8時20分起床、晴れ(15℃)。
昨日一日仕事(イラスト)。夜『プロフェッショナル』少し。道具編。気になるのは茂木健一郎さんの部屋、リュックの中身。やはりIT機材関連は気になるわ。わしほんとにミーハーやわ。
もとい。ずいぶんまえの話になるけど、ある著名なイラストレーターが「イラストレーション」を「イラスト」と約すのは許せないとおっしゃっていた。まったく同感。なんでも安易に約すのは好きじゃない。でも最近は解禁(軟弱)。ひらがなで「いらすと」と記したりもする。論外やろね。
ついでに、「無限」「永遠」が少し気になっている。
先日も「永遠は有限の身からは計り知れない」という話に妙に納得。
調べてみると、やはりたくさん考えられている。
> ガリレオは(略)
『無限の大きさを比較する議論は無意味だ』と
それに対し
> カントルは、
全体と部分が同じ大きさになりえる、というまさにそのことが、無限の本質的な性質の1つ(略)、無限の研究をさらに進めた。
(太字はじぶん)
http://pauli.isc.chubu.ac.jp/~fuchino/chubu/method-math-WS06-hoko-inf.pdf
> 1+1=2とはならない無限の世界
> 奇数や偶数の個数をそれぞれMと表すと、自然数は奇数と偶数を合わせたものであるから自然数の個数はM+Mつまり2Mとなるはずです。
> ところが、元来自然数の個数はMであるから M+M=Mという計算が成立します。
> つまり無限の世界では有限の世界での計算のルールは成立しません。
http://www.suriken.com/knowledge/general/infinity.html
「全体と部分が同じ大きさになりえる」。
あざやかだと思う。
禅の話で、師匠が弟子に湯のみを差し出し「この中で寝転がってみろ」というのがあった(と思う)。
「大」と「小」が同じならすっぽり入るもんな。
「仏とはなんや」というたら「クソ掻きベラ」というのもあった。
今でいうたら「仏さまとはなんですか」という問いに「トイレットペーパー」と答える感じやろか。
「聖」と「俗」が同じ。これはよく聞く話。(そんな意味ではないと思うが)
「神さまはなにも知らない」。そんなこと思ったり。
「なにも知らない」と「すべてを知っている」は同じかも。
これも興味をそそる。
「宇宙と自分はピタリと同じ」。
「煩悩即菩提」。煩悩そのままま菩提、凡夫そのまま仏などなど。
そんな話、いろいろあるもんな。
でも知ると聞くとは大違いやろうけど。
無限の話からいろいろ脱線でした。