会長・一杉真城奮闘記

創塾41年目です。
ヒトと人が行きかう交差点。
何気ないため息や息遣いが聞こえてくるような、塾であり続けたいと・・

1948年一杉善治、1949年又平享(すすむ)さん。

2009-08-22 23:54:36 | Weblog
今日、といってもそろそろ日付が変わるので昨日になってしまうかもしれない。
宅急便が届けられました。「感動製造業宣言」又平享(Susumu Matahira)TOKYO FM 出版と書かれた定価1400円の本でした。
著者の又平さんとは、まだ数回しかお会いしていないんのですが、惹かれる方です。なぜかうまが合いそうな気がしています。

本の裏表紙には、1948年生まれ。世界の演劇のメッカ、ロンドンウェストエンドを拠点に活躍するミュージカル・プロデユーサー。日本人初で唯一のロンドン・シアター・マネージメント協会認定会員。96年にプロデユースしたミュージカル「アンフォゲッタブル」で、演劇界のアカデミー賞、ローレンス・オリヴィエ賞にノミネートされ、一躍世界の脚光を浴びる。と書かれていました。

この本を今日一日、夢中になって読んでいました。

最終章がとても印象に残りました。

演じている人間に力が無ければショーは死んでしまう。

近い将来、よりシンプルなショーが見直される時がくる。と書かれてありました。
予言をされている部分でした。

又平さんより、ひとつ年上が一杉善治(よしはる)。
私のたった一人の血を分けた兄弟です。
又平さんに親近感を感じたのも、弟と同じ年代だからかもしれません。

弟は、現在、すい臓がんの宣告を受け闘病中です。
19日にも、いよいよ調子が悪いということで西宮の病院に行ったばかりでした。明日もまた顔を見に行ってこようと考えています。

弟は1948年生まれですから、又平さんとはほぼ同年代になります。
又平さんの手紙には、近い将来、チャンスがあれば沼津に住んでみたい気持ちです。と書いていただいていました。

たった一人の弟を見送らなければならないときに、新しい友人を得ることになるかもしれない。不思議な気持ちです。
又平さんには、ぜひ沼津に住んでいただこうと思っています。

今日は、朝勉にきている小学校4年生のこどもの個人指導をしてみました。
とても不思議な子で、言葉遣いがとても丁寧な生徒ですが、瞬間お年寄りと一緒に住んでいるのだろうと推測しました。
読書ノートを指導しているのですが、内容を把握できているのに自分の言葉で表現できないというとても面白い子どもでした。

そろそろ10時間以上になるぐらい指導時間をかけていますが、なかなか自分の言葉で書き綴れるようにはいきません。
2時間ぐらい指導をしたら、今日どれぐらい勉強しました?と聞いてきました。
2時間かもとかな。短く感じました。いつも1時間がふ~ふ~ですよ。
と小学校4年生には思えない話しようでした。

どこか弟と似たところがあるその子に昔、文をキチント書かないと弟を叱ったりしたことを思い出してしまったりしました。

野村克也氏74歳、イビチャ・オシム氏68歳

2009-08-14 20:47:21 | Weblog
楽天イーグルスの野村克己監督の後任監督について野村監督不快感。という記事が出ていました。
1935年6月29日生まれ(74歳)の監督に指揮を執らせる以上、いつでも緊急事態に備えるというのは当然のことだと思うのに、監督が人事に首を突っ込むのもどうかと思うのだが、サッカーのイビチャ・オシム監督の例を持ち出して面白いので論じてみたい。

イビチャ・オシム監督が循環器系の病気を発症して入院されたのは記憶に新しい。
同じスポーツ監督として、その心労はいかばかりか想像に難くない。

プロ野球は、サッカー試合と比して試合数は圧倒的に多い。
現在68歳のサッカー監督が数年前に倒れられたとき日本中は大騒ぎをしました。

はるかに年齢が上の方を監督にしているのですから、後任監督候補は何人居てもおかしくは無い気がします。

いやあ日の丸を背負うサッカー監督のプレッシャーはプロ野球監督の比ではありません。などと言われると元野球少年の、わたしとしては冗談ではないと反論したくなります。
それとも野球の監督は気楽な稼業とでもおっしゃいますか?

そうでないなら74歳の指揮官の年齢からくる危険に備えるのは、会社経営サイドからは当たり前の危機管理ではないかと思います。

そんなことも理解しないままニュースになるのもおかしなものです。

二人に共通している智将の雰囲気が好きなことと、独特のなぞめいたシニカルなユーモアでテイームを導く方法論が同じような気がして、こんなことを論じてみました。

今日は盂蘭盆会。
去年は午前中に見えたお坊さんが、午後お見えになったので驚いていると体調不良でゆっくりしながらおいでになったという。
高野山の本山においでになっている関係で、普段はほとんどお目にかかることはありませんが、お盆には必ず来ていただいて、最後は般若心経で締めくくっていただける。

ご先祖様が道に迷うと困るので、迎え火を焚いてお迎えするのですが、今年はうっかり焚きそこなったので、代わりに盆提灯と花火を盛大にしたので、お許しをいただくことにしました。

この国は生者のためだけの国ではなく、死者のための国でもあるという櫻井よしこの日本人の死生観という本の一節が好きなので、改めて盂蘭盆会の日に記しておきたいと思いました。この本は盂蘭盆会のことが良く書かれています。

気のせいか・今日8月14日。一日がゆっくり過ぎていっているような気がします。
父・母そして義父。

私が生まれるまでには他界していた・・尊敬する祖父・祖母。

ゆっくり今、我が家を訪れているご先祖さまにお礼を申し上げながら。思いだし供養を行えることをあわせて、感謝をしたいと思います。

野村監督やオシムさんよりいま少し、私も若うございます。

地震・台風そして平常心

2009-08-11 06:22:51 | Weblog
平常心が大切だとつくづく考えます。

朝、台風に備えて早起きしていると突然、ガタガタと地震が来た。
カタカタと揺れていたのが激しく音を立て始めて、あわてて窓を開けて様子を伺っていると2日から娘が起きてきた。
娘はすばやく祖母の様子を見に行ってくれ、私は元栓を確認しに動いた。
テレビをつけると地震の様子が、伝わってくる。

離れの2階から、娘と祖母が降りてきた。
カミさんが犬を抱いて一緒に来た。
我が家の被害は、神さんが転んだぐらいで、ものにも・人にも被害は無い。

6時に教室に来ると、すでに岩崎先生は掃除を終えている・・流石。

5時半ごろ、サンディエゴにいる息子・大輔に電話をすると旧姓西原知美さんというアーンスト・アンダーセンという外資系のコンサルタント会社に就職した卒塾生が今、息子の店に来ているという。
今、サンデイエゴで話題の店に来ていたら先生の息子さんだと聞いてびっくりしたと話が弾む。

偶然。今アクセンチュアという会社の坂(ばん)さんというかたと公共サービス関係で一緒に仕事をしていると言うと、坂(ばん)さんは、一年先輩で、アクセンチュアに私も居たんですよ・・・と話が弾むこと弾むこと。
やれやれ世の中・・狭い狭い。

大塚教室に来て、岩崎先生と西原知美さんがサンデイゴに居るってと報告 。
うっそ~・・・彼のいつもの返事が返ってきた。

岡田先生に一応電話をして、朝の確認を行うが、新潟で中越沖地震を経験している彼女は余震というか群発が怖いと声にも元気が無い。
妊娠していることもあり、自宅待機をして、さっそく大田先生に連絡をして7時の段階での準備をお願いする。

岡田先生にもう一度確認の電話を入れると生徒は来ないのではないですか?
と自分本位の返事が返ってきたので、来るかどうかはこちらの範囲ではなく、まずスタンバイが仕事だよ・・ただし君は動く必要が無いよ・・と社会の常識を説明しなければならない。

いろいろかかってくる電話には家人に対応を任せて、今から原教室に動こうと思う。

こうした問題が起きるとそれぞれの本来持っている力が、程よい形で発揮される。

台風が幸い、襲来していなかったので良かったが二重災害になったらと冷や汗が出る。不幸中の幸いかもしれない。

いざ・・出発。

朝勉と勉強合宿

2009-08-08 06:03:42 | Weblog
昨日、8月7日(金)は、忙しい一日でした。
朝7時からは大塚教室の朝勉。
落合先生に担当してもらっているので、私は朝のトイレ掃除だけ。

そのまま原教室へ。
原教室の朝勉は、今週までは読書ノート指導。
読んだ本の内容をまとめることと感想文。
ちょっと骨が折れるので、評判は良くないかもしれません。
遠回りでも確実に力をつけてきます。

元気が良くて、2枚書ける子も出てきています。

指導を終えて、一休みしてから勉強合宿をしている1Sクラスの様子を見に、天城まで。
数学を指導している保坂先生が、案内をしてくれたが、昔、清水の十七夜山千手寺という黄檗宗のお寺をお借りしての合宿で彼を指導したのが、35年ぐらい前。
時間の経過を如日に感じる

お寺では、是非にとお願いをして座禅のご指導をお願いした。

今回はキリスト教系の祈りを基調にした施設をお借りしている。

ここでは黙想を取り入れて指導の厚みを持たせてくれていれば良いと思ったが、若い指導者たちにはまだまだ、その点は未熟な気がする。

2時間ぐらい施設を回ってみましたが、次に世代にどうものを教えるかという・・その本質を若い・・・塾のリーダーたちが本当にとらえ切れているか?

考えさせられた2時間ほどの散策でした。

お持ちになりませんか?
そう勧められて新約聖書を一部頂戴してきました。

以前いただいた碧眼録・・・いずれもなかなか理解がおよばない難書です。

持ってかえってこの二つの書を眺めながら・・思わずうとうととまどろんでしまいました。積読にならないようにしょう・・・。

そろそろ時間になりました。
朝勉と今日はだがしや楽校in三嶋大社の実行委員会。

夕方はセラピードッグで有名な大木トオルさんのコンサートです。
クールズという昔のチョイ悪のアイドルおじさんというと叱られそうですが・・・

おもしろそうなコンサートです。
今日も忙しい夏の一日になりそうです。

原爆記念日とロボカップ

2009-08-06 04:44:04 | Weblog
写真の女性は卒塾生の植松さん。
現在は、アメリカのジョージア州アトランタで学校の先生をしている方です。
アトランタにあるジョージア工科大学で開催された2007年のロボカップ世界大会を訪問したときの写真です。
図書館の一部にこどもの国のようなものがあったのでその前で撮影をさせていただきました。

今日は昨日沼津で招致活動を進めていたロボカップJAOANオープン2010沼津大会が諸般の事情で開催招致を断念したという話について簡単に意見を述べておきたいと考えて奮闘記に記しておきたいと思って朝、早起きしました。

ロボカップは2050年までに人間が行うサッカーワールドカップの世界チャンピオンにテイームにロボカップ優勝のロボットテイームが試合を挑みたい。

日本発のこの企画に、ロボットが主役になる未来社会に、絶対に人間を傷つけることの無いロボットを作るという大切なメッセージがこめられていると考えるのは、私だけではないと思います。

残念なことにこうした大きな理念について、見識を持って活動をしている人が少ないことにはがっかりします。

一例を挙げると、
昨年の蘇州大会の開催には中国側が直前になってある国際問題を理由に開催をできないという暴挙に出ました。私は何人かの委員と相談して、開催を返上させろとアドバイスを送りました。
理由は上海の国際博覧会会場に連絡を取り、もし蘇州委員会が中止を決定したら、そのまま引き受けてもらうように交渉も済ませた上での話でした。
北京のオリンピックを控えて、その後の上海万博を準備で、張り切っている上海市サイドは、大乗り気でした。
ほどなく蘇州市の委員会は世界大会を開催するという当たり前の結論が出たとHPに、発表がありました。
しかし、この後に行われた世界大会では心配していた不祥事が続発しました。
中型ロボットが、壊されたり無くなったり。

この問題に関してはいまだに正しい解決は図られていません。

あの時、上海開催に変更していたら、国際感覚の鋭い国際都市上海は、上海万博の開催にも響きかねないこの種の問題に関しては、敏感に対応がなされたと思います。
まして大阪と上海は姉妹都市です。
大阪を拠点にしているロボカップ委員会としてはキチンとした対応ができるはずです。
私は、この種の問題に対しては、役人をやっている友人たちと「ことなかれ」の無責任体質に問題を感じよく議論をしました。

友人である彼らの苦労の基は・・よく理解できます。理解はできますが、彼らに同調はできません。
同じ問題を、よく感じる昨今です。

話が変わりますが、今日8月6日は、広島の原爆記念日です。
この日になぜ、アメリカの大統領を招待しないのだ・・・と議論を吹っかけると友人の役人たちは、絶対に自分たちでは提案できないといいます。

いまから50年以上前のことです。

1.いかなる国の原水爆にも反対し、原水爆の完全禁止をはかる
2.社会体制の異なる国家間の平和共存のもとで達成できる立場にたつ
3.多年の努力の成果をふまえ、国民大衆とともに真実をきわめる

この問題で1963年8月6日。広島で平和運動が分裂をしました。

8月9日、当時高校生だった私は、長崎に行き二つの世界平和大会を直接見ることができまました。

二度と過ちを繰り返さないためには、きちんとした反省とどうすれば良いのかという見識が必要だと思います。

唯一の被爆国である日本ができることはたくさんあるのに十分にはできていない。
そんな思いで、今年も暑い夏を迎えます。

ここ数年は、必ずこどもたちに伝えたいと思って、新聞の切抜きを一緒にやっています。


うれしい便りが、海外から来ました。

2009-08-04 00:10:11 | Weblog
海外で活躍する卒塾生が、私が書いたメールアドレスを見て以下の文章を異国の地から送ってきてくれました。
一部文字を伏せて、私が彼に迷惑をかけないように配慮して掲載をさせていただきました。

一杉先生、

いつもお世話になっております。お元気ですか?
まず、先生のブログを毎回楽しく読ませて頂いております。私のことも書いて下さいまして有難うございます。

さて、◎◎◎に来てから早1ヶ月が経ちました。
◎◎◎としては、私が加わりまして◎◎◎での駐在員は◎◎人になりました。新しい環境ということもあり
まだ慣れないことも沢山ありますが、先輩方に温かく時には厳しく指導して頂いております。

◎◎◎は◎◎◎◎に位置しますが、イスラム教国で公用語はアラビア語です。今まで慣れていたアメリカや日本とはまったく異なり、文化・人々の考え方など毎日が驚きの連続で、私にとってのこの生活環境は、今までに経験したことのない「新しい世界」です。
例えば、私が思っていた常識は、アラブの世界では常識ではなかったり、普通の事が普通ではなかったりと、文化の違いとはこんなにも大きいものだと改めて痛感しました。
今後は、私も他文化についてもっともっと経験&勉強し、フレキシブルな考え方ができるようになりたいと思う。そしてお互いの考えを尊重し合ったうえで人間関係を築き、そしてもちろんビジネスを広げていきたいと考えております。
((さすがにお酒と娯楽がまったくないのには、正直苦労していますが。笑))

一方で、仕事面での私は「◎◎◎」の担当になりました。日本の◎◎◎機械
などの◎◎◎での市場開拓です。
現在もまだ世界的な不況が続いておりますが、そんななか◎◎◎での建設ラッシュはここ最近始まったばかりです。
この国には、まだまだポテンシャルがあり「これから」の国だと思います。
ビックチャンスもあり、やりがいもある仕事だと思いますが、責任もものすごく大きいので、気を緩めずにしっかりと一人前になれるよう、鋭意努力していきます。

簡単な報告で申し訳ございませんが、取り急ぎ連絡させて頂きます。

小さな田舎町・沼津出身の私ですが、世界を相手に戦えるようになるため頑張ります!
今後ともご指導の程、宜しくお願いします。

中坪功一

註 中坪君は、高校・大学とアメリカで学び、LAで一年働きましたが、海外とは名ばかりの日本の閉鎖的な日本型・商社が体質的に合わなくて、世界を相手にがんばり始めました、
日本語がずいぶん進歩したと驚いています。
でも沼津を小さな田舎町とは・・・・う~ん異議ありなのですが・・・・