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ただ、このように分かりにくい国で権力を持つ大統領が、ウクライナとの戦争を「設計」しているとは考えにくい。この戦争の結末を予測するのが難しい所以である。(1)

2024-05-18 17:55:45 | 森羅万象

 

(2024/5/18)

 

 

『人間はなぜ戦争をやめられないのか』

日下公人   祥伝社新書   2023/2/27

 

 

 

「平和」を誤解している日本人のために

ウクライナで続く戦争は、ロシア対西側という第三次世界大戦を招くのか――。

 戦後78年、世界各地で戦火が絶えることはなかった。なぜ人間は戦争をするのか。平和主義者は「戦争について考えるから戦争が起きるのだ」と言う。だが筆者は、太平洋戦争をはじめとする史実を検証し、むしろ「平和な時こそ戦争の危機が訪れる」と、逆説的な歴史の教訓を説く。そして戦争は政治の延長であり、外交の一手段なのだから、国家はそのための戦略と戦術を「設計」しなければならないと訴える。

 

まえがき

大東亜戦争終結から今年(2023年)で78年、その間に戦争が何回あったか気になって調べてみた。すると、内戦を含めれば実に累計135である。

 

つくづく、人間は戦争をやめられない動物と見える。しかも戦争は、始めるのは容易いが、終わらせるのがきわめて難しい。

 

・同じように今回、ロシアもウクライナも、当初は短期で終結すると考えていたようだが、ここまで長引いてしまっている。

 なぜ戦争は終わらせ方が難しいのか。それは戦争を「設計」できていないからだ。戦争は政治の延長である。戦争そのもの(戦闘行為)は政治家と軍人の共同作業だが、戦争を終わらせるのは政治家のみが担うべき仕事なのだ。

 

ただ、このように分かりにくい国で権力を持つ大統領が、ウクライナとの戦争を「設計」しているとは考えにくい。この戦争の結末を予測するのが難しい所以である。

 

人間は、なぜ戦争をやめられないのか――戦争を「善悪」や「良心」のレベルで捉える愚かさ

戦争とは、外交の一手段である

「軍拡競争」と人間の脳構造の因果関係

・この前頭葉という回路を使うと、人間は“自信過剰”や“考えすぎ”という過ちを犯すが、そのいい例が軍拡競争である。

 

・このように、ありもしない危険をつくり出すのが前頭葉の犯す過ちである。先制攻撃をするのは人間だけで、だから人間社会には争いが絶えない。

 これが「理由なき戦争」が起こるいちばん大きな原因で、人間はそれを回避するためには親善外交や相互査察、国際会議などの技術を発達させてきた。それはよいのだが、時にはその交渉のもつれやこじれが新たな戦争原因にもなるとは、まことに困ったことである。

 

外交交渉から「宣言」へ――国家はこうして戦争に突入する

・だから、どの国も宣言には慎重で、その一歩手前の外交としては、同じことをしぐさで相手に分からせようとする。いわば「しぐさ外交」だが、これは相手に誤解される恐れもある。

 「メッセージが相手に正しく伝わっていない」と表現するが、相手のしぐさの意味を正しく読むのに苦労するのは外交も男女の仲と同じらしい。読み間違えると衝突になる。

 

「侵略戦争」と「解放戦争」の違いはどこにあるか

・外交交渉がうまくいかなければ戦争になるが、先に手を出すほうは、これを「目的を達成するための制限戦争」であるとか、「防衛的先制攻撃」であるなどの説明を第三国にするのが普通である。そうでない時は、「全面戦争」になる。

 

・つまり、攻める側の意図が何であれ、相手国の支配者はいつも「侵略」だと言うに違いないが、しかし民衆の中には「解放」だと喜ぶ人が一部かまたはだいぶ存在するというのである。そこで、日頃からのシンパづくりの親善外交や内部攪乱の政治工作が大事になってくる

 

平和愛好家が「戦争屋」を育成する

「人権」を盾に戦争をしてよいのか

・「侵さず、侵されず」という理想は、たしかに素晴らしい。しかし、現実には理想を掲げたことによって起こる戦争がある。

 たとえば、「人権を守る」という理想がある。

 

・理想は各国で相違することがある。自分が信じる理想を悪と決めつけられて、他国に武力行使をされては困る。

 

歴史の逆説――平和主義者がいると戦争が始まる

・隣国と仲が悪くなって揉め事が起こっている。すべて話し合いで解決すべきだし、解決できると思っている人たちがいる。「パシフィスト」といわれる平和主義者である。日本には、パシフィストが大勢いる。

 

・歴史を調べてみると、パシフィストがいると、むしろ戦争が起こっている。絶対に一歩も引かない、必ず戦う、と両方が思っている時はなかなか戦争にならない。

 

・大東亜戦争で言えば、昭和16年(1941年)12月6日、開戦前夜のワシントンでは、誰もが戦争にならないと信じていた。日本がアメリカに戦争を仕掛けるなど、そんな馬鹿なことはないと全員が思っていた。

 

・だから、戦争を始めたらどうなるのかという研究が不足していた。日本は何も分からず、「ナントカナルサ」で開戦したのである。それくらい日本人は平和国民だった。

 

平和な時が、いちばん危ない――第一次世界大戦の教訓

・第一次世界大戦は1914年、オーストリアの皇太子を暗殺した“セルビアの一弾”で始まったと言われているが、その時はその一弾で終わりだとみんな思っていた。

 

・昭和12年(1937年)7月7日の盧溝橋事件の時も、まさか泥沼の日中戦争に発展するとは誰も思っていなかった。その証拠に、4日後には現地停戦協定が成立している。

 

・このように、平和に浸っている時のほうが事件が起きやすい。それは油断しているからだ。平和主義者が両方にいるほうが危ない。両方本気のほうが喧嘩にならない。

 何でもない小火(ぼや)が大火事になるのは、真実を知らなくて妄説が飛び交うからだ。

 

ベトナム戦争、マクナマラの誤算――「兵法」の極意を忘れたアメリカ

・その意味でも、孫氏の『兵法』にある「敵を知り己を知らば、百戦百勝す」という言葉は含蓄が深い。己を知っていても敵を知らないなら勝率は5割で、「己も知らず敵も知らず戦えば、百戦百敗す」とも言っている。当たり前のことだが、“知る努力”はもっとしたほうがいい。

 

・マクナマラは、ベトナム兵一人殺すのには小銃弾が3000発あれば大丈夫だ、という具合に、数字で戦争を計算した。

 

・同じようなことは日本にもある。戦前生まれの人間なら誰でも知っているが、日本は神国だから負けない、というのがあった。

 

北朝鮮の「核」を見極める目

・1995年以来、日本が核開発疑惑で北朝鮮と行なってきた交渉も、まさに相手を知らずに行なわれたものだ。

 

・ところが日本人は、原爆と水爆の区別も知らないで核論議をしているのだから、北朝鮮から見れば、こんなに脅かしやすい相手はない。

 

「アメリカの発表」を鵜呑みする外務省

・アメリカが日本の安全に肩を貸してくれる理由は四つある。

第一は、アメリカ経済がアジア経済に依存するようになったこと。

第二は、日本に対するビンのフタ。

第三は、日本が「思いより予算」で駐留の実費を負担してくれること。

第四は、軍の失業防止である。

 

・このように、経済を見るにも軍事知識が必要な時代がやってきたのである。

 

はたして「歴史は必然」なのか――戦争突入の分岐点

「個人」の要素を度外視して「歴史」は語れない

・唯物史観では、歴史はすべて必然であると教える。下部構造、つまり、経済構造には独自の発展法則や運動法則があり、その経済構造に従って社会構造が出来上がる。そして、人間の意識はその社会構造によって決定されるという。結局、歴史は経済法則によって必然だ、となる。「存在は意識を決定する」とも教えた。

 

「戦術」の秀才が国家「戦略」を立てた悲劇

旧日本軍の上層部を占めていた軍人は、単に士官学校や陸軍大学校で戦術を勉強しただけだから、戦略について学ぶ機会はなかった。戦術の秀才が中佐、大佐になって、重要な日本の戦略を決めていた

 

・そのように、誰も意見を言わない、誰も責任をとらない、という状況で開戦が決定されていった。それが軍部ファシズム、国家総動員体制などと言われ、戦後の常識では「歴史の必然」ということになっている。

 しかし、真相をもっと具体的に考えれば、どうやら政治を考えられない幼児的な秀才に多額の機密費を持たせたことが、事の始まりのようである。その結果、日本は政治家不在となり、保身と戦術だけに長じた人が、その空白を埋めて戦争を指導したのである

 これは、現在の日米安保やアジアの不安定をめぐる外交と政治にも当てはまるのである。

 

軍隊の危機――「機能集団」の「閉鎖集団」化

「階級=実力」という大いなる錯覚

・大本営参謀をした人の回顧録に、面白い話がある。

 終戦の時、彼はスピード出世のため、30歳を少し過ぎたばかりで大本営作戦参謀をしていたが、自分より一階級でも上の人は何かしら偉いところがあると思っていた。階級が違えば、やはりそれだけの偉さがどこかにあるに違いないと思っていた。だから、命令されれば必死でやっていたが、戦争が終わって階級がなくなってしまうと、急に上の人の裸の姿が見えた。実はたいしたことがなかった。ただの年上だったと分かった。そう書いている。

 

・この話を読んで、大本営の作戦指導に時々、不可解な点がある理由が分かった。普通に考えれば階級が上の人は年長で、その分だけ頭が固いし、古い。それから、義理人情やしがらみや打算が増える。それをチェックするのは若い人の役目である。

 

マニュアルでしか動かない軍隊は官僚制度の典型

・戦争もまた、意外に日常的である。一般の理解では戦争とは血湧き肉躍るもので、軍人は命を惜しまず勇敢で、毎日緊張しているものだというイメージがある。もちろんそれは虚像ではないが、そういう部分だけが戦争映画になっている。

 極端なことを言えば、軍人になっても退役するまでの40年間、実戦が一回もない人のほうが多いし、実戦があればすぐに死んでしまう人がいる。

 

・訓練にはスケジュール表やマニュアル表があって、そのとおりにやっている。当然、馴れた人には退屈なものだ。新兵や、士官学校に入った最初の頃は面白いが、中尉、大尉くらいになると、毎日同じことをするのは退屈であるらしい。

 

・軍隊は官僚制度の典型である。すべてが文章化され、数値化されている。社会のあらゆる階層の人を集めて働かせるためには、画一化と標準化が欠かせない。

 

“刺激”がない平時の軍隊生活

・旧日本軍では陸軍士官になると、連隊に勤務する。2万平方メートルぐらいの土地に練兵用のグラウンドと兵隊が生活する建物があって、将校は近くの官舎から馬に乗って出勤する。

 

・それから、対抗試合のスポーツをしょっちゅうやっている。中隊対抗とか小隊対抗、分隊対抗で、繰り返しスポーツをする。

 

世界中の軍人は「退屈」している

・そんなことをしているうちに、中学校時代の友だちとくらべると、自分の月給がひどく安いということに気がつく。しまった、軍隊なんか入るんじゃなかった、と思っているうちに、あまり出世しない人は40歳ぐらいで退官の危機が迫ってくる。

 軍人は定年が早くて、アメリカでは44、45歳になった時、中佐か大佐で終わる者もいる。スケジュールどおりに刺激がないままやってきて、中佐か大佐で辞める。それを超えて少将になる人は、100人のうち3人ぐらいしかいない。中将になっても、53、54歳で定年退職となる。大佐、中佐で終わった人は、その後、退役将校の会に入る。英語では退役軍人をベテランというが、アメリカにはベテラン関係の会社や組合がたくさんある。

 

陸軍に吹き荒れたリストラの嵐

・旧日本軍で悲惨なのは、リストラで中学校へ配属将校になって、学生に軍事教練を教えなさいというケースだ。

 

日本の“軍国主義化”に二つの原因

・1918年に第一次世界大戦が終わって、これでもう半永久的に平和だと世界中が思った。世界中で軍人株が暴落した。もちろん日本も例外ではなかった。軍事予算が削られる。昇進しないし、月給は上がらない、陸軍士官学校の募集人員も半分になった。

 

戦争とは何か、「戦争設計」とは何か――平和国家だからこそ「戦争設計学」の確立が急務

戦争は「政治の継続」である

「戦争目的」は政治が決定する

戦争は設計して行なうものである。戦争が外交の失敗から起こる、とは一概に言えない。はじめから戦争を予定して行なわれる外交もある

 プロシアの名称、カール・フォン・クラウゼビッツは、その著『戦争論』に、「戦争は他の手段をもってする政治の継続にほかならない」と書いている。

 戦争の始まりも、途中も、終わりも、ずっと政治は生きている。政治の都合次第で戦争は中止になったり、続いたりする。戦争目的を決定するのは政治である。

 戦争の勝敗は武力によって決定されるだけではない。武力で負けても、政治的な目的を達成すれば、戦争に勝ったことになる。

 このことは、日本では意外と知られていない。

 

・欧米人にとって、戦争は道徳の外にある。戦争は道徳的に良い、悪いとは言えないもので、国家が生きていくためには仕方がないことだと考えられている。戦う相手も国家で、両方に言い分があって、どちらも譲らない時は戦争をやっても仕方がないと考える。

 

新しいタイプの戦争――「講和」なき無制限の暴力行使

・クラウゼビッツは『戦争論』の第1篇1章で、戦争を「敵を強制してわれわれの意志を遂行させるために用いられる暴力」と定義した。

 実際に見られる多くの戦争の目的は、敵の継戦意志の破砕である。敵に「戦うのはやめた」と言わせるために戦う。敵が「やめた」と言えば、こちらもやめる。

 

・敵軍が全滅すれば、政府は相互に交渉して講和条約を締結する。こちらの言い分が通れば、戦争は終わって、新世界秩序に移ることになる。かくて平和な後世が始まる。

 

・そういう戦争がずっと続いていたが、20世紀に入って国民戦争の時代が来ると、新しいタイプの戦争が出現した。正義と邪悪が戦うという、「イデオロギー戦争」である。宗教戦争の復活と言えなくもない。

 

・民主主義国は、民衆を説得するために、大げさな戦争目的を求める。本音は何であれ、ひじょうに立派な大義名分をつくり、相手のことを悪く言う。

 

・戦争は、君主がやっているほうが穏やかである。君主は、自分のポケットマネーで兵隊を雇っているから、傭兵が死ぬと財産が減ることになる。戦争に負ければさらに財産が減る。だから、ほどほどで講和する。

 

・民主主義になると、そうはいかない。国民を全員、奮い立たせるためには、途方もないことを言わなければならない。そうすると乗りかかった船で、敵を無条件降伏させない限りはやめられなくなる

 

債権大国・日本には、戦争の危険がいっぱい

・こういう正義と邪悪が戦うという考えは、宗教戦争の昔に戻ることになるが、日本陸軍は日支事変は国民に不評であるのを気にして、アラブのジハードという考えを輸入して、高飛車に「聖戦」と自称した。そして国民の批判を封じたのである。

 

・しかし、これは建前だった。アメリカが第一次世界大戦に参戦したのは、財界がイギリスとフランスに、たくさん金を貸していたからである。ドイツには貸していない。

 

・もしも、大東亜戦争の前に、日本がアメリカから派手に借金をしていれば、逆に保護してもらえたかもしれない。

 

日本人に刷り込まれた「戦争=正義と邪悪の戦い」という考え方

・現在では、アメリカ人ですら、あまり正義を振りかざすべきではないということになってきた。ところが、日本では「大東亜戦争は、邪悪な侵略国である日本・ドイツと、正義の連合国との戦争である」というマッカーサーの教育がいまだに生きている。

戦後教育を受けた人は、「日本は侵略した」と日教組の先生に叩きこまれている。

 

「戦争設計学」とは何か――戦略的思考ができない日本人

・戦略とは、マキャベリが言う政略と戦術の間に立つ概念である。アメリカ人は大好きで、経営戦略とか、販売戦略とか、何でもストラテジー(戦略)と言う。

 

・戦術には何通りもあって、どの戦術がいちばんよいかは戦略によって決まる。戦略もまた、何通りもある。どの戦略で行くかは、政治によって決まる。

 

・政治家は上から考え、軍人は下から考える。軍人は原罪の手持ちの兵力でできることを考えて、それを政治家の判断材料に提供する。

 

・国家公務員のやるべき仕事は、なんと言ってもアダム・スミスの昔から、戦争と外交、それに治安と警察が第一と決まっている。

 

大東亜戦争には「戦争目的」がなかった

・実は、大東亜戦争の時から、日本の政治は機能していなかった。当時の日本政府には、戦争の目的がなかった。目的がなければ戦略をつくれるはずがない。

 

・国益の基本はまず安全である。安全が守られると、次は利権ということになる。どの利権がいいかを選ぶのは、政治の仕事である。さらに利権を拡大して、それが完了したら、今度は名誉が欲しくなる。

 

・軍は国益などどうでもよかった。軍益だけを追求していた。それを止める政党がなかった。軍益を妨げる政治家は暗殺の恐怖で封じ込めた。なぜ、そんなことができたかというと、軍は機密費をたくさん持っていたからだ。

 

戦争において政治家がやらなければならないこと

・では、戦争をする時、政治家は具体的に何をすべきか。

 まず、戦争目的を明確に決定しなければならない。それは、本音と建前の二つがある。それから、戦争手段に何を使うかを決定する

 また、戦争を始める前には、なるべく味方を増やさなくてはならない。

 

・それから、損害の見積もりをする。勝利によって得られる国益より“国損”が大きくなりそうであれば、すばやく講和をするのはもちろんである。

 

このように、イギリスやアメリカは戦争を設計して実行してきたが、イギリスやアメリカの図書館を探し回っても、戦争設計学の本はまずない。

 

戦争の「開始」と「終結」は、政治家だけの仕事

・戦争そのものは軍人と政治家の共同作業だが、戦争を始めること、および終わらせることは絶対に政治家だけの仕事である。

 

・相変わらず、「戦争とは正義の国が邪悪な国を征伐するもので、それは宣戦布告をもって始まり、降伏をもって終わる。そして邪悪な国が降伏すれば、後に残るのは“よい国”ばかりだから、戦後の世界は自然にうまくいく、邪悪な国の再発生を防止するため、世界警察軍をつくればそれでよい」と考えているが、これは1941年にアメリカのルーズベルト大統領が考えたことそのままであり、人類が何千年にわたって「戦争とは何か」を考えてきた「戦争観史」のなかでは最も素朴なものの一つである。

 

戦争を“野蛮”にした、ルーズベルトとチャーチル

・昭和16年(1941年)に戻って考えてみよう。

 たいていの戦争はどのように烈しくとも、いずれ間もなく終わるもので、足かけ5年も戦った大東亜戦争は例外的に長い戦争である。

 普通なら、これ以上戦っても得はない、やめたほうがよい、と両方が思う頃合いを見て、第三国が仲介する。ところが、ルーズベルトはこれは正義の戦争だ、悪魔とは交渉しないと言っていた。

 

第ニ次世界大戦当時に存在した三つの「戦争観」

・そのようにアメリカは日本の軍備拡張を援助することで利益を上げながら、他方、日米交渉では日本が飲めないような強硬条件を突きつけて、日本が対米戦に立ち上がることを期待していた。

 

・その当時の世界には三つのイデオロギーがあり、それに基づいて三つの戦争観があった。

 第一は、民主主義とそれに基づく戦争観で、抑圧された人々の自由と民主主義の実現のために民主主義国は立ち上がって戦うというものである。

 

・第二は、国家社会主義とそれに基づく戦争観で、たとえばドイツがそれに当たる。ドイツは、ベルサイユ条約の抑圧を撥ねかえして領土的にも経済的にも発展し、ドイツにふさわしい国際的地位を得ようとしていた。

 

・第三は、共産主義とそれに基づく戦争観で、階級闘争の最終的な勝利を信じて、全世界の果てにまで革命を輸出するために戦い、また、その根拠地であるソビエト・ロシアを資本主義国の包囲攻撃から守りぬくというものである。

 

・したがって、昭和16年12月の時点で、日本が世界に宣言していた戦争目的は「中国政策に対するアメリカの干渉を排除する」というきわめて限定的なものだった。

 

戦争目的を堂々と「宣言」することの重要さ

戦争をする時は、このように正々堂々の戦争目的を内外に宣伝するのがよい。ルーズベルトはこれを重要と考え、当面の戦争に勝利した後も、世界政治の基本原則として守ることにした。しかし、チャーチルは単なる宣伝用の作文と思っていた。この違いは大きく、戦後イギリスが世界帝国の座をアメリカに譲る一因になった

 

「ユナイテッド・ネーションズ」――国連とは「連合国」の意味

・内外に発表した宣言を空文にしないアメリカの態度は世界の信用を得たが、しかし問題も残った。宣言は格調高く書かれるから、どうしても相手を邪悪と決めつけることになる。

 

日独完全撃破主義――ルーズベルトとチャーチルの「答え」

・それからもう一つ、アルカディア会議では、主要連合国の首脳は今後も互いに協議することを約束して、連合国戦争会議の設置を決定し、終戦までに9回の会合を行なった。

 

「無条件降伏」の要求がもたらした悲惨な現実

・チャーチルは戦後、「ソ連が強大になって鉄のカーテンができたのは失敗だった」と反省している。

 

・結局、無条件降伏の要求と、それによるドイツの徹底的破壊は、スターリンの西方進出を助けただけで、イギリスとアメリカの利益にはならなかった。両国は勝利を得た後、共産主義への防壁としての強いドイツをふたたびつくるべく、マーシャル・プランによってドイツ復興の援助をするのである。

 

ポツダム宣言は「平和のための講和条約の提示」である

・昭和20年4月30日、日本はまだ沖縄で最後の組織的戦闘に死力を尽くしていたが、ヨーロッパのドイツはついに戦闘力を失って、ヒトラーはベルリンにある総統官邸の地下防空壕でピストル自殺をした。この時、ドイツ政府は消滅した。

 

・全文を読んでいただければ誰でも分かると思うが、これは明らかに“平和のための講和条件の提示”であって、けっして無条件の勧告ではない。

ドイツ政府は無条件降伏を承諾せず、そのまま瓦解したが、日本国はこのポツダム宣言を受諾して終戦したのである。すなわち有条件降伏で、ポツダム宣言は勝者も拘束される条件である。

 

何が戦争を野蛮にしてきたか

・たしかにルーズベルトとチャーチルは戦争を野蛮にしたが、もともと戦争は皆殺し戦争である。国家であれ民族であれ宗教集団であれ、相手の人間を追っ払うか、皆殺しにする。自分たちの安全と土地や資源を手に入れるためには、それがいちばん手っとり早い。殺さなかった捕虜は奴隷にして、使い潰す。美人は妾にする。老人と子どもは殺す。時には、女を全員強姦して自分たちの子どもを産ませ、民族を変えてしまう。

 現在はどうか知らないが、旧ユーゴスラビアのサラエボでは、「民族浄化」の名の下にそうしたことが行なわれていたらしい。だが、それは大陸では2000年も3000年も前から続いていることである。

 

・スペイン人は南米で、現地の女性を妻にした。スペイン人の女性はほとんど連れて行かなかったので、混血児だらけになった。

 

日独は「侵略戦争を解放戦争に変える技術」が未熟だった

・戦争には、文明以前の皆殺し戦争、君主時代の戦争、民主主義下のイデオロギー戦争があることを述べてきたが、戦争を侵略戦争と解放戦争の二通りに分ける考えもある。

 

なぜ今「戦争設計学」が不可欠なのか

開戦前、なんと日本には大量の石油があった

・日本がアメリカと戦ったのは、石油のためだったと、多くの本に書いてある。

 

“省益あって国益なし”で大戦争に突入

・これは戦争設計の基礎データが間違っていたという話である。国民向けにつくった「石油の一滴は血の一滴」というスローガンに自分も酔ってしまって、冷静に数字を検討しようとしなかったとは、お粗末なエリートたちである。

 一般の常識では、日本は石油がないから開戦したことになっているが本当は石油がないと思ったから開戦したのである。さらに負けた原因も石油がないからではなかった。軍艦や飛行機のほうが弱くて負けたのである。残念ながら。

 

なぜ、ハル・ノートは国民に公表されなかったのか

・日米開戦にいたるまでの半年間、ワシントンでは日米関係打開のための外交交渉が続けられていた。最後まで日米交渉が難航したのは、日本軍の中国からの撤退がネックになっていたからである。しかし、日本は1941年11月7日の「甲案」、および11月20日の「乙案」提出において中国撤兵にはイエスの妥協案を示していたから、それが原因ではない。

 

そしてハル・ノートの条件を飲む。条件を全部飲んで、それから実施に関する細目の外交交渉を続ける。もしもアメリカが重ねてもっと過酷な条件を押しつけてきたら、そのうえで戦争を始めればよかった。または、粘り腰でさらに交渉を長引かせればよかった。それが外交であり、戦争準備であり、また戦後への戦争設計である。

 

「戦争目的無視、戦略思想なし」の大本営

・「開戦の詔書」は、「帝国は自存自衛のため、蹶然(けつぜん)たって一切の障害を破砕するの外なきなり」と書いている。大東亜戦争の目的は「自存自衛のため」である。だとすれば、オランダの石油をとった時点で戦争目的は達したことになる。石油を押さえたらすぐに、「引きつづきこの石油を供給してくれるなら戦争をやめる」と宣言すればよかった

 

・同時に、ドイツが負けそうになった時にどうするのか、ということも考えるべきだった。ドイツは勝てそうもないと分かってからも、何もしなかったというのはおかしい。頼みの綱のドイツを勝たせるように手伝うべきであった。

 

戦争の「攻勢終末点」を見誤った日本

昭和17年(1942年)には、ドイツは勝てそうもないことが見えてきた。その時点で長期戦略再検討会議が開かれるべきだった。にもかかわらず、何もしていない。

 

昭和18年2月、とうとうドイツ軍は16万人の屍を凍った大地に残し、前年8月からのスターリングラード攻防戦が終わる。日本軍も、その2月にガナルカナルから撤退。以後、日独は敗退していく一方となった。

 戦争には攻勢終末点というものがある。第ニ次世界大戦では、それがスターリングラードとガナルカナルであった。

 

・昭和14年まで駐英大使を務めていた吉田茂は「ドイツは負けて、イギリスが勝つ」というリポートを送って、握り潰されている。

 

アメリカと戦う必要は、どこにもなかった

・大東亜戦争における最大の失敗はアメリカと戦ったことである。理由は単純明快、勝てないからである。日本はイギリスとオランダとだけ戦争をすべきだった。それならまだ勝ち目があった。

 

・ルーズベルトが最も恐れたのは、日本が「有色人種を解放するために戦う」と宣言することだった。

 

今こそ「失敗の教訓」を活かす時

・その後、どうすればよかったのか。次のような展開が容易に見えてくる。

 連合艦隊をインド洋に展開させれば、絶対に無敵である。インド洋にいたイギリス艦隊はたいした勢力ではなかった。

 

・アジア諸国に独立ラッシュが起こったら、韓国も独立させればいい。韓国にも台湾にも、独立か現状維持かを選ぶ国民投票をさせる。かくて、日本は植民地解放の父、有色人種の神様となり、歴史の流れが一変したに違いない。

 

戦争は設計するものである。戦争は政治の延長である。ところが、日本には戦争を設計するという考え方すらなかった。ただ、戦争だけをしていた。

 もし、戦争を政治の延長として設計していたら、日米開戦は避けることができた。さらには、大東亜戦争の戦局も、まったく別の道をだどったに違いない。

 戦後78年を経る今、日本が「反省」すべきことは、「侵略」でも「大虐殺」でもない。戦争を設計せずに、大東亜戦争に突入したことである。このことを反省しないかぎり、日本は再び大きな過ちを繰り返すであろう。それを防ぐのが、政治の使命である。

 

 

 


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