限りある日々の記録

70代の生を前向きに生きて

悲しみ超えて2

2011-01-15 12:02:28 | 日記
悲しみはなかなか超えることはできません。

 老いるとは親しき人と別れあり
 輝く老いの日々を作らん

 悲哀や衰えは 老いの命
 悲哀や衰えは わびしさでなく
 人生の豊かさ (侘しさでなく優しさに変えていかなくてはと)

 見あげれば 半月我と相対す
 自然の摂理教えさとすや     (自分のやがて旅だつのだと言い聞かせても)

 逝きし孫 回復願い日々耐えし
 限り有る日の生き方偲ぶ    (最後まで、学ぶ喜び希望を持ち続け努力した孫)


    孫と共に
 不治と知り
 孫の甲なで 
 共に息
 神に祈りて
 時を刻めり

 老いもまた
 不治の病と
 孫見つめ
 共にすごせり
 安らか祈りて

 旅だちし後の
 寂しさ空なりや (難病の医療の発達を願っています。
          基礎研究者が少ない現状を憂いています。3万2千人の小児癌の          患者がいるそうです。若き命を救ってと願っています。)

哀しみを超えて、

2011-01-13 09:51:15 | 日記
昨年12月最愛の孫が永眠いたしました。
初孫誕生は、「初孫や未来をつなぐ暖かさ」私達の喜びでした。
六年生の十一月、突然訪れた難病(脳腫瘍)2年余闘病後旅立ちました。
十一月八日闘病日記より 
「だいじょうぶ」介護の祖母を気遣いし なえた体の孫の優しさ

 痛み止め飲めば手足もふらつきぬ
(ゲームより墨絵でもと用意した私の無理解、ごめんね。)

六年生の卒業文集の中から、
     私の大好きな友達         H
 私は、皆からもらった千羽鶴に、支えてもらいました。
病院に友達のいない私にとって千羽鶴はまるで皆がそばにいるようでした。
 でもそれは、私の心の中にいる皆で本当の皆ではない。
「本当にみんなと逢って話したい。」
デモ、心の中の皆は私を十分支えてくれました。だからといって皆に逢いたいと言う気持ちは変わりませんでした。
 若葉ステージまでには戻って普通の生活ができると思っていたのです。でも戻れませんでした。(ソロで歌う学習発表会で本人も小学校卒業記念と楽しみにしていたのです。)
手術後、私はさっと立てて普通に歩けると思っていました。だけど 私は立つのさえ『ふっら』とし、すぐに戻るということが実現することができませんでした。
入院生活中、治療が長引いて、辛い時やリハビリで、右手が動かない時、うまく歩けない時がありました。
でも、「皆の前ではちゃんとしたHで逢いたい。だから歩けるようになって、右手もちゃんと動かせる状態で逢おう。」と心に決めました。そして、それが、私の支えになり勇気を沢山貰いました。
皆にはすごく感謝しています。みんなは、私にとってなくてはならない存在です。と、同時に友達は、本音でぶつかり合える最高の仲間です。私はみんなで一つの何かを作りあう時間がすごく好きです。
だから、みんな これからもずうっと友達でいたいです。みんな本当に有難う。

いつも頑張りやのH、凛として制服を着替え音楽会の練習に参加し合唱祭に出演した車椅子のHの姿が浮かんできます。「1杯の水を注ごう、平和と夢を託して、1杯のみずをくみ出そう」と家で口ずさみ練習していた姿も。
精一杯生きぬいたHに、生きることを教えてもらいました。
何度もの手術、放射線治療と、自由を奪われたH、おじいちゃんと歌った、「翼を下さい」で今大空に羽ばたいているのですね。

18日、沢山の友達が来てくれました。Hの思いを汲んでくだされば幸いです。
沢山の支えの中で最後まで回復を願い前向きに生きたHを偲んで、支えてくださった方有難うございます。