限りある日々の記録

70代の生を前向きに生きて

水泳教室に参加して

2013-09-27 16:32:35 | 日記

 今日は、市主催の水泳教室中級に参加しました。10時に始まるのに参加者は待合室に待っていました。20名の定員です。常連の人がほとんどでした。初めては私一人のようです。昭和12年生まれの方がこの講習で泳げるようになったと話しかけてきました。80代の私はひざを痛めての参加です。バタ足の練習の時、遅れがちの私を見て、「初めての人は1番後ろにつくんですよ。」と声をかけてきた人がいました。若いと思っていても争えないのは年です。それに月に1回ぐらいしか来ない私と継続的に来ている方とは違いますね。「気にしない。気にしない。」とそばの方が言ってくれました。登山の時は、1番弱い人が先頭で,スキ-の時は、順番が変わるのです。耳の悪い人もいます。前だとよく指導者の声が聞こえるのです。初級に戻るか考え中です。

 でも挑戦してみて、体力の衰えを知りました。また支えあうことの大切さも 

 近くの喜多見公園で毎朝太極拳をしています。私は4年目、古い人は10年目とか、92歳の見付道さんが毎朝参加しています。準備体操の時も自分なりに手の上下をしています。指導者は、「自分のぺ-スで、無理なく」と言って下されて、仲間たちのいたわりで4年目になったのです。庭のみょうがを洗って袋に入れて配ってくださる人、私も「ルッコラ-」をもって行って喜ばれたことがあります。1年前に太極拳の仲間から頂いたおかめ栗は、イガが優しく味もいいので庭に植えました。「おかめ栗 味はふくよか とげやさし 魅せられ植て 1年二尺」 三年後に生きていたら、栗の実がなっていたら、栗ご飯をご馳走したいと言ったのです。常連の人も病で一人かけと≪命のはかなさ」を感じます。限りある日々のいたわりと挑戦が大切なのかとも!

 雲一つない秋の空、、見上げれば頭上に、半月が優しく見つめているようでした。風も涼しく上着を着てくる人も多くなりました。今年は天候不順で暑かったりで、夫の体調もいまいちです。でもこんな時だからこそ野外に出ることが必要なのですね。


ドラマ はじまりの歌-違った視点

2013-09-25 13:52:40 | 日記

  NHK全国学校音楽コンクール記念作品を見て感動したのは、子供たちの叫びでした。「歌は情景を思い浮かべて歌うべきだ」と教師の意見に子等が、「先ず 出かけて情景を見よう。」と教師たちと出かけて海に戯れ、山にのぼり夕陽を見てと感動を重ねていくのです。体験がその後の歌声に表現されていて私も涙ぐんでしまいました。

 今 こんな子らの声をすぐ聴ける体制でしょうか?「もみじ」の歌を教えた時、「織る錦」がわかるためにも高尾山の遠足を企画しました。でも「川と石」の学習で多摩川への見学を企画した時、校長から再度下調べをしなければ見学は禁止と言われたのです。川の石は流れの中で形と向きを変えていく様を子等は実感したのです。「先生 僕が歩かないのに水が僕のところに来たの」と校長の目を意識した子らが、足を水につけるにも気兼ねをしていたのです。                

 多摩の牧場に見学に2年生を連れて行った時の子らの感動 お乳が4つ 背骨の稜線 うんこの量 それぞれの牛の顔 12月8日の朝は、出産したばかりの牛が見られたことです。こんな見学もいちいち計画書を出して校長の許可を得ての野外学習です。                                            「雨が降ってきた 白いビ-ズの〃  」の歌の学習の時、傘をさして散歩をしました。静かな雨が木々や草花を生き生きとさせている様子に驚き長靴で雨水を楽しんだのです。                               雪が降れば校庭に出られません。でも多摩川の河原に散歩、鳥の足跡や、寝転べば体型がくっきりと刻まれて、素晴らしい詩が生まれます。子等の声に耳を傾けて、生活体験と重ねる学習が大切なのに効率と学力向上の名のもとに知識偏重の学習が子等の意欲を奪っているのではないでしょうか?「近く」の漢字を学習した時も短文つくりをしました。家の近くに田んぼがあり野良猫がいます。等体験の文は家庭訪問の時助かりました。地図の学習もプリント問題学習よりも、学校の周りの散歩 保育園 学童保育 友達の家とみてきたこと共通体験を地図に書いていくとどの子もよくわかるのです。体験を飛ばしての学習は、学力差を生むのです。

 今教師は自由権を奪われているようです。教科書採択権もなく自己申告書の書類を書かされ、学級目標も自分の意見よりも学校目標に規制されて孫の≪道徳≫の授業参観もどの組も同じ指導案でした。子らが違えば学級の雰囲気も違うのに教師の裁量権の自由をと叫ばずにはいられません。子等の声が自由に発言でき教師が子等に寄り添い実践できる自由を!、


時の流れ-便利さの功罪

2013-09-18 20:44:50 | 日記

 60年前 謄写版印刷 25年前ワ-プロ 20年前パソコン そして今3台目になり、時代と共にパソコンも変化 手を真っ黒にして刷ったプリントが懐かしく思い出されます。鉄筆を握り考えながら力を込めて書いた日々が、ワ-プロも修理より買換えと言われて廃棄したことも。

 33年結婚当初 4畳半のアパ-ト 池袋駅5分 家賃は月給の約半分4500えん 狭くて何でも手が届き、洗濯機 電気釜だけでした。お風呂は銭湯で、風呂帰りにスイカが食べたいと思っても当時は1っこ売りでした。義弟に話すと「馬鹿だなあ 隣にあげればいいのに」と言われ半分隣りの部屋に持っていきました。隣人は産後で子持ちは転居しなければならず1週間後に引っ越しました。庶民の家では冷蔵庫のない時代でしたので、秋になればどこの家でも秋刀魚の焼く匂いがしたものでした。 銭湯では子供の発育について交流したり、着替えのおばさんもいて赤んぼも気軽に入浴できました。

 どこの家にも縁側があって、井戸端会議に花が咲いたものです。足りない野菜は近所に借りに行ったり、子育ても「機械じゃないのだから、天気の良い日には大目にミルクをあげたりしたら」と元保母さんの教科書通りの食育に違った面で指摘しあいました。狭い家に万国旗のようにおしめが干され 大体1歳前後でオシメが取れた時代でした。隙間風があり風通しもよく子供は元気に育ったようです。

 燃料も炭や練炭の時は、じっくりと料理をしました。ラ-メンの時等 鶏ガラをだしにつかい明日はラ-メンと楽しみに待っていたものです。今はインスタント即席の味です。効率よく安さで安全性は2の次です。

 トイレも水洗になり大便の時も洗浄してくれます。60年前に過保護の親が1年生の子の大便の後お尻を拭いてあげる親がいました。ドアも自動で、よく障子の開け閉めで指をはさんだこともありましたが、なんでも自動のせいか給食でこぼしたス-プを拭かず眺めている子がいました。バナナの皮がむけない子、セロハンテ-プの普及でのりを使う経験がなく手が不器用になっているのではないでしょうか?、

 布団も打ち直してふっくらとした温かい快感が思い出されます。洋服も手作り、セタ-等は1年がかりで編んでくれたので大事に着 お下がりしたものです。初めてチャックを使った上着を着た思い出があり使い捨てはありませんでした。

 郵便局の集金も毎月郵便屋さんが訪れて、一人暮らしの年寄りの話し相手になったりしましたが、今は振込みで触れ合うこともありません。人間関係の希薄さが振込み詐欺の増大につながっています。

 駄菓子屋があり、1年生の子を叱ったら、「明日指輪をあげる」なんて言われたり10円の指輪が売られていた時代でした。少子化傾向でも塾に行く子は少なく路地で群れてメンコ コマ等で遊び 今のように部屋の4スミで思い思いのゲ-ム遊びでなはありません。

 今はどうでしょう。冷暖房もあり家の窓は閉じられ井戸端会議もなく人との関係も希薄になっています。昔に返すことはできませんが便利さの功罪について考えてみました。


人を見捨てない国、スウエ-デン

2013-09-17 20:06:32 | 日記

ブラック企業が問題になっている日本,「人を見捨てない国」とはどんなことか]興味をそそられたのです。

 著者三瓶恵子氏は、「大学入試のない国」の研究のためにスウエデンに行き、日本の受験地獄 恐ろしいほどの時間と金と体力を使い幼稚園から大学入試まで拡大されている現状と「一発勝負の受験」でないスウエ-デン 日々の試験やレポ-トで入学判定が行われ、大学へは何度も挑戦でき、労働経験後や会社に掛け合って「教育休暇」を利用したり人生のどの段階でも学校に戻れる生涯教育の国だと紹介しています。

 学校にいつでも行ける、「就職活動」で騒がれる事もなく1年中人を求めているし実力不足と判断されれば別の職に応募したり実力を蓄える「一発勝負でない]自分でよく考えて自立的に生きる経済的精神的な自立が大切、日常生活低下の人たちのセフテイネットはあるけれどヘルプを受けつつも自立的に生きること、自分から働きかけていくこと「自立」が重要です。教育の無償 時間割が一人ひとり違う学校 自分でしっかり自分を管理し、消費者教育は、家庭科の中で行われます。この国では男女平等 育児休暇現在480日 390日は、収入の80%の手当てがでます。子育て中の労働時間の短縮もあり 子どもの看病休暇も年間120日まで認められています。専業主婦は原則としていません。女性議員の比率は45% 児童手当は親の収入に関係なく12600円子どもの数によって加算され出生率も1,90で日本1,39に較べて高いです。

 スエ-デンの高齢者は子どもと一緒に住むことがなく経済的にも自分の年金で生活し自宅でできるだけ暮し きつくなったらサ-ビスハウスに入り社会の専門化に託すべきだと税金を払っているのだそうです。ます。

 選挙が大事 18歳で選挙権 比例代表制で投票率83%です。ぜひ読んでみて参考にしてください。

 

 


航空自衛隊中央音楽隊フアミリ-コンサ-ト

2013-09-14 10:53:36 | 日記

 友人に誘われて八王子のコンサ-トに行きました。50年余の伝統を持つだけあって吹奏楽の音は素晴らしかったです。鉛の兵隊 交響的序曲 虹の彼方に「オズの魔法使い」より等でした。  でも何となく物足りなさを感じました。アンコ-ルに答えて過去のオリンピックの歌を演奏し会場の多くの手拍子が起こりました。急に戦争中に送り出された学徒兵達の姿が浮かんできました。

 音楽は、強い作用があります。「7つボタンに桜にいかり」若い少年達が国のためと志願させられていく作用があったのです。

 終戦記念日の8月15日の慰霊祭にも演奏されるのは故郷等です。2人の兄を戦争で失った妹の私は「サトウキビの歌]の演奏を楽団の人にメモで希望したことがあります。音楽が生活から離れた演奏ばかりだと寂しいものです。3,11後の演奏会が近くの公民館でありましたが、デズニ-ランドの曲ばかりで,故郷を失い放射能におびえて家族がばらばらになっている惨状ととは無関係な曲ばかりでした。

 音楽は人々の生活に関心を持ち、共に共感できる曲も欲しいものです。航空自衛隊の音楽隊ゆえ拘束される面があるのでしょうか?

 次兄が出征後招待された音楽会は、戦争謳歌のものばかりでした。民謡とか童謡 菩提樹等の名曲も、参加者の希望が一つぐらい生かされたらと思います。

 音楽家の生活は苦しく、大卒後8年やっとドイツの楽団に1年契約で雇われた青年がいました。8月9日夜1時帰国 入場料3千円の音楽会があり、優しい繊細なバヨリン演奏を聞くことガできました。ドイツ留学やっと30歳でつかんだ就職 支えてくれた人への感謝の気持ちを終演時に語ってくれました。でも8月9日の夕べですから「長崎」の死者への思いを一言語ってほしかったです。音楽は平和な時代を創り人々を豊かにするものだと思います。豊かな平和な時代の為にも市民音楽家への支援が欲しいですね。音楽家も市民とともに歩んで欲しいものです。戦争中の軍歌 ドレミを「ハニホヘト」にかえ国家権力に流されて戦意を高揚し考える力を奪わないでと願ったひとときでした。