限りある日々の記録

70代の生を前向きに生きて

兄を偲んで シンガポ-ルへの旅 1

2015-01-19 10:42:41 | 日記

フランスの娘から「表現の自由」を守るデモに参加したとメ-ルが来ました。「表現の自由」を守ることは大切なことです。日本でも慰安婦の記事で元新聞記者が攻撃されていますが、負けるなとに支援の輪が広がっています。


 20日より29日まで私学事業団主催のシンガポ-ルの旅行に参加します。終戦70周年を迎えて長兄と次兄がシンガポ-ルで再会した地に行きたいと思ったのです。出会った時 次兄の方が位が高く でも 長兄は万年1等兵食事係りで食糧を次兄にそっと手渡したそうです。教育召集の次兄は「朝に紅顔 夕べに白骨」「高き理想と 絶えざる努力」といつも努力 警視庁の通信技師をしながら徹夜で勉強 兄の机の周りには手で殺した蚊が一面散らかっていました。真面目な兄は、父の天皇制批判を怒り「八紘一宇」を信じていたのでしょうか❓東洋平和を信じ現地のの辞書を送れと言ってきた優しい兄でした。栄養失調で帰国後 精神を病み自ら命を絶ちました。4兄だけが相模原の病院に見舞いに行き私たちは会えず荼毘に付されたのです。8人兄弟の末っ子として行ってみたいと思ったのです。
 次兄の死を語れなかった私が1986年日中友好の旅で平頂山記念館(昭和7年日本軍が満鉄経営の撫順炭鉱を抗日ゲリラが襲撃した報復を口実に関係のない全村民老若男女3千人を虐殺したところで遺骨がそのまま保存されているのです。)幼児をかばいながら虐殺された母親の骸は比島で行方不明で餓死セル兄の骸と重なり合い悲しみで胸が痛くなりました。同行した友人も3月10日の大空襲と重なり初めて体験を語り始めました。



 アジア太平洋戦争の実態を学ばず「冒険ダン吉」の漫画で知らされ、1941年12月8日 日本軍がマレ-半島に上陸シンガポ-ル目指して南下その65分後にハワイ真珠湾奇襲 資源獲得で南進したが、米軍の物量や情報力や戦意に負けただけでなく東南アジやや中国の人々の祖国愛と日本軍への反感と抵抗にも負けた史実を知る必要があります。



 シンガポ-ルは開発主義から卒業できない。人口517万人華人75% マレ-系14% インド系9%その他外国人139万 一人当たりの所得世界15位43,117ドル 官僚の腐敗がない、清潔 1965年独立「我々は何が正しいかを決める。国民がどう思うかは気にする必要はない、」リ-クアンユ-元首相の独立時の発言 公共目的の土地取得可能78%国有地 英語重視政策


 そんな思いで訪れたシンガポ-ルは、70年の時を経て高層ビルの林立する都市国家でした。多民族国家で,英語 マレ-語 中国語 タミル語等が使われています。


 化学 教育 文化 レジャ-産業 世界中の富豪の別荘 カジノの設置 世界のグロ-バル化の中での生き残り経済成長を模索 国民を徹底的に管理する国家 政府批判はタブ- 開発主義 国際観光都市でした。



 戦没者慰霊碑(第2次大戦時5万人以上の市民が虐殺された悲しい歴史 日本軍に命を奪われた市民を追悼して日本の協力で1967年たてられた塔 犠牲になった中国人 インド人 マレ-人ヨ-ロッパ人を表す4本の柱が寄り添うように空に向かって立っている)のガイドの説明もなく通り過ぎていきました。 


子らに伝えたい!   ハラコ爆弾?終戦70周年を迎えて

2015-01-05 10:51:41 | 日記

 元旦の朝、太極拳に祖師谷公園に出かけ 我が体に問いかけつつ太極拳をした。あいにく初日の出は雲に隠れて見られなかったが、参加者との交流の会話とご馳走で暖かな年の初めを感じさせてくれた。孫達が高校受験のためかお年玉も取りに来ないと、家の孫も正月も塾です。なんだか時代の変化を感じます。よい本を薦めたけど「今は読む時間がない。」と、高校間の格差もあり受験戦争に追われ正月もないのですね。                      

 20年前 頼まれて小学生に勉強を教えました。国語の教科書「おこり地蔵」を読んでもらいました。「むかし、はらこばくだんがおちました。」と読むのです。ハラコでなくて原子爆弾と教えましたが、学習したことが身についていないのですね。飲食業で両親は忙しく会話も少ない家庭で、頼みの学校も子供の心に沁みこんでいないのですね。学童保育に「はだしのげん」のビデオを使ってもらおうと行ったのですが指導員自身が8月6日がどんな日か捉えていないのです。少子化 核家族と家での会話も少なく、祖父母からの体験も聞くことが少ないのですね。

 祝祭日も天皇制と関係したものが多く、7月7日の盧溝橋事件 8月6日原爆が落とされた日 9月1日の関東大震災で朝鮮の人を「アイウエオ」など言わせて朝鮮人とわかればデマに流され民衆が虐殺に手を貸した事件も父から聞きました。政治講演会も時の政府を批判すると「ストップ」警察官か停止させた。表現の自由が奪われることが戦争への道に進むことをアジア太平洋戦争体験者として体験しているのです。

「11日パリで新聞社襲撃事件断じて許せないと行われたデモは広場を埋め尽くし、一般市民が表現の自由、民主主義を切実に大切なことと捉え、危機感を表明しているのです。涙が出る、感動的な一日でした。」とフランスにいる娘からメ-ルが入りました。今 日本でも秘密保護法 新聞社襲撃事件 長崎市長襲撃事件もありましたが、危機感や連帯の運動が弱いのは「過去の歴史から学び未来に生かす」教育や報道が欠けているのではないでしょうか?

 受験戦争に追い立てられる生徒、受験戦争から離脱し不登校 学びに疑問を持ち批判の眼も内申書を気にして流されていく生徒たち 「学ぶことが競争に勝つことだけでなく、共に豊かになる社会 地球規模で視野を広げての学び 共通の認識が大切ではないでしょうか?」教科書改悪 集団自決 慰安婦 満蒙開拓団等の事実も学ぶことが大切だと思います。宮尾登美子さんの「朱夏」の小説は貧しい農民が甘い言葉に騙されて外地へ追いやられ 敗戦情報をいち早く知った軍部たちは逃げ 残留生活の苦しみ、政府による棄民での体験談で私は感動して読みました。山崎豊子さんの「大地の子」等の印税を戦争孤児の育英資金にしていること等、終戦70周年は、加害 被害を相手の立場にも立って共通認識していくことが、和解し平和への一歩だと思うのです。