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蚊焼です。日記です。
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「その他」がメインのブログ。

<かVSユ企画>ウェブ活字論

2009年11月07日 | <かVSユ企画>

 かみっきぃ~VSユースイ対談企画


 (前置きは長くなったので、別記。)


第2幕から発展して第3幕・ウェブ活字論


 岩波書店が『広辞苑』をCD-ROM化し
「刊行」(?)したのが1990年です。
 『広辞苑』は今日の電子辞書の代表的なコンテンツです。
活字から電子への情報遷移の代表ともいえます。
 しかしそれがウィンドウズ95以前の、
ネットスケープ主流の時代というのだから驚きでした。

 さてこの話は、津野海太郎さんの
『新・本とつきあう法』(中公新書,1998)を参照して
書いております。引用元の津野さんが言うには、
電子情報と活字情報は、それぞれの利点を生かして
住み分けたらよいとのことです。
 もっとも、著者の主張はこれにとどまらないのですが。

 電子情報の「検索性」の利点を活かし、
重たい分厚い高い百科事典の類は
実に手軽で即効性の有るものに、
今日では生まれ変わったわけであります。
 ただし、「物」としての形を失った百科事典などは、
国および学問の権威、もしくは市民の
叡智を得る自由の「象徴」としての機能も
失ったといえるかもしれません。



 外国の百科事典はいち早く、
有料ながらネット環境に舞台を移したわけです。
 既に抗えなくなった時代の隆盛に対応するために。

 しかしネット上には、新たな叡智の自由の
象徴(しかしそれは形の無い、或る意味「絶対無」)
である「ウィキペディア」が台頭しているわけです。
 無料で、常に情報が追加、補完、更新されるのです。

 これを「生産消費社会」の具体例とする見方もあれば、
現代の「アナーキズム原理」つまり無秩序と
「コントロール原理」つまりカネがものを言ったりする
相反する2つの世界が混沌となっていて危うい
と見る向きもあるようです。
 フランスのライターが記した『ウィキペディア革命』
(P.アスリーヌ,岩波書店,2008)という著書に
詳しく書かれていますのでご参考までに。

 日本では、百科事典のウェブ化は
CD化や電子辞書化に比べると
幾分か慎重のように見受けられます。
 国語辞典くらいのものなら、いくらかは
無料で検索して使えます。ただ、じわじわと、
「コトバンク」(朝日、講談社、小学館他)のように
多種の辞典・事典のウェブ化は進んでいるように
見受けられます。これは実に期待が持てます。



 前回の対談後、色々とネットや本をあさっていくうちに、
世の中は相当活字情報が電子情報、特にネット環境へ
移行していることに驚きました。
 いや、海外の動きについてはいくらか知ってはいたのですが。
 日本でもいよいよ、整備されてきだしたなぁと
感慨一塩なのであります。同時に無知だったことを恥じ入りつつ。

 しかしこれは、あくまで重たい分厚い高い百科事典、
追加すれば全集だとか作品集だとかに関する話です。
 では、軽くて薄くて安い、文庫本や新書に関して言えば
どうなんだ、という疑問も出てくるわけです。

 先にも挙げた津野さんは、文庫サイズ並みの
読む機械が登場すればよいが、おそらく20年先と
先述の10年前の著書で書いておられました。
 ところが今や、は皆様ご存知の通り。
 アマゾンに続いてアップルやソニーが続々と
新商品を繰り出しております。
 もしくは、任天堂のようにゲームから入って
読書も出来る機能をつけたものさえあります。
 10年待たずして、電子環境はこんなにも
めまぐるしく変わったのかと只管(ひたすら)感嘆するのみです。



 さぁ、電子読書の環境は整いました。
 それでもネット環境に不信感を抱く意見を聞きます。

 しかしながらそれは本に対しても言えるわけです。
 1日200冊も新刊を出す粗製乱造の出版業界。
 もちろん老舗の出版社は好い本を出しますが、
そうではない本が多いから、「玉石混交」は
ネットも本も同じといえます。
 ネットは青少年に悪影響を及ぼすといいますが、
これは言わずもがなですかね。

 経済アナリストの勝間和代さんは『読書進化論』
(小学館101新書,2008)の中で、
本の価値は「編集力」、つまり書き手以外の
編集者や検閲者、装丁や本文のデザイナーなどが
関わっている価値が付加しているといいます。
 本は活字でも電子でも特にこだわらないと
ありますから、編集力が備わった電子本なら
依存は無い所かと思うのです。
 しかしマーケティングや費用対効果の観点では、
ネットよりも従来の活字に重きを置いているような
気が致します。そして活字活性のためには
プロモーションを、つまり宣伝を積極的にすべしと
いう意見には賛同しかねます。

 それはちょっと、古き良き本屋の環境を
守りたいと願う活字保護主義者にとっても、
そうではなくとも単純に本屋が好きな人間にとっても、
本屋がガヤガヤ広告で煩くなるのは本願でないでしょう。
 一応捕捉しておきますが、私は勝間さんの本を
読んではいつも感心させられていますので、
決して勝間さんへ直接の反感は持っておりません。
 この点、カツマーファンは重々お含みくださいませ。



 つまり言いたいことは、本が売れないのは
本に対する不信感、価値の低下という
ネットへの批判をそっくりそのまま本に
ぶつけたいのであります。

 そしてもうひとつ。ネットは横書きが駄目だとか
スクロールが見づらいとか、オリジナルが残らない
(つまりコピーと差異がない、下手すれば
コピーもオリジナルも同じ)とか
色々な懸念も聞きます。
 横書きへの文句は言い掛かりだとしても、
スクロールに関してはまさに巻物、
オリジナルが残らないというのは
現存しない『源氏物語』の原本に通じるような
気がするのは邪推でしょうか。

 グーテンベルクの活版印刷革命と同じ
波が今現在にも起きている。
 けれども今回の波はどうも、
写本と巻物の時代を髣髴させるかのよう。
 革命の革命は、また元通りの王制という
イギリスの革命の顛末を見ているかのようです。

 確かにコピーなどの著作権の問題は
いくらかありましょうが、とかく私は、
活字情報はこのまま順調にネット環境へ
遷移して欲しいものだと願うところであります。



 と、私の意見を述べた中には、
今日読んだばかりの季刊誌「考える人」
(新潮社,2009年秋号)の影響も含まれています。

 「活字から、ウェブへの・・・」という
実に意味深な言葉が刻まれた表紙とは裏腹に、
識者の多くは今の出版業界への批判を展開、
ネット環境への活字情報の遷移を期待していたことに
ホッとさせられました。
 それと同時に、自分が言わんとすることが、
より詳しくより読みやすく書かれているな…と
少し複雑な気持ちにもなりました。

 正直、この文章を読むよりも、この雑誌を
お読みになすってくださいと言った方が
親切だったかもしれませんがね。
 でもせっかく色々調べておいて悔しかったから、
参考にしつつダラダラと書いてやりました。


 * * *


 実はまだまだ話したいことは
沢山あるのでございます。
 第一、「ウェブ雑誌」について
今回話そうと思ったのに、全然話すことが
出来ませんでした。まぁまた次回にでも。

 そして、地域文化活性のためにも
地元の本屋を守らなくてはいけないという
話もあろうかと思います。それもありますが、
デジタルアーカイブスというもので新たな
地域文化活性という形もあります。
それもまた次回で。

 更に言いたいことは、今回色々と
活字とネットについてを調べていたら、
どうしても避けることが出来ない哲学者の名前に
遭遇することと相成ったことです。
 ドイツの、ベンヤミンという20世紀前半の
大哲学者です。この人の名前を初めて知ったのは
今年の7月で、それは衝撃的でした。
 この話もまた次回で。

 …むむ、次回もまた長くなりそうですよ。


 えぇと、かみき先生、何とかお付き合いを。
 読書好きのかみき先生に、どうかご批評を
戴きたく思う所存なのです。



●かみっきぃ~氏のブログはこちら。

 「かみっきぃ~,」ブログ論争 読書のきっかけその2
 http://blog.goo.ne.jp/43-god-village/e/67f0f1ae4da4abde208d2ea7bd0d4c43


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