今日が一番素敵

丁寧な暮らしを心がけながら、日々、折々のの心模様を素直に語ります。
今が一番素敵との思いを込めて。

続 お伊勢参り 

2015-05-30 07:45:38 | 日記

桟橋近くの鳥羽駅から電車に乗り、神宮前の宇治山田駅に到着した私達。

伊勢お参り後、この駅にまた戻った時の事です。

郷里の市政に携わり、局長として活躍したことがあるHさんが、

「この駅が僕は好きなんだな~」

と、感慨深げに言いました。

色々な都市を視察されたに違いない彼の言葉は、とても重く、価値あるものに感じられる私です。

ちなみに、彼の口癖。

パリの街の景観に、心惹かれて止まないようです。

 

背景の建物が宇治山田駅です。

 

実は私も、この駅に到着した時点で、その魅力を一瞬に感じ、写真に収めたのでした。

風格を備えた重厚な建造物からは、歴史と伝統の重みが感じられ、まさに伊勢神宮にふさわしい駅の姿。

とても印象的でした。

 

 

けれど、ゆっくり写真を撮る時間もなく、食物の神さま、豊受大神が祭られている外宮へと向かった私達です。

食物のみならず、衣食住、産業の神様として崇敬を集めているところのようでした。

 

お参りは外宮からといわれているらしく、その作法通りに予定を立ててくれたHさん。

でも、ここは正宮のお参りのみにとどめ、内宮を丁寧にお参りしましょう、とのことでした。

 

 

まずは、外宮前で、お昼食を。

その後、多少改まった気分で、玉砂利の参道を踏みしめながら正宮へと向かいました。

心を込めて参拝し、他の宮は回らず、タクシーを拾い、内宮へと向かった私達です。

 

外宮の正宮

 

外宮と違い、入口に立つ鳥居の向こうは、山を背景に、広大な神域が広がっていました。

瑞々しい新緑と青葉が混在したその爽やかな光景の何と美しいこと。

清澄な空気に包まれたような、清々しさがみなぎっていました。

 

神さまの御座します所。

当然の印象かもしれません。

素直にその空気に浸り、日頃の業を洗い清めていただくような気分になりました。

 

域内を流れる五十鈴川は清流で有名とのこと。

まさにその通りの澄んだ流れ。

その川面に周りの緑が溶け込んでいるかのよう。

その清らかな落ち着いた絶景は、言葉にならないほどです。

神さまが宿っておられることが実感できるような場所でした。

しばし、その景色に見とれた私たちです。

澄んだ川面に、そっと手を当てたりしました。

 

 

その後は、至る所に点在する宮や社を眺め、時に頭を下げ、神妙にお参りしながら、参道を抜け、正宮へと。

初孫のR君と、この宮をお参りしたことを懐かしく思いながら、外宮の時より、一層厳粛な気持ちで、階段を上がり、正宮の正面にたどり着いた私です。

お賽銭を入れ、二度柏手を打ち、二度頭を下げて、しばらく無心に拝みました。

 

正宮の簡素な建築は、見つめれば見つめるほど美しい。

無駄なものはすべて削ぎ落とした、日本の建築様式の美の極みといった感じ。

ドイツの有名な建築家が、絶賛したそうですが、私も心打たれたのは言うまでもありません。

十数年前にタイ旅行した時に見た、きらびやかなテンプルとは対極の物ですね~

国民の趣向の際立った相違を、何故か思いました。

 

日中次第に温度が上がり、薄い半袖の羽織物に着替えた私です。

 

そこはむろん写真撮影禁止でしたので、階段の下でパチリ。

そこをお参りすると、お伊勢参りを成し遂げた快い達成感がありましたが、さらにその後も、荒祭宮、神楽殿、神社など、同窓生五人で和やかに談笑しながら巡り参拝しました。

 

 

夫の回復を願ってお守りを二つも買い、愛妻家の同窓生のO君の影響で、朱印帳までも。

旦那さまの回復を願い、朱印帳をもって、お寺や神社巡りをしたい心境ですが、行動に移す殊勝な心が、今後の私にあるかしら?

 

おかげ横丁

 

夫の病を気にかけ、腰痛を押して参加した私の事情を承知の皆さん。

随所随所での私に向けられた気遣いと優しさに、私は恐縮しっぱなしでした。

愛妻家で有名なO君が、私が、自分の奥さんに雰囲気がとても似ているといい、「姫!姫!」とよく呼んで下さいました。

70を過ぎて、姫!何て呼ばれると、なんだかくすぐったく・・・・・・。

でも単純に、若返ったようで、嬉しくなってしまった私です。(笑)

我が家では、姫どころか、私が、殿様!殿様!と呼ばないといけない雰囲気ですもの。(笑)

 

鳥羽桟橋に向かうフェリーの特別室にて

 

まるで身内のような気楽さと親しさ。

そのうえ、頼もしいHさんのきめ細やかなガイド。

実に充実した一泊二日の楽しい旅でした。

旅の最後は、宇治山田駅近くの皇室ご用達の割烹、「大喜」でお夕食。

 

 

このお店の予約も、Hさんがしてくれていました。

美味しかった!の一言で、改めてお世話になったHさんはじめ、皆さんに感謝の気持ち一杯の私。

 

 

 

宇治山田駅で、郷里方面に向かう三名の同窓生と名残を惜しみ、固い握手をしてお別れしました。

帰路が東京方面だったのは、私とN君。

学生のころから優秀なだけでなく、物腰が落ち着いていて大人びていた彼。

私が小学生のころから、印象深い人でした。

しみじみ語り合え、本当にうれしかったです。

企業人として活躍されていたころのお話も、たくさん聞かせてもらいました。

 

 

同窓会の素晴らしさとは、過去の経歴や肩書など全く関係なく、学生時代の関係に戻れ、純粋な心で向き合えること。

この屈託のない交流は、何物にも替え難いものですね~

 

実に楽しい会でしたが、真夜中に近い時刻の帰宅で、翌日から当分疲労が抜けない生活に。

旅行後は、いつも体調を崩す私ですから、覚悟はできていましたものの・・・・・・。

 

驚いたことは、整形外科医院の紹介状をもって夫が入院している総合病院で受けた腰痛の診断結果。

何と背骨の圧迫骨折!

とんでもないことになりました。

けれど、今なお同窓会の余韻を胸に、伏せることなく、何とか暮らしています。

 

夫は昨日退院しました。

腰の痛みは、お薬のお蔭か、次第に緩和されてきています。

自重しながら、また変わりない日々を、明るく前向きの心映えで、過ごしたいもの、と願っていますが

さて今後はどうなることやら、少々思いやられます。

アッ!腰がイタタ~

ブログを長い時間書き過ぎたようです。

 

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お伊勢参り

2015-05-29 07:28:24 | 日記

同窓会の翌日は、いよいよお伊勢参りです。

私が、この同窓会に、ひどい腰痛を押してまでも参加したいと思った訳は、三つあります。

大変お世話になった、恩師のお墓参りがしたい。

懐かしい同窓生に会えるのが嬉しい。

もう一つ、もしかすると一番行く気になった理由かもしれません。

夫の病の回復を、日本で一番格上の神社でお祈りすれば、その願いがかなうのでは、との期待からです。

 

ところが、観光地に詳しいHさん話によると、お伊勢参りではお願い事をしてはいけないとの事。

感謝のみするところなのだそうです。

さてそれではどのような思いで、頭を下げましょうか。

しばらくその言葉を思い巡らし、胸に秘めました。

お伊勢参りでは、内宮と外宮の両方に出かけた私達です。

 

さてこのお参りのお話をする前に、この神社にたどり着くまでの道程も綴ることに致しましょう。

恩師のお墓がある豊橋から、電車とバスで渥美半島を走り抜け、岬にたどり着いた私達。

私は、車窓から久しぶりに伊勢湾の海を見て、子供のように心が躍りました。

その途中、電力発電の風車も目にすることができました。

私が想像したほど目障りなものではなく、自然の緑と青空に溶け込んで、美しい風景となっていました。

 

 

 一時間少々の乗車で、恋路が浜の岬にたどり着いた私たち。

「名も知らぬ 遠き島より流れよる 椰子 の実ひとつ♪」という島崎藤村の抒情詩の舞台となったことでも有名な所だそうです。

浜にあるお店で、潮風に当たりながら、その地名物の特大あさりの焼き物料理をいただきました。

余りに大きなあさりを目の前にして、驚きの声を上げてしまった私。

その素朴で新鮮なおいしさは、格別。

感動ものでした。

迷うことなく、その地の名産を口にできるのも、観光地に詳しいHさんのお陰です。

 

 

そこからフェリーで、伊勢湾を横断し鳥羽港へと。

その船旅で、私が一番楽しみにしていたのは、三島由紀夫の小説「潮騒」の舞台になった「神島」を望めること。

実は、幸運な偶然ですが、昨年末、この書物を手にし、再読したばかりだったからです。

その冒頭に、この島の美しさを述べた記述があります。

さすがにノーベル賞候補との評判が高かった有名な作家の小説だけあり、若い男女の純愛はむろん、島の情景や、優しい灯台守の老夫婦の姿が心に焼き付いて、今なお離れないでいました。

最近読んだ新進の作家著作物のストーリーは、すでに忘れかけているものが多いのに。

 

友人達にはむろん、その期待感で私の胸が膨らんでいることを告げました。

そのせいか、島影が次第に迫り大きくなってくると、

デッキに出たほうが良く見えるよ、と案内してくれたH君。

灯台はどれだろう?

と数人で、その小説の話題で盛り上がりました。

 

とても小さな村が、山のすそ野の海岸沿いに集落になっていました。

恐らく、本で書かれていたような漁村なのでしょう。

 

 

遠くからから眺めただけですから、その島の美しさまでは、感じ取れませんでしたが、私は目にしただけで十分満足。

紺碧の空でしたら、青い海と島の緑のコントラストが鮮やかで、さぞや美しかったことでしょうに。

残念ながら、その時の空模様は、霞がかかったような白さで、海もさざ波が立ち、多少荒れ気味でした。

 

臆病な私は、デッキの端に立つだけで、足がすくんでしまいそう。

そこで友人に撮ってもらった写真の私は、とても緊張した顔つき。

恥ずかしくてブログになんて。絶対載せられな~い。

 

 

この船旅で、思いがけないものを他でも見ることができ、私の喜びは一層大きくなりました。

さすが男の人たち。

私のみでしたら、周りの景色に気を取られ、見過ごしてしまったかもしれません。

N君が教えてくれたのは、海上保安庁の船と、イージス艦です。

 

 

海上保安庁の船といえば、東シナ海における中国漁船の衝突事故が、すぐ頭に浮かびますが。

イージス艦については、他の友は、「

自衛隊の船ではあるけれど、イージス艦かな~?」

と疑問符を投げかけていましたが。

例えそうでなくても、このような船を目にできた幸運を嬉しく思い、旅行気分が更に盛り上がりました。

 

みんなでワイワイおしゃべりをしている内に、目的地、鳥羽の桟橋が近づいてきました。

そこで、私は懐かしい建物を、目にすることに。

鳥羽水族館と御木本の博物館です。

初孫のR君が幼い頃、夫と三人で三泊四日の旅行を楽しみ、その時、寄った場所だったからです。

 

鳥羽水族館

絵本に登場した、仲良しのジュゴンのセレナちゃんと亀吉君に会うのが、この時の旅行の一番の目的でした。

 

十数年前の、今よりはるかに若かりし頃の私と、元気な旦那さま、幼いR君との旅の想い出が鮮やかに蘇えりました。

想い出の地を再訪すると、こんなに感激するものなのだ、と改めて思った私。

 

御木本の真珠博物館

 

そういえば、母を亡くした翌々年でしたか、奥日光へ家族で旅行に出かけた時の事。

母と共にこの地を訪れた想い出が蘇り、涙があふれて止まらなくなってしまった私です。

この度は、涙は出ませんでしたが、その一歩手前といってもいいほど、感極まりました。

夫が、十数年前と異なり、重い病で伏せているからかもしれません。

 

童心に返り、五十分ほどの船旅を特別室で満喫した私たち。

特別室何て書くと、豪華な船旅を想像なさるでしょうね~

追加料金、数百円です。(笑)

 

いよいよ鳥羽桟橋に到着。

そして伊勢神宮の最寄り駅、宇治山田へと、電車で、私たちは向かいました。

 

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同窓会 小学校の恩師の墓参

2015-05-28 06:24:07 | 

かなり重い腰痛を押して、小学校の恩師の墓参を兼ねた同窓会に参加した私。

久しぶりに、豊橋行きの新幹線に乗り込みました。

自分の体調に自信が持てないままの出席で、不安一杯でしたが・・・・・・。

幼友達といってもいいほど親しい同窓生が幹事となり、観光の案内役も一手に引き受けてくれるようです。

電話で、

「箱根の同窓会と同じように、僕が~さんの保護者になるから、安心してくればいいよ」

といつもと変わらない、優しい頼もしい口調。

Hさんは、そんな冗談を言いながら、私の参加を心から喜んでくれました。

何せ、十人の参加で、女性は三人のみ。

翌日のお伊勢参りの観光に出かけるのは私だけで、紅一点(?)となることになりました。(笑)

 

学業優秀だったHさんは、T大学を卒業後、郷里の市政に携わりました。

市長になるのでは、と期待される程、すべての面で秀でた人。

過去の職業、好奇心旺盛で親切な人柄のせいでしょう

観光する際も、驚くほどの情報通で、実にきめ細やかな準備とガイドをしてくれます。

 

 彼の自筆の案内状兼予定表
こんなに心のこもった案内状を手にする方はいらっしゃらないのでは。

 

一日目は、小学校の恩師のお墓参り。

その後、そこから徒歩十分足らずのところにある、豊川稲荷に行きました。

I先生の墓石を前に、教え子の私達がお花を手向け、各自手を合わせ、お参り。

その後、念願を果たした爽やかな笑顔で、皆、先生の思い出を胸に楽しくおしゃべりし、感慨に浸りました。

I先生の墓石を一生懸命洗う、O君の殊勝な姿に心打たれた私です。

先生も、さぞ喜んでくださったに違いありません。

 

 手前の同窓生は、恩師のご長女で、私達と同学年でした。

 

そのあとお参りした豊川稲荷は、日本の三大稲荷の一つとか。

織田信長、豊臣秀吉、渡辺崋山などの武人、文人の信仰を集めた由緒ある曹洞宗のお寺のようでした。

その名の通り、広い境内に、立派な山門、本堂、他諸堂があり、私がびっくりしたのは、狐さんが多いこと。

愛嬌あるキツネさんたちに迎えられた事が、このお寺の一番忘れられない、楽しい思い出かしら。

無邪気な私です。(笑)

 

 

その後ホテル前の和食処で、夕食を取りました。

宴が終わりに近づいた頃、先生の想い出話を、各自が数言、述べることに。

男性陣は、先生の温かなびんたを食らった話を、懐かしさ一杯に語っていました。

 

その点、I先生は女生徒には優しかったのでしょう。

私は、いつも先生に優しく見守られた思い出しかないこと。

小学五年生までは、割と優秀な生徒だったけれど、鶴亀算が登場した頃から、次第に頭が混乱し、勉強への苦手意識が大きくなった事。

そして、先生に心配をかけた思い出等を。

 

他に、新婚数年後、夫が郷里の支店に転勤となり、実家近くに住んでいた時の事。

お住いが割と近かったこともあり、酔いが回った先生が、私達の家に夜遅く立ち寄られ、大層驚いた話をしました。

「卒業して二十数年経過したにもかかわらず、私の事を心にかけ、ご訪問下さった恩師の厚い思いを改めて噛みしめ、感謝の気持ちがわいてくる事」

などを。

 

豊川稲荷の本堂の前で

 

ホテルに戻ると、私は他の方達を後にして、すぐ部屋に戻ることに。

翌朝の集合が、6時45分と、とてつもなく速いので、少しでも多く睡眠を取り腰も休め、明日に備えたいと思ったからです。

明日観光に参加しない人たちと、また元気で会いましょうと、固い握手をしてお別れした私です。

他の方達は、その後夜更けるまで、共に過ごされたのでしょう。

 

みなさん、温厚そうで、立ち居振る舞いに風格があり、いい年を重ねられていることが一目で分かるようでした。

その中にあって、小学校の時、とても仲良しだった女性のYさんの貫録がひときわ目立っていたかしら。

今なお、税理会計事務所を先頭に立って営み、活躍されている様子。

専業主婦の私は、同年齢にもかかわらず、Yさんの巧みな会話術、記憶力、生活力に圧倒されるようでした。

 

私はなんとも頼りない、か弱わそうな雰囲気に、その方から見ると、見えたことでしょね~。

翌日は同窓生から、「姫!姫!」と冗談で呼ばれ、荷物を持ってくださり、常にエスコートしていただくことに。

皆さんの優しさと細やかな心遣いに感謝感激の私でした。

夫がその端くれでも取り入れて、私にもっと優しくしてくれたらな~、と叶わぬ願いを、つい抱いてしまった私です。

 

恩師の菩提寺の本堂
お寺とアジサイの風景が、実に情趣豊かでした。

 

抗がん剤の副作用で大変つらい状況なのに、同窓会の参加を認めてくれただけで、感謝すべきことですね。

実際は、旦那さまはしぶしぶの心境のように見えました。

私は欠席の返事を一旦は書き、投函寸前でしたが・・・・・・。

娘たちが、

「パパの事は私達が引き受けるから、息抜きに行ってらっしゃい!」

と強く勧められてのお出かけだったのです。

 

しかし妹(ブログ名 世界に一つだけの姥花日記)が言うに、

「その人たちも、同窓会の時は特別でしょう。

きっと家に帰れば、うちのAさんみたいに亭主関白で、奥さんに優しい言葉なんてかけないのではな~い。

Aさんも、恐らく同窓会では、一番明るくて優しいイメージの人だと思うわ。」

でした。

私は騙されただけ。(笑)

でも本当に楽しい同窓会でしたから、私は今回の印象を大切にして、心の内でいつまでも温めることにします。

明日は伊勢参りの想い出を綴ります。

 

 

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腰痛に悩まされる日々 

2015-05-27 07:09:43 | 病気

前回の一連の記事を投稿する前あたりから、ひどい腰痛に悩まされ、その後もその症状が長い期間にわたって継続。

そのために体調も今一つで、さわやかな気候に背を向けたような心持の日日でした。

二か所の整形外科医院で診察を受けたものの、骨に異常は全く見当たらないとの事。

筋肉痛のようですが、その痛さが尋常ではなく。

レントゲンを撮るためにベッドで体位を変える時、まるで電光石火のような激痛が、三度も襲い、思わず声を上げてしまいました。

こんな恐ろしい痛みに見舞われたのは人生で初めて、と言ってもよいほどのものでした。

 

私は運動不足が明らかな暮らしながら、なぜか関節は丈夫。

この年まで腰痛に悩まされることがほとんどありませんでした。

頚椎症との診断を受けたときには、妹に意外感をもって受け止められたものです。

妹の方が若い時から、関節の痛みをよく訴えていたからです。

骨折も、妹は幼い頃からしばしば経験済みですが、私は昨年、ガーデンチェアーから転落し、ろっ骨を折ったのが、人生初めての事。

 

結局、原因が不明で、ストレスからくることもあるとの診断。

或は内臓の症状が腰痛になって表れることもあるとの事。

そのため、総合診療科の診察を受けるようにと勧められ、夫の入院先の病院あてに紹介状を書いてくださいました。

 

時期外れの花の画像でごめんなさい。花水木です。
凛とした花姿の雰囲気が、母にとても似ていると思い、母が亡くなった年に、偲ぶ記念樹として庭先に植えました。
けれど花つきが悪く、不本意なままでした。けれど、今年は例年と違い、初めての満開♪
母に励まされたようで、とても嬉しかった私です。
今年は、きっと良いことがたくさんあるに違いない、と思ったものですが
夫の病状は悪化しているようにしか見えないし、私は骨折までしてしまって・・・・・・。
ため息が出そう。

 

夫の人工肛門のパウチ交換の時は中腰になり、腰に多少力が入るので、そのせいかもしれません。

ストレスも、納得の行く原因です。

でも私は、ストレスと付き合うのは割と上手な方。

自分では元気に明るく乗り越えているつもりです。

けれど、いつも体は、誠に正直に応えてくれます。

また同様のパターンのようにも。

 

ストッキングをはくのさえ、今は大変苦労しています。

はこうとすると激痛が走るため、つま先を動かしスットキングを、やっとの思いで足先にかけ、苦労しながら少しずつ、上に引き上げている私です。

右足が特に不自由。

 

四月の下旬頃からでしょうか。

そんな苦労をしながら暮らしている内に、徐々に回復傾向になりました。

痛みどめのお薬が効いているだけだったのかもしれませんが。

そのため、迷いに迷って、一度は欠席の返事を書いた同窓会に出席するといった、非常識な行動をついに決行。

夫の病院での診察は時間もなくて、同窓会旅行終了後にすることに。

さてさてどうなりましたことでしょう。

明日はまず、同窓会の楽しかった思い出記事を投稿し、そのあと腰痛のとんでもない診断結果の話に戻ります。

 

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今更ですが母の日の想い出 

2015-05-26 07:11:18 | 

書くタイミングが余りにずれている。

今更で、少々恥ずかしいですが、母の日の家族の会食について綴りたいと思います。

特別な日といった感じではなく、さりげなく長女家からお招きの声がかかり、一緒にお食事をしたに過ぎません。

夫の体調次第のところがありましたが、YさんからOKの返事がとれ良かった。

 

次女は週末は、ほとんどグランドに終日出っ放し。

役員となり、少年野球部のお世話と応援に没頭している今年。

仕事も大きなイベントが迫り、毎日家事・育児と仕事の両立で超多忙のようです。

そのため、送迎をしてくれたのは長女家。

私がつい見惚れてしまうような流線型の美しい車に、また乗せてもらいました。

そして、いつも行き付けのイタリアンレストランへと。

 

 

余りに変わり映えしないお食事処で、新鮮味にかけますが、若夫婦たちはとてもお気に入りのようです。

私が住む街には、確かに気の利いたレストランが少ない印象は否めません。

親しい友人の話では、この周辺は、外食より、家庭料理にお金をかける人が多いとの事。

そのために高級大手スーパーが揃って出店しているでしょ。

成城石井、明治屋、紀伊国屋、・・・・・・

一方、期待したほどの需要が見込めず、レストランは流行らず、撤退してしまうのだとか。

その中にあって、私たちが行き付けのレストランは、有名な音楽家も愛用する一番人気の高い場所のようです。

もっともらしいお話ですが、本当かしら。

 

 

確かに我が家も、旦那さまは徹底した外食嫌い。

家庭料理ばかりですから、いくら料理好きの私でも、外食はとても息抜きになり、助かります。

息抜きのみならず、子供や孫たちの元気な姿を落ち着いた気持ちで眺められるのも嬉しい。

それに感謝して味わう一品一品は、殊更美味しく感じられるもの。

けれど、家族揃っての集いは、何だか幸福感で胸いっぱいになり、思ったほど食べられない私なんですけれどね。

 

 

 

このような集まりは、幾度となく繰り返してきているため、綴るにあたって、新鮮味のある文章を書くのは、なんだか難しいこの頃。

似た雰囲気の中で、お喋りに花が咲き、瞬く間に楽しい時が終わってしまうからです。

 

今回は、孫の話題に焦点を絞ってみましょうかしら。

母の日を元気でいつまで迎えられるか、心もとない年齢になってきた私ですが。

その感慨は、今後も、幾たびか綴れるでしょうから。

 

家族全員が集合すると、大人たちで話が盛り上がり、一方、子供たちは蚊帳の外といった感じになってしまうのですが・・・・・・。

家における家族会では、子供部屋で勝手に、自分たちの遊びに夢中になり楽しい時を過ごしている様子です。

 

高1のR君は、小学生の高学年あたりから無口で不愛想。

非常に対応を難しく感じてきた祖母の私です。

男の子を育てたことのない私ゆえ、戸惑うことが多くて、心配も募りました。

けれど母の日のR君は明らかに雰囲気が異なり、一皮向け、成長した感じ。

大人の話にも興味を示し、時々口もはさんでいる様子。

何も心配して、取り越し苦労をする事はなかったようです。

 

写真では私の背が高く見えるけれど、はるかに私の身長を超しているR君
この日の私は既に腰痛がひどく、なんだか疲労気味の顔でした。
ヘヤースタイルもモサモサで変ですね。

 

母の日に、一番感激したことは、このR君の私への態度でした。

母の日より、敬老の日にふさわしいような内容ですが・・・・・・。

長女家が私達を家まで見送ってくれ、別れる際に、思いがけないR君の優しさに接し、私はとても感激。

私の手を取って、

「おばあちゃん、体に気をつけてね」

と、温かな言葉をかけてくれました。

たったこれだけの言葉に過ぎませんでしたが、私を見つめる優しい眼差しに、私はR君の一段の成長も思い、たとえようのない喜びをかみしめました。

恐らくおじいちゃんにも、同様の言葉をかけたのでしょう。

 

非常にデリケートーなところが性格にあるR君。

そのために、強いパパの口調に委縮してしまっているように見受けられました。

しかし最近のR君は負けていないようです。

堂々と、とまではまだ行かないかもしれないけれど、反発したり意見を言う強さが十分備わってきました。

そんな姿を見て、ついR君を応援したくなる祖母です。

 

かれんちゃんの寝顔をじっと見つめる子供好きのR君。

 

その点、妹のさっちゃんは、パパに向かっていく強さは目に余るほど。(笑)

私は、R君と性が反対ならよかったのに、と何度思ったことでしょう。

その席でも、ついさっちゃんに注意をしてしまった私です。

「おばあちゃんはね、お父さんに話しかける時は声色まで変わり、丁寧な口調になったものよ。

さっちゃんも、パパは敬い、もう少し丁寧にお話しないとけないわね。

さっちゃんのママも、おばちゃまも、とても優しくて素敵な女性でしょ。

見習って、同じような雰囲気の人に将来なってほしいわ」と。

 

するとさっちゃん、手を横に振りながら

「私は無理!無理!」

とあっけらかんな口調で言い、逃げられてしまいました。

 

おばちゃまに語りかけられて、笑顔のさくらちゃん
格好いい女性になりたいとか

ボーイッシュなお洒落は、なかなかのセンスです。

 

でも私は焦らず期待しています。

親の背を見て育つ子供は、多かれ少なかれ、必ず親に似てくるものですもの。

目覚ましい成長を遂げた、麗しいさっちゃんを夢見ている祖母です。

 

次女家の子供たちの話題も尽きせんが、長くなるので、今日は簡単に。

今でも頼りたくなるほどの頼もしさが、次女家の長男、K君にはあります。

近くに住んでいます。

まだ小学四年生ですのに、既に、なんだかとても心強い存在。

よく旦那さまに話します。

物を届けたりと、パパの車を降りてK君が束の間の訪問してくれることがよくありますが。

「落ち着いた態度と、私に向けられた優しいきれいな目元を見ると、それだけで、私の心はとても安らぐの」

と。

 

 

かれんちゃんはまだ幼くて、今後の成長が楽しみの一言に尽きます。

おっとりしているけれど、大きな目はとても利発そう。

将来が楽しみです。

 

おねむで少々不愛想なかれんちゃん

 

母の日なのに、孫の話題に終始してしまいました。

高一のR君に、「来年からでもいいから、母の日にはお花でもママに贈ってあげなさいね。きっとママ喜ぶわよ」と言うと、

「うん!」といい、素直にうなずいていたR君。

私が言うまでもなく、すでにプレゼントをしていたのかもしれませんが。

 

そういえば、今年は次女からの母の日の贈り物がありませんでした。

こんな事、初めて。

それは一向に構わないのだけれど・・・・・・。

忙殺された日々が改めて伝わってくるようで、そのことの方が気がかりな私です。

仕事が大変なうえに、週末の日中は、埃まみれになってグランドに立ち通しでは。

心の余裕を失っていなければよいのですが。

 

私の目から見ても、娘たちは、とてもいいお母さんだと思っています。

最近は、何もお手伝いをしてあげられないけれど、陰ながら、あなた達、幸せ家族の今後を、いつも見守っています。

 

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もっと早く歳月が流れてほしい 

2015-05-25 07:13:51 | 病気

今年も余すところ、あとほぼ半年。

瞬く間に、月日が流れてしまった!

そんな思いでいます。

数年前までの私でしたら、そんな状況に焦りを感じ、もっと遅く時が経過してほしい、と強く願ったことでしょう。

「光陰矢の如し」だと、たちまち老け込んで、死が早まるだけと、単純に思ったりもしたものでした。

 

しかし今の私の心持は、かなり異なります。

矢のスピードより、もっと早く時が流れても構わない、と。

その方が嬉しいかもしれない、と。

なぜなら、夫の病状を心配するあまり、つい、Yさんが元気でいられる歳月を慮ってしまうからです。

病気で気分が悪い旦那さまも、おそらく朝起床して就寝までの時間を、とても長く感じているに違いありません。

 

私の今の目標は、73歳の夫が喜寿を今と変わりなく迎えられること。

できることなら80歳まで。

なぜなら、両家の父がその年齢の前後に亡くなっているからです。

 

そこをクリヤーできれば、さらに目標年齢を上げましょう。

そんな年まで長生きしてくれたなら、私の方が、先に旅立っている可能性も十分ありますけれどね。

 

 

癌になると、よく五年生存率とか余命何年とか言った言葉が、頭にこびりついて離れなくなるものかもしれません。

幸いにも、夫がお世話になってきた医師は、この言葉はほとんど口になさいませんでした。

余命については、最近になり、新しい病院の若い医師がはじめて口にされ、私は内心、少々憤慨したものです。

表面上は、いつもと変わらない態度で、夫婦揃って冷静に伺いましたけれどね。

 

同じ先生と、夫抜きで個人的な相談事をした時には、余命についての表現が、微妙に変わっていました。

~さんは、他の患者さんに比べると経過が良好な方です。

ですから、今後の見通しは、立てにくいと。

 

私はその言葉に、納得。

そうですよね。

神秘的な命を宿した人の死に至る期限を、たとえ医師であろうとも宣言するのは、あまりにおこがましいこと、ではないでしょうか。

私は神様の思し召し如何、の領域であると思っています。

 

夫はC型肝炎による肝臓がんを患い、その後長い闘病生活に入りました。

肝臓がんは、およそ半分を切除するといった、大手術で難易度も高いものでした。

でも世界的に名声の高い医師の執刀による手術が功を奏したのか、その後の経過はすこぶる順調。

私は全く意識することのなかった五年は、瞬く間に過ぎてしまいました。

この五年間の歳月の流れに、改めて感謝しましょう。

 

 

しかしその途上で、直腸がんが見つかり、その後、また肝臓に転移。

肝臓の癌は、今はすっかり消え、直腸がんの経過観察といったところですが、前回の記事でも書きましたように、腫瘍マーカーの数値は3で正常。

とても喜ばしいことだと、医師は言われますが・・・・・・。

しかし癌が消えたわけではないようです。

複雑な経過で、私が理解に苦しむところですが、くよくよ考え頭を悩ましても、どうすることもできません。

 

私の未熟な判断で、一番思うことは、夫の生活力の低下をもたらしている一番の原因は、がんよりも、放射線治療の副作用で生じた腸の穿孔のような気がしてなりません。

そこにドレーンを挿入し、体外に汚れた腸液を排出しながら過ごしている旦那さまです。

その患部が、動き如何でとても痛むようで、歩行にも大いなる支障を来しています。

此処の手術を行うことはできないものか。

一度、そのうち先生に伺ってみようと思っています。

残念ながら、その手術はその後のお話で無理なようでした。

 

 

旦那さまは、物事をシンプルにしか考えようとしない人。

あれこれ想像をめぐらすのを、とても毛嫌いします。

 

ですから病気に対しても、先生にすべてを任せ、一切疑問を抱きません。

私は想像力は、夫に比べるとはるかにありますが、病気に関しては、治療に当たってくださる医師を信頼し、取り越し苦労はできるだけしないようにしてきました。

けれど、そんな私でも、時に先生に質問したり、要望を遠慮がちに話すこともあります。

前述の質問とお願いもそうでした。

でもその度に、夫が非常にイライラしているのが分かり、私は情けなくなるのですよね~

 

担当医は病室を尋ねられた際、夫の前で時に、結構深刻なお話をなさいますから。

つい私はその内容が心配となり、その場で、質問したり、自分の気持ちを伝えることがあります。

しかし、最近も、その私の態度に非常に苛立った旦那さま。

その様子を見て、今後は気を付けようと思いました。

 

旦那さまの前では、口を利かないようにしようと。

先生がその場を去られるとき、廊下に一緒に出て、夫に聞こえないように立ち話すれば良いだけですから。

 

 

それにしても、新しい病院の若い先生は、ずけずけと物事をおっしゃいます。

爽やかな雰囲気の、感じのいい先生なのですけれどね。

私は旦那さまの気持ちを察し、ハラハラし通し。

T大病院の年配の助教授とは、病人への対応がまるで違います。

一度やんわりと、夫への口の利き方は気を付けてほしいとお願いしたのですが、あまり態度を変えて下さいません。

正直に話すのが自分の方針だと、いつか言われました。

 

病気のせいで、短気になり、理解に苦しむようなことでイライラする旦那さまを見て、私のストレスもかなりのものですが。

くよくよしても始まりません。

悩み始めると苦労が倍加して辛くなるだけ。

如何なる状況にあっても、「今日が一番素敵」の心境で過ごせるように、日々心を新たに頑張りたいもの、と願っていますが・・・・・。

あまりにひどい腰痛で、軽やかに動くことができなくて、気持ちがつい沈みがちな日々です。

 

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花のように泉のように

 

 

 


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取り留めもない草花の話題~日々を新たに、今日が一番素敵の思いで

2015-05-13 09:38:52 | 日記

最近の我が家の庭は、一番美しい時期が過ぎ、多少の憐れを伴ってきました。

いずれのお花も、花つきが悪く、咲くお花も小輪に・・・・・・。

春の庭を代表するパンジーもローダンセサムも。

 

アジュガも、終わりを迎え。

気高い紫色の花が群れを成して咲く姿は華麗そのもの。

花壇を美しく縁どってくれます。

去年の外壁工事の際、足場で踏みつけられ、そのショックから立ち直れていないような時期がありました。

とても心配しましたが、強い生命力と繁殖力で、花数は少なくなったものの、また美しい花をつけてくれたアジュガ。

もう五年近いお付き合いです。

その喜びとは裏腹で、画像の枚数は少なくて。

 

 

実は、腰がイタタ!イタタ!の日々で、最近、二度も整形外科医院通い。

ここ一週間、庭の手入れは、手抜きもいいところ。

カメラもほとんど手にしていません。

幸いにも、今日は今のところ晴れ模様ですので、このお天気が保ちそうでしたら、後ほど庭の写真を撮り、載せることに致しますね。

 

前回の記事で、モッコウバラが写真を撮る猶予も与えてくれないほど、瞬く間に一番美しい峠を過ぎてしまった、と綴りました。

けれど、この表現は、少々間違っていることに気が付きました。

確かに一番美しいのは、蕾が開き始めた初期の頃との思いは今も変わらない私です。

一斉に満開になると、その後は実に短命。

しおれて枯れてしまった花ばかりとなり、それが全体を覆いつくしてしまいます。

 

けれど,その言い方は、横着な庭主の勝手な感想でした。

かなり大変な作業ですが、まめに花がら摘みを欠かさなければ、美しい姿を長い期間にわたって保つことは可能なようです。

それに気が付いて以来、毎日50輪以上の花がらを私は摘んでいるかしら。

 

 

但し、道路側に面したところに咲く花たちには手が届きません。

ですから道行く人の目に留まる一番美しい時は、やはり束の間。

高い棒ででも枯れた花をふるい落とす手はあるのでしょうが、そこまではなかなか手が回らない私です。

 

モッコウバラといえば、一重のものが、去年から我が家族の一員になりました。

庭の中央に置かれたガーデンチェアーの背側に大きな植木鉢を置き植えつけました。

植木鉢が大きすぎたために根腐れを起こしてしまったのでは、と心配になるほど一時期元気がありませんでしたが、今は蘇ってくれています。

花も付きました。

けれど、ちょっと期待外れかしら。

余りに地味で目立たない。

 

私は、若い時から大輪の花より、野の花のような楚々とした小輪の花が好き。

ゆえに中央のトレリスに絡ませる花も、派手過ぎず、周りの花壇の花を生かしてくれるようなもの、と思っていました。

とは言ったものの、その花姿はあまりに慎まし過ぎて、目にさえ留まらないほど。

 今年は少々がっかりですが、年を重ねるにつれ、花数が多くなってくれることに望みをかけましょう。

 

モッコウバラ以外にも、我が家にはあと二種のバラがあります。

一つは勝手口側のフェンスに絡ませた、つるバラ、ドリームラベンダー。

とても美しい名称ですね~

元気ですが、全体の姿が何だか変。

私は剪定の仕方を間違えてしまったのではないかな~?

幾分後ろめたい気持ちで、成長を見守っているところです。

 

壁際の背丈の高い植物がアイスバークです。

 

バラの中で、今年、一番期待しているのは、アイスバークです。

一重のモッコウバラと、ほぼ同じ時期に購入しました。

その後、順調に育ち、蕾も付けている姿を見て、わくわく感が次第に募っています。

これから、うどんこ病や害虫がバラを悩ます時期に差し掛かりますね~。

自信の余りない庭主の手におえるか、心配でなりません。

お花の話題は、語りだすと取り留めもなく、延々と続いてしまいそうですから、このあたりで終わりにします。

 

体力のない私が、主婦業を精いっぱいこなし、旦那さまの介護、お庭の手入れまでするとなると、大層多忙な日日となります。

自己啓発のためのデスクワークの作業も大好きな私。

欲張り過ぎとは分かっていても、それを一つ一つこなしていくことに、私は殊更の充実感を覚えます。

最近は、体調も良く、良い時が紡がれていて、それなりに満足の日々。

(この記述は、実は一週間ほど前のもの。その後ひどい腰痛に見舞われ、苦労中です。)

 

 

夫は腫瘍マーカーの数値が昨年末から正常!と言った、信じられないような喜ばしい結果も出ているのですが・・・・・・。

昨年の春は20を過ぎていましたのに、今は何と3です。

しかし、他にも気がかりなことがいろいろあります。

抗がん剤の副作用で、元気が全くない旦那さまの姿が、心配でなりません。

 

最近はブログねたに事欠かない日々でしたが、またしばらくお休みさせていただきます。

「今日が一番素敵」の思いで、毎日を心新たにして、素敵に過ごしたいもの、と願っています。

拙い私のブログにお立ち寄り下さいます方々、ブログ村の皆々様も、くれぐれもご自愛の上、良き日々をお過ごしくださいね。

 

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私のお手柄

2015-05-12 07:28:17 | 病気

昨日の続編です。

私のお手柄なんて、ちょっと大袈裟ですが、ぼんやりしたところがある私が、区役所の職員の計算ミスを見抜き指摘するなんて・・・・・・。

余りに私らしくなくて、出来過ぎといった感じです。

もしかすると、これまでの夫の医療費還付金の払い戻しの手続きにおいても、同様のミスがあり、私達はもらい損ねたのでは?、と。

大いに不安になりました。

昨年の秋、夫に同行して窓口に行ったときは、順番にまとめてあった領収書を職員に手渡しただけだったからです。

 

旦那さまの話では、その領収書を国民健康保険組合から届いた記録と照合し、その場で計算し、一致するかどうかを確認。

そして、高額療養費の上限額よりオーバーした金額を確定。

後日振込みにて、払い戻してくれるのだ、と言いました。

「電卓をたたいていたじゃないか」

と旦那さまは言うのですけれど、今回の女性職員さんが、そのようなことをなさっていたかよく覚えていません。

 

 

私は、還付金の金額を教えられた時、私の予想より、あるいは計算より、と言うべきかもしれません。

五万円近く、額が少なかったのです。

なんだか変、と思いました。

若ければ、そのまま見過ごしてしまった出来事かもしれませんが、年を重ねた身の厚かましさで、はっきり疑問な点を質問しました。

するとその職員さんの答は、この制度が該当するのは入院費だけです。

と言われるではありませんか。

「そんなことはないです。ひと月にかかった医療費すべての合計のはずです」

と、私ははっきり言い返しました。

 

「ちょっとお待ちください」

と言い、奥に引っ込まれたその人は、年配の男性の方としばらく立ち話された後、戻ってこられました。

T大病院からの連絡がまだ国民健康保険組合に届いていません。

そのため、まだ記録されていないようです。

 

 

 

それを聞いて、いろいろ納得のいかないことばかり。

私が間違いを指摘するような事ではありませんよね。

国民健康保険組合から届いた記録と、患者の医療費支払額が同一の内容であるか確認するために、領収書を持参するように言われるのでしょう。

実際に両記録をきちんと参照されたのでしょうか。

ずさんな態度が垣間見えるようでした。

高額療養費の計算に外来診療費が入らないともし本当に思っているのであれば、あまりの勉強不足。

その様な人を窓口に配置する、区役所の無責任な対応に驚きです。

 

更に情けなく思ったのは、T大病院から、夫の検査診療費の報告がはいっていないこと。

収益がさほど影響しない国立の病院ゆえ、起こり得る事なのかもしれません。

のんびり構えているだけならいいのですが、忘れられてしまったのでは、患者は少なからぬ迷惑を受けますよね。

 

大根とサーモンのお寿司・新玉ねぎと新じゃが芋の肉じゃが・ごま豆腐・ふきの青煮

 

区役所の職員のお話では、自己負担分を除き、残りの医療費は国民健康保険から病院に支払われます。

ですから、連絡しないといった事は、まずありえません、とのことでした。

それなら安心ですが・・・・・・。

 

そろそろ届くであろう、二月の高額療養費支給決定通知書で確認することにしましょう。

二月の額が、やはり職員さんが言う数万に過ぎないようでしたら、再度区役所に赴き、見直しをお願いしなければ。

 

 

今回の件で、しみじみ思ったことは、お役所を信じすぎてもいけないということでした。

私は長い待ち時間、暇つぶしに、電卓で前もって計算しておいたにすぎません。

この行為が思いがけず役立ち、身を助けることに。

数千円ならともかく、五万以上の誤算は大き過ぎですもの。

 

自分のこのお手柄(笑)を、妹に(ブログ名 世界に一つだけの姥花日記)得意気に話したところ、

「私は前もってそのくらいの計算はしておくわ」と言われてしまいました。

さもありなんです。

私達夫婦は、金銭に対しておおらかすぎるところがありますから。

この五年間は、かなりシビアーに私は対応してきたつもりですが。

 

 

皆様も、お任せにしないで、自分のお金は、自分でしっかり守ってくださいね。

とは言うものの、計算違いはあっても、高額療養費の恩恵が受けられる我が国の国民皆保険制度の有難さを思わないではいられない私です。

区役所は、私の心が癒される心地よい場所ですが、時間のかかる煩雑な手続きはやっぱり苦手です。

 

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要注意のお役所任せ 

2015-05-11 07:00:51 | 病気

最近の新聞に、「還付金詐欺にあわぬために」との見出しの記事が新聞に載っていました。

「医療費の還付があるから振り込みをしたい」

社会保険事務所の職員を名乗る男から、女性に電話があり、「近くのATMで手続きができる」と言われ、教えられたフリーダイアルに携帯で電話。

指示通りに操作すると、口座にあった数十万が相手先に振り込まれ、なくなってしまったようでした。

 

私も最近、詐欺電話ではないかしら、と思われるような嫌な電話がありました。

今日のお話のテーマは、詐欺事件には全く関係ないことです。

この件はまたの機会にでも。

 

前回同様に最近の夕食の献立です。
料理ブログにレシピを載せたいのですが、その記述まで手が回りません。
その内と、常に思っています。

 

還付金の詐欺事件に触れたのは、この還付は、とても嬉しい事ゆえ、そんな電話にまんまと載せられてしまう人がいるのでしょう、と思ったからです。

我が家にも最近、一月と二月の医療費の還付金の通知書が、二度にわたって区役所から届きました。

昨年の秋頃にも、夫に同伴して、その還付を受けに、区役所に出かけました。

 

当時は旦那さま任せでしたから、私は詳細は理解できていなくて、目の悪い夫の代筆をしたに過ぎませんでした。

それ以前は、夫が一人で区役所に出かけ、その事務手続きをすべて済ませてくれていました。

今より、はるかに元気だったのでしょう。

 

新玉ねぎたっぷりの甘味噌カルビのせ

 

さて、最近の還付、1月の手続きは、すべて私が一人で行うことに。

区役所にも、むろん一人で出かけました。

それまで旦那さまが保管していた医療費支払いの領収書も、年明けからは私が手元に置くことになっています。

旦那さま任せとは言うものの、私も、日常の収支家計簿と医療費家計簿両方への記帳は忘れずにしてきました

医療保険の収入もあり、支出把握の計算が大変。

悪い頭ゆえ、しょっちゅう混乱していますけれどね。

 

 カニとアボカドのサラダイクラのせ
イクラをのせるのを忘れてしまいました。

 

区役所へ出かける前日と当日も、領収書で足りないものがある、と思い込み、慌てたり・・・・・・。

最近は、二つの病院が掛け持ちですので、領収書も複雑。

慣れない事ゆえ、確認するのに手間がかかります。

 

田舎風ミネストローネ

 

何とか整理でき、一人で大丈夫かしらと、幾分緊張して、不安な心持で区役所に向かった私。

さて、この先に思いがけないことが。

見抜いた私のお手柄、と言うべきかしら。

記事のタイトルの「要注意、お役所任せ」の本題の内容にこれから始まります。

この続きは、明日に。

私のお手柄とは?

 

昨夕の家族のお食事会の時の写真です。
おねむのかれんちゃん。
ボーとしたお顔があどけなくて可愛いでしょ。
他はほとんどピンボケ写真ばかりでした。(涙)
またの機会にアップさせていただきますね。

 

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連続三回の探し物に疲れ果て 

2015-05-10 07:12:16 | 人生

薫風がそよぎ、若葉が目にまぶしい、爽やかなお天気の日の出来事です。

情けないことに、私は連続3回の探し物で、半日を台無しにしてしまいました。
 
探し物は、時間が無為に流れ、実るものは何もなく、心を疲れさせるだけ。
 
できる限り避けたいところですが、悲しいことに、年を重ねるにつれ、その行為は増える一方。
 
何とかならないものかと・・・・・・・。
 
嘆かわしい限りでいます。
 
 
 
 
 
私は、割と整理整頓は得意な方で、物の置き場所も決まっていて、お部屋が乱雑に散らかってはいない(?)のですが。
 
物も厳選し、気に入ったものしか買わないので、溢れるほど多い訳ではありません。
 
自認するだけでなく、娘たちも認めてくれています。
 
それなのに、何故探し物が多いのでしょう。
 
 
 
その原因を追究すると、私の「記憶力の減退」と「思い込み」に行き当たります。
 
小さな事にしろ、記憶がすっぽり抜けてしまうのは、やはり認知症の前兆かしら。
 
いえいえ、そうではないようです。
 
若い時から探し物は頻繁にしていましたもの。
 
そういえば、夫が物を探す姿を一度も見たことが私はありません。
 
夫の記憶力の良さはコンピューター並みで驚くほどですから、むべなるかなです。
 
 
 
その人本来の記憶力の優劣と探し物は、関連性がとてもあるのかもしれませんね~
 
そういえば、長女のMちゃんも探し物をしない子でした。
 
そのうえに、見つからなくなった私の目当てのものを、簡単に探し出してもくれました。
 
 
 
和室の前の坪庭のモミジ。
紅葉色のような若葉。
まだ写真に収めていませんが、今は鮮やかな萌黄色に変化しています。
昨年の外壁塗装で、黄色味の強い黄土色で塀を塗装してもらい、小庭がとてもいい雰囲気になりました。
更にいろいろ手を加えたいところですが、ままなりません。
 
 
 
年を重ねるにつれ、記憶力の減退は抑え難い事ですから、止むを得ないことかもしれませんが。
 
それをよく認識したうえで、対策を講じればよいのでしょう。
 
 
大切な物が見つからなくて、いらいらしている私を見て、旦那さまがいつも言うことは、「なぜ置き場所を決めないのだ」と。
 
決めてはいるのですが、他の仕事に気を取られていると、無意識に近くの棚にポイ、と置いてしまうのですよね~
 
今回の立て続けに三回連続探し物をした時に、Yさんに更に言われたことは、
 
「何も慌てることはない、ゆっくり探せばいいではないか」と。
 
 
 
確かにその通りです。
 
諦めて見つけ出せないままでいると、数日後に思いがけないところで、それを発見、といったことを幾度も経験してきた私です。
 
しかし、それはさほど重要でないものに限ります。
 
無くなると非常に困るものですと、そんな気楽な事は言っていられませんよね。
 
翌日まで気にしながら過ごすなんて、精神衛生上にも良くありません。
 
それだけで疲れてしまいそう。
 
 
 
 
 
今回の連続の探し物について、一件だけ具体的にお話させていただきますね。
 
すべてを語ってもいいのですが、文章の長さを天声人語並みに留めると心に誓った私ですから。
 
 
その日の最初に見当たらなくなった物品とは、なんとカメラです。
 
ほとんど毎日、何がしかで手にしているものが、突然私の目に入らなくなりました。
 
カメラは、夫に注意されたように置き場所が一定しておらず、その都度近くの棚の上に置くことが多い私。
 
ですから、カメラはチェスト或はソファー、テーブルの上という思考から抜け出せなかった私。
 
いわゆる思い込みですね~
 
 
或る日の夕食の献立
筍ずし・カレイのから揚げ・若竹煮・ふきと油揚げの煮物
 
 
 
 
必死で、置いたであろう心当たりの場所をゆうに30分以上掛けて探しまくりました。
 
けれど見つけられません。
 
諦めたころ、視界にそのカメラが。
 
お座敷に置いた三脚の上に取り付けられていたのです。
 
あることで、めったにしか使用しない三脚を利用した私でした。
 
 
 
 
 
 
 
珍しいことゆえ、私の思考回路に三脚にカメラを取り付ける行為は定着していなかったのでしょう。
 
ですから、いつも置く場所にあるはずとの思い込みから脱却できず、そのような所ばかり探す羽目に。
 
本当に情けや、でため息ばかり出ました。
 
そのあと見当たらなくなったのが、今度はカメラのメモリーカード、さらに印鑑、と立て続けに続き、ため息を通り越し、いらいら。
 
数時間を虚しく潰し、すべて見つけ出すことができ、ハッピーエンドだったのですが。
 
 
記憶力の減退を、改めて思い知らされた私でした。
 
 

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尊敬し見習いたいことが一杯のUさん 

2015-05-09 07:33:25 | 

認知症の人の症状は、見た目の外観やちょっと話したくらいでは、全く分からないそうです。

正常な人と何ら変わりないとのこと。

しばらくいろいろ話すうちに、同じことを幾度も繰り返す。

昨日の出来事がすっぽり記憶から抜けている。

そんな相手の言動から、次第に普通の人と違うことが認識されてくるとの事。。

昨日の記事に登場してくださった、介護施設に入居なさっているUさんのお話です。

 

冗談で、

「施設にいると、自分が非常に優秀な人間のように思えてくるの」

と、お茶目っぽくおっしゃいます。

いえいえ事実、とても聡明なUさん。

折々で、そのように、私は感じてきました。

その彼女から、認知症や体力の衰え予防のために、施設で日課となっている体操をいろいろ教えてもらったりもしました。

 

お食事処、「梅の花」に飾られた五月人形
観ているだけで、心が引き締まるよう。凛々しい気持ちになれました。

 

彼女は、とても明るくて、愚痴はおっしゃらない。

その態度は、パーキンソン病を患われてこの十数年、一貫して変わらない態度です。

脱ぎ着が簡単でリッラクスできる服装を心がけていらっしゃいますが、お元気なころのお洒落のセンスは、今も健在。

お顔はいつも輝いた表情で、澄んだ瞳が、とても印象的です。

素敵に日々を暮らそうとの心意気が、私に伝わってきます。

 

ご主人の急逝、施設への入居、といった暮らしの激変の厳しさを乗り越えての、彼女の生きる逞しい姿勢に、私はただただ敬服。

できれば、私も彼女を見習った生き方をしたいもの、と心から思っています。

 

パンジー・ヒデンス・アサギリソウ・ブルーデージー・ラベンダー

 

Uさんに、その明るさはどこから生まれるのか、尋ねてみました。

彼女の答えは、

「人のために自分は役立っている、との自負心を忘れないこと」

とおっしゃいました。

自負心は言い換えれば、自尊心のようでした。

 奥の深い彼女の言葉をしみじみかみしめた私です。

 

そんな彼女でも、胸に迫る思いを抑えがたいように、時に涙ぐまれます。

ご主人を失われて、まだ二年少々しか経過していらっしゃらないのですもの。

それは当然ですね~

「私を残して、あっという間にいなくなってしまうなんて」とおっしゃり・・・・・・。

けれど、お会いしたとき、ご主人のお話をなさることはほとんどありません。

恐らく大切な思い出をそっと胸に秘めて、お暮らしになりたいのでしょう。

 

  

梅の花のお料理

私の口にはとても合い、いつ頂いても美味し~い!

 

マンション住まいの息子さんの勧めで、最近、家を手放されたUさんですが。

家具がすべて処分され、がらんどうになった自宅を訪ねたときは、辛かった、と。

想い出濃いすべての台所用品がなくなったキッチンに立った時、いたたまれず、泣き崩れてしまわれたようでした。

他の人に気づかれないように、蛇口の開栓を全開にして・・・・・・。

 

思いがけない出来事で、一瞬にして、その土台を失ってしまった彼女。

主婦として母親として、Uさん同様に幸せな家庭を営んできた私です。

その不幸を受け入れなければならなかった彼女の苦悩が、解りすぎるほど理解できました。

 

帰宅後も彼女の言葉を幾度もかみしめ、そのたびに目頭が熱くなってしまって・・・・・。

しばらくの間、涙なしには思い出せない事でした。

けれど、その時は、すぐ元の明るさに戻られたUさんです。

 

 

 レストランのお料理の撮影は多少の気兼ねがいつもありましたが、
お店のPRにつながるようなブログへの掲載であれば、ほとんどのお店が認めているようです。
新聞で知りました。
周りの方の迷惑にならないように、さりげなく撮りたいものですね。

 

私は、夫のことが気になるため、「梅の花」を出ると、夕食の食材を買うために、そのままスーパーへ。

Tさんが、Uさんを施設に送られました。

 

Tさんのその後のお話では、彼女はお食事会のひと時を心から愉しまれたようです。

また近いうちに再会しましょうということになり、来月にも実現しそうな雰囲気。

もうこの三人のメンバーで幾度も会っている私達ですが・・・・・・。

六月ごろには私達が発起人となって立ち上げた名称「よつ葉会」の人たちとも、初夏の頃、お会いできそうです。

次女が中学入学の年以降から、もうすぐ三十年近くになるお付き合い。

再会が楽しみでなりません。

 

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苦労は何のその、毎日を素敵に・・・・・・ 

2015-05-08 07:19:52 | 

昨日もお伝えしたように、生活のリズムが狂い、雑然としたお部屋ながら・・・・・・。

そのままの状態で、友人との約束場所に小走りで出かけました。

夫の昼食の用意はむろんしてからの外出です。

 

いつも車を出してくださるTさん。

毎年、幹事を決め、年に一度は集いの時を持つ、次女が中学入学以来の親しい友人達のメンバーのおひとりです。

その中にあっても、一番明るくて、お話を盛り上げることがお上手。

天性の明るさと優しさを備えたようなお方です。

 

そのTさんの運転で、その後向かった先は、Uさんが昨年入居された介護施設。

Uさんも、Tさんと非常に似たお人柄。

私はご両人を、心から尊敬し、信頼しています。

 

 

このお二方とお話をさせていただくと、夫の病の心配など、決して大きな悩み事とは思えなくなってくるほど。

それぞれ、大変な苦労や心配事に見舞われながらも、それを乗り越え、凛とした佇まいで、明るく暮らしていらっしゃるからです。

 

昨年、お孫さんが、何と500gという小さな体でご誕生されたTさん家。

ママの栄養が赤ちゃんに行き届かなくなり、止む負えない早期のご出産。

その後保育器で成長され、今はママ、パパのもとに。

今後の成長に当たって、ご心配は尽きないことでしょう。

 

けれど、くよくよなさるご様子は全くなく、お写真を目を細めてお見せ下さる明るいおばあちゃまのTさん。

おばあちゃまの明るくおおらかな姿勢に接し、若いパパ、ママはどんなに励まされ、心強く感じておられることでしょう。

更に入院中のお姉さまのことでも、心を砕き、何かとお世話をなさっておられます。

強度の認知症を患われておられるからです。

 

 

もう一方のUさんのご苦労は、Tさん以上で、聞くに忍びないほど悲痛な内容です。

しかし、今ではその不幸も受容され、やはり凛とした佇まいで、明るく元気に施設でお暮らしです。

 

今のところ、パーキンソン病の症状はそれ以上の悪化は見られないと聞き、私は一安心しました。

けれど、すでに体は90度近い傾斜で、歩行も杖と私達の手を借りてやっとの状態。

その病を患われ、すでに十数年になられますが、その間、ご主人様の介護に支えられ、暮らしてこられたUさん。

ところが、一昨年の秋、そのご主人様が学会先のホテルで突然倒れられ、帰らぬ人になられました。

 

その知らせを受けたとき、私は驚愕に近い驚きで、Uさんの今後を思い、悲痛な気持ちになったものです。

その後、お子様を頼らず、金融機関が経営する介護施設に入居されたUさん。

悲しみを乗り越え、今はすっかりお元気になられています。

前と全く変わらず、おとぼけジョークがお上手で明るいお人柄。

気配りの行き届く、とても優しいお方です。

 

イベリス

 

ご自分達がが大変な苦労を背負っておられるのににもかかわらず、私の主人の病をとても気遣い、温かな励ましの言葉を再々かけて下さいました。

その優しさに甘えて、私もつい弱音も吐いたりもしましたが・・・・・・。

 

けれど、今回語りあったことの中心は、時事問題だったかしら。

苦労は何のその。

70代でも、社会問題にも関心が深い、まだまだ気が若い私と友達。

笑いとしんみりが交差する時の流れの中、まじめな社会問題も度々出て、瞬く間にお別れの時間になりました。

 

くよくよするより、前を向いて元気に毎日を素敵に紡ぎましょう、との生き方のスタンスはとても似ている三人。

気の合うもの同士、本当に楽しいひと時でした。

 

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ブログに関するたわい無い悩み事いろいろ

2015-05-07 07:14:56 | ブログ

爽やかなお天気にもかかわらず、ここ数日の私は、小さな悩みのるつぼにはまったような暮らしでした。

悩みとは言えないほど、他愛ない事ですが。

そのために、生活のリズムは狂いっぱなし。

私の心身を、結構疲れさせました。

 

暮らしのリズムほど、私にとって大切なことはありません。

良いリズムが取れ、メリハリの効いた生活が送れると、一日がとても充実します。

そのために、タイマーは欠かせない、私の日常用品です。

 

手動の無印のタイマーを私はいつも愛用しています。

 

最近は、そのリズムが良く刻まれた、満足な日々を送れていました。

旦那さまに、

「今日は一日がとても順調だったわ。計画通りに進められたし。

このリズムを壊さないようにこれからも頑張りたいわ」

とよく言っています。

 

実は、その旦那さまが、抗がん剤の副作用で、体調が最悪だからでしょう。

心無い言葉を放ち、私の心が突然折れ、順調だった暮らしのリズムが、時に台無しになってしまうのですけれどね。

Yさんは、悪気は全くないらしく、私のしょげように戸惑い、苛立ちます。

このお話は、今日のテーマから外れるので、また日を改めます。

 

名残を惜しんでクリスマスローズの画像をまた

 

また前置きが長くなってしまいました。

今日の本題に戻しますね。

その悩みの一つは、幾度も私が繰り返してきた、ブログ綴りの時間帯についてです。

文章が長くなるため、今回は敢えて詳しくは書きませんが、家事をしながら立ったままで、ながら綴りをすることを試みてみました。

一日目の夕食の準備の頃から、この方法で取り組み、とても調子が良かったので、翌日も続行。

 

ところが順調だったのは、最初の日だけ。

とんでもない思い付きだったようで、そのために、翌日からは暮らしのリズムがめちゃくちゃ。

それをしっかり認識したときには、お部屋は散らかり放題。

 

そんな雰囲気の時に、親しい友人お二人との会食があり、その翌日は旦那さまが今年に入り八回目の入院。

どさくさ暮らしの中での友人との数か月振りの再会は、ちょっと残念でしたけれど・・・・・・。

敬愛して止まない、私の心の内を包み隠さずすべて語れる人たち。

心からの信頼を私は寄せています。

その友から、元気をいっぱい授けてもらい、帰宅後は順調に生活を立て直すことができました。

 

パンジーとネメシア

 

その夜、長女から電話があり、

「お休みに入ったので、明日のパパの入院には私が同伴してもいいわよ」との事。

 暮らしのリズムの変調で、いつになくお部屋もまだ汚れたままでしたから、本当に有難い声掛け。

感謝感激の私でした。

新しい病院から長女の家は割と近いので、よくパパを見舞ってくれ、私は大助かりです。

 

むろん、ながら綴りは懲りたので、金輪際しないつもりです。

ブログのことで悩み中に、周りの方々のやさしさに触れ、すっかり元気を取り戻した私でしたが。

ブログを書く時間帯は相変わらず迷っていて、試行錯誤中です。

 

お休みをしばら取り、その間に下書きした記事を、一週間連続投稿する方法も、最近多少の疑問を抱くようになっています。

それでは、旬の話題が書けませんものね~

また元に戻そうかしら。

とは言っても、最初のころのように、毎日投稿するのはもう無理。

書きたくなったら更新する。

そんな気ままな対応でいいのかもしれませんが・・・・・・。

今の方法も、マイペースでのんびり綴れていいようにも。

まだ思案中で、今後どうするか決めていません。

 

 ツルニチニチソウとブリムストーン

 

ブログに関して、今一番私が心に固く誓おうとしていることは、「文を天声人語並みの長さにすること」です。

前回の一連記事の最後に投稿したガーデニングの記述。

かなり頑張ってお花の画像をたくさん載せました。

その画像を喜んでくださる方が多いのでは?

きっと好感度はいつもより高いはず何て、勝手に思っていたのですが・・・・・・。

 

前回のの連続投稿の中では、一番インポイント数が少なく、減少幅が大きくて、意外感がありました。

インポイントを判断する皆さまの基準は何なのかしら、とちょっぴり考え込んでしまった私です。

草花に関心のない方は、長文ですと最初から読む気が起きなくなってしまうのでしょうね~

短ければ、関心がなくても最後まで目を通していただけたかもしれません。

 

私はインポイント数で内容に対する皆さまの共感度を推し量っているところがあります。

いつもに比べあまりに少ないと、皆様の心証を害するような事を私は何か綴ってしまったのでは、と胸がドキドキ。

ちょっぴり情緒不安定になります。

過去のトラウマのせいかもしれませんが。(笑)

そんなつまらないことを気にする自分が情けなくもなったり・・・・・・。

今回の悩みに、このようなこともありました。

 

 

文章が長くなると、その分、綴る苦労も大きくなりますものね~

もっと短くしようと、真剣に思っています。

そうすると、私らしさが消えてしまうかしら。

短文で胸の内を綴る能力が私にあるようには感じられない。

思いは千々に乱れています。

さてどうなることでしょう。

 

結局、今日の記事も終わってみると、天声人語の長さの二倍弱。

相変わらずの私です。

 

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