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荘子:斉物論第二(26) 齧 缺 問 乎 王 倪 曰 : 「 子 知 物 之 所 同 是 乎 ? 」 曰 : 「 吾 惡 乎 知 之 ! 」 「 子 知 子 之 所 不 知 邪 ? 」 曰 : 「 吾 惡 乎 知 之 ! 」 「 然 則 物 無 知 邪 ? 」 曰 : 「 吾 惡 乎 知 之 ! 雖 然 , 嘗 試 言 之 。 庸 ? 知 吾 所 謂 知 之 非 不 知 邪 ? 庸 ? 知 吾 所 謂 不 知 之 非 知 邪 ? 」 |
齧缺、王倪に問いて曰わく、「子は物の同(ひと)しく是(ゼ)とする所を知れるか」と。
曰わく、「吾れ悪(いず)くんぞ之を知らん」と。
「子は子の知らざる所を知れるか?」
曰わく、「吾れ悪(いず)くんぞ之を知らん」と。
「然(しか)らば則ち物は知らるること無きや?」
曰わく、「吾れ悪(いず)くんぞ之を知らん。然りと雖(いえど)も、嘗試(こころみ)に之を言わん。庸?(いず)くんぞ吾れ謂う所の知の、不知に非ざるを知らんや? 庸?(いず)くんぞ吾れ謂う所の不知の、知に非ざるを知らんや?」
齧缺(ゲッケツ)が、その師匠である王倪(オウゲイ)に質問した。
「先生は、すべての存在がひとしく是(ゼ)なりと肯定されるような根源的な真理というものをご存じでしょうか」
「わしに、どうしてそれが分かろう」
「それでは先生は、ご自分の知らないところをご存じでしょうか」
「わしに、どうしてそれが分かろう」
「それでは、一切は不可知でしょうか」
「わしに、どうしてそれが分かろう。けれども折角の質問だから、試しに話してみよう。いったい人間の知るということ、すなわち判断は、全く相対的なもので、これが絶対だということはあり得ない。だから、今もしわたしが何かを知っているといっても、その知っているは、じつは知らないのであるかもしれず、逆にまた、知らないといっても、その知らないは、じつは知っているのであるかもしれないのだ」
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※齧缺(ゲキケツ)
読みは「ゲッケツ」。
天地篇によれば、
被衣 → 王倪 → 齧缺 → 許由 → 堯 という師弟関係がみえる。(実在の人物ではない)
※庸?
「何以」と同じで反語の助辞。
「なんぞ(いずくんぞ)・・・に非ざるを知らん」は、中国語によく用いられる推量語法で、「・・・であるかも知れぬ」という意味である。(福永光司)
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