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荘子:斉物論第二(25) 故 昔 者 堯 問 於 舜 曰 : 「我 欲 伐 宗 、 膾 、 胥 敖 ,南 面 而 不 釋 然 。其 故 何 也 ? 」 舜 曰 : 「夫 三 子 者,猶 存 乎 蓬 艾 之 間 。 若 不 釋 然 何 哉 ! 昔 者 十 日 並 出 , 萬 物 皆 照 ,而 況 之 進 乎 日 者 乎 ! 」 |
故に昔者(むかし)、堯(ギョウ)は舜(シュン)に問うて曰わく、「我れ宗(スウ=崇)と膾(カイ)と胥敖(ショゴウ)とを伐たんと欲(ホッ)す。南面して釋然(シャクゼン)たらず。其の故は何ぞや」と。
舜曰わく、「夫(か)の三子は、猶(な)お蓬艾(ホウガイ・よもぎう)の間に存す。若(なんじ)の釋然(シャクゼン)たらざるは何ぞや。昔者(むかし)十日(ジュウジツ)並び出(い)でて、萬物皆照らさる。而(しか)るを況(いわ)んや徳の日(ひ)よりも進(まさ)れる者をや」と。
昔、聖天子の堯が、当代随一の有徳者として聞こえた舜に質問した。
「わたしはこれから、まつろわぬ三つの国、宗(スウ=崇)と膾(カイ)と胥敖(ショゴウ)とを征伐しようと思う。しかし、やむを得ない処置とはいえ、天下の支配者となって武力を用いなければならぬ自分に、何ともいえぬ割り切れない気持ちを感じるのだ。この割り切れない気持ちはいったいどうしたわけであろう」
すると舜は答えた。
「あの三国はまだ雑草が生(お)い繁るような未開の地に住む野蕃(ヤバン)の民(まだ天子の徳の何たるかも知らない哀れむべき人間たち)です。このようなものどもに対して、うしろめたい気持ちをもたれるのは、おかしいではありませんか。(征伐などという暴力沙汰に訴える前に、どうしてもっと彼らを徳で感化することを考えないのですか)昔、十個の太陽が一度に天に現れて、一切万物はその輝きに隈(くま)なく照らし出されたという話がありますが、絶対者の徳の光は、この十個の太陽を一緒にしたよりも、もっと偉大なものです。この偉大な徳の光をもつ絶対者になることこそ、あなたは心掛くべきではありませんか」と。
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※堯(ギョウ)
古代の伝説上の聖天子。名は放勲(ホウクン)。五帝のひとり。
舜(シュン)を起用して治水にあたらせた。のち舜の有能さを認めて天下を譲ったことは、儒家から理想の君主政治とされた。
※舜(シュン)
古代、伝説上の聖天子。姓は有虞氏(ユウグシ)、名は重華(チョウカ)。五帝のひとり。
尭(ギョウ)から位を譲られ、また自分の後任には禹(ウ)を推した。
※釈然(シャクゼン)
疑いやしこりがとけて、気持ちがすっきりするさま。
▼「釈」は、しこりをばらばらにほぐし、一つずつわけて一本の線に連ねること。
※蓬艾(ホウガイ)
よもぎ。
※十日並出
『淮南子』や『山海経』などにも見える古伝。
「十個の太陽が空に現れるという意味であるが、これは気流の変化によって太陽が幾つにも見える気象現象の異変を説話化したものであろう。現在の蒙古でも時々このような現象が見られるという」(福永光司)
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