限りある日々の記録

70代の生を前向きに生きて

『今の日本これでよいのか』佐高 信をきいて

2011-02-24 12:15:08 | 日記
『今の日本はこれでよいのか』佐高 信の講演を聞いて、2011.2.23日
講座に参加希望者が多く1時間前から列を作っていました。

「なぜ暫くマスコミから遠ざかっていたか それは、TBSでの懇談会での話が(日本振興銀行木村)名誉毀損で訴えられていたからでメデァのスポンサーは企業、新聞も、スポンサーにおもねて真実を語ることはない。

 竹中 小泉の改革が何をもたらしたか、簡保の宿を、オリックスに安く転売使用としたり、竹中は、利権を獲得パソナの会長(人材派遣会社)年俸1億円 マックの役職に納まり、脱税(1月1日に外国に転居したり)選挙で当選してもすぐ小泉がやめたら、辞退したり、彼等のしたことをきちんと報道しなければならないのに、視聴者は中立を求めているとの言い逃れでの報道に左右され、時の風(小泉改革)にだまされていく。中立とは幻想で事実を伝えないことです。視聴者は、主権者から、ただの観客になっている。

 民主党の管は、市川房江氏の市民運動を手伝ったと言うが、1976年市川氏が、石原カンジ(満州事変中国侵略を引き起こした軍人)に対して熱烈な推薦文を書いている。
クリーンと管は言われているが、クリーンを手段として利用し、今クリーンタカ派になっていないか、
 愛嬌のない小泉一郎となり財務官僚と結びついている。前原を外務大臣にしたこと、クリーンはナチにいくこともある。本当の悪人は善良な顔をしている。

 小泉、竹中は官僚と結びついて、国鉄、郵政と民営化(会社化)したが過疎を進め、競争を奨励して格差を広げ、政治(つまり公的な安全無視)を行っていたのではないか、住宅の審査 検査も民営化し規制緩和の名の元に安全管理でない危険なマンションが分譲され、末端は責任を問われているが、おおもとはみすごされている。

 国鉄赤字と騒がれていたが、消防署の赤字は問題になるか、公的なものを整えるのが政治ではないか、
 小泉は靖国にいき『日本の土を踏めない』といったが、『アメリカの基地に行けるのか』
クリーンタカ派でないダーデイ鳩派を!加藤コウイチロウは、自由党だけれど、イラク戦争に反対した。
 一番の問題は、小選挙区制度です。2大政党とは死票をうみ、イギリス、アメリカではイラク戦を進め、市民の意見が反映されず、2大政党が似通ってくるのです。」

 刺激的な話に聞きほれていたのですが、私達は真実を見極めて、だまされない主権者にならなければならないのです。マスコミの風にだまされないで、
 小選挙制度を変えていかなくてはならないのですね。


孫の残してくれたもの

2011-02-13 12:20:05 | 日記
 孫旅立ちて 祖母に残してくれたこと

 最愛の初孫が黄泉の国に旅立ちて2ヶ月になろうとしています。
1年半前の私の喜寿の祝いの時、孫達で、カルタ取りをした光景が浮かんできます。
座椅子を孫に合わせて中1の孫が座り、5人の孫がカルタ取りに競じていたのです。闘病中の中1の孫は、ゆっくりとカルタ取り、小5、小3,4歳5歳の子等は素早く取っていくのです。見たところなんでもないように見える中1の孫の手は遅く、子等は容赦しません。
 あの時も2回の手術に耐えた孫の病歴を私はよく理解していなかったのです。

 今朝、鶴見和子さんを看取った妹さんがNHKで介護の様子を語ってくれました。
病に倒れてから、人間としての苦しみがわかり闘病生活中に命の限り仕事に専念し、また 弱い人の立場を理解し今までと違ったものの見方で、執筆したこと、延命処置を受けず、死は限りなく生きた人に訪れる旅立ちだとの言葉を残したそうです。

 看取った妹さんに、『日々一生懸命生きること』が『安らかな死』を迎えることができることを残していってくれたと語っています。

 2年1ヶ月と7日、闘病生活をした孫も、最後まで回復を願い、中学の音楽祭に参加すべく、杖を頼りに4階の教室まで行き、その後は車椅子で練習にも参加し、音楽祭で共に合唱したのです。
 12月1日入院中に、介護の息子の呼びかけに笑顔で返し、もう1度と言えば再度笑顔を返してくれたのです。
 3日「英語のテープを聴かなくては」と病と闘かいながらも学ぶ意欲を持ち続けたのです。
 人工呼吸器をつけても、最後まで努力した孫は、私に『生きることと死について』たくさんの思いを残してくれたのです。

 孫の死は、親身に介護した両親、家族、友達、世話になった多くの人たちに送られての旅立ちなのですね。孫の意志を心に刻んで生きていくことですね。

今まで見えなかったこと、『友人が癌になった時の寂しさ』によりそい理解していなかったこと、相手の立場に立つこと、悲しみや苦しみがちょっぴり私を優しく鍛えてくれたようです。
 13日朝5時のテレビ放送は、私に安らぎをくれました。


大きくなるって

2011-02-11 12:45:20 | 日記
大きくなるってどんなこと

保育園にボランテアで誕生日会に呼ばれた時のことです。
『大きくなるってどんなこと』と私が聞いた時
『あのね、大きくなるってやさしくなること』と、5歳の保育園児の言葉です。
私はこの言葉に感銘を受けました。
大きくなることで、やさしさを失い周りの人とのつながりに無関心になっていないかと思ったのです。
『学校に行くのがいやだ』と言った2年生は、教師の友達への体罰を見て心を震わせていたのです。でも、「自分でなくて良かった」と思う子供たちも増えています。
自分とは関係がないのと、保護者も『人のことはいいの、お節介しないのと』人との関わりを禁じてることが、いじめが有っても無関心になっているのではないでしょうか?

中1の時『大男、そうみに知恵が回りかね』と教師のいう言葉に、小さい体の気転の聞く私は、優越感に浸っていたのです。少しでもでも早く答えられることに、でも何年後かの同窓会で、『あの先生がいいのはあなただけよ』と言われ先生を招待しなかったのです。

 早くから公文に通ってる1年生は、プリントをわたすとすぐ解答します。それにあわせて何枚かのプリントを用意していたところ、ゆっくり考える子が『私には終わりがない』と急き立てられて学ぶ楽しさを失っていきます。考えるゆとり、早く終わった子がお互いに教えあったり自由な時間にしたらと思うのです。
 縄跳び連続競争がクラス単位で行われた時、助け合うよりできない子の欠席を喜んだり、学力テストが公表される結果に効率を優先して、教師の連帯しての研究が失われていきます。
 勤務評価が実施されている学校では、本音を話し助け合うよりも自分のクラス本位になり共同での教育実践が失われ画一的な授業、個性ある授業もなくなっていきます。

 大きくなるにつれてやさしさが失われるのは、社会の政治や経済のあり方に関係しているのですね。でも 人は助け合いかかわりを持たねば環境維持もできず生きていけないのではないでしょうか?
 5歳の子ども達に、大きくなるって、人を喜ばせること、自分で歩ける、お手伝いができる 身近な人に挨拶ができる、たとえば5年前に保育園で私の話を聞いた子が4年生になり、図書館で出会った私に『今日は』の挨拶があり、どんな嬉しかったか!

 こんな話を終えて帰宅、帽子を忘れて保育園に再度訪れると、話を聞いた子ども達が『今日は』と笑顔で呼びかけて私のところに集まってきました。

子どもっていいなあ、と私の心は明るくなったのです。

「ヒットラーの防具』是非呼んでみてください。

2011-02-09 15:04:49 | 日記
「ヒットラーの防具』帚木蓬生著を読んで

 私は世界史を学んでいませんので、第2次世界大戦について日本からの視点でしか考えることができませんでした。

「ヒットラーの防具」を読んで目からうろこが落ちるようでした。
 ナチスについては沢山の書籍が出ていますが、この小説は国家 政治 大衆 思想 科学 差別 排除などおおくの主題が内在しています。ことに反ユダヤ政策や障害者への安楽死作戦などにも焦点をあててかかれてます。

『ドイツと日本は確かに同盟国だったのだ。ユダヤ人狩りを日本の為政者知らなかったはずがない。その情報に対して彼らはいかなる反応をしたのだろうか。
もしなんとも感じなかったのだとしたら。当時の日本の為政者に対する幻滅がさらに深まらざるをえない。
 為政者たちが犯した過ちは、少なくとも二つある。ひとつは特攻隊に象徴される徹底抗戦の思想である。無駄死を重ねることにどういう意味を軍上層部は、見出していたのか。自分が死ぬならともかく有為な若者達をむざむざ死地に赴かせる権利はなかったはずだ。

 いまひとつは<劣等民族>の抹殺と言うナチズムと手を組むことが悪魔と盟約を結ぶに等しい愚考であるのは明白ではないか。
 戦争を起こす前から人々は狂気に染まり周囲のだれもがその病に置かされ病識が生れにくい』上16ページ

『ヒットラーは<不治>の病人対する安楽死を合法とする命令を下したのだ。
彼がユダヤ人やジプシーのロマ族を国土から追放する政策を取っていたのは周知の事実だ。その三弾が不治の病人と言うわけだ。

 考えてみろ。俺達がこの病院で扱っている患者はみんな、いうなれば<不治>だ。
俺達は彼等の病気を治療させる何の道具も持っていない。
俺達がやれることは、側で話を聞き、慰め、行きやすい安らかな環境を整えてやるくらいだ。要するに一緒に生きてやることだ。
 しかしだ。<老い>も病気のなかにいれるとすれば、人間は皆<不治>なのだ。ヒットラー流に言えば、片腕がないとか耳が聞こえないと言った身体不自由者、老人は皆この安楽死の対象になる。
 どうだ、恐ろしいと思わないか。今のところ、この安楽死令は、重病の動けない患者、重症の精神病者に対象が限られているが、あっという間に拡大解釈される危険性がある。
<不治>の概念に明快な境界線がないからだ。安楽死は、<白痴>と診断された乳幼児にも適用されるようだ。』上390ページ 

 是非読んで欲しいのです。今、だれか強い指導者に任せて、自ら考え政治に関心をもち参加する人々が少なくなっています。そして排除し、他人の関心、人への絆もなくなりつつあります。それが第2のヒットラーを生み出す要因になっていませんか?
 戦争とは弱者を殺す何物でもないのです。

大きくなるってどんなこと その1

2011-02-06 05:59:21 | 日記
 大きくなる喜びを!

「子どものしあわせ」ってなんでしょう?

 少子化で子供が大切にされすぎて大きくなる喜びを奪っていませんか?
三人の子を共働きで育てた私は、誕生会は3年の子どもが自分達でのカレー作りに挑戦させたのです。
 誕生会は、親の用意されたケーキ、呼ばれた子は、プレゼントの用意と、なんだか誕生会が会食パーテイ、呼ばれない子との溝を深めたりしていませんか? 

 誕生会では、カレーの作り方、「人参」「肉300g」等本で調べて買い物からさせたのです。「人参が読めずニンサン」「300グラム」がわからず、3パック、薪は近所の森で集め、飯ごうの火のたき方がわからず、自然と「初めコトコト中パッパ」できたカレーのおいしさ、デモね、意識しての成功でないので、友人宅では、用意された割り箸薪で、ご飯がおこげとか、子ども会の行事も大人が効率よくとすべて仕切っていませんか?

 大きくなる喜び、留守番の時、家の掃除をして親を驚かせたり、洗濯物の始末、お使いと周りを喜ばせることではないでしょうか?
 共働きの教師が、慣らし保育で困っているのを聞いて、高1の長女が休みだからと引き受けてくれた時、どんなに嬉しかったか。  

  自分ではっきり言える子に
 何でもいえる子に育てるには、親自身の日々の成長が、子どもを頼り信頼する関係が大切なのでしょう。
 高い電蓄を買った時、5歳の長男には、針の扱いが難しいので禁止していたのです。病気で出席停止、1人留守番中の長男がレコードを聞こうとしたのです。そして故障、知らない親は、保障期間での修理を頼みましたが、原因が判り反省したのです。

 失敗を重ねて大人も子どもも育つのです。テレビをけして、家族の会話が大切ですね。 
 保育園での保健婦が同じ名前の漢字の子の薬を間違えて、次女に飲ませた誤りを、知らせて注意したのに、保育園での保母たちの会話を長男は聞いて、「ママはうそつきなの」と、悲しみと怒りで泣きましたが,すぐ抗議をすれば、病児保育が無くなると、話のわかる保母に実情を訴えたのです。
 いじめを見たとき、はっきりとやめてと言える子、いじめた子が、素直に過ちを言える場が、あるのでしょうか?他人への共感と共生を持ち続けて親と教師が日々学びあう関係
 他人の痛みを、自分に置き換える心の感性を取り戻してこそ子どものしわあせがあるのですね。

 こんな話を用意して保育園のボランテアに行ったのです。