今日が一番素敵

丁寧な暮らしを心がけながら、日々、折々のの心模様を素直に語ります。
今が一番素敵との思いを込めて。

癒しの庭~体力が問題ですが

2015-03-24 17:03:22 | ガーデニング

一連の記事を更新するときは、庭の様子を綴ったものを一度は必ず載せようと思っています。

季節が移ろうにつれ、草花の姿、植えつける花の種類が変化していきますから、備忘録として簡単な記事を残しておけば、後で役立つに違いありません。

けれど、私は几帳面な性格とはとても言い難く、実にいい加減なところがあります。

花日記用の本を購入しても、そこに記録したのは最初のうちだけでほとんど白紙状態。

気分次第で、他のノートに書き留めたこともあります。

それも残っていますが、参考になるほど、整理された記述ではありません。

 

 

今一番役立っているのはNHKの「みんなの趣味の園芸」という名称のサイトです。

その会員になると、マイページに「お気に入り」の欄があります。

庭の花壇に植え付けた草花をそのサイトの図鑑で検索し、すべてお気に入りに登録しています。

図鑑で検索した花には、育て方の詳しい説明その他が載っているので、参考になり大変助かります。

園芸日記も書けるようですが、私は利用していません。

 

http://www.nhk.or.jp/kurashi/engei/

 

私にとっては、ガーデニングは今の暮らしの一番の愉しみながら、あくまで気楽に適当に、といった感じでしょうか。

とても、体力的に根は詰められません。

夢中になりすぎて、頚椎症がひどくなったり、後の家事に応えるようでは、本末転倒ですものね~

実は、週末の土、日曜日は、首が痛くて痛くて・・・・・。

お墓参りの帰りに寄ってくれた妹に、「また姿勢が悪くなっている」

と注意されてしまいました。

今日は、すっかり回復していますけれどね。

  

 

でも一方では、夢は膨らむばかり。

体力との折り合いをつけながら、その夢を育てていくのは結構大変なことのようにも思いますが。

ボケ防止と健康維持にも良いといわれている、ガーデニング。

まだ当分は愉しみたいものです。

 

我が家の庭で、私が一番気に入っている反面、一番物足りないのが庭の広さでしょうか。

もう少し広くて奥行きのある庭なら、イングリッシュガーデンらしくなるのに、と思いますけれど・・・・・・。

この程よい面積が、年を重ねた私の年齢には、手入れにさほど時間がかからず、理想的なのかもしれません。

 

 

 

私の父は晩年、園芸を趣味にしていましたが、庭がとても広く、日が昇ると庭に出て日が暮れるまで庭の手入れに専念していました。

趣味というより、労働に近かったのでは。

父はそれを心から愉しみ晴耕雨読の暮らしをした人ですが、そんなきつい作業は、主婦の私には到底無理。

主婦は、年をいくら重ねても、家事全般の多忙さは、いつまでも付きまとい、趣味にだけ没頭することはできませんものね~

その点、退職後の優雅な旦那さまの暮らしを心から羨ましく思ったものでした。

「私も主婦業を退職したい」

と、何度言ったことでしょう。

 

 

我が家の庭は、マイホームの時と同様に、庭設計士さんのたたき台のプランを元に、自分で描き直したものです。

初孫の誕生に合わせ、庭で絵本を読む自分の姿を心に描いて、完成を楽しみに心待ちにしていました。

殺風景だった庭が、私の理想通りに出来上がった時の感激は、今でも忘れられません。

 

細長くて単調な形ながら、オブジェやバーゴラを配置。

シンボルツリーらしきものあり、雰囲気はそれなりにある庭と思っているのですが・・・・・・。

 

 

これからも、元気なうちは草花を愉しみ、年を重ねるに従い、次第に手のかからない緑の庭に移行できれば、と願っています。

 

Nさんに、今度は「ネットのお化け」と言われ、ちょっとショック。(笑)
拡大すると確かに薄気味の悪い表情に私にも見えました。
「私は元気に頑張ってます」を笑顔の写真で発進したつもりでしたが・・・・・・

新しいフィルターを試みたものの、失敗だったみたい。
気にすることはないと思ったのですが、変えました。

 

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人生はいろいろ

2015-03-23 08:01:40 | 日記

親友のKさんと、電話でお互いの最近の苦労を語り合った事を、昨日綴りました。

いつも明るく前向きな人生を送ってこられた彼女の言葉だけに、その大変さが一層心に響き、身に沁みました。

昨日は、Kさんと同様に米国在住時以来の親しい友人のAさんとも、同様のお話をした私です。

苦労を味わっているのは、私だけでないとの思いを、一層強くしました。

 

高齢化が急速に進むわが国。

親の介護、老老介護の問題に多くの家庭が取り組んでおられるはずです。

それでもなお、日々を元気に明るく過ごそうと頑張っていらっしゃる方々が多いに違いありません。

そう思うと、私も新たな元気が湧いてくるようです。

 

 

 

Kさんは、90代になられるご両家のお母様の介護の真っただ中でいらっしゃいますが、

私は、その介護を50代ですでに経験済みです。

けれど、後悔も多々あり、やり直せるものなら、もう一度やり直したいとさえ思います。

 

まだ夫は現役のサラリーマンで、娘たちは、大学生の頃の事。

家族への細やかな心配りと時間が必要な時期でした。

両親に十分なことをして上げられなかったのでは、との心の疼きは、今なお消えることはありません。

 

 

但し、次第に認知症がひどくなる母を、注意したり叱ったことは一度もなく、常におおらかな気持ちでいられたことが、私の心の慰めになっています。

父は、非常に几帳面で記憶力のいい人でしたから、私の忘れっぽいのろ間な態度に、時々いらいらしていました。

そんな時は気まずい雰囲気が流れたりはしましたけれど。

嫌な思い出は、そのくらいでしょうか。

主婦業も忙しく、娘は遅い反抗期を迎え親子の確執もあり、未経験なことにも、いろいろ出合った時期でした。

精神的ストレスも結構多い時代の両親の介護だっただけに、心残りのことがいっぱいあります。

 

 

昨年の秋ごろの事でしたかしら。

高校時代の同窓生から、電話があった時のこと。

友人のMさんが、言いました。

「介護で満足なんてありえないわよ。

みんな心残りなことをいっぱい残し、反省して終了するものよ」と。

 

彼女は、整形外科医で病院を経営するご主人さまの片腕となりながら、年を重ねておいでになった方です。

病院の窓口や病室で、お年寄りやそのご家族の苦労話に耳を傾けてこられたに違いありません。

彼女のお人柄から、容易に想像できることです。

 

「後悔を残して終わるものよ」

うろ覚えのため、言い方が、多少違ったかもしれませんが、とても説得力のあるおっしゃり方でした。

私は胸が熱くなりました。

 

桜の大木。
背景の空が、桜の開花を待ち望むかのように、ピンク色に染まって
とても幻想的な光景でした。

 

Mさんは姉御肌で、一見とても明るい方に見えますが。

その彼女自身も、一時うつ病に苦しまれたようです。

ご主人様も重い病を患われたり、と。

 

隠居となり、お縁側で日向ぼっこのお年寄りのイメージは一昔前のこと。

今の時代には、通用しませんね。

 

核家族化し、年を重ねても自立し、我が道を行くお年寄りの方が素敵に見える時代。

病気、介護問題など、色々な苦労が押し寄せる世代の私達ですが・・・・・・。

あとは本人の受け止め方で、その苦労が軽くも重くもなっていくのでしょう。

 

私は訪問看護師のお世話になりながら、寝たきりの両親を夜も熟睡できない状態で数年間介護しました。

外に出て陽を浴びると、疲労が濃かったためでしょう。

頭がよく、くらくらしたものです。

メニエル、帯状疱疹などのストレス病にもかかりましたが、その時は伏せる暇もなくやり過ごしているうちに、いつの間にか治ってしまいました。

介護保険がない頃のことです。

でも親の世話をするのは当たり前との思いが強かったせいか、苦労とは、思いませんでした。

 

我が家の建築時から、長女の私はその時を覚悟し、和室を台所仕事をしながらも両親を見守ることができる場所に据えたり、と心を配りました。

それが大いに役立ちましたし、当然のことをしているに過ぎないとの思いが、私の苦労を軽減してくれました。

 

 

今は、夫の介護問題で、切ない思いも時々味わされています。

親の介護の時とは、多少違った雰囲気ですから、悩みも多いかしら。

そのお話をもっと具体的に綴りたいところですが、愚痴っぽくなってしまうのがいやで、積極的に書くことがためらわれます。

今後、折ある毎に、たまには触れましょう。

乞うご期待~なんて言ったら変ですね。(笑)

 

でも私は、今の暮らしが嫌ではありません。

人生はいろいろですから、これもまた楽し、と思えるくらいの度量で過ごしたいもの、と思っています。

 

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切ない問題 ~介護する側と介護される側

2015-03-22 07:23:32 | 

数週間前のこと。

このブログに一番よく登場していただいている親友のKさんと、電話で1時間近く楽しく語り合いました。

専業主婦の私と異なり、国際色の強いお仕事を、ほぼ1年前に退職されたばかり。

英会話は現地人並みで、豊かな体験から生まれる話題は実に豊富でいらっしゃいます。

敬愛して止まない、私にとり、掛け替えのない親友です。

 

数日前に、kさんから届いた絵手紙。
拝見しただけで、元気をいっぱいもらった私です。

 

社会経験、能力の差は著しい私達ですが、性格はとてもよく似ていて、価値観もそっくり。

ですからお話ししていると、いつも心が安らぎ、一心同体のような気持ちにさえなってきます。

米国在住の時以来のお付き合い。

もう三十数年になりますでしょうか。

あのころは、お互いに子供たちは、幼稚園児と小学校の二年生。

私達も、夢溢れ、一番輝いている時でした。

 

Kさんは、帰国後もキャリアを積まれ、ますます充実したお暮らしで、その夢を一つ一つ叶えて行かれたに違いありません。

海外在住が長く、しばらくお付き合いは途絶えがちでしたが、今はその頃の親しい関係にすっかり戻っています。

 

 

でもお互いに、暮らしの状況はガラッと変わってしまった二人。

気が遠くなるほどの歳月を重ねてきたわけですから、当然のことですが。

年相応の問題を抱え、楽しいことばかりではなくなってきました。

若い頃も、育児の悩みが尽きなくて、お互いにいろいろ相談しあったものですけれど。

それに比べ、今の悩み事は、夢が感じられない切ない話題が多くなりました。

育児の問題の時と同様に、話は尽きません。

 

今回の電話の長話も、親の介護の苦労、主人との意思疎通がうまくいかなくなった苛立ち、その他色々でした。

Kさんのお話は、心から頷けることばかり。

90歳を超えられた両家のお母様の介護に心を砕き、いろいろご苦労が多い日々のようです。

私は50代のころに、既にその苦労を終えています。

けれど、お話を伺うたびに、介護されるお母様の側に自分の身を置き換えて考えることが多く、身につまされるお話しばかり。

他人事にはとても思えません。

 

 

実のお母様は、今のキャリア女性の前身のような職歴を持ち、学識も高く非常に頭がいいお方。

多趣味でもいらっしゃり、日本画はプロ並み。

個展に伺ったこともある私です。

家に出入りされる職人さんへの過剰な気のお遣い方など、数点、私に非常によく似たところもあって、笑ってしまうのですが。

気丈に頑張って、お一人暮らしの息子さんと一緒に生活して来られたKさんのお母様です。

 

ところが、最近急速に認知症が進まれたご様子。

90歳におなりですので、無理からぬことですが。

ご本人もそれを自覚し、不安に感じておられるとのこと。

「頭にいつ靄がかかっているよう」とおっしゃるそうです。

 

Kさんは、お母様の最近の不可解な言動に慌て、とてもショックを受けているとのこと。

なんだかとても切ないお話ですね。

正常から認知症に差し掛かるグレーゾーンの時、人間は一番つらい心境に陥るのかもしれません。

介護をする方も、対応が非常に難しい時でしょう。

Kさんの戸惑いの心情とご苦労が痛いほど伝わってきました。

 

 

日頃、お心をかけて下さるお礼も兼ね、近所にできた隠家のようなお食事処に、ご夫婦をお招きする予定にしています。

去年の暮は、お母様の介護の事情で、その約束がキャンセルとなりました。

今度こそ実現させたいもの、と。

 

ご主人様が我執が強くなり、夫婦の会話が以前のように楽しめなくなってきたともおっしゃるKさんですが・・・・・・

大企業の副社長を退かれ退職後は、介護施設に入居されているやはり90代のお母様を日参して見舞っておられます。

とても気さくな心優しいお方。

ご両人からお話を伺うが楽しみで、心待ちにしている私です。

 

介護する立場、近い将来、介護される側の立場。

両方に思いがゆく、今の私の年齢。

複雑な思いが交錯して、心の整理ができているとは言い難いですが。

謙虚な気持ちを失わないで、毎日の課題に、明るく元気に取り組みたいものです。

 

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筆まめだった母の想い出

2015-03-21 07:39:17 | 想い出

先日の或る日の記事に、両親の遺品の文箱の画像を載せました。

その時、母が筆豆だった想い出をいつか綴りたいなぁ~と願ったのですが・・・・・・。

綴りたくても、思い通りに書けるかしら、と思うだけでで小さなストレスに。

可笑しな私ですね~

長文の傾向から抜け出せないことも、影響していることでしょう。

作文を書くような気持ちになってしまうのですよね。(笑)

 

蛇足ですが、こんなことを書くと自慢話と受け止められないかしら、としばらく悩んで、書いたり消したり、と。

ブログなんて、個人日記に過ぎず、ご覧下さる皆さまは、見知らない方達ばかり。

心から気楽に楽しんで綴ればよいものを、生真面目な(?)性格が、それを邪魔するようです。

 

今日はできるだけ気楽に綴りましょう。

とは言っても、母の疎かにはできない想い出。

 

 

さてその母は、私と異なり、とても筆まめでした。

筆まめだけでなく、字も達筆で、流れるような美しい字を書く人でした

年賀状は、得意な毛筆でしたためられていることが多かったです。

孫たちにも、よく手紙をくれました。

海外に在住のころは、孫のみならず私をも気にかける便りを頻繁に届けてくれたものです。

文章も、私たち家族を思う母の心情が溢れていて、いつも抱きしめたくなるほど、温かな内容でした。

 

母が筆まめで文章が上手だったことをよく物語る、エピソードがあります。

それをご紹介させていただきますね。

但しちょっと心配。

先ほど書きましたように、自慢話のように受け止められてしまわないかしら、と。

自慢するつもりはなく、知性が際立った人から褒められた母をすごい、と感嘆した覚えがあるからです。

 

 

私が娘時代のこと。

確か、中学生時代の想い出です。

束の間のことに過ぎませんのに、今も忘れないのは、よほど私の心に深く刻まれたのでしょう。

 

父方の祖父が、母の手紙を手にし私に見せながら、その内容と、届けたタイミングを、大層褒めたことがありました。

祖父は、ある国立大学の学長になった職歴を持つ、とても学識の高い人でした。

その祖父に、専業主婦に過ぎない母の手紙が褒められ、私は子供ながら余程嬉しかったのかもしれません。

そして母に感心したのだと思います。

 

もう遠い過去の事ですから、記憶が曖昧で正確ではありませんが。

「大変な状況の中、要領を得たこのような手紙が書けるお母さんは大したものだよ」

確か、こんな褒め言葉ではなかったかと思います。

 

花の画像はいずれも、昨日お墓参りをしたとき、境内で撮った写真です。

 

造り酒屋の当主の叔父がなくなり、その葬儀に参列するために、郷里の実家に戻った母でした。

叔父の職業柄、大勢の人が家に出入りしていたはずです、

そんな慌ただしい状況にもかかわらず、母は部屋の片隅で、その様子を義父に知らせるために、ペンを執ったのでしょう。

祖父は、母と遠縁の間柄でしたから、連絡する気配りが働いたのではないかと思います。

 

私でしたら、遠方から出かけ、参列するのが精いっぱい。

手紙を書く心の余裕など、あろうはずがありません。

母は私に似て虚弱体質で、気力で暮らしているようなところがある人でした。

疲労も濃かったでしょうに。

 

こんなにさりげなく手紙を認められるのは、母の文才はいうまでもありませんが。

それだけではなく、まめな性格、優しさ、器用さ、いろいろその理由はあるでしょう。

 

 

茶道、華道、料理、日本舞踊、編み物、短歌、書道.

母が打ち込んだおけいこ事を、思い出す限り、習った順番に書いてみました。

いずれも、上達の域に到達するまで、一つ一つのお稽古ごとに励んだ母でした。

幼子を引きつけてやまない、輝いたチャーミングな笑顔も忘れられません。

 

母が詠った短歌を三句、ご紹介させていただきますね。

 

 佇ち止まり眼凝らして松陰の遺品の前に孫は動かず

 旅よりの孫の電話の声はずみ志賀高原の涼しさ伝う

 寂として動く一葉もなき庭の松の木に間にかかる満月

 

今この記事を綴りながら、改めて母の想い出を、感心しながら振り返っている私です。

 

 

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旦那さまへの思い~徒然なるままに

2015-03-20 07:33:35 | 家族

私の夫に、皆様はどんな印象を抱いておられることでしょう。

マイペースでクール、あるいは亭主関白など・・・・・・。

マイペースとクールは、その通りかもしれません。

亭主関白はどうでしょう?

最近は、幾分その気がありますけれどね。

 

私は、そのクールさに惹かれて嫁いだようなものですから、そのことについて不平を言うのは、矛盾しているのかもしれません。

しかし、私が惹かれるクールさとは?

外見だけで、心は温かでとても優しい人が良かったようにも。

初対面の時、貴公子然とした涼しげな印象の顔立ちや雰囲気に、一目ぼれしてしまった私です。

そのために、他の事が見えなくなってしまったのかもしれません。

 

もしかして旦那さまも、同様かしら。(笑)

お見合いし、婚約したのが大学二年生の時。

それから4年の学業を終えるまで、ずっと待ってくれてた人ですから。

大学卒業の秋に、私は彼のもとに嫁ぎました。

 

大学時代の私とYさん

 

私は一目ぼれで婚約したものの、その間ずいぶん悩んだ時期がありました。

デートをしている最中も、あまりに寡黙で面白味のない人でしたから。

でも両親は、条件に惹かれたのか、そのあたりは良くわかりませんが、彼のことをすっかり気に入り押しの一手。

押しまくられ通しで、彼と結婚せざるを得なかった、と言ったら、少々Yさんが可哀想かしら。(笑)

結婚後も、私の両親とは実に良好な関係でした。

 

でも一目ぼれは、その後の結婚生活を支える点で、とても大切な要素だったような気がしています。

時に愚痴を吐いたり、喧嘩ををしながらも・・・・・・。

彼を受け入れ、今日までつつがな穏やかに暮らしてこられたのは、理屈ではなく彼が好きになった感情が、常に心の底にあったからでは。

もしかすると、旦那さまも同じ思いだったのかもしれないと・・・・・・。(笑)

 

 

お互いの性格の不一致は、かなりのものです。

私は途中から、この不一致は、男と女の本質的な相違からくると思うようになりました。

旦那さまは、私とは全く違う生き物なのだ、と。

そう思うと、おのずと懐が深くなり、彼の性格があまり気にならなくなりました。

相変わらず、ストレスを感じさせる事が多い旦那さまであることに変わりはなく、いろいろ忍耐もしてきましたけれどね。

 

私が愛読しているブロガーさんが、夫婦のずれを、男脳と女脳の相違と述べておられました。

私は、とても共感できました。

さらに我が家の夫婦の明らかな相違点は、左脳型と右脳型の二人であることかしら。

旦那さまは、左脳型の典型。

私は極端な右脳型かもしれません。

 

但し、我儘を言う人ではなく、私は彼から注意を受けたり、文句を言われたことは、長年ほとんどありませんでした。

そして、家のことはもちろん、育児もすべて私任せ。

よくその話を友人にすると、

「ご主人はあなたのことを信頼しきっているのよ」

と、言われたものですが、果たしてどうでしょうか?

 

T大病院の構内

辛い闘病生活の日日
背中にも、日頃の苦労がにじみ出ているかのよう。

 

私にとって一番のストレスは、家庭のことにまるで無関心で、思いやりの言葉一つかけてくれない夫の態度でした。

しかし、すべて私のやりたいようにやらせてくれたことが、何よりの彼の大きな包み込むような愛情と優しさだったとも言えそうです。

究極の照れ屋さんで、温かな言葉を直接かけるのは苦手な人だったのかも。

無理やりにでも、そう思うことにします。(笑)

 

そういえば大きな喧嘩も、長い夫婦生活の間、十に満たないくらいではなかったかしら。

一つ一つ思い出せるほどです。

 

ところがその旦那さまが、最近、我執がとても強くなり、小さなことでもむきになって対抗してくる事がよくあります。

少々驚いている私。

具体的に書こうと思ったところ、もう思い出せません。

あっ!思い出したことがありました。

彼の愚痴で、すごーく、私は傷つきました。

病気になる前までは、愚痴など言う人では全くなかったのですけれど。

忘れないようにメモしておいて、いつか記事の話題として取り上げますね。

何と執念深い私なんでしょう。(笑)

 

いつも本当に些細なことなのですが。

私はそんなつもりで話したのではないのよ、といってもしばらく聞く耳を持ってくれません。

とてもいらいらし、気難しい表情をします。

 

タートルのカシミヤのセーターは長女からのプレゼント。

 

短気な人では、全くなかったのに。

老人性の何とやらの発揮かしら?

言えそれよりも、抗がん剤の副作用の辛さで、心まで少々傷み、平常心ではいられなくなってしまったのかもしれません。

そう思うと可哀想で、私がすべて受け入れて、聞き流さなければと思うのですが・・・・・・。

この年になっても、まだそこまで人間ができていない私。

こんな小さなことで、どうしてそんなにいらいらするの、と思い、傷つき悲しくなってしまうのですよね。

人工肛門のパウチ交換をしているときに、イライラされると、特に情けないです。

 

遠くを見つめる旦那さまの憂いを含んだ表情に、私は彼の胸の内を推し量っていました。

 

けれど、意思の疎通がうまいかなくなってきたのは、どうも我が家だけではないようです。

妹のところも同様。

私が夫婦の理想像と敬愛して止まない、親友のKさんのところも同じようです。

ご主人様の強い我執に閉口し、

「こんな人ではなかったのに」

と、先日電話でぼやいておられました。

 

そういえば、Kさん同様、アメリカ在住時以来の親友のAさんも、同様のことを。

肝臓がんを患われて、数年前に亡くなられたのですが。

「病気になってから主人の人格が変わり、ショックを受けたのよ」と。

 

男の人は年を取ると、似たり寄ったりなのでしょうか。

そう思い、自分を慰め、もっと寛容な優しい奥様にならなければ、と自分に言い聞かせているこの頃です。

 

よくよく見つめると、ひとめぼれの面影の残り香を感じないでもない旦那さまなんですけれどね。

原点に戻って、惚れ直せたなら理想だけれど。

それはさすがに叶わぬ夢。

 

 

 先日の退院日。

「馬子にも衣裳」でしょうか。(笑)

めったに買いませんが、買うときはほとんど或るブランドで揃えた、コート類その他一式の旦那さまの衣類。

前回の退院時、看護師の詰め所を通り過ぎようとしたところ、若いきれいな看護師さんが驚きの声を上げました。

「病院のパジャマ姿の時とは別人みたい。格好いい~」と。

病人で弱弱しい歩行しかできなくなってしまった旦那さまですが、まだまだ捨てたものではありませんね~(笑)

 

          

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三月四日のブログ村の異変 

2015-03-19 07:31:36 | ブログ

今も忘れられません。

桃の節句の翌日、私のブログに起きた異変を。

 

その日は、マイページを見ては何事と緊張していました。

私のブログの悪い噂が、私の知らない別のサイトで立ち、大勢の方が興味本位に訪問されたのでは。

自意識過剰になってしまった私です。(笑)

 

その翌日、自分のgoo ブログにログインしました。

最初に目に入るのが、前日の訪問者数と閲覧者の人数です。

その横にアクセス解析という文字があります。

そのページを開くと、さらに解析結果の内容を詳しく知ることができる項目が表示されています

 

ブログの下に載っている広告が嫌で、その削除を依頼すると、この解析が自動的にサービスとして提供されました。

他にもいろいろなサービスが利用できるようですが、私はこの解析をたまに見る程度に過ぎません。

解析といっても、知るところによる他の方々のような詳しいものではありません。

でも私はそれで十分ですし、いろんな意味で、gooブログのおおらかさが大変好きです。

 

ブルーデージー

 

さて、前文から今日のテーマとは横道にそれてしまいましたので、元に戻します。

異変の翌日、この解析を見たところ、70代のカテゴリーからのアクセス数がただ事ではありませんでした。

確か450人くらいではなかったかしら。

いつもは100にも満たない数字です。

昨日は、66名の方がご訪問下さいました。

その数字でも、70代のカテゴリーから訪問者が一番多い私のブログです。

 

何事?、と思った当日も、マイページの訪問者数がみるみる増え、明らかにいつもと様子が違いました。

訪問者数に比例して、インポイントも同様に増えるてくれると嬉しかったのでしょうが・・・・・・。

その反応は良くなかったので、特異な現象に、一層怖さを覚えました。

しかしその様な激変は、その1日だけで、次第に落ち着いていきましたけれどね。

 

このお蔭で、最初の日ほどではありませんが、アクセス数が以前よりかなり増え、応援してくださる方も多くなりました。

(昨日は、すっかりもとに戻り、ちょっぴり寂しい~)

最初は私のブログのみの現象かと、薄気味悪さを覚えたものですが。

翌日、他のブロガーさんでも、同様な事が起きられたようで、とても安心しました。

 

次女が海外出張で留守をするため、孫用に、久しぶりにホワイトシチューを作りました。
バターを大量に使用するため、夫の病を思い、避けてきましたが、とても美味しかったです。

お料理の写真は、ブログ用。いつも気取っています。(笑)

 

私には、今もって狐につままれるような出来事であったことに変わりありません。

但し、とても嬉しく思えることがありました。

 

私は日本ブログ村の村民の一人にさせていただき、それがブログを綴る励みにもなり、大変ありがたく思っています。

大海原のようなブロガー社会に身を置くだけでは、こんなに元気な心境でブログ綴りに臨むことは叶わなかったでしょう。

そんな私が、昨年の四月のお誕生日を迎えると同時に、自動的に70代のカテゴリーに移行させられてしまいました。

ところがそれを境にしてアクセス数、訪問者が次第に減り、60代の時の半分にも満たなくなりました。

私が敬愛して止まないブロガーのYさんも、同様の思いを綴っておられましたね。

 

70代になっても、ブログを綴れる気力があるだけでも、多少は誇っていいのかもしれません。

年を重ねた今も、向上心と瑞々しい感性が、僅かでも残っている証拠、と思うからです。

しかし70代にもなると、参加者の人数のどれだけの方が、積極的に村にかかわっておられるのでしょうか。

多くはないことでしょう。

60代の時の活気に比べ、そんな寂しさを70代の村には常に感じてきました。

大袈裟にいえば、取り残された小さな村といった感じかしら。

80代になると、最近は多少人数が増えましたが、一時は4~5人でしたね~

 

ですから4月4日の出来事の際、シニアー村からではなく、70代の村から大勢の方がご訪問下さった事に、とても驚きました

70代ながら、こんなに多くの方々が目を留めて下さったのだ、と嬉しくもありました。。

むろん緊張の方が大きかったですけれどね。

 

ちらし寿司・かぶのそぼろ煮・菜の花の辛し和え・ふきのとうの天ぷら

 

さてお話がまた飛びますが、勝手なお願いをブログ村の村長さまに、だめもとでお願いしてみようかしら。

 

お誕生日が来ると、年齢に従い、自動的に籍を置くカテゴリーが変わることに、多少の疑問を私は抱くものです。

60代まではそれで構わないでしょうが、60代あたりから、年齢の区分けには多少の配慮もしていただけないでしょうか。

女性は年齢には結構敏感です。

そして自分は齢より心身ともに遥かに若い、と空元気を出しているようなところがあるようにも。

それが、元気の素になっていたりするのですよね。(笑)

 

ですから、自分のそんな気持ちにお構いなく、自らの年齢が自動的に公表されてしまうことに、多少の抵抗があります。

60歳を超えた年齢からは60代以上で構わないのでは。

60歳(60代以上)の表示にし、60代に留まる、70代に移行するも、どちらでも本人の自由意思に任せる、というのは如何でしょうか?

60歳も70歳も、100歳も、和気あいあいにブログを通して励まし合って余生を送る、そんな雰囲気になれば理想です。

 

鯛の塩焼き・大根とつくねと春菊の煮物・ほうれん草としめじのお浸し・山芋の酢の物・湯豆腐

 

そのために、シニアーという項目があるのかもしれませんけれど。

シニアーからご訪問下さる方は、多くありませんし。

私はブログを開設して数年は、このカテゴリーは全くと言っていいほど覗いていませんでした。

 

でも強く希望しているわけではありません。

70歳になってから、年齢差別的な言葉を数度浴びたことがある私ですし。

日頃、自分には70歳といった意識はまるでありませんのに、ブログ村を訪れるたびに已む無く、それを意識せざるを得ないことに、戸惑いが多少あります。

私の願いが実現すれば、年をさらに重ねても、今後もずっと綴り続ける張り合いが出てくるというものでしょう。

皆様はどう思われますか。

 

          

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東日本大震災の慈善イベントに参加して~孫息子のK君が活躍 

2015-03-18 07:29:35 | 

三月八日の日曜日、最寄駅前の公園で、東日本大震災の慈善イベントがありました。

その時、露店販売された物産の収益が、被災地に寄付されるとのこと。

普通ですと、こんな行事が催されることなど知る由もなく、私は家事に勤しんでいたことでしょう。

それを知ったのは、前日の土曜日、次女宅に夕食に招かれた時のことです。

雨天で週末の野球練習が中止になると、時々声をかけてくれる次女のMちゃん

迎えに来てくれた車に乗り込み、次女宅に着いたのは6時を過ぎた頃でした。

 

 

いつものように食卓を囲んで、お喋りに花が咲く中、震災の慈善イベントの話題が突然出ました。

出たのには訳があります。

孫息子、K君の学年一同が、その催しに参加し、コーラスを披露するとのこと。

そして、最初の挨拶の言葉を、代表でK君が述べるようです。

それを知り、がぜんそのィベントに行く気になった祖母の私。

 

 

K君がとても意義ある会場で、どんな言葉を述べるのでしょう。

興味津々のうえ、そのような場所で、孫が活躍するだけで、私の胸は一杯になりました。

実は被爆者三世のK君。

「被爆者三世」なんて、私の造語かしら。

K君のママは、列記とした被爆者二世です。

広島に原爆投下時、乳児の私は三キロの地点で被爆しています。

 

 

今回のイベントは、福島原発事故のみならず、震災したすべての方々のご苦労を思い、開かれたものでしょうが。

今なお帰還できず、故郷から離れて暮らすご家族の辛苦を思うと、そのイベントで挨拶をする孫は、チョッピリでもふさわしい立場だったのかなあ~、と。

 

その孫の挨拶。

祖母の私ゆえ、身びいきなところがあるのは当然ですが、実に素晴らしいものでした。

司会者が、あまりの群集に

「僕は怖気づき緊張しています」

と冗談ぽく語っていましたが・・・・・・。

その群衆を前に、K君は、澄んだ通る可愛い声で、胸を張り堂々と。

その声は空を抜けるがごとく会場に響き、祖母の私は本当にびっくり。

感激しました。

 

野球のユニフォーム姿のままで
練習を抜けての参加です。

 

 内容は、震災に触れたものではなく、駅前周辺の商店街のお店屋さんへの感謝の言葉だったように思います。

純な少年の思いが溢れた言葉は、私の胸に沁み入りました。

恐らく他の方々の心をも打ったにちがいありません。

その後の電話で次女から聞いた話によると、参加した子供たちは、周辺の商店街のお店を調べる学習課題に半年間取り組んできたとのこと。

職場体験もさせてもらったようでした。

その学習の成果の発表の場でもあったようです。

他の子供たちも、元気いっぱいにお店の宣伝もどきの言葉を感謝の心を込めて述べていました。

 

 

そのあと合唱。

その歌詞に、思わず目がウルウルしてしまいそうになった私です。

テレビをほとんど見ない私は知らないことでしたが、前回のNHKの朝の連続ドラマの主題歌だったようです。

曲名は「にじいろ」です。

 

出店では、漁港が大被害を受けた気仙沼のラーメンその他を、私は購入。

今なお、漁獲できる魚が制限されていると新聞で知ったばかりでしたので。

 

 

そのあと、私は募金コーナーで気持ちだけのものを手渡しました。

するとそのお礼のなんと多い事。

恐縮してしまった私です。

 

 

食パンは有名店の三斤分の購入券をいただきました。
なんだかか貰いすぎ。
私が寄付したのは、たったの千円ですのに。

 

今日の売り上げや募金が、被災者のお役に立つことをひたすら祈っています。

震災から4年が経過しましたが、復興はまだまだ道半ばのようですね。

復旧作業のための人材も資材も不足し、価格の高騰も、復興の妨げになっているようです。

原発事故の後始末のめどがほとんど立っていないようで、今後どうなるのでしょう。

 

オリンピックの東京開催が決まった時、とても複雑な心境になった私ですが・・・・・・・

世界中から訪れた観光客やアスリートたちは、きっと東北に足を延ばす方が多いに違いありません。

その時に、さすがに日本といわれるような目覚ましい復興を遂げた姿に東北が変わっていてほしいものです。

インフラなどの表だった所だけでなく、被災者の方々が夢を抱けるような復興を隅々までも・・・・・・。

 

         

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ちょっと情けない医療費の無駄払い

2015-03-08 07:37:44 | 病気

追記を致しました。高額療養費の説明に間違いがありましたので。

夫の体に癌が見つかり、入退院を繰り返すようになってから、もうすぐ5年が経過します。

よく5年生存率っていう言葉を耳にしますが。

肝臓がんでは、その5年をクリヤーしたとそろそろ言えるのかもしれません。

肝臓の半分を切除するといった大手術でしたから、その5年をクリヤーできたことは、実に喜ばしいことなのですが。

昨年の4月に見つかった転移性の肝臓癌はほぼ消滅しているようです。

 

術後は、三ヶ月毎の定期的検診を怠りませんでした。

それにもかかわらず、進展した大腸がんが数年後に見つかり、大変なショックを受けたものです。

それも自覚症状で、夫が自ら気が付いた事。

 

肝臓の手術は、世界的に名声が知れた医師が執刀して下さいました。

その下で働く担当医の若い先生の見落としとしか言いようがなく、検査の虚しさを痛感したものです。

でも愚痴を言っても始まらないこと。

 

その後、大腸癌の内視鏡検査を受けたクリニックの医師の紹介先が、たまたま夫と若夫婦たちの母校の附属病院でした。

その巡り合わせは、私にはとても嬉しいことだったのですが。

 

 新しい病院の病室からの眺望です。
急速に開発が進んでいるところです。
長女の義弟が設計を手掛けたマンションがこの中にあるようです。

 

今年から、残念ながら夫の癌治療が、そのT大病院と同系列のK病院のかけもちで行うことになってしまったのです。

最善の治療を慮ってくださったことによる病院の事情ですから、納得はしているつもりです。

新しい病院の担当医は、T大病院から出向されている方。

今までお世話になった病院と密に連絡を取り合いながら治療に当たってくださるとのこと。

ですから安心はしています。

けれどその結果、意外な事がいろいろ生じ、情けない思いを抱くことに。

 

まず驚いたのは、一回目の入院費が、T大病院の二倍に跳ね上がったことです。

何故?びっくりしました。

医療機関が異なるだけで、同じ治療でも、こんなに差が付くのかしら?と疑問が湧き上がりました。

しかしこの疑問はその後、解けました。

妹の協力も得て、私の理解が間違っていないか確認をしてもらったり、と。

いつも一番頼りにしている妹(世界に一つだけの姥花日記)です。

 

そして、二回目の退院後の請求額にまた驚いた私。

退院数日後、入院費が確定しましたとの電話連絡が、病院から我が家にありました。

その請求額が意外で、またまたびっくり。

その理由も、その時すぐ尋ねて解りました。

 

病院の最寄りの駅から撮った写真です。
未熟な私の腕ながら、
見た瞬間、これは被写体として面白い!と、まるでプロのカメラマン気取りの気分でした。

 

最初の疑問点。

何故、新しい病院の入院費が、T大病院の二倍の額になったのでしょう。

それは、高額療養費制度の上限額が入院の4回目からほぼ二分の一弱まで下がることが、その理由です。

但しです。

その制度は、医療機関ごとで計算されるため、途中から新しい病院へ転院すると、入院は一回目から、また始まることになります

ですから、我が家の場合、9万円を超えていました。

この病院の入院費がT病院とほぼ同額の5万円になるのは、4回目からです。

転院をしなければ、上がることは決してなかったのですけれど。

ちなみにT大病院の入院日数は、延べ半年間近くに、もうなります。

 

もう一つの疑問点。

二回目の退院は、2月1日でした。

けれど、退院日は治療がなく(私がそう思い込んでいただけなのですが)、帰宅の準備と、退院の手続きのみです。

ですから、すでに1月は高額療養費制度の上限まで支払っているため、二回目の入院費は少額で済むと思っていました。

ところが請求額が5万円以上で、またびっくり。

 

すぐその場で尋ねました。

その回答は、退院日の採血による結果、白血球が減少していたために、それを上げる注射を打ち、それが高額な薬剤だったから、とのこと。

それがなければ、数千円の支払いで済んだようです。

退院が月末なら、月の上限額まで前回払っているので、たとえその注射をしても、少額のままでした。

1日新しい月にかかってしまっただけで、医療費は跳ね上がります。

入院日の選択は、無駄な支払いをしないで済むように、皆様はご注意くださいね。

 

夫と一緒の時は、高層ビルからほど近い駅から、タクシーで病院へ
私一人の時は、徒歩10分ほどの隣の駅から病院を往復しています。
小さな駅ながら、メタリックな建造物でとてもお洒落です。

 

 私は、お話を聞き、すぐ納得したものの、その後も私の疑問は晴れませんでした。

抗がん剤治療の直後は、白血球が下がるのは当然ですよね。

T大病院では、採血は入院当日の一回だけでしたから。

主治医の言われた言葉を、私は忘れていませんでした。

注射で上げる方法もありますが、できれば自然に増えるのを待つのが一番よい、と。

とはおっしゃったものの、治療直前に白血球が少なすぎるときは、その注射を、T大病院でも、時々打っていました。

 

しかし退院の日まで、打つ必要があるのでしょうか。

先日、T大病院に検査で出かけたとき、担当医の若い先生に、その旨を伺ってみました。

「言われる通り、T大では、退院前の採血はしません。

病院には、治療の方法の流儀があって、多少は異なるものなのですよ」と。

 

流儀という言葉が、医療には似つかわしくないように思えましたが・・・・・・

お世話になる病院の事情です。

その意味深長な言葉を素直に受け入れることにした私です。。

 

けれど、新しい病院も、次回はいよいよ四回目。

入院費は、格段に安くなります。

 

日本の医療制度は、本当にありがたいですね。

高い保険料を毎月支払わされているので、当然なことなのかもしれませんが。

やはりこの恩恵に与れる幸せを思わないではいられません。

 

我が家は医療保険に入っているため、医療費の負担はさほど大きくありません。

けれど、病院が掛け持ちになることで、無駄な医療関連の支出が増えることは明らか。

病院に通う頻度も多くなり、夫の体の負担を思うと、なんだかチョッピリ情けない心境です。

 

新緑の季節が目の前ですね。
この緑を仰ぎながら通ったT大病院でしたが、新しい病院は樹木が全くありません。
その界隈は、開発が進み、今一番発展している町のようですが、
私はその雰囲気に馴染めなくて、あまり好きな所ではありません。

 

心から信頼できるT大病院に、多少遠くなっても、戻れるものなら戻りたい。

病床が満床で、予定日に入院できないといった支障は、急速に高齢化が進むわが国では、今後ますます多くなるのでしょうね。

夫は感染症にかかっていて個室でないといけませんから、大病院では、一層確保が難しいのだと思います。

でも、今の病院は個室ではありません。

この理由は、またいつか述べることに致します。

 

    

 

ブログを日々更新し続けて、今日で一週間が経ちました。

こんな拙いブログでも、楽しみにご訪問下さる方がいらっしゃいましたら、本当に申し訳なく思いますが、

また一週間近く、お休みを取らせていただきます。

誠に気ままなブログ綴りですが、今後とも宜しくお願い致します。

 

追記

高額療養費制度の上限額の病院側の説明が納得がいかず、区役所の保険課に直接電話で問い合わせをしました。

その回答によると、病院側の説明は間違っているようです。

継続する入院の場合は、4回目の入院から上限はほぼ半額になり、たとえ異なる医療機関に移っても、その額が変わることはないそうです。

恐らく病院同士の会計課の連絡が上手く取れていないのでしょう、とのことでした。

たとえ計算が間違っていても、患者さんの診療記録は、すべて保険課に届くので、計算の上、上限のオーバー分の払い戻しが二か月後に必ずあるそうです。

煩わしいことですが、疑問点は、すぐその専門機関に問い合わせ、納得できる説明を受けるべきですね。

頭の体操にもなり、心がすっきりします。

間違ったことをお知らせして申し訳ありません。

もし転院を検討されている方が、私の記事を読んで迷われたりしては、多大なご迷惑をおかけすることになると思い、走り書きで申し訳ありませんが、電話の後、すぐこの記事を綴りました。

 

         

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十数年ぶりの質の良い睡眠に感激の日日

2015-03-07 07:30:59 | 健康

睡眠は、人間が生きていく上で一番重要である事は、言うまでもありません。

科学の進歩と共に、そのメカニズムが解明されてきているように感じられますけれど。

でも一方、睡眠への思い、或は睡眠のパターンは、みなさんそれぞれ異なり、悩みありなしで、色々な様相を呈しているようですね。

 

やはり、なんと言っても、一番つらいのは不眠症でしょう。

私は悩む程の不眠症にかかったことはありません。

ですから、その症状に苦しむ方々の気持ちを、心から理解できているとは言い難いです。

 

癌との闘病生活を送る夫も、寝る前に睡眠導入剤を服用しています。

私は不眠の辛さを察しないで、時々注意をしたことがありました。

「お薬に頼るのは、いいことではないわよ。

できることなら自然に寝付けるように、いろいろ工夫をしてみては」と。

 

すると旦那さまからは、いつも同様の言葉が返ってきます。

「睡眠薬を飲んでいるわけではない。導入剤を使用しているだけだ」と。

私にはさして変わらないものに思えて、薬に頼る夫が、少々気がかりです。

 

クリスマスローズ

 

先ほど、私は不眠症で悩んだことがない、と書きました。

けれど、その睡眠の質は、決して良いものではありませんでした。

数か月前までは・・・・・・。

寝付きは驚くほどいい私なんですけれどね。

携帯のアラームをセットしている途中で眠ってしまう事もよくあります。

 

しかし一方、真夜中に何度も目が覚めるといった、情けない状況がありました。

十時に床に就いても、二時間経過するあたりで目覚め、がっかりした心境に毎日のように。

十二時が早朝の四時なら、どんなに嬉しいかしら、と思ったものです。

長女に、この話をいつかしたところ、

「何故がっかりするのよ~?私だったら、まだたくさん眠れて嬉しい~、と喜ぶわ」

物事を捉える視点を変えただけで、状況は一変するものなのでしょうけれどね。

朝までの熟睡を願って止まない私には、そんな反応は無理というもの。(笑)

 

一回のみならず、二、三回は真夜中に目を覚ましていました。

熟睡への憧れは抑え難い程でしたが、でも年のせいと、半ば諦めていた私です。

60歳頃から、ずっと改善されないままでしたから。

 

スカピオサ

 

ところが昨年の晩秋の頃から、突然睡眠の雰囲気が変わり始めたのです。

目を覚ます回数が減っていき、ある日、アラームが鳴るまで、一度も目が覚めない日が訪れました。

そのようなことは、十数年ぶりと言ってよいこと。

望んでも叶わなかった熟睡が久方ぶりにでき、驚き、私はとても感激しました。

 

睡眠の質が、何故、突然よくなったのでしょう。

それには、確たる理由が私にはあります。

昨年の年末の記事で既にご紹介したことですが、吐くことに時間をかける深い腹式呼吸を心がけ始めた事に因るものなんです。

 

 この呼吸法により、体調も驚くほどよくなったのですが、年末に風邪をひき、しばらくは元の木阿弥状態に。

がっかりしました。

年末年始の頃、旦那さまによく泣き言を言ったものです。

「体調が元にすっかり戻ってしまったの。あの元気は何だったのかしら」と。

けれど、その間も質のよい睡眠だけは継続し、今日に至っています。

熟睡できるようになったせいか、風邪がすっかり回復してからは、体調も急速に良好になっていきました。

 

パンジー・ブルーデージー・エルモフィラ等

 

最近の新聞に質の良い睡眠がとれないと、認知症が早まるとの記事を目にしました。

深い腹式呼吸(吐くのに時間をかける)を取り入れた事で、睡眠がよく取れ、体調不良も改善し、認知症も遠のいてくれるのなら、

一挙両得どころか、一挙三得。

こんなにに嬉しいことはありませんね。

 

実に簡単な方法です。

私はすぐに効果が表れましたが、効き目には個人差があることでしょう。

すぐ効かなくても諦めないで、しばらく深い腹式呼吸を、皆様も是非日々の暮らしに取り入れてみて下さい。

 

私は、就寝時、起床時、仮眠をとるために床に就いた時などに行っています。

私のように疲れやすい体質の方、睡眠の質が良くない方に、私同様の素晴らしい効果が表れる事を願ってやみません。

 

          

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警察署からの思いがけない連絡いろいろ

2015-03-06 07:36:23 | 想い出

先日のこと。

この地域を管轄する区の警察署から、突然電話がありました。

悪いことをした覚えはなくても、警察署からだと一瞬「ドキッ」と、皆さんはしませんか?

私は、そうでした。

「いったい何事?」と。

でも、その思いとは裏腹に、電話の内容はとても嬉しい報告だったのです。

 

勿体ぶりますが、この喜ばしいお話は後回しにさせていただきますね。

そして、今も忘れられない警察署からの電話二件。

いやあ~な思い出について、先に述べることに致します。

 

デパートの通路に置かれたお花。
ベゴニアでしょうか。

その二件は共に、十数年前のことです。

路上駐車の取り締まりが、今ほど厳しくなかった頃のこと。

私は数時間程なら構わないかしら、といった甘い考えで、路駐をして、その周辺のお店で用事を済ませました。

駐車した所は、5~6メートルは幅がある広い公道の路肩です。

その時は、特別変わったこともなく、自分の車に戻り、運転して帰宅した私でした。

いえいえ・・・・・・

何も変わったことがないなんて、ありえませんよね。

私の記憶がおぼろなようです。

当然、駐車違反の貼紙が張られていたことでしょう。

 

ところが帰宅数時間後に、突然警察署の方から、わざわざ電話がかかってきました。

やはり、「何事?」と驚いた私。

数分も経過しない内に、思いがけない報告で、その驚きは衝撃へと変わりました。

何と私が駐車していた車に、自転車が衝突。

運転していた人が怪我を負い、入院されたとのこと。

 

こんなことが起きるなんて想像もできないことでしたが、違反を犯した私には、弁明の余地は全くありません。

平謝りし、保険会社を通して事故処理をきちんとしました。

その後、すぐにでもお見舞いに行くべきだったのでしょうが、私は恥ずかしくて行きませんでした。

今更ながら、不誠実な自分に呆れます。

 

外出時には、常に忘れ物がないか、確認を怠らないようにしたいものです。

結構長い時間がかかる化粧品売り場は、要注意ですね。

 

もう一件も、思いがけな警察署からの連絡と問い合わせ。

電話の内容は、やはり驚きで、呆然とするようなことでした。

けれど幸いにも、その事件に、私は巻き込まれていなかったのです。

警察署からの知らせがある半年くらい前、私は必死の思いで、自分の迂闊な行為を処理していたからです。

 

その当時、ある投資顧問に、数百万の投資資金を預けていました。

四季報にも、その会社の広告が大きく掲載されていましたから、私は疑ってはかかりませんでした。

ところがその会社が倒産し、夜逃げをしたとの、警察からの報告だったのです。

被害を受けた顧客が大勢いて、今その追跡調査をしているとのこと。

その名簿に、私の名前が載っていたので、電話をかけてくれたようです。

 

私は、その話を聞き、驚愕すると共に心から安堵し、我が身の強運を喜びました。

その会社に預けた投資資金は、すべて取り戻していたからです。

しかし取り返すのに、大変な苦労をしました。

 

虫の知らせだったのでしょうか。

契約を解約したくなり、私担当の方に何度もその旨、電話で伝えました。

けれど、いつも曖昧な返事で、一向に、投資資金が戻る気配がありません。

一月近く、再々電話をかけましたが。埒があきません。

 

父母の遺品の文箱

 

これはおかしいと感じ、次第に不安が大きくなっていきました。

思い詰めた私が最後に取った手段は、会社の社長さんに、直訴のお手紙を差し上げることでした。

丁重に心を込めて、便箋にしたためました。

そして、祈るような気持ちで投函した私です。

すると、その数日後に、わたしの口座に私が預けた投資資金がすべて振り込まれていたのです。

 

上と同様の文箱です。

 

夜逃げまでしなければならないほどの負債を負い、切羽詰まった窮地に追いやられた投資会社だったのでしょう。

相手は主婦。

普通は戻ってこないのが当たり前ですよね。

警察署から被害状況を聞かされ、我が身の奇跡のような強運を、喜ぶ以上に驚いたものでした。

切々たる私の訴えとお願いの文面が、社長さんの心を打ったのでしょうか。

鬼にも涙だったのかもしれませんが、諦めないで、勅訴のお手紙を出して本当に良かった、と思う出来事でした。

 

私は数百万の資金に過ぎませんでしたが、おそらく数千、数億のお金を預けていた顧客も大勢いたに違いありません。

その後、警察の捜査で、その事件がどんな顛末を迎えたか知る由もありませんが、私には今でも忘れられない思い出です。

 

さて最後になりましたが、今回の警察署からの嬉しい連絡。

落し物が出てきました。万歳!

長女から贈られた定期券入れです。

「ボケ行為の後始末」の記事で、そのことについて触れています。

紛失後、数か月も経過しての思いがけないお知らせでした。

嬉しくて、心が跳ね上がりそうでした。

同様のものを買うつもりでデパートに出かけたところ、円安のせいか高価すぎて、諦めたものだけに、嬉しさがひとしおでした。

 

十数年前に長女から贈られたものです。

 

翌日、区の福祉課に用事がありましたので、その斜め向かいの警察署にも早速赴いた私。

無事に定期券入れを我が手にし、夫の身体障害者手帳の交付の手続きも済ませ、日が暮れかけた道を急ぎ、家路に就きました。

 

定期券入れは、バスの中に落ちていたとのこと。

何故落とすのでしょう?

自分の行動が想像できません。

年を取ると、今後ますますこのような落ち度が多くなっていくのでしょうね~

 

娘たちから贈られたこのポーチに、いつも入れるようにしているのですが。
キーホルダーも次女からのプレゼントです。

 

タクシーを降りるときは、必ず振り向いてシートの周りを確認する私ですが。

今後はバス、いえ退席するいずれの場所でも同様の動作を怠らないように心がけましょう。

 

今日の記事は、余りに恥ずかしい内容で、穴があれば入りたい心境ですが・・・・・・

臆面もなく、堂々と公開してしまいました。

「呆れた人」と、どこからか声が聞こえてきそう。(笑)

愚かなこともいろいろ経験し、今の私がいます。

何事も、よい社会勉強になったと、前向きに今では捉えている、過去の出来事でした。

 

         

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春を待つ庭 

2015-03-05 06:42:05 | 日記

日差しは明るく柔らかで、空気は優しく私たちを包み込んでくれるかのよう。

そんな思いに浸れる日が、多くなってきました。

いよいよ本格的な春も、間近かですね~

心が今年は、いつになくとても弾みます。

体調が良く、家事が順調に捗っているからでしょうか。

夫の病への不安は、相変わらずなのですが・・・・・・。

春の気候は、病人の回復にもきっと力となってくれるに違いありません。

くよくよしないで、日々の日課を元気にこなし、一歩一歩前に進んでいきましょう。

 

草花の色のハーモニーを大切に、優しく柔らかくが、私の願いです。

 

この季節になると、やる気が一層湧いてくるのが、ガーデニング作業。

私は寒い冬も、ぼつぼつですが、庭仕事に臨んできました。

我が家の今の庭の光景は、春を待たずして、結構華やいで生き生きしています。

チョッピリですが、私の理想にも近づいてきたかしら?

 

以前にも似たことを書いたように思いますが、私の理想の花壇のイメージは、現状とは幾分異なります。

頭に描くその姿とは、私の大好きな草花を群生させることなのです。

まるで野の花のように自然ぽく。

例えば、若い頃から私が好きだったマーガレットで、花壇のかなりの面積を埋め尽くしてしまうとか。

でも最近、分かったことがあります。

マーガレットって、意外に育てるのが難しいお花だと。

水やりをちょっとでも怠ると、葉が黄ばんできます。

更に、成長するにつれ木質化するため、姿を美しい状態で維持するのは、なかなか大変そう。

皆様は、如何思われますか?

 

 

マーガレット

 

ところが最近、マーガレットに感じる思いと同様の魅力で、私を惹きつけて止まない草花に出逢いました。

それは、ローダンセマムです。

実は、この花が我が家の庭で家族の一員になったのは、今回が初めてではありません。

私が体調がすぐれなかった数年前のことです。

一年半程の期間、三越のチェルシーガーデンのガーデナーさんに庭の花壇の手入れのお世話になりました。

その方が、マーガレットに代わる草花として薦めて下さったのがこの花です。。

確か「マーガレットより今風で、素敵ですよ」と言ったようなおっしゃり方ではなかったかしら。

 

ローダンセマム

 

その時は、寄せ植えだったのですが。

私の手入れが悪かったのか、花期は期待したほど長くなく、成長に勢いがついて一層魅力的な花姿になる、といった感じではありませんでした。

今回はどうでしょう?

たたみ三畳にも届かない広さしかない、我が家前面の庭の花壇です。

群生して数種の草花を素敵な雰囲気になるよう植え付けるのは、なかなか難しい課題。

でも精一杯、ローダンセマムを植えたつもりです。

 

ローダンセマム・スカピオサ・パンジー・クリスマスローズ・エルモフィラ等

 

他にも、ゴールデンクラッカーとスカピオサを。

元気に、イメージ通りに育ってくれるでしょうか。

いずれも宿根草にもかかわらず、割と花期は長いはずです。

梅雨入り前までは、精いっぱい美しい花を咲かせ、気まぐれで未熟な世話しかできない庭主を楽しませてほしいもの、と。

後は手入れ次第ですが、それが手ごわい問題です。

 

ゴールデンクラッカー

 

パンジーも、そのうち我が世の春とばかりに、元気付くことでしょう。

笑いさざめく草花の声が聞こえてくるような、春の庭が、待ち遠しい限りです。

 

         

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計画的な暮らし

2015-03-04 07:35:29 | 日記

何だか、堅苦しいタイトルですね~

自分で付けておきながら、いったい私は、今から何を書くつもりなのかしら、とちょっと緊張しています。

題名にふさわしい内容なんかではありませんので、ご閲覧下さる方々は、期待などなさらないでくださいね。

当たり前のことを、いかにも最もらしく綴ろうとしているだけのような気がしています。

いえいえ、当たり前ではなく、体力と集中力にかける私特有のやり方です。

娘たちにも、到底理解できない暮らし方かもしれません。

 

前回の記事で、何となく時が流れていくような暮らし方は苦手です、と私は書きました。

その通りで、常に計画ノートを傍に置いています。

そこに随時、数十分の間にこなしたい家事、デスクワークなどを書き留め、適当ですが時間も割り振って、その作業に臨みます。

私はデスクワークは大好きなのですが、情けないことに集中しすぎると、すぐぐったりするほど疲れてしまいます。

疲れるだけでなく、頚椎症気味の首や肩の懲りがひどくなり、横にでもならない限り、修復不能なってしまいます。

それでも時に、数時間、夢中になって一つのことに取り組んでしまい、後悔する事がよくあるのですけれどね。

 

お花の画像ばかりでは、面白味がないですものね。
我が家のインテリアの画像です。

 

その疲労困憊を避けるために、家事とデスクワークを交互に繰り返し、暮らしにリズムとメリハリを付けるようにしています。

例えば、家事20分その後デスクワーク10分、と言った具合です。

ですからタイマーがひと時も離せません。

でもこれは一例に過ぎず、私の計画は気分で千変万化します。

 

時間配分しても、一区切りの節目までやりませんと、気持ちがすっきりしませんから、

制限時間内にこなそうと、家事のスピードが自然に上がっていきます。

優先事項は、常に頭に入れています。

 

私の計画性とは、この程度の実に他愛ないもの。

大きな目標などあるわけがなく、とても小さな計画をひとつずつクリヤーして、ささやかな達成感を味わい、自己満足しているに過ぎません。

計画ノートには、目の前の家事やデスクワークの割り振りをするだけではありません、

日課の家事項目、デスクワーク項目をノートのページの縦に記入。

横は日付を書き、表にしています。

そして、終わった事には、終了のマークを付けています。

 

 

終了マークを付けるのは、私には、なかなかの快感。

計画通りにすべて終わることなんて、めったにありえないのですけれどね。

家事は、整理整頓、身支度、掃除、水回りの掃除、ガーデニング、介護、料理その他色々

食事、お昼寝なども入れると12項目も。

最近、最後に散歩も入れたのですが・・・・・・

旦那さまの介護もあり、なかなか実行できません。

 

デスクワークは、ブログを書く、家計簿の記帳、読書1,2,3(いつも三冊を並行して読んでいることが多いです)、他の方のブログ巡り、料理ブログの記述、手紙、メールを書く、その他いろいろ。

何と13項目あります。

欲張りすぎる日課ですので、一つのことにかける時間は、ほんのわずかです。

僅かでも、いろいろなことが並行して前に進んでいくことが、私は嬉しいです。

ちなみに、昨日は家事とデスクワークの項目はほとんど完了でした。

でも料理ブログと、手紙が綴れなくて、何んだか心残りに。

この二つと、他の方のブログを読む、がいつも犠牲になっている感じがします。

 

お出かけ時は、朝のうちに一通り、なんて思いますけれど、とてもとても無理。

他の用事で多忙な時は、ほとんど何も手を付けられない日もよくあります。

それはやむを得ず、仕方ないことですね~

 

我が家の玄関です。
右上はフラワーボックスになっています。ツタなどのプランツを飾ると素敵なのですが・・・

 

一時は、日中の時間割をすべて作成し、時間割通りにやる努力をしたこともありました。

計画通りに行くはずはないので、調整時間も所々に入れました。

でもこの計画の立て方では、暮らしがとても窮屈に感じられてきます。

何度か試みたものの、自分には向いていない、と今では思っています。

 

その点、目先だけの一時間程度のプランですと、随時変更も可能。

機動的に暮らせ、何度も達成感も味わえるため、今のところ、私はとても気に入っています。

 

プランの立て方は、十人十色で、色々でしょう。

私の計画は、体力のない自分い合わせた特有のものです。

皆様に、自信を持って勧められることではありません。

でも私は、この暮らし方から随分元気を貰ってきました。

幾度も書きましたが、小さな達成感の喜びを味わえるからでしょうか。

 

 

 

この過ごし方の良い影響について、一つのみ、具体的に述べさせていただきますね。

ここ4~5年は、私の人生で、一番苦労を重ねた歳月ではなかったか、と今では思っています。

夫の病のみならず、自然災害にも我が家は度々遭いました。

ネット上で、全く理解できない中傷も受けました。

 

その様な幾多の苦労は、その渦中にいるときは、一生懸命対応し、一つ一つ乗り越えるのが精一杯。

心の余裕は、失われていたことでしょう。

けれど、心映えは決して暗くはありませんでした。

ネット上に於けるトラブルの時も、心は割と穏やかで、平常心を維持できたつもりです。

余りにつらい時は、一番の理解者の妹に、私の心情を吐露して、それですっきり。

 

私がいろいろな心配事や不安を抱えながらも、平常心で毎日を暮らせた一番の理由。

それ恐らく、計画性のある暮らしに因るものではなかったか、と思っています。

何となく時間が流れていくような過ごし方を送っていたなら、きっと悩みのるつぼにはまり、精神的に参っていたかもしれません。

 

 

但し、体は正直なものですね~

その当時、原因不明の息苦しさに数年悩まされ続けました。

これは本当につらかったです。

その他異常なのどの渇き、食欲不振に。

何を食べても味が感じられないような時期も。

息苦しさほどではありませんでしたが、結構な長期間に及びました。

 

精神的なストレスに、体はしっかり反応していたようです。

体のみ、うつ状態だったのかもしれないなあ~と。

今は、そのように思ったりしています。

 

でも我ながら、自分を褒めてやりたいと思える事は、心と体を切り離すことができた事です。

体調はその当時、最悪でしたが、心模様は暗くありませんでしたから。

嫌なことに傷つきはしたものの、腹を立てたり、感情的になることもなく・・・・・・

「今が一番素敵」の気持ちで過ごしたい、と、常に前向きでした。

その様に普通に生活できたのは、小さな目標を一つ一つクリヤーする計画性のある暮らしのお蔭だった、と改めて思うこの頃です。

 

         

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理想的な生活のリズム 

2015-03-03 07:06:55 | 日記

今日はまた、私が心に描く理想的な暮らしのリズムについて、綴りたいと思います。

少し前の記事で述べたとき、その内容はあまりに具体性がありませんでした。

皆様の参考には、全くならなかったことでしょう。

 

今回も同様な文面になりそうな予感がしています。

まだ日々、その暮らし方は微妙に変化していますし、微妙どころか、まるで異なった生活リズムを試みることもよくあるからです。

理想の暮らしを求めて、相変わらず試行錯誤している私。

ただの自己満足に過ぎませんけれど。

たとえ自己満足でも、計画を立てることによるささやかな達成感、充足感は、自分の心を非常に落ち着かせてくれます。

 

この部屋で、いつもブログ記事を発信しています。
今では、一番お気に入りの、「私の部屋」といった感じです。

 

何となく、家事や色々な雑用、デスクワークをこなす内に日が暮れていく、といった感じの方が多いのかもしれません。

それはそれで、一つの暮らし方ですね。

ゆったりムードの自然体。

素敵な生活だと、私は思います。

 

でも私はそういう過ごし方は、とても苦手。

無為に時間が流れていくような気分になり、焦燥感を抱いてしまいます。

その影響で心が次第に疲れ、体の疲労感も早く訪れます。

 

ですから毎日、計画性のある暮らしを努めてするように心がけます。

但し、前述しましたように、その計画の立て方が、いまだに定まらない私なのですけれど。

「計画を立てる」を、他の言葉で言い換えれば、「時間の管理」ということになるでしょう。

 

 

年末に、書棚を整理している時、恐らく50代の頃買ったと思われる、「女と時間」~1日24時間を女性はどう使い、どう生かすか~

という題名の本を、久し振りに手にしました。

それを紐解き、最後まで再読した私です。

どうも、私は若い頃から、時間欠乏症を患い、悩んでいたようです。

似たような書物が他にもあります。

 

手にした本は、最初から終わりまで、至る所に傍線が惹かれていました。

その上、その傍線が色鉛筆の赤色と青色でところどころ二重に。

二度読んだ形跡があるのですね~

その本の内容は、専業主婦向けではなく、明らかにキャリアウーマン向きなんですけれど。

 

自分の暮らしを振り返ると、この本の影響を大きく受けていることに気付かされ、改めて驚きました。

何気なく読んだ本が、知らず知らずの内に、過ごし方にに影響を与えるものなのでしょう。

読んでいる最中に、いろんな箇所で、その感慨に浸りました。

 

見えにくいようですので、二重丸の箇所の文をご紹介しますね。

毎朝その日の計画を立て、それにしたがう人は、どんなに忙しい迷路をも、導く糸をたぐって歩いているようなものである。
計画もせず、ものごとの流れにまかせていると、すべてが混とん状態になる。

 

今も、時間管理をかなり意識して暮らしているつもりですが・・・・・・

いつも良いリズムが刻めるわけではなく、1日を振り返って後悔することも再々。

体調が大きく影響しているように思います。

昨日は、医療費家計簿の記帳と整理に夢中になり、数時間が過ぎてしまいました。

計画通りにリズミカルな生活が送れないことも、しょっちゅうです。

 

でも、最近は珍しく、とても調子がよく、家事が順調に捗り、お部屋の整理整頓の満足度が高得点なんです。

「整理整頓を完璧にする」。

これが、自分の心を潤し落ち着ける上で、とても大切であることに、最近改めて気付かされました。

身も心も軽くなり、頭の中まで、スッキリと整理されたような気分に。

年末に、一度は済ませた収納の整理ですが、さらに徹底しました。

でも意外にも、捨てるものはさほど多くない我が家。

45ℓののごみ袋を二つ使用しただけ。

これでは、全く断捨離になっていません。

もっと潔くしたいもの、と。

 

さて話がちょっと横道にそれましたが、私の計画的な暮らしがどのようなものであるか。

その点について、次回でもう少し具体的に述べさせていただきますね。

 

         

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チョッと困った旦那さまの副作用による症状 

2015-03-02 06:55:10 | 日記

私の旦那さま、最近困った現象が見られます。

どうしましょう。

戸惑いを隠せず、私の心は揺れ動いています。

 

我が家の食生活は、明らかに和食党だと思っているのですが・・・・・・。

夫もその献立に文句を言わず、美味しそうによく食べてくれました。

時に皿数が多すぎてプレッシャーなんて、変なことを言ったりしますが。

それは、食欲がない時に限ります。

 

洋食と異なり和食は、ご飯、汁物、煮物、酢のもの、焼き物、といった具合で、皿数が多くなるのは止むを得ないことですよね。

それでいてカロリーは低く、栄養価は高い。

健康維持のためには最善の食事、と私は思っていますのに。

 

しめじご飯・けんちん汁・さばの塩焼き・小松菜と厚揚げの煮びたし・オクラとタコの酢の物

 

ところが、何としたことでしょう。

最近の旦那さまは、米飯がとても苦手になってしまったようです。

むろん食卓に出せば、口を付けてはくれますが、お茶碗軽く一杯よそっただけでも、残します。

一言、二言文句を言うこともあり、私にはかなりのプレッシャー。

 

この訳は、抗がん剤の副作用によるものです。

私には、ちょっと辛くて、悲しい症状。

我が家の食生活をガラッと変えてしまうなんて、今更もう無理。

でも止むを得ないことと思い、麺料理を頻繁に出すように最近はなりました。

パスタ料理を作り、それに合う副食も数品こしらえたところ、夫はお代わりをするほど気に入り、美味しそうに食べてくれました。

 

 ミートソースのスパゲティー・鶏肉と野菜のスープ煮・レタスとラディッシュのサラダ

 

けれど、調理をする間、私は少々怖くなりました。

バター及び油の量が、和食に比べてただ事ではありません。

こんなにたくさん油分を摂っては、夫の肝臓に悪い影響を与えないかしら、と。

そんな不安を抱きながらの調理でした。

 

時に、カップヌードルが無性に食べたい、と言ったりします。

私は言い返します。

「カップヌードル何て、成長盛りの子がおやつに食べるものよ。

それに塩分が強すぎて、そんなものばかり食べていたら体を壊すわ」と。

むろん、すぐ買いましたけれどね。

いまだに出す機会がありません。

 

うどん鍋

 

でも今後、麺料理を多くせざるを得ないでしょう。

この分野は、どちらかというと苦手な私。

苦手というより、何故か理由はよく分かりませんが、あまり食卓に上らなかった我が家です。

パスタ料理は、カロリーが高くて太りそう、といったイメージが私にはあるのかしら。

 

でも、この際です。

麺料理も得意になれるように、頑張ります。

長女家のイタリアとスイス旅行のお土産だった二枚の器が、パスタ料理にはとても似合いそう。

この素敵なボウルの出番が多くなることでしょう。

 

牛挽肉とブロッコリーのスパゲティー・鶏肉となすのパプリカ煮・クレソンとベーコンのホットドレシングサラダ

 

最近の私は食欲旺盛で、1キロも体重が増加してしまいました。

食生活の変化で、ますます太ると嫌ですね~

その点は気を付けて、料理しなければ。

 

今の私は、副作用で辛い思いをしている旦那さまに、いかに美味しく食事をしてもらうかが、一番の課題。

その心がけを忘れないで、楽しくお料理に励みたい、と思っています。

 

      

 

前回の記事は投稿したものの、後味の悪さが残りました。

非表示にすることも度々考え、実際その様に一度しました。

でもやはり、私の正直な気持ちでしたので、またすぐ元に戻しました。

一旦、公開したものを隠してしまうのは、無責任で恥ずかしいことだと思ったからです。

 

ここでお断りしたいことがあります。。

実際の私にそぐわない言葉を使用してしまいましたから。

一昨日のことですが、すでに書き直しています。

腹を立てたと、最初の行に書きましたが、私はそのような怒りの感情を抱いたことは、ネットトラブル中、一度もありませんでした。

腹を立てるほど、真摯に向き合ってはいなかったからでしょう。

どこか冷めた目で、見ていたように思います。

その間の体調を思えば、ストレスは相当なものだったのでしょうが。

けれど、私の最大の理解者だった妹とこの話をするとき、その口調はいつもと変わらず、平静でした。

 

過去の記事でも、同様のことを書いています。

2013年8月26日の記事です。

後半は、追記に追記を重ねたものです。

相手の方々の記事やコメント欄での、私への連日の中傷を見て、書き加えました。

もうすでに過去のこと。

その後もいろいろありましたが、私は、すべて水に流したつもりでいます。

 

いつまでもいつまでも…いい加減にしてください、と強く申しあげたくて、今回は、厳しい言葉になってしまいました。

ごめんなさい。

常に前向きで、何事にも一生懸命取り組まれる方だと思っています。

きっと実際にお会いすれば、楽しくおしゃべりできる方かもしれません。

 

バーチャルの世界の、理不尽な怖さを痛感した私ですが。

貴女も、私と似た辛い経験を、過去になさった事がおありですよね。

お互いに気を付けてまいりましょう。

貴女らしさを十分に発揮して、思いをひとつひとつ叶え、素敵な日々をお過ごし下さいませ。

 

        

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