最近感じること(ブログ版)

粕井貫次の書き下ろし個人エッセイ

「永遠の0」百田尚樹著を読んで

2013年08月21日 | 感じること
 川柳仲間の菱木 誠さんのすすめで「永遠の0」百田尚樹著、講談社文庫を
夏休みに読み終えました。これは私が旧海軍で飛行機に乗っていたことを知っ
て菱木さんがすすめていただいたのです。
 平素私は小説などつい読まないのですが、少し内容を聞いて小さな活字
589ページに挑戦をしました。
 読後感としては、大いに読む価値がありました。それは小説そのものよりも
太平洋戦争でのゼロ戦を中心とした戦闘ぶりの内容そのものです。戦後しか
知らない著者の記述には時おり間違い勘違いなどが多いものですが、この小説
には全くといってよいほど、それがありませんでした。今年の暮れには映画化
されるそうですが、ぜひ見たいという期待と正確でない箇所がないよう期待を
しています。
1、大口をたたくようですが、私は13期海軍飛行専修予備学生で昭和18年
9月に入隊、93式水上中間練習機、零式三座水上偵察機、九四式水上偵察機
の操縦を学び、九三式中間練習機の教官をへて特攻編成、出撃30分待機をへ
て終戦を迎えました。搭乗時間550時間、元海軍中尉。
2、ゼロ戦を操縦した経験はありませんが、教官仲間に戦闘機教程をへた仲間
もいて、模擬空戦の訓練時の敵機の後ろに回る、いわやる「ひねりこみ」は練
習機で何回かやりました。
3、それは追尾から逃れるための宙返りの頂点で、緩横転と急横転の中間に近
いそして操縦桿を胸元に引っ張り込むような操作でした。
4、宙返りの頂点ですとんと機首が落ち、敵機の後ろにまわれる操作でした。
5、米軍も巴戦に持ち込まれると弱いことを知り、一撃後は全速力で下方へ逃
げ切る戦法を取り始めました。
6、昭和18年ころからはグラマンF4Fに代わって馬力速度ともに優れたF
6Fが登場、軽快なゼロ戦も苦戦をまぬがれなくなりました。
7、私は実用機教程が三座水偵で、その後教官配置に付いたため飛行時数は5
50時間と多いほうですが、米軍の前線にくる操縦員は最低でも1000時間
の経験があったとか。
8、昭和20年の終戦直前に速度の出ない旧型機(94水偵、白菊、93中練
を特攻に使ったが、米軍の激しい砲火を潜り抜け戦果を上げられるのは奇跡的
と言わざるをえません。
9、それを思うとき、亡くなった同期生、また「特攻出撃30分待機」を体験
した私にとって、暗澹たる気持ちでいっぱいです。

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3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
貴ブログを参照させていただきました (snaito)
2013-09-25 00:05:25
粕井さん、すばらしいブログですね。
「永遠の0」に関する貴ブログ記事を私のブログで参照させていただき、トラックバックさせていただきました。
今後ともご健勝をお祈りいたします。
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虎尾航空隊 (森 英貴)
2014-11-17 12:10:50
大正9年8月生まれの叔父(亡父の兄) 森 弘の甥です。たしか13期で虎尾航空隊の教官をしていたと亡父から聞いております。百田さんの「永遠のゼロ」録画したのを昨日前半見終えました。ネットで粕井様のことを知り、失礼とはしりつつ、ご挨拶がわりにコメント投いたしました。
昭和20年3月17日に南京丸で雷撃受け亡くなっております。白鴎遺族会の慰霊祭が京都で平成27年5月にあるとウエブサイトにあり一度おまいりにいこうとおもっております。こんごともご健勝をお祈りいたします。H26.11.17 Hideki Mori
natugi@nifty.com
返信する
慰霊祭はすでに (森 英貴)
2014-11-17 12:47:25
白鴎遺族会の京都での慰霊祭は平成25年でした。平成27年と書き込んだのは誤記です。おわびいたします。
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