生涯を完結させるまでに歌いたい歌、最近始めたヴァイオリンとフルートはどこまで演奏できるようになるか、と時々ワンコ

死は人生の終末ではない。 生涯の完成である。(ルターの言葉)
声楽とヴァイオリン、クラシック音楽、時々ワンコの話。

声楽とフルートの息使いの類似点と相違点

2017-05-04 22:47:36 | 器楽・楽器

 これまで声楽で息の支え方を習得しているのでフルートの吹奏は(比較的)簡単だという主旨のことを、何度も記して来たかと思います。といっても100%同じではなく感覚的にはかなり違うことがあるのも事実なので、今日は相違点についてまとめておこうかと思います。

 声楽では上手く息が吐けている時は、主観的にはまるで息を吸いながら歌っているかのような感覚になることがあります。あたかも息を吸いながら声を出しているかの様な感覚の時は、かなり良く息が吐けている証拠です。この感覚を実感する手前までの歌唱技術しか身につけていない人も多いかも知れません。少なくとも優れた指導者のレッスンを一定期間受けていない歌い手であれば、この感覚を一度も感じたことが無くても不思議ではないと思います。

 さて、歌ではあたかも息を吸いながら歌っているかの様な感覚を身につけている私ではありますが、フルートを吹く限りではこの”あたかも息を吸いながら吹奏している様な感じ”は一度も、一瞬たりとも感じたことはありません。もう一つの違いとしては、声楽の場合息を吸うという感覚は殆どありません。息を吐いたら息の支えを緩めるだけで必要な量の息が勝手に入ってくる、という感じです。しかしフルートを吹奏している時は、息の支えを緩めたら必要な量の息が勝手に入ってくる、という感覚も一度も、一瞬たりとも感じたことがありません。フルートを吹奏する際には、息を吐いたらその分かあるいはそれ以上の息を意識して吸わなければなりません。名フルーティストのCD等の音源を聞いても、結構大きいブレスの音が聞こえることがありますが、成程と思い当たるふしがあります。

 それから声楽では中音域などの息の支えをしっかり使わなくても歌えてしまう時は、息の支えを適当にサボっています。逆の言い方をすればここ一番で頑張らなければならない時に息を思いっきり支えるために、手を抜ける時は適当に手を抜きます。といっても正に”適当”に手を抜くのであって、完全に手を抜いているわけでもありません。歌う際は常に息の支えをしっかり行ってはいるものの必要十分なだけとなるようにメリハリをつけているといっても良いと思います。

 それに比べると、フルートの場合は全ての音域で常に最大限息の支えを維持していなければならないような感覚があります。この意味では声楽よりもフルートの方がはるかに息の支えが重用だとも言えます。フルートの音域は3オクターブと割れていますが、中音域の第二オクターブが比較的音を出しやすく、それよりも低くても高くても初心者にとっては音を出しにくいと言われていますし、実際にその通りだと思います。特に最低音域は太くてゆっくりとした息、しかし密度の高い息を優しく送らないと鳴ってくれません。特に音量を大きく吹くことが難しいです。

 最高音域側はいくつかの高次倍音を吹き分けていますが、私にとっては最低音域よりは最高音域の方が息のスピードと圧力さえ必要量以上に息を送れば、ある意味力ずくで楽器を鳴らすことが出来ます。ということで高音域の第三オクターブはピッコロの様な鋭い音色で、低音域の第一オクターブは深く柔らかい音色です。そして全ての音域に渡って音色を統一しようとして楽器を改良したのがベーム氏であり、また演奏家・教育者として他の楽器では見られない、フルートの教程に特有の全音域で音色の統一性を高めるための”ソノリテ”という、半音づつ音色を確認して下降と上昇を全音域で行う練習方法を提唱したのがモイーズ氏ですね。

 現在フルートを吹いていて最も欲求不満に感じるのは、音量の調整幅、デュナーミク、ダイナミックレンジが狭いことですね。特に最低音域は音は出せるものの強く吹こうと思っても弱く吹こうと思っても、殆ど音量が変化しません。最近のフルートは昔のフルートに比較して、初心者でも最低音域から十分に鳴らせるという評判も聞きます。新しい楽器だとどの程度最低音域を鳴らせるものなのでしょうか?楽器は自分で自分らしく鳴らせるように吹き込んで育てていくという様な性格がある様に思います。最初から軽くならせる楽器にはそのような楽しみがない様にも思うのですが、如何でしょうか?