漢字家族BLOG版(漢字の語源)

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2013年04月02日 05時01分43秒 | アクセスログ

cgiが無効になるトラブルがあり、リンクが無効になっていることに気づきました。

取り急ぎ

 「漢字家族」

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 → 盃中蛇影(盃中の蛇影)<故事成語>
 → 蛇足(画蛇添足)<故事成語>
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尾籠とは?(烏滸蠻・烏滸の沙汰・夜郎自大)

2013年01月06日 13時25分59秒 | 故事成語

尾籠とは -- 烏滸蠻・烏滸の沙汰 --

 それは「三国志」の時代。『後漢書』の記述に「熹平七年(西暦178年)正月に交阯郡と合浦郡の烏滸蠻がそむいた」とあるそうだ。交阯郡とか合浦郡というのは「交州」に属し、今の地図では中国・ベトナム国境付近にあたるらしい。

 その「烏滸蠻」(オコバン)というのは、いわゆる「蛮夷戎狄」(バンイジュウテキ)のひとつ。漢民族からみて「未開」とされた地域の民族である。

 当時、漢民族は自分たちと同じ文化を持たない人々を「未開人」だといって差別していた。中原(チュウゲン)から遠く離れ、民俗・文化を異にする集団として、「東夷(トウイ)、西戎(セイジュウ)、南蛮(ナンバン)、北狄(ホクテキ)」があげられる。

 孔子は、「微管仲、吾其被髪左衽矣」(管仲微(な)かりせば、吾(われ)其れ被髪左衽(ヒハツサジン)せん)と言った。

 管仲は桓公を補佐して覇者とし、天下をまとめさせた。そのおかげで野蛮人に征服されることもなく、今の私たちも恩恵を受けているではないか。もし管仲がいなかったら、我々は「頭髪はザンバラ髪」、「衣は左前」という野蛮人の風習を受け入れさせられていたことだろう・・・というのだ。

 要するに野蛮人か文明人かを分けるのは、文化・風俗なのであった。ということは、漢民族と同じ服装をして、同じ言葉を使い、漢民族の礼儀作法を身につければ「野蛮人」ではなくなるのである。そこが、人種差別などとは大きく異るところ。

 とはいうものの、ことはそんなに簡単ではない。この「風俗を同じくする」ということが、どれだけ困難なことかという例は、中国戦国時代に武霊王「胡服騎射」を採用するのにどれだけ苦労したかをみるとわかる。

 戦国時代といえば当然「富国強兵」の時代。北方地方の遊牧民族のように軽快な服装で馬に直接乗り、馬上から弓を射る戦法で戦おうではないか。という武霊王の提案に対して、家来たちは猛反発した。「ズボンなどはけるか!そりゃ野蛮人の服装だ」ということ。当時の漢民族は「寛衣」というゆったりとして、袖や裾が長く、下部がスカート状の着物を着ていた。これが真の「チャイニーズルック」であり、今日の「チャイニーズルック」は「騎馬民族」の服装なのである。ついでにいうと、今のチャイニーズルックの裾が大きく裂けているのは馬に跨(またが)りやすいようにという工夫なのであり、女性の足を露出させるためのものではない。要するに、そんな格好ができるか!ということで猛反発されたのである。

 そもそも「寛衣」というものは、乱暴なことができないように、きわめて動きにくく作られている。この服装で喧嘩をするのは至難の業。もともと自然と優雅な挙措動作が生まれるような作りとなっているのである。しかも漢民族の戦法では、このような服装の者が三人(御者・弓矢を持つ指揮官・戈を持つ接近戦担当者)戦車に乗り込み戦闘に参加するというものであったので、きわめて機動力に欠ける。

 だから、武霊王は今のチャイニーズルックのようなスポーティーな服装で、機動力を生かした戦いをしようではないか、と言ったのである。が、反対された。

 が、しかし武霊王は粘り強く家臣たちを説き伏せ、ついに胡服騎射を取り入れることに成功した。

 他にも、時代はぐぐっと下って、女真族が清国を建国するや、漢民族にも「辮髪」(ベンパツ)が強要されたけど、あまりにも抵抗が激しいので、ついに清朝は「頭を残す者は、髪を残さず。髪を残す者は、頭を残さず」といって、この規則を破るものには死刑を宣告することとなった。

 このように、ただ単に風俗を改めるということがいかに困難なことであるかは歴史から読み解くことができる。

 ところで、中華思想では蛮夷の「文化」に対する差別はあったが、「人種」や「血統」については、あまり頓着していない。蛮夷とされている遊牧民族から王室にお嫁さんを迎えたりしているし、そのことについては「胡服騎射」にあれほど反対した人々も何も文句を言っていないのだ。

 もっというなら、唐の玄宗皇帝につかえた晁衡(チョウコウ)こと阿倍仲麻呂の例があげられる。唐の長安といえば、当時では世界第一級の国際都市。そこで国家公務員となった阿倍仲麻呂は、中原の人たちがいう「蛮夷戎狄」から、さらに遠く離れた、想像を絶する世界から来た人であった。それでも、中原の文化を身にまとい、公務員試験に合格しさえすれば、玄宗皇帝に抜擢され「左補闕」という官位にまでのぼった。李白・王維などと対等にお付き合いをしたし、詩の応酬もあり、尊敬されていた。

 同じ唐の詩人で漢人である杜甫は、国家公務員試験になかなか受からず、心がいじけてしまって「貧交行」という詩を詠んでいる。

 君不見管鮑貧時交  君見ずや 管鮑貧時の交
 此道今人棄如土    此の道 今人棄てて土の如し


 公務員試験に落第したら、昔の友人はみな知らぬ顔をして相手にしてくれなくなった。
 さきに登場した管仲鮑叔のような深い友情はどこへ行ってしまったのか?
 そんなものは、今時の人間はちりあくたのように捨ててしまっている、というのである。今時といっても奈良の大仏様ほどの古さの「いまどき」である。

 杜甫ですら、ノイローゼになるほどの「科挙」の試験にすんなりと及第するほどの天才であった阿倍仲麻呂は多くの人から愛された。けれどもその出身は現在の日本。日本は当時の人々の感覚からすると想像を絶する世界で、今の我々の感覚でいえば「火星から来た人」みたいなものではなかろうか。でも、その「火星」から来た人を誰も差別しなかった。漢人の文化にさえ馴染めばそれで対等におつきあいできたのである。

 いまだに外国人が公務員になれないどころか、参政権すら与えられない国とは大違いである。

 またまた、蛇足が長くなってしまった。

 肝心の「烏滸蠻」(オコバン)である。

 漢人の「中華思想」を取り入れた我が国でも、表面的にそれを真似して、たとえば都から遠く離れた関東以北の人々を(えびす)などといって差別した。ついでに「烏滸蠻」(オコバン)の人々まで侮蔑し、誰かがヘンなことをして「愚かな奴め!」と罵るとき、そのような所業は「烏滸の沙汰」おこのさた)だ!などというようになった、つまり、そんな馬鹿な行為は「烏滸蠻」(オコバン)の人がするようなことだ、というのである。そこから「おこがましい」などの言葉も生まれた。とにかくひどい差別語だ。

 さらに物好きな人がいて、この「おこ」ということばに当て字を作った。訓読みで熟語を作り「尾籠」(おこ)とした。

 もっともっと物好きな人がいて、この「尾籠」(おこ)を、さらに音読みして「尾籠」(ビロウ)。

 そこから、「尾籠」(ビロウ)ですが・・・などという言い回しが生まれた。

 全く複雑なことをしてくれたもので、衒学趣味というのは本当に困ったものだ。

 自分たちは「夷狄」とされる人々の、そのまた外側にいるというのに、中華思想を真似するなんて、なんと「夜郎自大」な話だろうか。

 ということで、次回は「夜郎自大」をやろう!

 → 盃中蛇影(盃中の蛇影)<故事成語>
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丹塗矢とおまる(尾籠な話ですが)

2013年01月04日 04時25分58秒 | Weblog

丹塗矢(にぬりのや)--大物主神と勢夜陀多良比売
 
 「蛇」の話題から連想して、どんどん「漢字」の話からそれてしまっています。それついでに、もうひとつ大物主神に関する伝説を。

 丹塗矢(にぬりのや)伝説をはじめて知ったのは、大学の国文学の講義であったが、そのへんの事情を雑談風に書いてみよう。

 それは大学生となってまもなくのこと。同じ寮に九州出身の人がいた。この人には面白いところがあって、会話の途中で、突然「クソまってこっ!」と言って、はじけるように立ち上がり、サーッと皆の前から消え去るのであった。

 一同「???」

 しばらくすると部屋にもどり、皆の輪に入って会話を続けるのだが、このようなことが続くと、彼の行動に興味がわいてくる。

 まあ、ほどなくして、彼が「クソまってこっ!」という呪文のような言葉を発した後は、どうもおトイレに行っているらしい・・・ということに気づく。ということは、呪文の冒頭の単語の意味もわかった。さいごの「こっ!」というのもわかる。おそらくは、「・・してこよう!」ということであろう。問題は、「まって」だ。類推するに、「まって」の終止形は、たぶん「まる」ではなかろうか?

 ・・・ということで、当時19歳であった私は、「各地の方言には古語が保存されているケースがある」などと、なんとなく感じていたので、国語辞典ではなく古語辞典にあたってみた。

 すると、あるある。語義の説明はわすれてしまったけど、その用例が衝撃的(?)で、今も忘れられない。

 「・・・糞まり散らしき」

 もちろん古文の用例である。おそらくは、スサノオノミコトが大暴れするところの描写ではなかろうか。

 まあ、これで、九州のその人の行動と発言に合点がいった。

 つぎに、この「まる」に出会うのが、大学の講義。不思議なもので辞書で調べて納得がいったその数日後、国文学の講義で次のような一節を聴いた。

 「・・・糞まりたまひしとき」

 今、原文を引いてみると

 勢夜陀多良比売(セヤダタラヒメ)、その容姿(カタチ)麗美(ウルハ)しかりき。故(カレ)、美和(ミワ)の大物主紳(オホモノヌシノカミ)、見(ミ)感(メ)でて、その美人(ヲトメ)の大便(クソ)まりたまひし時、丹塗矢(ニヌリヤ)に化(ナ)りて、その大便(クソ)まる溝(ミゾ)より流れ下りて、その美人(ヲトメ)のほとを突きき。
 ここにその美人驚きて、立ち走りいすすきき。すなはちその矢を将(モ)ち来て、床の辺(ヘ)に置けば、忽(タチマ)ちに(ウルハ)しき壮夫(ヲトコ)に成りぬ。
 すなはちその美人を娶(メト)して生みし子、名は富登多多良伊須須岐比売命(ホトタタライススキヒメノミコト)と謂(イ)ひ、亦の名は比売多多良伊須気余理比売(ヒメタタライスケヨリヒメ)と謂ふ。


 (1)勢夜陀多良比売(セヤダタラヒメ)が、かわや(水の流れる溝の上につくられた、天然の水洗トイレ)で用をたしていた。
 (2)ひめを見そめた大物主神は「丹塗矢」に化けて、上流から流れ下り、ひめのホト(陰部)を突いた。
 (3)ひめは驚き、あわてふためいたが、その矢を持ち帰って床の辺に置いたら、麗しい男性があらわれた。
 (4)生まれたこどもは、富登多多良伊須須岐比売命(ホトタタライススキヒメノミコト)、またの名を比売多多良伊須気余理比売(ヒメタタライスケヨリヒメ)という。この方は、のちに神武天皇の皇后となられた。

 なんとも不思議な話だが、「まる」の解釈からはじまって、ここまできた。講義ではここまで詳しくやらなかったかわりに、「丹塗矢」伝説のいろいろな形を紹介してくださったものと記憶している。

 今、ふと思いついたのだが、大昔の貴族が使用していた携帯用便器のことを「御虎子(おまる)」というが、この言葉も動詞「まる」の名詞形ではなかろうか?まあ、たんなる思いつきですが、この答案「おまる」をいただけますか?

 尾籠(ビロウ)な話になってしまいましたが、この「尾籠」(ビロウ・おこ)の由来については、漢字の用例として次にお話いたしましょう。それでは本日はこれにて、マル。

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大物主神は蛇神さま

2013年01月03日 04時07分59秒 | Weblog

大物主神と倭迹迹日百襲姫(やまとととびももそひめ)
 
 大物主神といえば、『古事記』「三輪山」伝説が有名。

 活玉依毘売(イクタマヨリヒメ)は容姿端正であった。ここにある若者がいた。これも姿恰好当時無類であった。
 ある夜、その若者が突然音もなくやってきた。両人ともお互い感じ入って結婚して共に住んだ。まださほど時も経っていないのに、女は妊娠した。父母はそれを不思議に思い尋ねた。娘は、貴く立派な若者が毎夜来て共に住んでいたら身篭ったと答える。
 そこで父母はその男の素性を知ろうとして、娘に赤土を床の前にまき散らし、閉蘇紡麻(へそを:糸巻きの紡いだ麻糸)を針に通して、男の衣の裾に刺せと教える。
 その通りにして夜明けに見ると、針につけた麻糸は鉤穴より出ていって、あとに残った麻糸は三勾(三巻き)だけだった。これで若者が鉤穴から出た様子が分かり、糸をたよりに辿ってゆくと、三輪山に到着して、大神神社に留まった。それで神の子だと分かった。それで、麻糸が三勾(三巻き)残ったことから、そこを名づけて「三輪」というのだ。

 さて、この大物主神は「蛇」神さまであるという話。こちらは『日本書紀 巻第五・崇神天皇』から。

 倭迹迹日百襲姫(やまとととびももそひめ)、大物主神(おほものぬしのかみ)の妻と為る。然れども其の神常に昼は見えずして、夜のみ来(みた)す。倭迹迹姫命は、夫に語りて曰く、「君常に昼は見えたまはねば、分明(あきらかに)に其の尊顔を視ること得ず。願はくは暫留(しましとどま)りたまへ。明旦(くるつあした)に、仰ぎて美麗しき威儀(みすがた)を覲(み)たてまつらむと欲ふ」といふ。大神対(こた)へて曰(のたま)く、「言理(ことわり)灼然(いやちこ)なり。吾明旦に汝(いまし)が櫛笥(くしげ)に入りて居らむ。願はくは吾が形にな驚きましそ」とのたまふ。
 爰に倭迹迹姫命は心の裏で密かに異(あや)ぶ。明くる朝を待ちて櫛笥(くしげ)を見れば、遂(まこと)に美麗な小蛇(こおろち)有り。その長さ太さは衣紐(したひも)の如し。即ち驚きて叫ぶ。時に大神恥ぢて、忽(たちまち)に人の形と化りたまふ。其の妻に謂(かた)りて曰はく「汝、忍びずして吾に羞(はじみ)せつ。吾還りて汝に羞せむ」とのたまふ。仍(よ)りて大空を踐(ほ)みて、御諸山に登ります。爰に倭迹迹姫命仰ぎ見て、悔いて急居 〔急居 此をば莵岐于と云ふ〕 則ち箸に陰(ほと)を憧(つ)きて薨(かむ)りましぬ。乃ち大市(おほち)に葬りまつる。故、時人、其(こ)の墓を号けて、箸墓と謂ふ。是の墓は、日は人作り、夜は神作る。

 (1)倭迹迹日百襲姫(やまとととびももそひめ)は、大物主神の妻となった。
 (2)姫は、夜だけの訪問なので姿が見えないから、朝まで留まってください、明るい日の光の下でその美しいお顔を見たいと懇願する。
 (3)神はそれも道理だとして、「明朝お前の櫛入れの中に入っている。但し姿を見て驚くな」と言った。
 (4)翌朝姫が櫛入れを開けたら「美しい小蛇」がいた。驚きの声を上げたら、たちまち人の姿になって妻に、「お前は我慢できずに私に恥をかかせた。今度は逆にお前に恥をかかせてやろう」と言った。そして、天空を踏みとどろかせて三輪山に登って行った。
 (5)そこで倭迹迹日百襲姫命は天空を去っていく神を仰ぎ見て後悔し、床にどすんと尻餅をついた。そして箸でホト(陰部)を突いて亡くなられた。
 (6)人は埋葬された墓を「箸墓」と命名した。この箸墓は昼は人が造り、夜は神が造った。

 大物主の神については、もうひとつ有名な「丹塗矢」(丹塗の矢)伝説があります。勢夜陀多良比売(セヤダタラヒメ)とのお話ですが、長くなりましたので、つづきはまた明日。

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蛇の和名について、ちょっとヘビーかな?

2013年01月02日 00時44分49秒 | Weblog

蛇の和名について

 「巳(シ・み),蛇(ダ,ジャ・へび)-漢字家族」に、の漢語としての解説を紹介しましたが、その訓読みについて、つまり、なぜ、「巳」(シ)の訓が「み」なのか、ということについては、そのままになっていました。

 南方熊楠「十二支考(蛇に関する民俗と伝説)」によると、

 (1)蛇類は、水を好み、水中あるいは水辺に棲む。
 (2)水辺に棲んで人々に怖れられることから、ミヅチと呼ばれた。
 (3)ミヅチとは「水の主」の意である。
 (4)巳(シ)「み」と訓ずるのは、
  「みづち」のあたまの「み」をとったもの。
  これは、子(シ)を、ずみのあたま)
  卯(ボウ)を、さぎのあたま)
  と呼ぶのと同じ用法である。
 (5)蛇(ジャ)=和名(わみょう)は、「へ
  蝮(フク)=和名(わみょう)は、「は
  であることから、へび類の最も古い総称は「み」であると推測される。
 (6)本居宣長の説によると、「ミヅチ」「ツチ」は尊称である。
  したがって、「ミヅチ」とは、「蛇の主」の意味である。

  ということは、要するに「み」という訓読みが、そもそもをあらわす語幹であるということか。

 他にも、蛇のことを、へみ・くちなわ・おろち・へび・へんび・・・と呼ぶ例をあげながら蛇の生態等について詳述しています。出典となる資料は膨大で、一読すれば彼の博覧強記ぶりに今更ながら舌をまくことでしょう。元旦から読むにはちょっとヘビーかな?
 
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謹賀新年

2013年01月01日 00時29分59秒 | Weblog

 [ブログ内検索] [漢字に関する書籍] [漢字源] [中国古典選]
謹賀新年 投稿者:渾沌 投稿日:2013年1月1日

 明けまして、おめでとうございます。

  本年も何卒よろしくお願い申しあげます。
  2013年 癸巳 元旦



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 → 巳(シ・み),蛇(ダ,ジャ・へび)-漢字家族
 → 盃中蛇影(盃中の蛇影)<故事成語>
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巳(シ・み),蛇(ダ,ジャ・へび)-漢字家族に記事を追加!

2012年12月30日 15時17分33秒 | Weblog
巳(シ・み),蛇(ダ,ジャ・へび)-漢字家族に記事を追加

 (ウ)

禹:yu3.png
 後足をふまえて尾をたらした、頭の大きい大とかげを描いたもの。もと大とかげの姿をした黄河の水の精。からだをくねらせた竜神のこと。のち、それが儒家によって人間の聖王に転化された。
 「禹」は、左の篆書の字形を見てもわかるとおり、その上部はハブのような顔であり、下部には、両足を踏み出した間に、長い尾がとぐろを巻いてのぞいている。
 虫歯のことを歯(ウシ)といい、そのの字は「歯+音符」からなっている。
 つまり、「禹」(ウ)が(へび)であることを、歯の「齲」ということばが暗示している。

 「禹」とは、迂曲(ウキョク)の(太い曲線をなして曲がる)と同系のことばであった。

【禹に関する民話】----
 ある時、黒い竜が大あばれをして天地をうちこわし、大洪水が起こってすべてが濁流に呑まれてしまった。鈍重なサンショウウオがその収拾を命ぜられたが、いっこうにラチがあかず、洪水はますます荒れ狂うばかりである。ついに俊敏なトカゲもしくはヘビの精が出てきて、永年にわたる奮闘のすえ、とうとう洪水を治めて山々はおちつき、河川は河道に戻って海に注ぐようになった。鈍重なサンショウウオはその責任を問われて、処罰された。それゆえに今でも深い水底にひそんで顔を出さないのである。

【民話をもとにした説話】----
 堯(ギョウ)の時代に洪水が起こり、まず鯀(コン)にそれを治めさせたが、九年に及んでも実績があがらない。人々が舜(シュン)を推挙したので、堯は舜に位を譲った。舜は禹に命じて洪水を治めさせた。かくて共工を幽州に流し、驩兜(カントウ)を崇山に放ち、三苗を三危に竄(しりぞ)け、鯀を羽山に殛(はりつけ)にす・・・・帝いわく「ああ禹よ、汝(なんじ)水土を平らげよ、これを務めよや!」(『書経、舜典』
 ・・・というわけで、禹が鯀の失敗のあとを受けて、治水に乗り出したのである。

【原文】『書経、舜典』)----
 流共工於幽州,放歡兜於崇山,竄三苗於三危,殛鯀於羽山,四罪而天下咸服


 → 盃中蛇影(盃中の蛇影)<故事成語>
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盃中蛇影(盃中の蛇影)<故事成語>

2012年12月27日 19時37分25秒 | 故事成語

盃中蛇影(盃中の蛇影・ハイチュウのダエイ)
 つまらないことで心身症が発症してしまうこと。
 ごくつまらないことでもストレスがたまり、体の病気となってあらわれることがある。
 「心身症」はストレス社会では、数多くの人に関係している。「神経性胃炎」などは、心身症の代表例。
 さて、「晋書」に出てくるお話だから、今から1,360年以上も前のこと。

盃中蛇影(盃中の蛇影・ハイチュウのダエイ)

 晋(シン)の楽広(ガクコウ)という人が河南の長官だった時、客を招いて宴会を催した。その時の客であった親しい友人が久しく見えないので、心配してたずねてみると、その客は病気であった。
 ところで、その病気のきっかけがおかしい。
 彼が前に楽広の官舎に招かれたとき、酒を飲もうとすると、盃の中に蛇の影が見える、どうも蛇は苦手だなあ。いやなものが見えるが、せっかく招かれたのであるから「ここは我慢」、と 無理をしてその酒を飲んだ。が、どうにも気持ちが悪い、それから帰宅後に病気になったのだという。
 「変なこともあるものだ」と楽広は、宴会の部屋を調査した。
部屋には、角(つの)でできた弓が壁に掛けてある。そして、その弓は漆(うるし)塗りで、一見蛇のようにも見える作りであった。
 そこで、楽広は、再び宴会を催し、客を前と同じ席に座らせた。
 「盃の中に、また蛇が見えますか」
 「わあっ!見える、前の時と、おんなじです」
楽広が種明かしをして、弓の影が映っているだけだと説明すると、「なあんだ」というわけで、客の気も静まり、病気もけろっと癒(なお)ってしまった。

line

  『列子』に出てくる、疑心生暗鬼(疑心暗鬼を生ず)という話に似ている。
  心因性の病気の中には、この話のように、原因が解明されてしまうと嘘のようにケロッと治癒してしまう場合もある。


 『晋書』には「漆畫作蛇」(漆画にて蛇を作れり)とある。弓の格好も模様も蛇そっくりだったらしい。
 疑心(こうではないかとためらい、思案して先へ進めない心)
 (思案にくれて進まないこと)騃(ガイ・馬がとまりがちで進まない)・礙(ガイ・とまって進まない)・凝(ギョウ・とまって進まないと同系。
 暗鬼(暗闇の中の幽霊)
 (漢文では、「オニ」ではなく、亡霊・幽霊のこと)
 鬼神(陽の魂が「神」(シン)、陰の魂が「鬼」(キ))
 
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蛇足(画蛇添足)<故事成語>

2012年12月24日 03時13分08秒 | 故事成語

 「蛇足ですが・・・」などと断りながら、本題とはそれた話をする場合がある。思えば、私のサイトは「蛇足」だらけだ。
 でも、世の中には「蛇足ですが・・・」などと言って、じつは「本音」を言う人もいるから安心できない。「蛇足」を装いながら、そこにこそ「本音」をしのばせるのである。

 それはともかく、よけいなことをして、せっかくできあがったものをダメにしてしまうのを「蛇足」という。

 中学や高校で習う故事成語だが、国語の時間の説明では肝心な部分が欠けている。何故この「蛇足」ということばが成語となったのか、というところがポイントなのだ。

蛇足(画蛇添足)

 戦国時代の楚の国で、ある人が酒を振舞った。ところが、どういうわけか亭主が振舞ったのは、たった一杯だけである。
 ケチな話だが、一杯しかないのだからしかたがない。そこで皆が相談する。
 「たった一杯の酒を、数人で分けて飲むには足らぬじゃろ。ちょうどひとり分じゃ。そこで、今から地面にの絵を描く競争をしよう。一番先に描ききった者がこの酒を飲むことにしよう」
 相談の結果、そのように話が決まり、皆が競争で絵を描き始めた。
 すると、間もなく一人の男が、の絵をまっさきに描きあげて、「完成!そら、一番じゃ。わしが飲むぞ」と、左手に杯を持ちながら、「どうじゃ!早いじゃろう。みんなが描けないうちに、わしは足まで描けるぞ」と、得意になって足を描きだした。
 そこに、もう一人の男が、の絵を描き終えて、杯を横取りした。
 「に足などあるものか。足を付けたらではない!」
 と言って、その酒を飲んでしまった。
 先に描いた男は、せっかく描き上げたのに、余計な蛇足を付けたばかりに、飲めるはずの酒を横取りされてしまった。

 為蛇足者、終亡其酒 戦国策・斉策)
  蛇足を為(つく)りし者、終(つい)に其の酒を亡(うしな)う。

line

 この話は、次のようないきさつでうまれた。
 楚の昭陽(ショウヨウ)という将軍が、魏の国を攻める命令を受けて進軍し、結果は大成功。得意になり、もっと強いところを見せようとして(セイ)の国まで攻めようとした。
 一方、には、陳軫(チンシン)という賢い人がいて、昭陽を説いた。
 「将軍は、魏を攻める命令を受けて、魏を降参させました。命令にないを攻めるのは蛇足です」と、この話をした。
 を攻めて少しでも失敗をしたら、魏を攻めた手柄が蛇足になるとさとった昭陽は、を攻めるのをやめた。



 「戦国策」には、このようなパターンのお話がいっぱいつまってます。

 たいていは、
    ・・・ 説得を依頼する人。
    ・・・ 説得を依頼される人(説得する人)。
    ・・・ 説得される人。
 の三者があり、説得が功を奏すれば、「三方一両損」どころか、「三者大満足」の結果となります。
 は、「ああ、よかった!」と胸をなでおろし、に感謝され謝礼をもらい、依頼者からはたんまりとご褒美がいただけるので、三人とも大満足。
 この場合は、(斉王)が、(陳軫)に依頼して、(昭陽)を説得させたという形。

 この典型的な例が、「漁父之利」ですが、他にも「先従隗始」(先づ隗より始めよ)など、有名な話がたくさんあります。
 
 → 「漁父之利」
 → 盃中蛇影(盃中の蛇影)<故事成語>
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