日本は津波による大きな被害を受けるだろう UFOアガルタのシャンバラ

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鬼八は健脚で、風のように駆けるとされ、昼間に棲み処を出ては阿蘇山の麓まで荒らしまわり、夜になると岩屋の奥深くへと隠れてしまう。高千穂近郷の人々は鬼八の悪事に苦しめられていた。(2)

2024-03-26 12:45:22 | 森羅万象

 

<越後・魚沼>

奇妙な人?たち

山の中で得体の知れない音が聞こえるのはよくあることだ。山怪話の定番とも言えるだろう。目黒さんも不思議な音に遭遇したことがある。

 

・目黒さんはこの音の正体を動物だと思うことにしている。本来動物の動きと人間の藪漕ぎはかなり違い、ベテランの山人が間違うことはほとんど無い。

 

異獣

・豪雪地帯の状況を伝える鈴木牧之の『北越雪譜』には異獣と呼称される謎の生物が出てくる。大きな体で二足歩行する異獣は気は優しくて力持ち、どちらかというと怖い存在ではないようだ。その異獣らしき生物を見た人がいる。

八海山スキー場の近くでしたね。大きさですか? 人間よりは大きくて黒っぽかった

 

・「ちょうど2年前の3月初めでしたねえ。結構雪はあったんですよ。雪渓の一番上まで行く途中で何かが見えたんです」

 

・「足跡があったんですよ。それがずーっと続いているんです。あれ? 誰かが先に入ったのかと思いましたね」自分たちよりも先に稜線を目指す人間がいる。

 

・目の前の足跡は消えたが、謎の人物は反対側から登っているのは間違いがない。気になった永井さんは時折双眼鏡を出すと反対側の斜面に目をやった。するとそこに黒い影が動き回っているのではないか。標高は1300メートル近いはずの場所を自由に動き回るその何かは人よりは大きいようだった。

「誰だろうね? まさか滑ろうとしてないよね」

 永井さんは仲間とその何かの様子を探るがはっきりと確認できない。ただ熊でないことは確かで、二足歩行の生き物には違いなかった。どうしても気になる永井さんは、その何かに何度か声をかける

「呼びかけると止まるんですよ。そしてこっちを伺うんですね。返事は無いんだけど明らかな反応はありました」

 

・斜度は50度以上のカチカチに凍った雪の上で、いとも簡単に移動するその何かに永井さんたちは驚愕する。アイゼンも付けずストックさえ持たずに闊歩するその何かの正体は分からなかった。

しばらくして麓の神社で宮司さんと話をしてたら、“それは山の神か異獣ではないか”って言うんですよ

 異獣、『北越雪譜』に登場するあのUMA(未確認動物)である。二百年ほど前に書かれた書物に載る異獣、それがなお越後の山を歩き回っているようだ。南魚沼地区には雪男という名称の酒があり、ラベルに描かれた姿が異獣だ。黒くて二足歩行、大きな目で何とも可愛い姿は決して恐ろしい存在ではない。

 

あなたはどなた

・異獣に遭遇した永井さんは別の不思議な何かに出くわしている。

 

・「感じは1970年代ですね。明らかに現代の格好ではないんですよその人。滑り方はまあお世辞にも上手いとは言えなくて、どこから来たんだろうと思いました」

 見た目の違和感はかなりのものだった。しかし最も奇妙に感じたのは目の前を通り過ぎる時のことだ。

「普通、山で人に会うと挨拶をするでしょう。“こんにちは”とか会釈程度はあるじゃないですか。でもね、その人まったくこっちを見ないんですよ」

 

<肖像画>

・永井さんは谷川岳で不思議な体験をしている。それは学生時代のことだ。

 

・「この人か?」「そうこの人が描いてくれって」誰もが恐怖を感じて、それ以上は話をすることが出来なかったのである。

 翌朝、落ち着きを取り戻した仲間たちはAさんに昨夜の話を詳しく聞き、肖像画を描いた場所へ向かった。「ここか?」

 Aさんが示す岩の近くには一枚のプレートが設置してあった。それは19歳で遭難死した息子を思い、両親が慟哭の心情を綴った記念碑である。まさにこの前にAさんは導かれ、そして青年の肖像画を描いていたのだった。

 

信州・戸隠

テントの中と外

・「彼はまったく寝られなかったって言うんですよ。一晩中女の人の叫び声が聞こえて恐ろしくてどうしようもなかったって

 しかしテント中に響く絶叫は寝込んだ二人にはまったく聞こえていない。彼はよほど二人を起こそうかと思ったが、最前“そんなもの聞こえない”と言った手前それも躊躇(ためら)われた。結局一睡も出来ずに朝を迎えたのである。

 

静寂の山

北海道・松前半島

熊撃ちの経験

・「登っていく途中に巡視路があるんですが、途中で居場所が分からなくなったんです」

最初の位置からすれば30分もあれば巡視路に出るはずである。しかし着かない。おかしいと思いながら二人は一度下ってみることにした。

 最初のところまで戻ったんですがやっぱり分からないんですよ。複雑な場所じゃないのに」

 顔を見合わせた二人は再度登ることに、そして今度は巡視路に出ることが出来たのである。「気がつかないような道じゃないんですよ。巡視路は。それなのにね、登り下りで二回も通り過ぎているんです。二人ともまったく気がつかなかった。考えられないことですよね。あれも狐の仕業かなあ

 

松前半島の狐狸

・叔母さんはいつもの道を歩いているつもりだったが、(カラマツの古木に)頭をぶつけて気がついた。なぜ自分がそんな所にいるのかはまったく分からなかったそうだ。

 「いやあ、あの原因は後で分かったんですよ。料理作りに行っていたでしょう。その時にテンプラを揚げた油が割烹着に飛び散っていたんです。それで狐にやられたって叔母さんは言っていましたねえ

 

・同じく厚沢部町の松橋政雄さんは、若い頃から数多くの熊を捕ってきた山の達人である。その松橋さんに釣りの極意を伝授した知り合いが或る日行方不明になった。

 

・その人はいわゆるリングワンデリングに陥っていた。といっても目印の無い節減や藪の中ではない。いつも釣りに入るいつもの山道なのである。そこで同じ所をなぜか三度も歩く羽目になったのだ。“これはおかしい”周りを見渡しても別段変わった様子は無いが、自分は先へ進むことが出来ないのだ。そこで彼は木の根に腰を下ろすと一服して、どうしたものかと思案を始める。そのうちに自分を探す捜索隊の声が聞こえてきたので、これで助かったと思ったらしい。

 

白神山地・目屋

神様の地

・青森県は神様の多い地である。下北半島には恐山、また津軽地方には岩木山がある。どちらも神聖なる場所で、周辺にはイタコ、ゴミソ、オシラと呼ばれるシャーマンたちが健在なのだ。

 

・福沢さんは母親から面白い話を聞いたことがある。

「凄い大雨が降った時に米ヶ袋の田んぼへ様子を見に行った知り合いがいたそうです。その人、土砂降りの中で変な人を見ているんですよ」

 田んぼが心配になるくらいの雨の中、白装束の女性が歩いているのだ。土砂降りなのにその女性は濡れているように見えない。いったい何者だろうと不思議に思い、その女性の姿を見ていた。それからしばらくして近くの神社が山ごと崩れ落ちる。謎の女性を見ていた人は神様が避難したのだと思ったそうだ。

 東目屋地区にはかつて多くのゴミソがいて住民のさまざまな相談事に応じている。体調不良や困り事、失せ物探しなど気軽にゴミソに尋ねているのだ。

 

・或る時、集落の婆ちゃんが行方不明になった。警察や消防団がいくら探してもその姿は見つからない。誰もが諦めかけた頃、家族はついにゴミソにその居場所を尋ねた。「そこさいる」

 岩木川に架かる橋の近くを指すゴミソ。しかしいくら目を凝らしてもそれらしい姿は見当たらない。集落の人が河原へ下りて生い茂る草を掻き分けると、確かに婆ちゃんの姿はそこにあった

 秋田県藤里町でもかつて多くのゴミソが存在したが今は一人もいない。しかし岩木山周辺では少ないがまだ活動している。東目屋地区でも曾祖母の跡を継いでゴミソになった30代の男性がいて、当分地域の神様として存在出来るだろう。

 

<白神山地・藤里町>

<謎の電話>

日本各地を回っていると北東北は比較的狐に関する話が多い。ここ藤里町でも老若男女問わずいろいろな狐経験をしている人たちがいた。

 

・時計を確認しながら話をしていると、突然電話のベルが鳴った。電話の内容はこうである。“おめぇんとこさの爺ちゃんが坂の途中で寝てっから迎えさいげ

 院内岱(いんないだい)の向かう坂で爺ちゃんが寝ているという知らせだ。すぐに家族が探しに行くと坂道の真ん中で確かに爺ちゃんは寝ていた。着物を脱ぎきちんと畳んで履物も綺麗に揃えてある。まるでどこかの家に上がって布団で寝ているような姿だったそうだ

「爺ちゃんは不思議なことがこの世にあるとはまったく思わないタイプの人なんです。でもこれについては不思議だったそうですよ。でも一番不思議なのは誰が電話を掛けてきたのかが結局分からなかったことですねえ」

 電話を掛けてくるような知り合いすべてに確認したが、そのような人はいなかったのである。爺ちゃんが道端で寝ていたのは狐に化かされたからだと家族は考えたが、謎の電話も狐の仕業なのだろうか

 

田んぼの中、雪の中

・では狐に騙された人はいるのだろうか。

「ああ、20年くらい前かな、田畑のあいだを一晩中歩き回った人がおった。ドロドロで歩き回っとったな。3年くらいにも女の人がおらんようになって、その人は狐に憑かれたと言いよったぞ」

 

・「狐にやられた、狐にやられた」「狐に?何やられたんだぁ」

「狐がこっちさ来い、こっちさ来いっておらをずーっと呼ばるんだぁ」

 藪の中で自分を呼ぶ声のほうへと進んで居場所が分からなくなったというのである。天候も悪くなく迷うような場所でもない。一緒に行った友達も、つい今しがたまで近くにいたのになぜとんでもない所まで行ってしまったのか信じられないと話している。

 

・10年前には雪の中を一晩歩かされて行き倒れになった人もいたそうだ。

 

下りか?登りか?

最も道に迷いやすいのが春先のタケノコ採りである。目の前に広がるタケノコの群落に夢中になって居場所が分からなくなるのが典型的な道迷いで、少なからぬの人が命を落とすかから怖い

 

・先行する賑やかな女性たちの声を追いかけながら歩き続ける山田さん。30分ほど歩いた時、目の前に見慣れた木が現れた。

千手観音ブナっていわれる特徴のある木なんです。それを見た時に気がついたんですよ。登っているってことに。下っているつもりがずっと登っていたんです

 GPSで確かめても間違いなく自分はずっと登っていたのである。タケノコ満載の重いリュックを背負い結構な傾斜道を登っているのに、当人は完全に下りだと認識していた。山田さんにとって小岳は目を瞑っていても歩ける場所なのだ。それがこんなことになるとはおかしい。狐のせいだと直感した山田さんは叫んだ。

「俺のことを騙そうたってそうはいかねーぞ‼ 」

 

山奥の出来事

・藤琴川のかなりの奥の沢筋にゼンマイの名所がある。時期になると我先にと大勢の人が向かう場所だ。

 

・しばらくすると足音が聞こえてくる。顔を上げると誰かが下りてくるのが見えた。「あれ? こんなに早く採りに入ったのか?

 自分がてっきり一番だと思ったから驚きながらも挨拶をするが、男は無反応である。強い違和感を感じたAさんが散れ違いざまに振り向くと、男の姿はどこにもなかった。この謎の男には多くの人が遭遇し、現場は“お化けが出る場所”として知られている

 

ゴミソと川流れ

・山間地域に限らず昔は庶民の相談事に応じる“神様”が各地に多く見られた。神道系や仏教系、自己流といろいろな“神様”は、失せ物探しや縁切り、頭痛、肩こり、歯痛と何でもござれ。インチキだと言う人もいたが、地域に無くてはならぬ存在だったのである

 都市部から早くにいなくなった“神様”が比較的最近まで残っていたのが山間集落であり、藤里町にも多くの“神様”が存在していた。藤里町ではこの“神様”のことをゴミソと呼ぶ。「婆さんは何かあるとすぐにゴミソのとこさ行ったもんだ。物がなくなったとか体の調子悪いとかな」

 

南蔵王・七ヶ宿町

小さなおじさん>

森の不思議な存在の一つに小人がある。兵庫県のベテラン猟師は森の中で二度ほどその姿を見ている。他人に話しても信じてもらえず、それならとカメラを持ち歩くようになったら出てこなくなって悔しい思いをしたそうだ。

 

・集落を目指して林道を下っていると、一本の朴の大木に夕日が美しく映えている。燃えるような輝きを放つ朴の木、Kさんは思わず足を止めて見入った。「凄く綺麗だったんですよ。でもその根元に何か座っているんです」「狐ですか?」

いえ、小さなおじさんでした。木の根元に座ってニコニコしてるんですよ。大きさですか?20センチくらいでしたね

 まさに森の小人さん出現である。Kさんが詳しく観察したところによると、小人さんは作業着姿で若干頭が大きかったそうだ。

 

<奥会津>

<マタギの体験>

狐に化かされたような話は聞いたことがありますよ。買い物に出かけた人がいつまで経っても帰らないんで探しに行ったそうです。そうしたらムクレ沢沿いの道から下りて沢に入っていてね。死んではおらんかったですが、買ったはずのニシンの干物は無かったそうですよ。あと猟に行く途中で洞穴があるんですが、そこで寝泊まりをしとったら夜中に木がメリメリ倒れる音がするんです。変だと思って鉄砲を1発空に撃ったら静かになったとかね」

 これらの話は全国各地でよく聞かれる狐狸話の典型的な例だろう

 

<会津の狐>

・「隣の集落の先生が行方不明になったことはありましたよ。冬でしたねえ」

 先生は通勤に只見線を利用していた。駅を降りると坂を下って我が家へと向かうわずかな距離である。「見つかったのは山のほうだったんです。ええ、死んでました」

 先生はいつものように駅で降りた後、なぜか家とは反対側の山側へ向かった。そしてそのまま雪の中で息絶えていた。なぜそのようなことになったのかは、誰にも納得出来る答えは無い。ただ先生が揚げ物をお土産に持っていたから、狐にやられたと思った人もいたそうだ。

 

・いつも入る山でいつものメンバーでいつものようにキノコを採っていると、突然自分がどこにいるのかが分からなくなった。辺りを見渡してもまったく見覚えのない地形なのだ。どこへ行けば良いのか、待ち合わせの場所すら見当がつかず途方に暮れる女将。結局仲間が探し出してくれたが、それまでの心細さは想像に難くない。霧が掛かっていたり雪があったりした訳でもない。もちろん疲れていたり、酔っぱらっていた訳でもない。それでも人は突然知らない空間に入り込むことがあるのだ

 

<飯豊山麓>

飯豊連峰に潜むモノ

・新潟県阿賀町は西会津町の西隣に位置する。阿賀野川沿いの麒麟山は昔から狐火の名所ということで“狐の嫁入り”を町おこしにしている。

 

・彼女がその音のするほうに提灯を突き出すと、小さな池の中に誰かが入っている。近づいてよくよく見ると、それは医者だった。「あんたあ、何してる!」 その声に顔を上げた医者はこう言った。

「自転車漕いで大汗かいて峠さ越えたら、女の人が一風呂浴びていけって言うんだあ」

 もちろんその辺りには家は無い。典型的な狐に化かされる話である。これは昭和の初めの出来事だ

 

・山で出会った場合、挨拶をしないほうが珍しい。ましてや生徒を連れた先生がこちらを見向きもしないとは奇妙である。“ガサガサ、サクサク”遠ざかる不思議な集団を見ながらAさんは違和感を感じ、急いで後を追ったがどこにも彼らの姿は無い。

おかしいな、まだ遠くに行ってないはずなのに……

 一言も話さない無表情の集団は忽然と姿を消したのである。

 この出来事があまりに妙で、Aさんは気になって仕方がない。そこで知り合いの古老に話を聞くと、その場所で昔生徒と引率の先生が事故に巻き込まれて複数亡くなったことが分かった。言われてみれば服装も今風ではなかったし、それも違和感に繋がったのだろうと合点がいったのである。Aさんは世の中に不思議なことなどまったく無いと言い切る人だったが、この一件以来考えを改めたそうだ

 

優しい狸

・四国には狐がいないと聞いたことがある。弘法大師が狐をすべて追い払ったのだというから、彼らはよほどの悪さをしたに違いない。実際のところは四国山中に狐は存在していると地元猟師は証言しているが数は少ないそうである。そんな狐とは逆に存在感を示すのが狸だ。

 

・狸が光を見せる、それも繋がっていくつも光を見せるとは初めて聞いた。まさに“狐の嫁入り”ならぬ“狸の嫁入り”である。不思議な狸火以外では、よく墓から火の玉が出たらしい。当時は土葬であり、このような例は全国各地にあった。仏を埋葬するのはかなりの重労働で、若者がやらざるを得ない。何と伊東さんは30回以上も仏を埋葬したそうである。

 

<山師の体験>

・「ああそういえば造林の組で不思議な道迷いはありましたよ

 或る年の初夏のことだ。作業のために山へ向かった造林チームが突然どこにいるのか皆目分からなくなってしまう事態に陥る。ベテランも含めた数人のチームで毎日同じ場所へと入り作業をしていたのだ。それなのに誰も自分たちの居場所が分からない。手分けして散々探し回り、ようやくその未知の場所から脱出した時には全員が胸を撫で下ろしたのである。連日通っていた現場が突然見慣れぬ山へ変わるのは屈強な山師でも恐ろしいだろう。

 

<九州中央高地>

<人魂が飛び交う村>

・村内ではカリコボーズ橋やカリコボーズの宿と、カリコボーズなる名称を冠した施設が目に付いた。村のパンフレットには精霊という言葉があるが、山の神ではなく精霊とはいったいどのような存在なのだろうか。

 

カリコボーズの森

・「そうです。カリコボーズは山から下りて川に入るとです。そこで川のですかねカッパになっとですよ。そいで秋の彼岸にはまた山に戻っとです。十年くらい前にも川の中の石の上にカッパのおったとですよ」

 水上村で聞いた彼岸の中日と山の神、川の神=水神の話がここでよりはっきりとした。山の神が川へ下りて川の神(水神、カッパ?)となる。これは山の神が春先に下りてきて田の神になる話とよく似ているのだ。西米良村ではこの上り下りの時に尾根伝いにカリコボーズが移動すると考えられている。そこをたまたま通りかかると大絶叫に見舞われるというのだ。

 

悪意無き悪戯

・カリコボーズが山と川を行き来する存在だということは分かった。この川とは支流ではなく本流のことで、通り道となるのはそこへ続く尾根道だと誰もが口を揃える。

 

・山の中ではほかにもさまざまな謎の音が聞こえた。大木がどーんと切り倒される音を聞いた人は何人もいる。

 

これらはすべてカリコボーズの仕業だと誰もが口を揃える。しかしそれが人命に関わったり凶兆という訳でもないので特に気にはしていないのが面白い。カリコボーズは西米良村の住民に愛されているのだろう。

 

きゃあぼう吹き

・交通の便が悪く医療設備も整っていなかった頃の山間部では、日常的に神仏が必要とされてきた。僧侶や神主がさまざまな悩み事や病気平癒のための種々の祈禱を行ったのである。神社仏閣の関係者以外にも村の神様的な存在、いわゆる霊能者を頼る場合も珍しくなかった。もちろん祈禱やお札を飲み込んでも病が良くなる訳ではない。それでも人々は頼らざるを得ない環境だったのである。

 このように神社仏閣は地域に根付いた存在だが、それ以外にも山里には流れてくる者もあった。山伏である。

 

<山怪拾遺>

山怪は何でも狐のせい?>

・「また狐の話だよ」

『山怪』の読者からよくこういう声を聞く。確かに自分でも書きながら同じように感じる訳で当然だろう。しかしながら取材先で狐の話が多く出るのは事実で、それをバサバサ切り捨てることも出来ないのだ。狐話には微妙な差異があり、そこを粗末に出来ないと思っている

 狐狸は行動範囲が里に近く、最も馴染みがある動物だ。奇妙な出来事に遭遇した時にその原因にするにはうってつけなのだろう。それが親から子へ、そして孫へと語り継がれ、何かあるとするとすぐに狐狸だなと判断する訳だ。

 

 

 

『怪奇秘宝  山の怪談編』

洋泉社MOOK        洋泉社     2017/7/20

 

 

 

実在するUMA

「猿鬼(えんき)の禁忌     天蔵真文

「深山」という未知なる世界の深遠

・その存在が噂されながらも、生物学的に確認されていいない未知の動物――UMA。世界的には「ネッシー」や「ビッグフット」などが有名だ。

日本でも、伝説上の存在として、妖怪的に語られてきた未知なる生物がいる。

 

日本各地で語られる妖怪めいた生き物たち

・筆者は、ライター・カメラマンとして活動する以前から半世紀近くにわたり、里山、里海、農林水産関係、神仏関係、自然科学、医療、採取、狩猟関係の現場並びにそれらを生業とする人々を取材し、全国をまわってきた。

 そんな筆者の経験則からいえば、いわゆる“UMA”と呼ばれる存在についてはいくつかの類型がある。いわゆる伝説上の生物としての存在。そして完全なるフィクションとしての存在である。

 

・猿の妖怪「猿鬼」と同様の伝説めいた存在といえば、岡山県を中心に山陽地域、四国一部地域で語られる「猿猴(えんこう)」などの河童(毛むくじゃらの猿に似ているが)の一種や、時折テレビ番組で取り上げられる広島県の類人猿型の「ヒバゴン」、古くは岐阜県飛騨地方で宮本武蔵と互角に渡りあったとされる「夜叉猿」などがいる。

 

さらには長野県での「早太郎伝説」の早太郎(山犬)が退治した、静岡県に出没した狒々(ひひ)、また先述したヒバゴンとはまったく異質の広島県を中心として、戦時中以前に全国的に伝承された「比婆猿」がいる

 日本の各地で猿の妖怪めいた存在が語られてきた。それはなぜか。猿は他の動物や獣とちがって、人間の異形であり、縮小態であるからとの指摘がある。

 

「ヒバゴン」伝説の背景

・1970年に、中国新聞の報道によって全国的な脚光を浴びた「ヒバゴン」であるが、のちの1972年以降に撮影されたとされる写真や遺骸の写真は、当時“町興し”と“話題づくり”を意図した、地元の年寄りや有志らによる悪気ない、まさに無邪気さによる工作行為であったといえる。

 遺骸の写真などは、ツキノワグマの遺骸に手を加えた加工品であり、昨今取り沙汰される「陰謀説」などとはかなりはなれた、どこかのどかな背景があった。

 

・だが、なぜ「ヒバゴン」伝説が流布したのか。その背景には、現在の文科者やアカデミズムによる落度も関係している。

 当時の一般通説では、中国地域では戦後以降ツキノワグマは絶滅していないとされていた。だが、実際にはそんなことはなかった。

 

・そして、近年になって目撃証言が出はじめるにおよんで、2015年に調査が入り、中国地方でツキノワグマの棲息が認められたのである。

 余談だが、ヒバゴン騒動の以前から、広島県庄原市比和町の頂にある「比婆山」は、日本の創生神話・国生みのイザナギとイザナミに通ずる、イザナミの御陵・墓所があると伝承されている場所である。 

本稿では詳しく触れないが、比婆猿とはイザナミの護衛の者を神格化した、呼称である。

 

存在を黙殺された未知の生物

岐阜県の飛騨山脈地域には、宮本武蔵の夜叉猿退治の伝承がある。飛騨山女系はいまなお中国山脈系・北アルプス山系・八海山系と並び未開・未踏の地が少なくない。特に飛騨山系は山岳監視員が常駐し、陸上自衛隊や山岳レンジャー警備隊などが訓練にも使用するが、訓練時、林道から夏季で左右+10メートル、冬季残雪時で左右+5メートル外れたら遭難の危険性があるような、危険な地域である。

 

そしてニホンザルの生息が確認される地域には大抵、「猿伏(さるぶし)」「猿追い」といった風習がある

「猿追い」は山里に現れて農作物や家畜に害をもたらす個体種を駆除・排除することだが、「猿伏」は、実は水面下では全国的に暗黙のうちに執行されているものだ。表面的には「猿退治」だが、裏の意味は“ある種の血脈の者を葬り、抹殺する”というタブーを孕んだ二面性の事象といえる。

 つまり、この二面性は何を意味するか。詳しくは書くことはできないが、ここまで述べた伝説的な存在などではなかったということを物語っている。

 


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