フランスの娘から「表現の自由」を守るデモに参加したとメ-ルが来ました。「表現の自由」を守ることは大切なことです。日本でも慰安婦の記事で元新聞記者が攻撃されていますが、負けるなとに支援の輪が広がっています。
20日より29日まで私学事業団主催のシンガポ-ルの旅行に参加します。終戦70周年を迎えて長兄と次兄がシンガポ-ルで再会した地に行きたいと思ったのです。出会った時 次兄の方が位が高く でも 長兄は万年1等兵食事係りで食糧を次兄にそっと手渡したそうです。教育召集の次兄は「朝に紅顔 夕べに白骨」「高き理想と 絶えざる努力」といつも努力 警視庁の通信技師をしながら徹夜で勉強 兄の机の周りには手で殺した蚊が一面散らかっていました。真面目な兄は、父の天皇制批判を怒り「八紘一宇」を信じていたのでしょうか❓東洋平和を信じ現地のの辞書を送れと言ってきた優しい兄でした。栄養失調で帰国後 精神を病み自ら命を絶ちました。4兄だけが相模原の病院に見舞いに行き私たちは会えず荼毘に付されたのです。8人兄弟の末っ子として行ってみたいと思ったのです。
次兄の死を語れなかった私が1986年日中友好の旅で平頂山記念館(昭和7年日本軍が満鉄経営の撫順炭鉱を抗日ゲリラが襲撃した報復を口実に関係のない全村民老若男女3千人を虐殺したところで遺骨がそのまま保存されているのです。)幼児をかばいながら虐殺された母親の骸は比島で行方不明で餓死セル兄の骸と重なり合い悲しみで胸が痛くなりました。同行した友人も3月10日の大空襲と重なり初めて体験を語り始めました。
アジア太平洋戦争の実態を学ばず「冒険ダン吉」の漫画で知らされ、1941年12月8日 日本軍がマレ-半島に上陸シンガポ-ル目指して南下その65分後にハワイ真珠湾奇襲 資源獲得で南進したが、米軍の物量や情報力や戦意に負けただけでなく東南アジやや中国の人々の祖国愛と日本軍への反感と抵抗にも負けた史実を知る必要があります。
シンガポ-ルは開発主義から卒業できない。人口517万人華人75% マレ-系14% インド系9%その他外国人139万 一人当たりの所得世界15位43,117ドル 官僚の腐敗がない、清潔 1965年独立「我々は何が正しいかを決める。国民がどう思うかは気にする必要はない、」リ-クアンユ-元首相の独立時の発言 公共目的の土地取得可能78%国有地 英語重視政策
そんな思いで訪れたシンガポ-ルは、70年の時を経て高層ビルの林立する都市国家でした。多民族国家で,英語 マレ-語 中国語 タミル語等が使われています。
化学 教育 文化 レジャ-産業 世界中の富豪の別荘 カジノの設置 世界のグロ-バル化の中での生き残り経済成長を模索 国民を徹底的に管理する国家 政府批判はタブ- 開発主義 国際観光都市でした。
戦没者慰霊碑(第2次大戦時5万人以上の市民が虐殺された悲しい歴史 日本軍に命を奪われた市民を追悼して日本の協力で1967年たてられた塔 犠牲になった中国人 インド人 マレ-人ヨ-ロッパ人を表す4本の柱が寄り添うように空に向かって立っている)のガイドの説明もなく通り過ぎていきました。