女学生は地下壕にいて無傷のまま生き残ることができ、沢山の地上にいた同級生の無惨な死を悲しんでいました。敗戦で秘密書類を燃やし証拠がなくなりましたが、生存している情報員の証言で66年ぶりに明らかにされたのです。長崎でも原爆搭載の機が来たこ情報ををしり報告したのに政治会談をしていて、原爆機攻撃の指令さえも出さず、庶民に知らせず多大な死20万の死傷者をだしたのです。特攻隊生存者が待機していたのにと悔しさを述べていました。
「命」の尊さを政治家は考えているのでしょうか?3月11日の原発事故しかりです。知らされず被爆した住民の命をどう考えていたのでしょうか?
 マスコミは、原発の広告を載せて、事故後も謝罪しません。原爆投下極秘情報を生かさなかった責任者にも何の処罰もされていません。

 敗戦時中1の私は天皇の終戦の証書の書き取りを授業の中でさせられました。赤紙1枚で戦場に消えた兵士の悲しみを、今だ帰らない息子を待つ母親の苦悩を教育の場では語られませんでした。
 当時山梨県に疎開中の小学3年生は、敗戦の報をきいた時担任から「戦争に負けたのはお前たち少国民の努力が足りなかったからだ。前にいる者どうしホッペタをなぐり合え、こら 力を入れろ」と玉音放送と聞くと自分の頬の痛みより友達を殴った手の感触が思い出される。と述べ、教師は子らが育てたトウモロコシをスッパスッパと切り倒し泣いていたとも書き記している。
 「戦争責任が3年生の子らにあったのでしょうか!」少国民教育の恐ろしさを!
 本当の責任者は、証拠を隠し、責任を取らず今日まで来たのです。「原発被害の子供たち」の責任も!

「終わらざる夏」は、国の施政者たちが責任を取らず、真実を隠し、市民を政治文盲にし マスコミと教育が政治の流れに流されていくことを私たちに知らせているのではないでしょうか!