会長・一杉真城奮闘記

創塾41年目です。
ヒトと人が行きかう交差点。
何気ないため息や息遣いが聞こえてくるような、塾であり続けたいと・・

J&W大学のケン・レビー副学長

2008-09-27 01:35:09 | Weblog
ケン・レビー副学長との話

昨日は生憎ケン・レビー副学長とはお話が出来ませんでした。

今日は、というより9月27日(土)1:15.まさに深夜です。
ジョンソン&ウエールズ大学の副学長/アジア担当のケン・レビー博士と電話で大話が出来ました。やれやれ。
ずいぶんと久しぶりだけれど私にランチを摂るなというのですか?と言う会話からはじまりました。
ごめん、直ぐ済む。中国への進出きまった?と言う質問にまだちょっと問題ありかな?日本に行かしてくれすのは何時のことだい?と相変わらずざっくらばんです。
ん~ざっくばらん~どっちだたっけ????

10月か11月に会いに行きたいのだけれどスケジュールはという当方の質問に2~3、1時間の予定を提示してくれました。

お客さんが一緒ならランチの場所と希望、単独ならいつものロブスターレストラン・・・どうせ腹ペコで来るんだろう。

今の自分も腹ペコを意識しだした!?後は秘書でどうだい??
どうぞどうぞ、ゆっくり食事をお楽しみください。
楽しい会話は終わりました。

明日は早朝から帝国ホテルでのサウジアラビア大使館主宰の建国の記念パーティーへの参加です。

終わると東京駅でカバゴンこと阿部進さんをピックアップして沼津まで同行しなければなりません。

そのあとは・・・・

そろそろ寝なくては?
いつもの半分で今日はご容赦・・・

小柴昌俊先生の素粒子のお話

2008-09-24 23:25:12 | Weblog
9月22日(月)
21日はお彼岸の入りでした。
早々とお墓の掃除を済ませて、22日には東京の大泉学園前までレクチャー&コンサートに出かけました。
慶應大学の大岩元教授と駅の近くで待ち合わせてゆめりあホールに入りました。
流石にノーベル賞科学者の小柴昌俊東大教授のレクチャーとあってホールは立ち見が出る盛況でした。

演奏は佐々木真さんのフルート、吉沢実あんのリコーダー、そして杉山佳代さんのチェンバロと素晴らしい演奏でした。

小柴先生の講演は、大きなビッグバンのお話から、小さな小さなニュートリノまで、私たちを取り巻く宇宙と、地球のものの成り立ちを哲学の基礎のへビが自分の尻尾を飲み込む図に合わせて上手に描かれたパワー・ポイントの図をもとにわかりやすい説明でした。最初の半分は良くわかり、後の3分の1ぐらいは先生が丁寧に説明されるほどにだんだん難しく頭がこんがらがってきました。
終演の後、楽屋で奥様もご一緒にお話しを出来るチャンスがありましたが、皆さんが一杯で、しまったカメラをとは思いましたが、先生はお休みの時間をオーバーされていたと言うことで、お見送りをさせていただきました。

演奏は、各奏者とも気合は入っていましたが、フルートの佐々木さんは、リコーだの音が小さいからでしょうか、思う存分と言う感じではなく良く抑制が利いた演奏であった気がします。
吉澤先生のリコーダーあれこれはとってのお上手で、リコーダーの語源が小鳥の鳴き声のりコードからきていると言うお話は素晴らしいと言う印象を持ちました。
10月8日の沼津の演奏は楽しみです。

圧巻は杉山佳代さんのチェンバロの演奏でした。
杉山佳代さんは本当に不思議な方です。
相手が素晴らしければ素晴らしいだけ光を鮮やかに放つことの出来る不思議な才能です。この方の持つ天衣無縫ともいうべき自由さこそ、ミューズの神が与えたもうた天からのメッセージのような気がします。

素晴らしい息遣いを感じました。

そして今日24日(水)は静岡駅前で、カバゴンこと阿部進さん、静岡大学の船城先生と大岩せんせいと街の教育館プロジェクトの打ち合わせをしました。

まず伊豆市の土肥高校を中高一貫校として、全国から生徒を募集して、温泉のまち・土肥にふさわしい学校づくりを行う提案について。
次に、東海大学が高輪に情報関係の高度な大学院大学を創設するに当たり、募集停止が確定している沼津にある東海大学開発工学部を、できれば世界に情報発進できる新しい学びの場にする提案をいろいろな角度から話をさせていただきました。
ネットで検索をしてみると感性デザイン学科が募集人員40人その他139人となっており936人が学生定員、1000人を割っているのが気になるところです。
まさか学習塾と一緒にするわけにはいかないと思いますが、経営上1400を切ると苦しいと思います。
沼津市や静岡県と一体となっての学びの場を構築されればと思います。

1990年代のアメリカが同じような状態で、名門校といえども世界中から生徒を集めました。コーネル大学に次ぐ、ホテルマネージメントのプログラムをるを持っているジョンソン&ウエールズ大学(Web: www.jwu.edu)のケン・レビー副学長はアジア担当の副学長さんでしたが、良くアジア戦略について話をお聞きしました。
残念ながら東海大学の開発工学部の先生とはこうした未来戦略について専門的なアドミッションオフィスの形態についてお話をできるかたは皆無です。

一度西山学長さんと駅でお会いしたときに、これから生徒募集もあって金沢かどこかへ出張とお聞きしてびっくりしました。

学長さんをアドミッションアフィサーの仕事をさせていたのでは、機動力・戦闘力が半減するのになあ~と思いました。

秋の夜の顔になってきました。今夜あたりケン・レビーさんに電話をしてみようかと思います。

ヒトスギ塾 創塾40周年記念事業

2008-09-19 01:37:35 | Weblog
ヒトスギ塾 創塾40周年記念事業
音とこころの思い出 良き人々との出会い
一部 良き師との出会い レクチャー&コンサート  10月8日 千本プラザ音楽ホール
        レクチャー/大岩元慶應大学名誉教授 
        コンサート/フルート佐々木真・リコーダー吉沢実・チェンバロ杉山佳代
二部 良き友との出会い 記念講演・(提案)街の教育館プロジェクト 10月9日 可能館
        記念講演        寺脇研氏
        街の教育館プロジェクト 大岩元慶應大学名誉教授
             
不思議な出会いが、この二つの記念事業を形作っています。
一部・二部のキーパソンは大岩元慶應大学名誉教授です。
大岩先生とは、ヒトスギ塾は、ずいぶん長いお付き合いです。
日比谷高校・東京大学理学部エリートコースをひたすら歩いてこられた大岩先生はお母さまが津田英語会の先生で、よく知られた筑摩書房刊「武士の娘」(杉本鉞子 えつこ)の翻訳者です。
アメリカでベスト・セラーになったこの「武士の娘」こそ、新渡戸稲造の「武士道」とならんで、日本の武士社会のモラルを世界に紹介した良書で、世界8カ国語に翻訳されました。日清戦争に勝利し、日露戦争に参戦という東洋のミラクル・日本を紹介する素晴らしい著書であり、現在の日本人が失ってはならない大切なことがそこには書かれています。
この大岩先生の少年時代からの楽友であり、良きライバルであったのが今回のこんなサートの主役、フルートの佐々木真さんです。
佐々木真さんをして「若いけれど、私の尊敬する音楽家」と言わしめたのがチェンバロの杉山佳代さんです。杉山佳代さんは原教室の杉山訓一先生のお姉さんで、2003年に橋田幸子さんや、3名の静岡高校生を加えたアフガニスタン訪問にもご一緒しました。もちろん中村哲さんのペシャワール会の病院も訪問しました。

佐々木真さんのフルートのお弟子さんが、文化庁長官であった河合隼雄先生です。
哲学者・ユングの研究者として高名な学者であられた河合先生は、創塾35周年記念事業の「挑戦!10歳の好奇心シリーズ」でお招きした、木下冨雄甲子園大学学長の兄弟子でもあり、河合先生の文化庁長官時代には文化部長・寺脇研さんとは上司・部下のご関係でした。寺脇研さんは現在「教育支援協会」の代表役員として吉田博彦さんと二人三脚の教育活動をされていますが、日本で最初に設立された教育関係のこのNPOには吉田博彦さんを支えるということで、私も理事として参加しました。
良き人たちとの出会い・・それこそがヒトスギ塾の真骨頂であると思います。
ヒトスギ塾
会長 一杉真城 謹白

政党政治(日本共産党と自由民主党)

2008-09-13 23:04:35 | Weblog
IT百科事典を検索すると

自由民主党については
結成直前の1954年から1964年まで、アメリカ合衆国(米国)政府の反共政策に基づいてアメリカ中央情報局(CIA)の支援を受けていた。と記載されている。

日本共産党については、
「理論的基礎」として科学的社会主義を標榜し、究極目標としての「社会主義・共産主義」を掲げているが、資本主義の枠内で、対米従属と大企業支配の打破を当面の目標としている。       とある。

なぜ、この二つの政党を書いたかと言えば、

塾長の高橋たつやが、沼津市市会議員の補欠選挙に立候補を表明したのだが、
共産党から川口さん、自由民主党から清水さんが立候補を表明され、無所属は現在のところは、高橋たつやくん、ただ一人。

日本で一番古い日本共産党と、自由民主党の二つの組織と無所属では最初から大人と子供のけんかのようで、勝負は見に見えている。
資金力も違い、一番大事な組織人数もまったく異なる・・しかし、彼はそれでも自分の主張を知ってもらいたいと頑固に言い張っている。若さとは恐ろしいものである。

学習塾の塾長として、丁度5年。彼がヒトスギ塾に勤務して、12年目に去年の市議会議員に立候補して154票差で届かなかった。
私が彼を、塾長に指名したのは、彼の向こう見ずな挑戦する姿勢を評価したからだが、その眼力はちょっと自慢できるとしても、市会議員に立候補するのは予想外だと言うと少し嘘が入る。市会か市長か、どちらかとは予想はしていた。市長席にターゲットをおいて導くことをしなかったのは大きな間違いではなかったかと最近、深く反省している。

末は博士か大臣か?ちょっと古い・・しかし、大切に思える世の中に貢献できる逸材を育てたいと考え、博士はずいぶん輩出できた。
大臣は難しい。竹中平蔵さんのように学者から大臣と言う道も無くはないが、普通は市会・県会・国会そして大臣への道のりである。

まだ市議会議員でもありえない彼にそんな夢を託したいと思っている。

入学試験と違って選挙はたくさんの支持していただける人が頼りで、自分がひたすら努力をすれば報いられるのモノでもなさそうだ。

しかし、ひたすら人間力を磨いて、切磋琢磨することにおいてはまったく変わらないのかも知れない。

いろいろな方にお目にかかることにより彼の人間力が磨かれることを期待したい。
かって彼・高橋たつやが私にこう言ったことがある。
英語の小関先生の専門性には勝てないような気がする。
数学の新井先生のこだわりも自分にはマネができない。

でも一杉先生には、追いつきそうだし、追い抜くことが出来るような気がする。

塾長就任を打診したときのせりふであったような気がする。

私がヒトスギ塾を創設したときに生まれた小僧に負けるものかと思った記憶がある。お互いに意地っ張りなのは人後に落ちない。私も簡単には負けたくない。

二人して牛車の前の蟷螂(かまきり)よろしく威勢よく斧だけは振りかざしている。

結果が出るのは10月26日。

です、ます調でえらそうに書いたが、高橋たつやの足をひっぱているのが私のようで、本当に申し訳が無い。

学校に行かない、行けない子供たちを一生懸命カバーしていた彼の姿が今でも目に浮かぶ。現在市会議員になっている方と彼の紹介で、お会いしたときも、その方のご子息の不登校問題であった。
私と違って決して彼はそのことを話すことは無い。
しかし、彼の意思は強い。私が一番認めているところである。


ヒトスギ塾 創塾40周年記念事業

2008-09-13 00:28:28 | Weblog
創塾40周年記念事業/音とこころの思い出 良き人々との出会い
一部 良き師との出会い レクチャー&コンサート  
10月8日 千本プラザ音楽ホール
レクチャー/大岩元慶應大学名誉教授 
コンサート/フルート佐々木真・リコーダー吉沢実・チェンバロ杉山佳代
二部 良き友との出会い  10月9日 可能館
記念講演・(提案)街の教育館プロジェクト
記念講演        寺脇研氏
街の教育館プロジェクト 大岩元慶應大学名誉教授
             
不思議な出会いが、この二つの記念事業を形作っています。

今日千本の乗運寺に林茂樹ご住職を、お訪ねしました。
レクチャー&コンサートはご用事があるとかで、聴きには行けないけれどと言うごお返事でした。
寺脇研さんとは、寺脇研さんが広島県教委の教育長になられる前に何回かお会いしたことがあるよということでした。当時はまだ文部省の課長さんの時代で、ずいぶん静岡県教育委員会にも見えたそうです。林さんが県の教育委員をなさっていた時のようでした。

本当に不思議なご縁です。私が初めて杉山佳代さんのチェンバロの演奏を拝聴したのは林ご住職が主宰されている千本の牧水記念館か?新宿のオペラシテイーでの演奏のような気がします。

慶應大学の大岩元名誉教授=佐々木真さん=杉山佳代さん=河合隼雄さん=寺脇研さん=吉田博彦さん=芦立訓さん=樋口修資さん=伯井美徳さん=阿部進さん
と繋がる知恵の輪も不思議な10人の人脈です。
 
日比谷高校・東京大学理学部エリートコースをひたすら歩いてこられた大岩先生のお母様は大岩美代子先生。津田塾の英語の先生で、名著「武士の娘」の翻訳家としても知られた方です。武士の娘は長岡藩の代々家老職を務めた稲垣家に明治6年に生まれた杉本鉞子の自伝です。
大岩美代子さんは訳者あとがきで、《訳出にあたりましては、杉本夫人が手をとらんばかりに導いて下さいました。夫人は御高齢をもおいといなく、前以て送り届けておきました原稿を毎月曜日私と交互に音読してくださり、細々と御教え下さいました。朝早くから掃き清められたお部屋で夫人とこうして勉強しましたことは、私には生涯忘れられない思い出となりましょう。》と書かれてれていました。

街の教育館プロジェクト・・・
大岩美代子さんを母に持つ、大岩元先生との、今後の10年間が楽しみです。

日本国沈没

2008-09-08 03:59:57 | Weblog
日本沈没
日本沈没の作者・小松左京さんは、わが高校の大先輩でしたが、日本列島がある日、大地震を契機に沈没してしまうと言うSF小説を書き、昭和48年特撮が得意な東宝が、橋本忍の脚本で映画化して大ヒットさせました。
一晩で沈んだ小笠原列島の無人島を調査に行って日本の海に起きている異変を察知した科学者、日本国総理、黒幕が入り乱れてD「計画」をはじめようとしていたときに東京に大地震が起き・・とストーリーは続いていきました。

日本国沈没
日本沈没は、作者が仕組んだある可能性のあるお話のことです。
日本国沈没も、やはりありそうな可能性の話しです。
前回、齋藤衛沼津市長と福田康夫日本国総理に共通しているリーダーとは言えないような無責任体質について述べました。
今回はリーダーを上手にリーダーたらしめる参謀やテイームについて考えていることを述べてみたいと思います。
いわゆるチーム力の低下です。参謀不在、チームワーク不在の日本国。
日本も明治維新以来140年。第二次世界大戦敗戦から63年。本格的な日本国沈没の危機に立っているような気がします。
6・3・3制の教育による日本国沈没がはじまっています。
では問題の根源は、どうすれば解決するのか?

考える・・その1
昔都立の優秀な学校では受験に失敗した学生を特科で、授業にも参加させて大学に入れていたそうです。
私も京大に行きたかったので、学校に以後休学するので、もう一年やらせてくれと掛け合いましたが、あきらめろと卒業させられました。
ほとんど学校に来ていないM野が卒業するので現地点で君は無理だよと言われてしまいました。
今は自動的に予備校に行くことになります。この時点で、公立のトップ校から先生の誇りと、専門性が消えた気がします。

沼津でも、沼津商業や沼津工業高校の専門性が消えました。
大学の専門性もすっかり影を潜めました。
大きな意味では見識がなくなったというべきでしょうか?

考える・・その2
福田首相が退陣の後、自民党は候補が乱立してメデイアが大騒ぎです。
小沢党首を無投票で選出した民主党は人材がいないような印象です。
劇場型選挙には危険な演出家がいるような気がしてなりません。

齋藤衛市長が不出馬表明をした沼津市も負けず劣らず大変です。
齋藤さんが不出馬を見込んで、出馬表明した加藤元章さん。民主や連合に後押しされた栗原さんや、CHENGE沼津に選ばれたと言う◎◎さん、そして後出しじゃんけんで立候補を表明された桜田光男さん4人の候補が出揃いました。
乱立は国とそっくり同じです。

考える・・おまけ
◎◎はインターネットでCHANGE沼津を検索しましたら、
《現在、選挙管理委員会に問い合わせておりますが、
選挙法により直接このサイトで『Change!沼津2008』の擁立候補者の紹介ができない可能性があるそうです。そのため選挙管理委員会より正式回答があるまで、このサイトで直接、候補者名等、の発表は控えさせて頂きますのでご了承願います。》

と出ていました。

市会議員のかたも加わっている市民団体が選挙管理委員会に届け出もしないで政治活動を、しかも市長選挙に意見を言うなんて・・・

もし沼津の街にも危険な演出家がいるとしたら・・・

考える・・その3
秋になりました。四谷怪談の時期も過ぎました。
幽霊の正体見たり・・枯れ尾花。まあ~だいたいそんなものでしょう。

沼津の街は絶対に沈没などさせないようにしぶとく行動していきたいと思います。
私は口ばっかりのきれいごとを並べる無責任なインテリと言われる人種がなにより大嫌いです。

福田康夫さんと齋藤衛さん。

2008-09-04 23:53:27 | Weblog
福田 康夫(ふくだ やすお)
内閣総理大臣(第91代)、1936年(昭和11年)7月16日 生まれ
自由民主党総裁(第22代)。

齋藤衛(さいとうまもる)
沼津市長、1937年(昭和12年)生まれ。誕生日が、もし1・2・3月の早生まれならば、福田さんも齋藤さんもひょっとしたら同じ学年であるかもしれません。

昭和20年の敗戦の時、8・9歳。戦後の混乱期に大切な10歳を迎えていろいろなものを見ながらどう魂を形成されていかれたのでしょうか?どうして良いかわからない混乱期に10歳の時代を迎えて育ったお二人の心の形が、どう作られて行ったか?私には原風景がとっても興味があります。

隣の友人にこの二人が同じ年だから、面白いよね。と話しかけたら、そうですか?齋藤さんは任期満了で、キチンと使命を果たしましたね、福田さんは投げ出したのだからあちらは無責任ですよね。よいう返事が返ってきました。
でも齋藤さんは続投ありと周辺は思っていたので、周りを裏切っているんじゃないと言う話をすると、福田さんも辞意表明は作戦のうちというかもしれませんよ?と若いのになかなか年寄りくさい返事でした。

二人の政治家に共通していることは、柔道の石井慧選手ではないにしても「とっても良い人で、腹黒くはありませんが、政治家には向いていませんね」となるかもしれません。二人に共通している方向性は、どうして自分の言うことを分かってくれないの?ということと突然ぶんなげてしまうことの性格的な共通性です。ぶんなげてしまったと言うべきなのでしょうか?
投げられたほうは堪りません。でも良い人なのです。良い人なのですが、このひとについていくとひどい目に遭いそう・・という・・・親分にはしたくない、なってはならない雰囲気でしょうか?次の世代としては・・それでよいの??と強く思います。

この世代に育てられたような気がするのが、今回市会議員選挙に立候補した高橋達也塾長の世代のような気がします。

彼もいうことを聞かないことにかけては天下一品です。まあ回りに迷惑をかけることでは天下二品かも。しかし、性格的には福田首相・齋藤市長とは異質なものを感じます。本質的には同じかもしれません。そこが心配です。じゃあそちらの世代は???う~ん自分のことは分からんもんです。

最後に仕事のお話。

学力調査表が帰って来ました。私が教えている3-Aクラスもまあまあがんばってくれました。駅南教室で国語を教えているK藤先生も気になるのか、成績を見に来てくれて「なかかな良い点数じゃないですか?」しっかり論評してくれました。
いくつになっても自分が教えている生徒の一点一点が気になります。今回は20年ぶりに受験生を教えているというので気にしてくれている先生もいるみたいです。

高橋君も現場は離れたくないと言う気持ちのようです。
いろいろな方のお世話になったり、時には叱られたり、彼が一回りも二回りも大きくなって欲しいものだと考えています。

是非、彼には厳しく皆さまに育ていあただきたいと思っています。

私は授業を一所懸命励みたいと思っています。

だがしや楽校2008静岡iin三嶋大社

2008-09-01 03:59:05 | Weblog
だがしや楽校

山形の松田道雄さんという中学校の社会の先生が、山形大学の大学院に学んでいるときに「だがしやさんの教育力」について修士論文をお書きになりました。

「だがしやさんにインベーダーゲーム」が、入ってきた頃から子供たちを取り巻く教育環境が激変したと断じて居ます。

それまで5円・10円単位のだがしやさんのお金の単位が1回100円の世界、つまり千円・二千円の単位にはねあがり子供たちの世界から万単位のお金が家庭から出始め、駄菓子屋さんがなくなり駄菓子屋さんが持っていた地域の教育力とも言うべき守られて居た子供の世界も破壊されてしまった。
そう松田先生は断じられました。

たとえば昔のメンコならば1枚5円とか十円の世界です。
メンコもこどもたちは一生懸命溜め込みました。

それとよく似たのがカードゲームです。でもカードゲームは一枚100円です。
50枚・100枚と溜め込むと1万円の単位です。コンピュータゲームともなると10万円単位です。
メンコは一枚10円・二十円の世界です。
100円から5千円・一万円の単位に巧みに誘導され、だがしやの店先で遊ばなくなり、ワルがきもいたりちょっとおっかない年上も、お節介な姉さんも身近からはいなくなったようです。

ここからが松田さんんと普通の先生との違いです。現代のだがしやの回復に取り組みはじめました。
そこで一人ひとりが、思い思いのだがしやを楽しもう、現代のだがしやをよみがえらそうという実践活動をはじめられたのです。

山形ではじまった「だがしや楽校」が横浜だがしや楽校に広がったのは教育評論家の阿部進さんの力です。「現代っ子」と言う言葉の生みの親・カバゴンと言う愛称で親しまれている阿部進さんも行動する教育者です。アイデアマンです。

松田先生も阿部先生も理論を体系化し、行動し、行動の中で現代のこどもたちの未来社会を予見し、警鐘を鳴らし続ける面白い方です。

お二人とも類まれなる企画力を持ち、実践の中からこどもたちを取り巻く環境をよりよいものにしたいと計画をたて、実際行動に行かせることが出来るように具体化を図ります。
なによりテイームワークを重んじます。


横浜でもだがしや楽校運動は、不登校をなくす重要な活動として位置づけられ数万人のイベントになりました。阿部進さんの大きな力です。
中田市長の熱意と文部科学省からきた伯井さんという教育長の熱意でずいぶん良い形に仕上がりました。

スクランブルフォーラムの仲間が、松田道雄さんと大仁の法人会主催のイベントでこのだがしや楽校に出会いました。そして松田さんに共感し、阿部進さんにそそのかされました。このお二人が揃ったのがウンのつきでした。

山形・横浜のだがしや楽校の活動が静岡でも花開きました。
三嶋大社は伊豆一ノ宮として賑わい拠点のばしょです。
今回・三嶋大社をお借りして、in三嶋大社を企画し、実行に走ったのがスクランブルフォーラムの教育部会の副会長・鈴木勝博さんでした。三嶋大社の静謐な場所が、まさにだがしや楽校のステージにぴったりの場所でした。

鎮守の森の木陰を客席に芸能殿のステージが・・・おまいりする総門の内側がワークショップ・外側がこどもたちを楽しませるお店や三と分けられ物売り・小売りの店並みも並びました。鎮守の森のだがしや楽校です。みんなで楽しむ場所でした。

富士山を見て、大きな木のエネルギーを感じながら学ぶことが出来る。
そんな気持ちになりました。

こどもたちを育てる力は、まさに総合力です。

丸平さんという三嶋大社の横で、おにぎりカフェを経営している女性がコウ仰ってくださいました。ヒトスギ塾の法被をきて走り回る中学2年生に一人、すごく良い子が居ましたね、あの子は将来内で働いて欲しい人材でしたよ・・・そう言っていただきました。

なによりのありがたい評価でした。

要領よく受験をすり抜けるのではなく、人間力をしっかりはぐくみながらこどもたちに向かい合いたい。塾は受験だけをしっかりやって欲しい。だけをでは育てきれない子供たちのエネルギー。
こどもたちをはぐくむのは一筋縄ではいかない事業です。だから面白いと考えています。