日本は津波による大きな被害を受けるだろう UFOアガルタのシャンバラ

エーテル界の人類の源郷か?神の国か?天上のエルサレムか?
チャネラーとコンタクティの情報を集めています。森羅万象も!

数多の職業があるなかで私が身を置くこの業界は意外に死に近い業界である。(1)

2015-06-17 08:16:11 | 森羅万象

 

 

『現役鉄道員“幽霊”報告書』

幽霊が出る駅、路線……教えます!

氷川正   学研    2014/8/19

 

 

 

 

<鉄道にまつわる怪談で、幽霊が出る原因というのはほぼ人身事故と考えていいだろう。>

・私が鉄道業界に入ってから数十年が経過した。

 数多の職業があるなかで、私が身を置くこの業界は、意外に死に近い業界である。死体に接する職業といえば、葬儀関係者、医療関係者、警察、消防が思い当たるだろうが、その次あたりに鉄道員がランクインするのではないだろうか。

 本書では、現職の鉄道員という立場から、あまり一般には馴染みのない奇妙な出来事や、実際に私が体験した不思議な事件、事故を中心に、鉄道業界のタブーといわれる部分にも触れながら、鉄道業界のミステリアスな世界をお伝えしたいと思う。

 

<「人身だ!すぐホームへ行って目撃者を取ってこい!>

・鉄道側にとって人身事故でいちばん重要なことは目撃者の確保である。

 これは、運転士に過失がないことを証明しなければならないためで、複数人確保するのが望ましい。事故後、早めに対応しておかないと現場は野次馬で溢れて目撃者探しもままならなくなくなるからだ。そして事故を目撃した人は、ショックのあまり現場を早々に立ち去ってしまうことも多い。

 

・人身事故の処理は、事件性がなく自殺と断定されれば、およそ1時間前後ですべての処理が終わる。

 車輪に挟まれ、レスキュー隊の手を借りなければ救出できない場合や、事件性がある場合だと、とても1時間では片づかない。

 現場の遺体は、ほぼパーツが揃っていればよく、肉片をすべて回収する必要はない。

 というのも、レールとの摩擦で“挫滅”してしまい、見つからないパーツが必ずあるからだ。

 

<S駅で起きた2つの未解決事件>

・現在私が車掌として往復している路線で言えば、最近改装されてきれいになったO駅の上りホームが、私の身構えるポイントのひとつである。

 グーッとカーブを描くホームの中ほどに“何か”がいて、いつも私を睨みつけてくる。それはそのものズバリの霊的な存在とはやや異なる。

もちろん人ではないのだが、O駅は昔から人身事故多発駅として知られており、悪意そのもののような、奇妙な“何か”と事故との因果関係は無視できないと私は考えている。

 

・2件の殺人事件が起きた場所にもまた異様な空気が漂っている。

 私の場合は車掌業務で必ずその場所を通らねばならず、そこを通るときはいつも“何か“の射すくめるような視線に必死に耐えている。

 私にとってこれらの場所は、いつも緊張を強いられる場所なのである。

 

<姿見の中の自殺者>

・Hはなぜか姿見から目を離すことができず、鏡の中の男性が動き出したのを食い入るように見ていた。

すると男性は躊躇することなくホームから飛び降りたのである。

{あっ!}

ここでようやくHは我に返り、背後を振り返った。

しかし、線路に落ちたはずの男性はどこにも見当たらない。

姿見でもう一度落ちた場所を確認し、目を皿のようにして線路上を探したが、どこにも人の姿がない。

 

・自殺を予見した姿見は、駅員たちの間で話題となったが、その後はHをはじめ、誰も自殺者が映るという現象を見ることができなかった。

 そのうち、噂を気味悪がった駅員の苦情から姿見は撤去され、今も倉庫で埃をかぶっている。

 

<踏切に現れる“女子大生の霊”>

・このS駅からT駅側に向かって2つ目の踏切は、管内でも有名な“心霊スポット”として知られている。

 事故が多い踏切ではあるが、決まって現れるのは“女子大生の霊”である。

“彼女”は、始発前の点検中の駅員や通りかかる運転士によって目撃されており、その頻度もかなり高い。もちろん誰でも見えるというわけではなく、見えない人にはまったく見えていないようだ。“彼女”が現れる理由ははっきりしている。

それは20年以上前に起きた人身事故が関係している――。

 

・女性の姿はそれから何度も目撃され、一時はお祓いも検討されたが、結局うやむやになって今に至っている。

 現在はほとんど話題にも上がらなくなっているが、それは女性の霊がいなくなったからではない。

 現在も“彼女”の姿は目撃され続けている。

 

<“自殺の名所”の踏切で起きた不可解な自殺>

・東京近県にあるK駅の近くには、いわゆる“自殺の名所”といわれる踏切がある。

何の変哲もない踏切で、大きな公園が近くにあるため、やや暗い雰囲気

だが、昼夜分かたず人身事故が後を絶たない。

 駅からは歩いて十数分とけっして近くはないのに、まったく縁もゆかりもない場所からこの踏切を死地に選ぶ人もいる。

 いったいなぜ、ここが選ばれるのか。まったく見当もつかない。

 

・ちなみにSが夫婦の霊を目撃した宿泊室は、現在はリネン室となっている。この1件以降、頻繁に霊現象が続いたためである。

 

<「Sトンネル」に出現する“Yばばぁ”>

・東京近県の山間部にあるS峠は、関東夜臼の心霊スポットとして知られている。

元々この道は江戸と幕府直轄領だったC地区を結ぶ由緒ある街道で、C地区の霊場を訪れる多くの参詣者が歩いた道である。

 

・そしてご多聞に漏れず、このトンネルにもオカルト話が伝わっている。それが運転士の間でも有名な幽霊、通称“Yばばぁ”である。

 なぜトンネルの名前のSではないのかはわからない。

ちなみにYというのはトンネルの下り出口がある場所の地名である。

前出のSトンネルに現れる四つん這いで走る女に似ているかもしれない。

夜、Sトンネルを走っていると突然運転席の窓をコンコンコンとノックする音が聞こえる。

 窓の外を見ると白髪の老婆が併走しており、運転席を心配そうな目つきで一瞥したかと思うとすぐに消えてしまうという。

 現在でも少なくとも年に一度は“Yばばぁ”が目撃されている。

そして目撃した運転士はそれから数週間のうちに、必ず人身事故に巻き込まれる。

 

<「車掌室に子どもが乗っていた」>

・開業して間もない新たな地下鉄A路線では、低学年の小学生と思しき男の子が頻繁に目撃されたことがある。

実際に見たというのは乗客からの情報で、駅員のなかには誰も見た者はいないのだが、毎日数件の目撃情報が届けられていた。その多くは、ターミナル駅のI駅から前後数駅の区間に集中しており、ほとんどが「車掌室に子供が乗っていた」という内容のものだった。

 この路線は下り線でI駅手前からワンマンになるため、車掌は不在となる。その不在のはずの車掌室に、子供が乗っていたというのである。

 

・この謎の子供は、開業から1週間の間に多くの目撃例が相次いだが、そのうちパタリと止んでしまい、今ではまったく聞かれなくなった。

 はたして車掌室に乗っていた子供はいったい何者だったのか……?

 

<寂しく佇む女子高生の霊>

・東京郊外のH駅には車両基地があり、その近くにある小さな踏切は小高い丘の上にある女子高の通学路になっている。ある雨の朝、通学途中の女子高生が基地に戻る電車に接触し、車輪に巻き込まれて即死した。

 ヘッドホンで音楽を聴いていたため、電車が来ているのに気づかなかったのである。

 それからというもの、雨の朝になると、決まって女子高生の幽霊が踏切脇に立つようになった。運転士の多くが目撃していたが、近くには山菜採りで山に入っていく近隣住民も多く、その姿を幽霊ではなく人だと思っていた運転士もいたため、その数を含めるとかなりの目撃例となった。

 

<死んだ友人からのメッセージ>

・しかし友人は興味深い話もしてくれる。

 たとえば死後の世界とは思っている世界とは違い、自殺や不慮の事故、不摂生など自己責任の病気で死んだ人は、天命の年齢になるまで現世に留まっていなくてはならないという。死後の世界のしくみは、死者同士の情報交換から得られたものらしく、死者が集う場所は現世の接点としていくつかある。

 それが現世でいう“心霊スポット”なのだ。彼ら死者は、生前行ったことがある場所であればどこへでも行けるという。

 もちろん壁も通り抜けられ、空も飛べる。その世界は案外楽しそうなもののように思えた。

 

 

 

 

『現代幽霊論』  妖怪・幽霊・地縛霊

 大島清昭     岩田書店   2007/10

 

 

 

 

<幽霊と妖怪>

・一方、「幽霊」と「妖怪」を区別する立場としては、柳田國男、諏訪春雄が挙げられる。

 

 日本民俗学の創始者である柳田國男は、最初に「幽霊」と「妖怪」を区別した人物である。昭和十一年に公表された「妖怪談義」で、柳田は「オバケ」と「幽霊」を明確に区別する指標を述べた。前もって知っておかなければならないが、柳田は「オバケ」「化物」「妖怪」という言葉を同じ意味で使用している。従って、ここでの「オバケ」は民俗学では「妖怪」という意味で捉えられている。

 

・柳田は「誰にも気のつく様なかなり明瞭な差別が、オバケと幽霊の間には有ったのである」として、①出現場所の相違、②対象となる相手の相違、③出現する時刻の相違、という三つの違いを提示する。①は「オバケ」が「出現する場所が大抵は決まって居た」のに対して、「幽霊」は「百里逃げても居ても追掛けられる」という。②は「オバケ」は「相手を選ば」ないのに対して、「幽霊」は「たゞこれぞと思ふ者にだけに思ひを知らせようとする」と述べ、③は「オバケ」が黄昏時に出現するのに対して、「幽霊」は丑三つ時に出現すると定義した。

 

・柳田の目的は「妖怪」を研究することで「信仰の推移を窺ひ知る」という、所謂信仰零落説の立場を取るものであった。実際、昭和二六年の民俗学研究所が編纂した『民俗学辞典』には、「妖怪」の定義として「多くが信仰が失われ、零落した神々のすがたである」と記されている。

 

 諏訪春雄は、柳田の定義に対して反証を提示した後、独自の「幽霊」と「妖怪」の定義を展開する。諏訪は「妖怪」も「幽霊」も「広い意味でのカミ(精霊)といえる」とし、「しかも正統に祀られていないカミである」という立場を取っている。

 

<幽霊と分身>

・「分身」と聞くと、私などは忍者かバルタン星人を想起してしまう。所謂「分身の術」である。しかし、ここで論じるところの分身は、「分身の術」のような特定の手法によって自らのコピーを創造することではない。一般的によく知られている言葉を使用すれば、「ドッペルゲンガー」という言葉もまた、それぞれの論者によって指示領域が異なるものである。「分身」や「ドッペルゲンガー」に深く関わる学問分野は、文字と精神医学が挙げられる。従って、文学では「ジャンル」の問題として、精神医学では病気の症状として、それぞれ指示領域を持っていることになる。殊に文学では、論者やアンソロジーの編者によってその集合の範囲は違ったものになっている。

 

・例えば、『書物の王国11 分身』(国書刊行会、1999年)は「分身」というテーマに沿って古今東西の小説や詩などとを収録している。ここで「分身」という射程には、自己像幻視、鏡と影、双子、二重人格、内なる他者、などが収められている。

 

<憑霊>

・憑霊(或いは、憑依)は、容易に定義できるような概念ではなく、民俗学や人類学、宗教学において様々な論者によって議論がなされている。しかし、ここではそのすべてを追うことはできないし、また、幽霊という本書の主題とも大幅にズレてしまうので、簡潔に触れておきたい。

 

 佐々木宏幹は「憑霊とは、霊的存在または力が人間その他に入り込み、あるいは外側から影響して、当事者その他に聖なる変化を生じさせると信じられている現象である」と述べている。

 

<場所に固定化した幽霊>

・「①屍体が存在する(した)場所に、幽霊は固定化する」といった場合、当然ながらその幽霊が固定している場所とは墓地や火葬場などが筆頭に挙げられる。そう考えると、これに該当するような事例は、極めてオーソドックスな幽霊と考えられる。

 

・大阪府貝塚市水間。昨年(1984年)お店でアベックのお客さんに聞いた話。夜、水間(観音さんや今東光さんで有名なお寺)の戦没者のお墓のそばに車をとめていると、ヘルメット(鉄かぶとのことか)をかぶって兵隊のかっこうをしている人が、スーッととんでいるみたいに歩いているのが見えた。他にも見た人が、よくいるという事だ。

 

・「学校の怪談」では、⒜に該当する事例として学校の建設される以前に、その場所が処刑場であったという事例を示したが、同様の事例は学校だけではなく、その他の建造物にも存在している。ここではその一例としてNHK放送センターに出現する幽霊を挙げておこう。

 渋谷のNHK放送センターに軍人の幽霊が出るというのは、有名な話。体験者は昔から、数えきれないくらいいますね。

 

・ここは陸軍の練兵場の跡地で、あの「2・26事件」の青年将校たちが処刑された場所なんです。昔、「幽霊が出た」という場所の頻度と、処刑された場所の関係を調べた人がいて、101スタジオという一番古いスタジオのあるあたりがどうもそうらしいと見当がつきました。

 

・NHK横にある2・26事件慰霊塔には、兵士たち(複数)が靴音を鳴らしながら歩いている音が聞こえるらしい。

 

また、その近くにある小学校の校庭にもその兵士たちが現れるとか・・・。

 

・この事例では2・26事件で処刑された兵士たちが幽霊として出現しているが、幽霊となるのは日本人の兵士だけではない。次の事例は処刑場ではないが、米軍の兵士が幽霊となって出現するものである。

 

・Iデパートの建っている所は、昔、米軍の病院があった所だったため、今でも閉店後には洋服の間から米軍兵(幽霊)が出てくる。

 

・ホテルや旅館、或いはアパートの一室において、そこで亡くなった人間の幽霊が出現する事例は枚挙に暇がない。また、病院において亡くなった患者の幽霊が長期的に出現する場合も、ここに当て嵌るだろう。

 

 

 

 

 

『FBI超能力捜査官マクモニーグル』    「遠隔透視」部隊の現実

  (並木伸一郎・宇佐和通) (学研)       2007/2

 

 

 

<幽霊のハンス>

・幽霊もよく見る。亡くなった妻の母も会いにきた。陸軍時代、ドイツでも幽霊を見た。長旅を終えて新しい宿舎に着いた夜のことだ。洗濯をしようと地下に行ったが、どの部屋が洗濯室なのか分からずうろうろしていると、年老いたドイツの男性と出くわした。ドイツ人だと分かったのは、民族衣装を着ていたからだ。

 

・彼に『洗濯室はどこです』かと尋ねると『ああ、こっちだよ。ついて来なさい』といわれ、『ここだよ』と、部屋まで案内してもらった。私は、礼を言って洗濯を始めたが、目をあげると、彼の姿はもうなかった。

 

・私は、ドアと彼の間に立っていたから、彼が出て行くのに気付かないはずはない。不思議に思って、あちこち探したが見当たらなかった。

 

・同僚たちの部屋に向かう途中で、ふと当り前のことを思い出した。そこは情報関係の建物で、ドイツ人が出入りできるわけがないのだ。部屋に入って、『あのドイツ人は誰だ?』と聞くと『ああ、それは幽霊のハンスだよ』と、あっさりいわれた。部隊では有名な幽霊だったようだ。悪さをしないが、頻繁に姿を見せるという。

 

・現れたり消えたりしながら、アメリカ兵とのコミュニケーションを楽しむらしいのだ。その建物に取り付いているのだろう。ドアを開け閉めすることや、あるいは皆がいる部屋に入ってきたり、ポーカーをしているテーブルの脇でじっとしていることもあった。兵士の一人が怒って灰皿を投げつけたら、灰皿はハンスの体を通り抜けて壁に当たった。

 

 

 

 

 

太田千寿が解き明かす『霊界と天上界の大真実』

人類はサタンに騙されている  「消された記憶を取り戻せ!」

徳間書店     1996/8

 

 

 

<三島由紀夫氏が私のところに来た理由>

・亡くなった三島由紀夫氏が私のところに来たての状況は以前に詳しく書きました。しかし、三島氏がどういう理由で、地上に交信をしてくるようになったのか。さらには、どうして三島氏が地球を救うようになったのかはあまり触れていませんでした。私が知らされていたのは、次の三点です。

 

1、死んだ直後、指導霊に連れられて富士の裾野に行ったということ。

2、そこには生前「盾の会」のメンバーと何度も体験入隊した自衛隊がある場所だということ。

3、三島氏が生まれる前に、18回転生しているが、彼らは、いずれも富士山の裾野にいたということです。

 

・――私三島由紀夫は、死んで間もなく富士のホールにいた。巨大なホールであった。あたりは――面真っ暗闇、私の前に『私』と名乗る男女が18人現れたのである。(『空間を超えて道を行く神』)

 

・では、いったいなぜ三島氏が地球を救うのでしょうか。6年ほど前、三島氏から霊界に行くようになった背景が送られてきて、はっきりしました。なんと、驚くべきことに、そのメッセージによると、三島氏は死の直後、宇宙船に乗せられたというのです。そして、とんでもない出来事に遭遇したのでした。

 

<地獄からの生還>

・――UFOの中はすべてがガラス張りであった。鏡に映った自分の姿を見て、私は唖然と立ち尽くしていた。あれほど望んでいた背高のっぽになっていたのである。自分でもほれぼれするほどの男前、ギリシャ的な風貌。神が私の望んだとおりにしてくれた。何という奇跡だ。夢にまで見たこの姿。

 

・赤いボタンがいくつもある映像システムが何カ所も設置されている。『L』と記されているボタンを人差し指で押して見た。すると映像システムが一斉に動き出して、生前の私がはっきりと画像に映しだされている。

 

・そのとき、神々しき声がした。

『そなたは、この宇宙船で4年間、孤独に耐えるのだ。地獄に落ちたそなたの影は、20年かかって、地獄を制するであろう。もうすぐそなたの同胞が下界からやって来る。引田天功と田宮次郎だ。彼らがやって来たら三人で力を合わせて、この宇宙安寧のために働くがよい。そなたの心は私が全て見てきた。死に急ぎをしたな。しかし、そなたの死が無駄にならない日が必ず訪れる。それを信じて突き進むのだ。この宇宙船は、そなたのためにシリウスで作成したものである。天功と田宮が来たら、三人よく話し合いをして、月の空洞にある宇宙基地に移動するのだ。基地内には歴史上の人物がリーダーを求めて右往左往している。そなたはこの4年間で彼らのトップリーダーになれるよう、一時も無駄にしてはならない。時にはこうしてそなたに交信する。さらばだ』

神の声はこうして消えて行った。

 

・三島氏が自刃したのは昭和45(1970)年11月25日のことです。私がこのメッセージを受け取ったのは、平成2(1990)年ですから、ちょうど20年目のことです。

まさに清算期間の20年が終わった直後のことです。

 

<二つに引き裂かれた三島由紀夫氏>

・なんということだ。私が、『生前の私』と『宇宙人としての私』として分離されてしまったのだ。一人は記憶を持ったままの私であり、もうひとりは記憶を失ってしまった私なのである。記憶のある生前の私は、地獄の20年を過ごすことになり、そしてもう一人の私は、宇宙船に乗って旅立ったのである。

 

<白髭白髪の老人の出現>

・ところで皆様もすでにお気づきのことと思いますが、ここに出て来た「白髭白髪の老人」こそ、サタンのことです。「人間の記憶」を消すために奔走するサタンだったのです。

 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿