生涯を完結させるまでに歌いたい歌、最近始めたヴァイオリンとフルートはどこまで演奏できるようになるか、と時々ワンコ

死は人生の終末ではない。 生涯の完成である。(ルターの言葉)
声楽とヴァイオリン、クラシック音楽、時々ワンコの話。

Claude François Comme d'Habitude

2016-03-30 23:31:37 | 
 例によって通勤電車の中でNHKラジオ語学講座を聞いています。今朝聞いた3月22日放送分のフランス語講座の教材の中で、フランク・シナトラが歌って大ヒットした「マイ・ウェイ」ですが、実はオリジナルはフランスの歌だったとのことです。案外知られていることの様で、Wikipediaで「マイ・ウェイ」を検索しても記載されています。

 オリジナルは若くして事故で亡くなったクロード・フランソワの作詞・作曲で、自らも歌っていたそうです。それを聞いたポール・アンカが英語版の作詞と僅かにメロディーラインをいじって、オリジナルのクロード・フランソワの歌詞は若者の失われた愛の歌だったそうですが、人生の終盤に掛かった男が人生を振り返る歌詞をフランク・シナトラに歌わせてヒットしたということの様ですね。

 オリジナルの「Comme d'Habitude(いつものように)」も動画サイトで検索するとクロード・フランソワが歌っている動画が複数アップされています。聞けば直ぐに「マイ・ウェイ」であることが判ります。最近の若い方がどうかは判りませんが、私の世代であれば「マイ・ウェイ」を知らない人はほどんどいないと思います。カラオケでも非常に良く歌われるようですね。それだけ手垢にまみれた歌だとも思います。私自身はカラオケで歌おうとは殆ど思いません。「マイ・ウェイ」を歌うにはそれなりの人生経験が必要という意味で、曲が歌い手を選ぶ作品であるとも思います。もう一つ、「マイ・ウェイ」に限るものではありませんが、マイクを使って歌うことが前提になっている歌であるとも感じます。

 マイクを使って歌うことを前提に作られた歌は、マイクを使って歌えば良い、と割りきって良いのでしょうか。割り切れる人は割りきって歌えば良いと思います。合唱している人でもカラオケに行けばマイクで歌うという人が殆どですよね、合唱仲間とカラオケに行ってマイク無しで歌ったら変だと言われましたから。マイクを使わずに歌うことが高級でマイクを使って歌うことは低級であると思っている訳でもありません。オペラや声楽、合唱もマイク無しで歌うのが基本ですし、オペラや声楽作品を歌うことを前提に自らの歌唱技術の向上を目指しているので、どんな歌を歌うにしてもマイク無しで歌う自分の歌唱技術の守備範囲の中で歌いたい、ということだと思います。先に紹介したシュトックハウゼンの「ヘリコプター弦楽四重奏曲」の様にPAで再生することを前提としているクラシックの作品も特別に珍しいということではありませんものね。

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