(2020/10/29)
『人類2.0』
アフターコロナの生き方
小林慎昭 プレジデント社 2020/8/6
<見通せない世界が迫ってきたとき、あなたはなにを考えましたか?>
<私たちは、アフターコロナのこの先の未来をどうデザインしていくべきでしょうか。>
・過去の出来事から学び、ありとあらゆる情報を収集することで現在の状況を把握し、分析する。そうしたうえで、未来を想像する。そして、想像した未来から、「いま」なにをするべきかを導き出す。
・世界規模で同時期に急速に起こったこの危機を乗り越えるために必要なのは、未来を想像する力だと考えます。
・アフターコロナにやってくるのは、「新世界」なのです。もう、元の世界には戻れません。このウイルスは、わたしたちを「人類2.0」に変えようとしています。
<世界規模で想定外の危機が訪れています。>
・そしていま、世界規模で想定外の危機が訪れています。
アフターコロナの世界がどうなるのか?
わたしたちは、アフターコロナの未来をどうデザインしていくべきなのか?
<コロナがもたらした、「働き方の変革」>
・改革とは、基盤を維持しつつ制度などをあらため変えることを指します。
新型コロナウイルスがわたしたちにもたらしたものは、「働き方の変革」です。
ミーティング、時間の使い方、人間関係の築き方、営業、マネジメントなど、ありとあらゆる面で、その変革が起きはじめたのです。
<ミーティング(会議)>
<これからはオンラインがスタンダードになる>
・それはいま、日本全国で起こっている――起こっていくであろう、事実です。想像してみてください。1日に、何時間オンラインミーティングが行われているのかを。日本で働く人は約6700万人いるとされます。もちろん、オンラインミーティングをまったく活用しない職種もあるかもしれません。
しかしたとえば、その働く人のうちの1000万人が、毎日1時間のオンラインミーティングを1カ月したと仮定しましょう。すると、日本国内だけで3億時間が、パソコンなどを通じてのオンラインミーティングで使われるということになります。
これだけの膨大な時間が使われているとなれば、これはもう完全なまでにビジネスの「習慣」に変わるでしょう。固定電話を使わずに携帯電話を使いはじめたように――あるいは、FAXを使わずにメールを使いはじめたように――。
・クライアントがオンラインミーティングをするなら、下請けはそのスタイルに合わせるのは必然です。
・オンラインミーティングで対応しているいまの状況は、一過性のものではありません。これはもう、スタンダードになるのです。
<対面>
<リアルで会うことは“特別な行事”?>
・ミーティングをオンラインですることがあたりまえの世の中になっても、対面のミーティングがなくなるわけではありません。
なくなりはしませんが、その時間はとてつもなく重要で、貴重な時間となっていきます。
・これから、人は仕事上のほとんどのことに関して、デバイスを活用したオンラインミーティング、または通話でこなすようになります。
・オンライン営業のほうが、生産性が高いのはあきらか。経営的な視点でも、わざわざリアルなミーティングをしなければ受注できない営業マンは不出来と評価されるようになるでしょう。
・コロナ以降、おそらく数千万人単位のビジネスパーソンが、オンラインミーティングをデファクトスタンダード(事実上の標準)としています。
・そう考えると、オンラインミーティングの波にのまれながらもリアルなミーティングは生き残るでしょう。数は減っても、なくなることはないはずです。しかしながら、リアルで会うミーティングは“特別な行事”のようになっていくでしょう。
リアルでミーティングを行うのは、「直接、相手に会いたい」から。そこに、ロジカルな理由は存在しません。
<時間>
<移動がなくなり細切れのスケジュールになる>
・オンラインミーティングでものごとを進めることが習慣化されると、単位時間も変化します。ミーティングの時間は15分、長くて30分が平均的な長さになるとわたしは考えます。そして、こんな変化が訪れます。
1日の時間の使い方は、これまで以上に細切れになる。
・ビジネスチャットの導入によって、コミュニケーションは非連続に、断続的に進むようになっています。腰を据えて話し合うという場面は、どんどん少なくなっていくでしょう。
コロナ以降、ますます時間の使い方は変わっていくにちがいありません。
・オンラインミーティングが習慣化された社会では、準備コストがゼロに近づきます。ですから、1日に何度でもミーティングの開催が可能です。
・「ミーティングスタイル2.0」をこれまで生み出してこなかったことが問題だと思うのです。
・これからはもう、対面で会う必要はありません。会うためだけに移動することもありません。自分がいたい場所にいていいのです。
・15分単位ですらあたりまえ。時間の使い方は、細切れになっていくでしょう。移動がなくなることで、わたしたちは時間についてたくさんのことを考えるはずです。
<人間関係>
<いかにして“リモートトラスト”を形成するか>
・あなたは、実際に会ったことがない人に仕事を頼むことができますか?
・リアルで一度も会ったことがない人とのあいだで、しっかりとした信頼関係を築き上げるスキルは、これからのビジネスパーソンにとっての必須スキルとなるでしょう。
・新たな相手とリモートでのコミュニケーションがはじまった際に、お互いが心地よいと思える反応速度と確認事項の細かさが一致するかどうか――。これが、相手を信頼することができるかの判断材料になります。
・大きな意味での「人間関係2.0」の世界では、最初の1時間のリモートコミュニケーションで、第一印象は決まるのです。
<通勤>
<在宅勤務なら、交通費も通勤時間もゼロ>
・どの企業も、従業員の交通費が毎月どの程度かかっているかを正確に把握しています。ひとりあたりの交通費は、平均して1万5000円程度でしょうか。従業員が100人だと月額で150万円くらいになります。年間では1800万円となります。
<ビジネス2.0>
- 大企業・グローバル企業――コロナという“劇薬”が新陳代謝を起こす
- 飲食――加速するフードデリバリー市場の拡大
- 旅行・観光・宿泊――旅行は“体験”。国内旅行は早めに回復
- イベント・展示会――エッジとレア度が生き残りの分かれ目
- ライブ・ショービジネス――オンライン生配信で新しい価値を提供
- 広告――在宅ワークでプライベートユースが増える
- 製造――都心に勤務する従業員も地方へと移住する
- 不動産――「単なる場所」を提供するだけでは大苦戦
- 教育――専門分野は民間企業にアウトソーシング
- 医療――設備レベルを底上げし“崩壊”リスクを低減
<お金2.0>
・企業や店舗の倒産が相次いでいるというニュース。株価が下がったというニュース。失業率が世界的に上がったというニュース。
・自分の会社は大丈夫なのだろうか? 仕事はなんとなく回りはじめたけれど、新規の顧客をつかまえることはできるのだろうか? 勤めている企業はこれから成長していけるのだろうか? 家賃や住宅ローンを払い続けていくことはできるのだろうか? 子どもの教育費は捻出できるのだろうか? 自分たちの老後の資金は確保できるのだろうか?
ますます不安になります。
あらゆる指標から見ても大きなマイナスのインパクトをもたらした新型コロナウイルスですが、これから先、わたしたちの生活に密接に関係する「お金」の価値はどんな影響をもたらすのでしょうか。
<家計>
<慎重な性質を持つ日本人は現預金の金額を増やす>
・しかしながら、いくらポイント還元があったとしても、これだけの先行き不透明な経済状況です。それを思うと、私たちの財布の紐は堅くなってしまいます。そんななかで、多くの人はどの支出を引き締めるのでしょうか? 一方、コロナ禍において、生活を快適にするために支出が増えるものはあるのでしょうか?
まず、一番初めに減る支出があります。引き締めるというよりも、「使えない」といったほうが適切でしょうか。それは、「旅行費」です。
・アフターコロナの世界では、旅費は総じて値上がっていくのではないでしょうか。
・元来、日本人は現金主義で、家計の金融資産のおよそ半分は現預金だとされているほどです。
・これから先も、マクロ的に見ると同様の動きが出てくるでしょう。慎重な性質を持つ日本人は、現預金の額を増やす動きをしはじめると思われます。
<金融資産>
<「製薬」「物流」「在宅時間」にフォローの風が吹く>
・ニューヨークの原油の先物価格がマイナスに落ち込んだ状況はイレギュラーだとしても、アフターコロナの新世界を見据えた場合、金融資産ポートフォリオをどう組み直す必要があるか考えるべきです。
・コロナショックは全世界を同時に襲いました。そのため、金融資産の価格変動も全世界の相似形となりました。
・マクロ的に見て、あきらかにアゲインスト(評価損)の業界が存在します。それは「移動」に関連する株の銘柄です。
航空、自動車、観光、ホテル、レジャー、タクシー、ライドシェア………。これら移動に関するビジネスを展開している企業は、これから数年はかなりの苦戦を強いられます。
・一方、あきらかにフォロー(上昇)傾向の業界も存在します。第一に、製薬・メディカル系の業界です。薬やワクチンの開発及び大量生産は世界中で求められる極めて重要な課題ですし、これはもう医療系の企業全体がビジネスに集中できる機会を得たことになります。
・しかし、フォローの業界はほんの一部に過ぎません。エコノミストたちは、声を揃えて「1929年以来の世界恐慌がやってくる」と警鐘を鳴らし続けます。事実、2020年4月のアメリカの失業率は、世界恐慌以来最悪の14.7%という結果になりました。
・1929年の世界恐慌を知識として知っている人は多いと思います。では、この不景気はいつ反転したのでしょうか。マクロ的な動きでは、株価の落ち込みが底をついたのは3年後の1932年で、元の水準に戻ったのは1939年頃とされています。
元に戻るまでに、10年の歳月を必要とした計算です。
・コロナ以降の不景気がどのくらいの長さになるのか、正確なことはまだ誰にもわかりません。ただ、歴史に学ぶならば、少なくとも今後3年間の経済停滞を覚悟しておいたほうがいいのかもしれません。
向こう3年間は、企業も家計もコストカットの方向に向かうことになります。嗜好品はもちろんのこと、買い替えサイクルが5年以上の自動車や家電などの贅沢品の需要も大きく落ち込むことが考えられます。
また、これからの数年間のなかで淘汰され、倒産する企業が多く出ることが見込まれます。一方、この危機をチャンスに変え、大きく業績を伸ばす企業も多く出てくるでしょう。あらゆる業界で、新陳代謝が起こります。
<通貨>
<アメリカの復活には時間を要し、数年は円高圧力が続く>
・リーマン・ショックにおける為替の影響は、数年かけて円高というかたちで現れました。「日本経済の停滞」という名の“安定経済”を背景に持つ円は、いまも安全資産としての魅力があると思います。感染者200万人を超え、最大の被害を受けているアメリカ経済の復活は、これから数年を要することはあきらかです。よって、これから数年は、円高圧力が続くと考えるのが妥当なのではないでしょうか。
・2011年に公開された、スティーブン・ソダーバーグ監督の映画『コンテイジョン』では、未知の新型ウイルスが世界中に蔓延し、何千万人もの人が亡くなるストーリーが描かれています。
作中では、ワクチンが完成しアメリカ国民に投与される段階において、その投与順序を誕生日順に決めていきます。その理由は、病院やクリニックでの混乱と感染を避けることが目的。毎日決められたひとつの誕生日の人だけがワクチンを摂取できるというルールで、全国民がワクチンを投与されるまでに丸1年を要することになります。
アメリカ国民だけでもそれだけの期間が必要なわけですから、全世界の人にワクチンを投与するのは、途方もない時間がかかるでしょう。世界中
の人類が、ワクチンをいまかいまかと待ちわびる状況を思えば、ワクチンが大きな価値を持つと考えるのが自然です。
<国家予算>
<世界各国の経済は“ICUに入った”状態>
・コロナ以前、正直なところ、わたしは現在の民主主義に限界を感じていました。民主主義の原則は、多数決です。しかし現在では、誰の手のなかにも世界中の情報にアクセスできるスマートフォンがある。そして、世界で30憶人以上がSNSを使っている。
・「企業のステークホルダーは株主だけでなく、従業員、地域コミュニティ、そして社会全体に広くわたる」という声明文が発表されました。
・しかし、コロナショック発生からわずか数カ月、世界は、すべての面倒を見てくれる“大きな政府”を求めはじめました。
・そして、今回のコロナショックは、「未知のウイルス対世界」という構図です。このウイルスが現れる前、世界は分断し、情報は分散され民主化し、企業も個人も個別的な権利を主張していました。
・全世界の全国民に影響を及ぼす課題が現れた――。そんなとき、国家はどこまで国民を守れるのか。政策の規模と、実行までの速度が問われることとなりました。未知のウイルスはきっと再び現れる。今回の新型コロナウイルスについても、遺伝子変異により、第3波、第4波がやってくる可能性もゼロではありません。これから5年、10年にわたって、国家予算の編成において評価額と優先順位づけをもう一度見直す必要が出てきます。
残念なことに、企業や国民のすべてを救うことは不可能です。
これ以上影響が拡大した場合、なにを優先し、なにを捨てるべきなのか。
国家は、予算編成というかたちで、各業界、各企業、そして国民の“トリアージ(治療の優先順位づけ)”を断行しなければならなくなります。
<信頼経済へのシフト>
<「信頼」という通貨を蓄えてチャンスを広げる新世界>
・「信頼貯金」という言葉を聞いたことはありますか? あるいは、「これからは個人の時代が来る」というキャッチコピーはどうでしょうか?
・これからは「個人の信頼」が、お金の指標となり得るのです。
そんな時代がなぜ来るのか? ここでは一度、500年前まで遡って「お金」の価値を見直し、時代の移り変わりからその未来をとらえてみたいと思います。
① 封建社会から資本主義へ~「どこ」にいるのかが重要だった時代~
② 資本主義の最後に来たIT革命~「なに(コト)を」するかが重要だった時代~
③ 資本主義から信頼経済へ~「誰と」動くのかが重要になる時代~
資本主義の次の価値観である、IT革命の先にある未来が、まさにいま、花開こうとしています。その転換を後押ししているのが、コロナショックです。
時代の転換が起こるには、大きく3つの要素が必要であるとわたしは考えます。その3つとは、「非連続なテクノロジーの発展」「社会の仕組みの変化」「人の価値観の転換」です。
まず、「非連続なテクノロジーの発展」について。
資本主義の次への動きに影響を及ぼすテクノロジーは、大きく分けてふたつ。それは、「AI」と「ブロックチェーン(分散型台帳技術、または分散型ネットワーク)」です。
・単に役に立つスキルを持つ人の必要性は低くなり、そこにいることに「意味がある人」が求められます。
・ブロックチェーン技術をひとことで表すなら、「非中央集権」という言葉になります。ブロックチェーンを用いれば、中央集権的な役割を必要とせず、あらゆる価値の承認を処理できます。
・このようにブロックチェーン技術が社会インフラのなかに浸透すれば、国家のような中央意思決定機構が不在でも、ものごとが公平に透明性を担保したまま進んでいくことが可能です。単に信頼を担保するためのシステムや会社も、必要性が低くなるでしょう。公正に正確にものごとを進める人が不在でも、問題のない世界がやってくるということです。
・そして、「社会の仕組みの変化」も、コロナショックで起こりました。というよりも、コロナショックは社会の仕組みを否応なく変え、人の価値観の転換にも大きな影響を及ぼしたという見方ができます。
コロナショックによって、在宅・リモートワークがあたりまえとなりました。
・わたしたちが想像するよりも、個人のパワーが遥かに増大したのです。たとえ自宅にいながらでも、個人ができることが急速に拡大したのです。
そこで大事なのは、アフターコロナの新世界は、「個人が中心の時代」になるということ。
資本主義の下では、企業と企業の協業によって世界は急速に発展してきました。しかし次の時代では、個人と個人、または個人と企業で協業し、世界を変革していくことができるようになります。
だからこそ、次の時代では「誰と」動くのかが重要になる。
・先に触れた『学問のすゝめ』が出版されたのは、1872年のことでした。その本のなかで、資本主義という新世界での生き方がまとめられています。それから148年を経た2020年、コロナショックによって資本主義から信頼経済への転換がはじまろうとしています。
信頼経済というものは、わたしたちにとっての新世界――。本書が、その新世界における『学問のすゝめ』の役割を、少しでも担えれば幸いです。
<「人類2.0」にバージョンアップするための道標とは?>
・新型コロナウイルスと比較されるSARS(重症急性呼吸器症候群)はどうでしょうか。こちらも新型コロナウイルスと同じく発生源は中国で、2002年に最初の患者が報告されています。2002年11月1日から2003年7月31日までに、全世界で8098人が感染し、774人の命が奪われました。ちなみに、29カ国・地域で感染者が出しましたが、日本はゼロでした。
・これまでは、都会に人が集うことで経済の大きな歯車が回っていました。でも、もうその常識は変わろうとしています。都会に集わなくても経済を回す方法を、わたしたちは手にいれつつあるのです。
<コミュニティ>
<“居場所”はオンライン上へ、オンラインネイバーの感覚が生まれる>
・コロナショックを機に、コミュニティへの関わり方、コミュニティのかたちそのものも変化していきます。
・コロナ禍のいま、毎日のように日本全国でオンラインイベントが開催されています。もちろん、参加者は日本全国から集まってきます。わたしが運営するオンラインサロンのイベントにも、東京はいうに及ばず、北は東北から南は九州まで、さらにはシンガポールやマレーシアといった海外からの参加者が集まってくるほどです。
・「オンラインネイバー(Online neighbor)」という感覚を持ちはじめた人もいるようです。ネイバーとは「隣人」という意味をもつ単語です。つまり、オンラインのなかにおける隣人ということです。
<街>
<テクノロジーと制度づくりの両面から「対ウイルス」に備える>
・新型コロナウイルスに対するわたしたちの人類の対抗策は、「Stay home」
です。わたしたち人間というのは、極めて無力です。なにせ、感染者1万人に対して、その1万倍の1億人が制限を受けるのですから。対抗策は、「ただ家にいる」こと。これはなんだかとても妙なことに思えてきます。なにが問題なのか?
ウイルスではなく、現在の街のかたちが問題なのではないでしょうか。
・未知のウイルスに対して、外出の自粛と「Stay home」という原始的な対抗策で立ち向かうのではなく、たとえ国内に数千人から数万人の感染者が現れたとしても、社会や経済は通常通り進んでいくような「街2.0」へ、いまの街をつくり直していくべきではないでしょうか。
<東京と地方>
<資本主義的な一極集中から、「快適さ」を重視したワークライフへ>
・今回のコロナショックは、わたしには「資本主義に対する挑戦」のように映りました。超高層ビルを建て、超効率的な移動路線を実現し、超満員電車に耐えて通勤する――資本主義のうえに成り立つ、「株式会社経営」を効率化するための都市インフラ、そのすべたが否定されたからです。
<日本>
<「餅は餅屋」ではいけない。あらゆる手を尽くす心構えで日本再興へ>
・平成時代は「失われた30年」といわれます。事実、日本経済は低迷を続け、デフレも延々と続いています。
ひとりあたりの名目GDPは、1995年のG20のなかでのトップから、2018年には7位に後退しました。2020年5月10日の日経平均株価は、31年前の1989年の約半値です。
・グーグル、アマゾン、フェイスブック、アップルのGAFAに、マイクロソフトを合わせた5社の時価総額の合計は、2020年5月8日、東証一部上場企業すべての合計額を超えました。
・2019年5月1日、新しい時代「令和」が幕を明け、「失われた30年を取り戻す」という、そんな機運が高まっていました。令和になってからの初めての年明け――しかし、そこに待っていたのはコロナショックでした。
・飲食店は営業自粛で全国の数万店舗が存続の危機にあります。思うように業務を行えない企業も悶え苦しんでいます。
・失われた日々はまだ続くのだろうか? コロナショックから、ただ打撃を受けるだけなのだろうか? これまでの30年間でわたしたちが学ぶことはなかったのだろうか? この危機を、「日本2.0」へと生まれ変わる契機にできないものだろうか?
ここでの需要な視点は、この危機からの「復旧」を目指すのではないということです。復旧は元通りになることです。そうではなく、新たに生まれ変わり、より強い「日本2.0」として「復興」しなければならないのです。
・「餅は餅屋」どころか、餅屋は餅を焼いているだけではいけないのです。いまできるあらゆることを考え、一人ひとりが行動に移すしかありません。コロナショックによって、企業や店舗は顧客を失いました。売上を大きく落としました。すでに、事業が成り立たなくなった企業や店舗もたくさんあります。
・いつもの餅ではなく、ウィズコロナ、アフターコロナの社会が必要とするモノやサービスを生み出せる人材が、日本にはたくさんいます。
・わたしたち日本人は、ある種、「現状の安定」という名の停滞に漫然と構え、がむしゃらに動くということを忘れていた気がします。わたしは、精神論で日本を「日本2.0」に生まれ変わらせようといいたいのではありません。
あなたにとっての、餅ではないなにかをゼロベースで考えてみてはいかがでしょうか?きっと、あなたの潜在能力によって生み出せるものがあるはずだから――。
・それを、国ごとそっくりつくり替えるという変化には、多くの人がおそれを感じるにちがいありません。しかし、コロナショックという“外圧”は、その変化を断行せねば未来が成り立っていかないという強烈なまでの危機意識をわたしたちに植え付けました。
これほどのチャンスはないのではないか――わたしは心の底からそう思っています。日本を「日本2.0」につくり替えるチャンスが、いま目の前にあるのです。
<人類>
<「ウィズウィルス」で、人類は生まれ変わる>
・新型コロナウイルスの問題は、すべての国にとってトップイシューとなっています。
これほど多くの国がひとつの課題について深く議論し対策を講じているタイミングは、有史以来、初めてのはずです。
・2011年に公開された『コンテイジョン』という映画は、今回のコロナ危機を予言したような内容でした。
新型コロナウイルスのような未知のウイルスが、世界中で感染爆発を起こす様を描いたものです。
劇中では、元の保菌動物はコウモリでした。工場を建設するために森林伐採が行われ、住処を追われたコウモリがブタに接触します。そのブタがいたのは、人間が大量に消費する豚肉を生産するための養豚場。ブタは食肉となって中華料理店のシェフの手にわたり、シェフとひとりの女性との握手によって、人への感染が広まっていきます。
現実世界においても、H1N1(インフルエンザ)のような鳥由来・豚由来の新型インフルエンザは、毎年のように新たなタイプが生まれています。増え過ぎた人類の食欲を満たすべく、劣悪な環境で鳥や豚を飼育する工場があるためです。
<これからの「正しさ2.0」の話をしよう>
・しかし、人類はウイルスについて無知でした。街も、国も、人類も、誰もが無知でした。新型コロナウイルスは、わたしたちの無知を教えてくれました。
無知の知――。
・一人ひとりが新しい「働き方2.0」を見出し、各業界が総力を挙げて「ビジネス2.0」のチャンスをつかみ、「お金2.0」と向き合って価値をとらえ直す。「街2.0」をつくり、「国2.0」をつくり、そして、「地球2.0」をつくる。
無知を知り立ちあがったわたしたち「人類2.0」は、昨日よりも確実に強くなっているはずです。
<失ったものに対する様々な想いを胸に、それでも希望を抱いてわたしたちはこらからの新世界を生きていく>
・本を制作することは、リアルで会わなくてもできます。これもまた、コロナ危機が変えたひとつの出来事なのではないでしょうか。
・わたし自身、社員が10人いるスタートアップ企業の経営者です。コロナ危機で、会社存続の瀬戸際が続いています。もちろんこれは、わたしの会社だけの問題ではありません。日本全国、世界中には苦境に立たされている数多の人がいます。
なかには、会社の清算という道を選んだ人もいるでしょう。経営する飲食店を手放すことになったり、長年勤務していた企業からリストラにあったりした人もいるはずです。
世界中の経済に大打撃を与え、実態が正確につかめないほどの失業者を出し、たくさんの命を奪い、社会の仕組みまで変えた新型コロナウイルス。その脅威は、これまでのわたしたちが持っていた価値観を変えました。そして、これから訪れる新世界に順応するべく、生き方さえも変えていく必要があります。
『ニッポン 2021-2050』
落合陽一 猪瀬直樹 KADOKAWA 2018/10/31
<「成長せず社会課題が取り残された平成の30年」>
・アメリカが順調に成長するなかで、日本は横ばい。相対的に右肩下がり。就職率は悪化し、会社に入っても不景気が続きます。日本経済全体に停滞感がある一方で、数年前に生まれた世代は「良い時代」を知っていてジャパンアズバンバーワンの幻想を持っていて断絶が生まれます。ただしこの頃まではまだ日本はアジアの盟主でした。
次に出てくるのが、思春期には多くの人がパソコンを触っているデジタルネイティブと呼ばれる世代であり、僕もここに含まれます。すでに会社に入れば安泰という幻想は薄れつつあるなかで、IT産業だけが華々しい成長をして、そこの弱肉強食の世界に飛び込んでいく人たちが出てくる。2000年代後半になると中国は著しい成長をしています。僕が学生の頃は「これからは中国の時代だ」と盛んに叫ばれていました。アジアの工場としての中国ではなく、新たな市場としてのビジネスチャンスを期待して起業する人も出てきました。
そしてスマホネイティブが登場します。スマホというあらゆる人たちをエンパワーメントするツールが普及するなかで、中高生であっても自分で稼いでいるような人たち、SNSで支援をもらいながら社会活動をする人たちが少なからずいる。
・こういった変化の中で、それぞれの世代ごとに経済成長についてさまざまな見方があること、そして国家全体としてジリ貧になっているという事実を認識することが重要です。
成長を目指す国家でもあるいは成熟社会でもかまいませんが、まずビジョンを描き、そこを起点にどう社会のリソースを配分するかということが問われています。
なぜ平成は失われた30年になったか。それはビジョンがなかったことに一因があります。
人口減少ほか日本が直面する諸問題、技術革新による時代の変化を理解し、社会を構想しアップデートすることが未来に向けた僕たちの責務です。
これまでの日本の歴史を振り返ると、鎌倉時代でも江戸時代でも、だいたい30年ぐらいかけてその時代の礎がつくられてきました。僕は近未来、2040年ぐらいを見据えて研究をしているということをよくメディアで発言してします。次世代のプラットホームとして役立つものをつくるということを意識して研究なり教育なりを行っているのです。直近の社会課題に取り組むのは当然として、僕たちはもっと長期的な視点で物事を考えなければならないということが、僕がいま訴えたいことの一つです。
<「日本はなぜ変わらなければならないのか」>
・現実問題として「この自治体を閉鎖して移住しましょう」という公約を首長が掲げて当選することなんて絶対にできないでしょう。その力学の延長線にあるのが高齢者優位の政策立案であり、いまの日本社会の苦境です。いま暮している人たちを尊重するのは当然のことですが、同時に全体のリソースを考えて行動する。そしてそれを戦略として決める人がこれからの地方には求められます。
ある外国人の研究者の友人に、日本の人口ピラミッドを指して「よく日本人はあんな棺桶みたいなグラフで危機感を抱かないね」と言われたことがあります。棺桶というのはほんとうに言い得て妙です。僕たちは日本がいま棺桶に入りつつあるという状況を直視しなければならないのです。
<「地方を膚感覚で知らなければ日本のビジョンは描けない」 猪瀬>
・落合君が問題提起をしてくれたように、いま日本には課題が山積しています。僕がなぜ東京都副知事を引き受け、石原慎太郎さんのあとに東京都知事をやったのか。最大の理由は、東京からならば、日本を変えられると思ったからです。
東京が先んじてビジョンを示せば、他の自治体も国もついてくる。中央政府、つまり霞が関は縦割りで意思決定が遅いし、東京以外の自治体は総務省から地方交付税交付金を仕送りしてもらうので勝手なことができない。そのほか霞が関の各省からも、自治体の事業に合わせて補助金が付く。昨日の世界、過去を基準とした世界からの補助金漬けになっているから新しいことがしにくい。
霞が関と地方行政の関係はそういう事情だから、東京を一つの国に見立てて動かし、国が抱える課題を先に解決してしまう。これが仕事だと思っていました。
・それが財政破綻した北海道夕張市への都職員派遣です。2008年のことでした。東京23区より広い土地がありながら、当時で人口は約1万2000人、高齢化率が40%を超え、人口流出は加速している。そんな自治体ですので、およそ税収増なんて望むことができません。市民税や水道料金を引き上げたところでまかなえず、職員の給与は4割カットされることになりました。270人いた夕張市職員は一気に140人ほどに減ってしまった。そんな街で353億円の債権を18年かけて返済するという前例のない財政再建計画が始まっていたのです。これでは行政が機能するわけもなく、麻痺寸前でなんとか助けないといけない、と思って東京から職員を派遣したのです。
・東京は他の自治体に比べて裕福と言われますが、財政の実態を子細に検討すれば決して楽観はできません。景気の波に左右され、税金が減る時は1兆円単位で減ってしまう。実際1999年には財政再建団体に指定される寸前までいってしまっていました。これもほとんどの人が忘れている経験です。財政破綻への危機感を持てといっても、持つことはできない。
夕張に職員を派遣したのには、東京だけが日本だと思ってほしくない、財政再建に取り組む地方の現場を若い職員にみてほしいという思いもありました。派遣した職員が働いていたのは真冬にもかかわらず経費削減のため庁舎の暖房が17時で切れてしまう役場です。
・視点を変える、という経験がなければ本質は見えてこない。結果として、日本全体や世界の中から自分自身の存在も見えてこないんだということをわかってほしいのです。
自分の立ち位置を知らない人材にできることは限られます。自分の周囲だけが当たり前なのではなく、日本国内も多種多様であり、まず東京と地方ではまったく違う。これを世界に置き換えてみましょう。日本の当たり前を他の国でも当たり前だと思い、適当に振る舞ってしまえば「この人は日本のこと以外は知らない視野が狭い人」だと見なされ、うまくいくはずの交渉もうまくいかなくなります。
<「テクノロジーが東京と地方の共通項に」>
・さて、日本は都市と地方、それぞれに課題を抱えていますが、課題先進度でいえば地方のほうが高いという現実は認識する必要があります。東京の課題と地方の課題はもちろんつながるものもありますが、必ずしもイコールで結ばれるものばかりではありません。
・現実は逆でテクノロジーによって分断されるようなことはない、というより分断されようがない。それはプラットホームに乗った共通部分を探すことで見えてきます。
・プラットホーム化したテクノロジーは分断を促すというより、都市と地方を結んでいる最大の共通項になっています。
・僕は人口減少そのものは危機でもなんでもないと考えています。過疎化によって土地が余るというのも考えによっては大きなチャンスです。人口減少、すなわち労働力の減少や人的コストの拡大はテクノロジーの進化によって防ぐことができます。余った土地の活用法は権利問題さえクリアすれば、一気に解決が見えてくる。例えばブロックチェーン技術を使って、財産権をクリアにして民間に開放することで、僕たちが思いも寄らない有効な活用法が見つかる可能性が広がるのです。むしろ、それこそが地方を再興させる鍵だと言っていい。
僕が考える地方再興を実現するための最大の条件はテクノロジーフォビアにならないこと。ロボットフレンドリー、テクノロジーフレンドリーであること。これに尽きます。
・この本では「近代の超克」、すなわち2021年に向けていまの日本を規定しているさまざまなシステムを見直すこと、そして2050年を見据えて、この国の在り方や、生き方をどう描くかをテーマにしています。そのためには将来を悲観せず、理想の社会に向けて一つひとつできることを探していくことが求められます。
現状を嘆くだけで終わるのか、あるいは解決に向けて動き出すのか。いまこそ後者の決意が必要とされているのです。
<統治構造を変えるポリテックの力>
・なぜか。日本の統治構造の本質は強固な官僚制にあるからだ。日本の近代化の幕開け、明治期から徐々に形成され、戦前にはすでに完成をしていた日本型の官僚システムでは、国家のエリートが集まり、年次ごとの競争でピラミッド型組織の頂点を目指す。重視されるのは、各省の利益=省益
これは戦前から変わらず、戦後も引き継がれたと猪瀬氏はみる。
これを解決するために落合氏は「ポリテック」という言葉を提唱する。政治(ポリティクス)とテクノロジーを組み合わせた造語だ。
ポリテックの可能性を落合氏は縦横無尽に語る。介護、経済、そして電力。日本が抱える大きな問題の一つ、原発問題もポリテックで考えることができる。ポリテックは猪瀬氏がときに対峙し、ときに内部まで入り込み思考を深めた官僚制の問題を打破する一手になるのか。「近代の超克」の鍵となる統治構造を議論する。
<「日本システムの弊害の縦割り行政」>
・公文書の大きな役割は、歴史の検証です。文書を残しておくのはなんのためか。役人の保身や、政権のためではない。後世の歴史のためです。重大な意思決定は常に歴史から検証されなければならない。失敗にしても、成功にしても、歴史から学ぶのです。したがってアメリカでは公文書には公開期間が決まっていて、一定の時間を過ぎれば公開されるようになっている。
・共産党国家と日本の違いは、共産党国家のように圧倒的な権力を持ったトップがいないということでしょう。日本は専制君主がいないただの官僚機構の連合体なので、とにかく官僚が圧倒的な情報量をもって、それをうまく隠しながらコントロールすることで国ができてきた。彼らからみれば、大臣や政治家はちょっとの間やってきてその椅子に座っている人にすぎない。
落合くんも述べていましたが、いま日本という国が抱えている大きな問題は、どこの省庁が担当するのかわからない、複数の省庁にまたがる問題がぽっかり放置されていることです。
<「ポリテックで日本政治を変えよう」 落合>
・僕は日本の統治機構を「デッドロック」と表現してきました。これはコンピュータ用語ですが、要するに解決すべき問題があるのに、省庁同士で動けるようになるのを待っていて、結果として何も進まないということを喩えて呼んでいるのです。
猪瀬さんが指摘したように12省庁が強い縦割りで動いています。だからこそ、それを打ち破るためにも、これまでにない政治の概念が必要なのだと思いを強くしています。
こうした新しい概念として、最近、僕は自民党の小泉進次郎さんとともに、政治と技術を融合した「ポリテック」という言葉を広めようとしています。
・政治の課題をテクノロジーで解決する。テクノロジーの課題を政治的に解決する。そして視点です。例えば介護の分野では、人間の力をつかって解決していこう、多くのヒューマンリソースを割こうという発想が現在まで中核にあります。あるいは、制度を整備することでなんとかしていこうという発想でした。
けれども僕が進めているように、テクノロジーの力で人間の身体を拡張することで解決するという提案もできるはずです。
・もちろん投票だけでなく、納税や通貨など、既存のあらゆる仕組みをテクノロジーで効率化できる可能性を秘めています。特にそれらへの活用が期待できるものとして、ブロックチェーンには大きな可能性を感じています。
・これから日本がテクノロジーを活用した先進的なアプローチで課題を解決しようとしていることを世界に示すことができれば、海外から新しい知見が集まってくる可能性もありますし、実際に解決すれば世界に対してこれ以上ないアピールになります。
<「ポリテックという言葉の流行が社会の意識を変える」 落合>
・ポリテックという言葉の真意は、最初はなかなか理解されないと思います。流行するなかでバズワード化していっても、それでいいと考えています。何回か実例が登場して実体が伴えば、言葉はきっと足がついてくるはずです。なぜならば、僕も含めて、テクノロジーで政治に対する困っている問題を解決しようと思っている人や、テクノロジーの適用を政治で進めようとしている人はたくさんいるからです。そもそもテクノロジーで問題を解決していこうというのは、グローバルでは当たり前の発想になってきています。
・僕は「デジタルネイチャー」という概念を使って次の社会を考えています。この言葉は、“自然”をより上位から俯瞰する、計算機によって生み出された“超自然”を意味します。要するに、これまで“自然”と考えられていたものを更新する考え方のことです。
CGと実物の区別や、AIと人間の区別がつかなくなり、人間と機械が融合していくような未来がやってくるでしょう。例えばメガネをかけて視力を回復したように、手が不自由ならより精緻に動かせる義手を使えばいい。いま障害と呼ばれているものは、介助者が必要な方や高齢者も含めて「身体のダイバーシティーが高い人」という表現に変わっていくでしょう。身体に障害があるなら、それをテクノロジーで補えばいいという社会がやってきます。そうなると、いままで「人間の自然な身体」を基準に障害と呼んでいたものは障害ではなくなります。人間と機械の融合によって、“自然”というもののイメージが更新されていくのです。僕がいう親和というのは、そういう未来のことです。
<「目的を忘れたルールに縛られるな。30代への期待」 猪瀬 >
・落合くんが語るポリテックというアイデアは面白い。霞が関や永田町がそのインパクトを理解し、きちんと反映させていけるかどうかは別問題になるにしても、霞が関の堅牢な官僚文化に揺さぶりをかけることはできると思います。
僕が『日本国の研究』を書いた90年代は、ちょうどインターネットが一般の人にも広く普及し、インパクトを持ち始めた時代でした。僕は公益法人改革について、情報公開を徹底させるべく、その情報をインターネットで公開せよと呼びかけていた。