たんなるエスノグラファーの日記

エスノグラフィーをつうじて、ふたたび、人間探究の森へと分け入るために

獲物をしとめる

2006年07月01日 12時17分03秒 | 人間と動物
調査地に入って2ヶ月になるが、ようやく獲物をしとめる現場に立ち会うことができた。

木々が重なり合い、泥質地があるかと思えば、急峻に傾斜する上り坂・下り坂が突如立ち現れるサラワクのジャングル。その中を動き回るプナンのハンターに着いていくのは、並大抵のことではない。 私が銃撃の場面に立ち会ったのは、そのようなジャングルのイノシシ猟ではなく、油ヤシのプランテーションのイノシシ猟においてである。木材会社は、木材を伐採して裸になった土地に、1990年代になると油ヤシを植えて、さらなる収奪を企てた。森の中に食べ物が無くなったこの季節、油ヤシの実を食べるために、イノシシは近くの油ヤシ・プランテーションにやって来る。

その形態の猟は、夜中に、イノシシがやって来そうな油ヤシの木の近くで待ち伏せて、しとめるというものである。私が同行したプナン人"J"(40歳代)は、日暮れから約1時間半かけて、新鮮なイノシシの足跡が残る油ヤシの木を探し出した。その脇に、油ヤシの葉を敷いて、われわれ二人は腰掛け、イノシシがやって来るのをじっと待った。

やがて、予想通り、ガサガサという音がして、イノシシのブーブーという声が聞こえた。カメラを取り出そうとビニール袋に手をかけて、私は音を立てた。日ごろ穏やかな"J"は、それを厳しく制した。イノシシは、物音に敏感なのである。 どうやらそのイノシシは、油ヤシの木に到達せずに、途中で引き返したようである。続けざまに、別方向から、2回イノシシが近づく音が聞こえた。姿は見えない。しかし、それらは、同じく、油ヤシの木に到達せずに引き返した。"J"は、イノシシが、風によって運ばれる人間の匂いに感づいて、引き返して行ったのだろうと言った。

その後、"J"は、イノシシの足跡を視認しに行った。彼の分析によれば、それらは、上方からずっと続いている。イノシシは再びやって来るはずだから、場所を変えればいいと、"J"は言った。われわれは、イノシシの足跡が油ヤシの木へと続いているあたりに、待ち伏せ場所を変えた。

"J"は、葉の上に腰をかけて、じっとイノシシがやってくると予想される方向に感覚を集中させていた。ほどなく、ガサガサという音とともに、イノシシが近づく気配。私は、気持ちが昂揚するのを感じた。"J"は、すぐさま、懐中電灯で、そのあたりを照らし出した。イノシシは、光をあてても逃げたりしないのだと、"J"は後から説明してくれた。

彼は、あらかじめ右前に置いていたライフル銃を構えた。狙いを定めて、射撃する。 「逃げた!」と、彼は叫んだ。発弾後の銃の焦げるような匂い。気持ちが昂ぶっているといいながら、"J"は、銃口を掃除して、次の銃弾を込めている。私は、彼がしとめ損なったのかと思ったが、逃げたのは2頭。1頭が、6発の散弾を浴びて、5,6メートル先のけもの道の葉の下に倒れていた(写真)。

それは、メスの子イノシシだった。その後、場所を変えて、逃げた2頭を待ったが、夜明けまでやって来なかった。 嗅覚と聴覚を利用して、油ヤシの実にたどり着こうとするイノシシ。視覚と聴覚にたよりながら、イノシシを狩ろうとするプナン人のハンター。今回は、人間が、その目的を達成した。獲物の感覚の特性を熟知し、自らの感覚を活用しながら、狙った獲物をしとめる。それが、プナンの狩猟である。

<ガールハント/ボーイハント>という言葉があるが、比喩にせよ、エゲツナイ言葉ではないかと、ふと思う。

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