会長・一杉真城奮闘記

創塾41年目です。
ヒトと人が行きかう交差点。
何気ないため息や息遣いが聞こえてくるような、塾であり続けたいと・・

今日からしばらく日本を留守にします。

2008-11-11 02:12:13 | Weblog
沼津新市長の栗原裕康さんが初登庁と新聞が報じていました。

激戦を勝ち抜いた新市長が、役所に行かれて、初仕事。
きっと嬉しい初日だったことだと思います。1200人とも1400人とも言われている企業の新社長就任のようなものですから・・
人事から、方針作成やら、慣れない公務にしばらくはお祝いムードでしょうし。

静岡新聞の取材に、合併は名前は、三島市でも良いと言われたことが問題になっているとか、イーラでが失敗だったと言う発言は問題だとか早速言われているとおききしましたが、沼津のキャパ(容量のことです)で、色々な商店や企業を誘致することは本当に難しいことです。
東急ハンズやスターバックコーヒーを沼津に来て欲しいと言う動きもあったのですが、市場価値の低下で見送られたと聞いています。
合併も含めて早く、魅力ある街づくりへの具体的な行動が求められています。
私は市長に期待したり、ただ求めるのではなくともに汗を流す行動が必要だと思います。オバマさんではありませんが、Yes WE CANでなければならないとも思います。

ヒラリーさんや、マケインさんのように負けたら、潔く協力をする。
それぐらいでなければ良いリーダーではないと思います。

Noblesse Oblige (ノーブレス・オブリージ)=ノーブレス(貴族)のオブリジ(義務)、元々の意味は貴族は戦争になったら誰よりも早く進んで参戦しなくてはならないということだ。とインターネットで検索をするとでていましたが、渋谷幕張の田村先生は、尊い人は義務を持つと訳されています。

その意味では、加藤元章さんや近藤泰平さんや桜田光雄さんのこれからのありようには、関心があります。
加藤さんと桜田さんにはお電話をさせていただき、17日のお礼を直接申し上げました。沼川新放水路については、真剣に水害の街の汚名を払拭したと思っています。けっして選挙目当ての一時の行動ではありません。
むしろ選挙があるからこそ・・と考えての行動です。近藤さんは支持団体の意向でまったくご参加いただけませんでしたので、何も対応をできずにいます。

この放水路については、簡単に概略を書きますとこんな具合です。
富士山を一番上にして、駿河湾まで水が流れ落ちてきます。
しかし、駿河湾に臨む海岸線が少し高くなっています。
だから水が溜まります。沼になったり池になったりします。
浮島沼は有名ですし、田子の浦は、まさに富士山の前に見える浦・・湖沼です。

この溜まった水は。くみ出すか穴を開けて抜くしか方法はありません。もう一つ有す池を作って溜めてしまうと言う方法もありますが、決壊すると悲劇が生まれます。慶應年間に増田平四郎さんが、今の第一放水路にスイホシという排水路を建設しました。今から200年前のことです。

その後昭和に第一放水路(60T/秒)第二放水路(60T/秒)が作られ、ずいぶん良くなりました。
しかし開発が進み、いよいよ排水が難しく、60+60の二倍強。260~310トン/秒の放水路が建設計画されたわけです。

ぜひ実現にこぎつけてほしいとおもいます。

帰国は11月7日の予定です。最初の予定はもっと前にしていたのですが、ふか~い訳がありまして・・いろいろな方にご迷惑をおかけしました。
行ってまいります。

昨日は不思議な日でした。

2008-11-10 00:30:34 | Weblog
原のコミニテイーの文化祭に行ってきました。

色々な方にお目にかかることが出来、驚きました。
今沢の文化祭には伺えなかったのですが、家族は楽しんだようでした。
びっくりしたのは今沢の成田さんがボランテイアでごみを集められていたのには驚きました。頭の下がる方でした。
おみゃ~ぜんぜん電話よこさんジャンか?怒られてしまいました。
片浜駅でお目にかかったときに携帯電話の番号をお聞きしたのですが、携帯が水濡れの悲劇に遭い、電話番号が吹っ飛んでしまっておかけしなかったのを叱られてしまいました。
川口君や芦沢君と言う卒業生が子どもを連れていたのを見てびっくりしました。
芦沢君のお嬢さんは9歳、小3年生とは信じられないぐらい良く身長の伸びた、うらやましいお嬢さんでした。

夕方中坪くんが、木宮敬信先生と衛藤晃平さんを連れてきてくれました。
中坪くんは、来年のはじめには順調に行けばトリポリです。

衛藤晃平さんは金沢大学の大学院を出て、金沢付属中のバスケットボール部の世話をしていたり、大学のバスケットボール部を見ているうちにはまってしまい、浜松大学のアシスタントコーチの傍ら、プロに近いコーチを目指すためにアメリカへ行きたいという相談でした。

アメリカの懇意にしているプレップスクールを二、三名前を挙げておいたら、そのうちの一つがNBAドラフトの選手を出したとかで、是非そこにと言う話でした。
その学校なら一番スムースに行くと思っていましたので、話は思ったより簡単に行きそうです。そんな話をするうちに、分かったことですが、驚いたのは彼が私の高校と同じ出身高校だったことでした。

後輩の面倒を見なければ男がすたる。彼の希望通りか、それ以上のコーチ留学にしようとひそかに策を練ろうと思いました。

しかし安定した仕事を、横において男の勝負を賭ける。若者もそれほど見捨てたこともない・・そんな爽やかな一日になりました。

またブログのことである方にお叱りを受けました。
小さい小さい。

もっとゆったりと書きなさい。そういってお叱りを受けました。
今日仰っていただいたことをもう一度噛み締めてみようと考えています。

60歳を過ぎてなお、教えていただく機会をもてたことを謝したいと思います。
今時計の針が次の日をさしています。
おてんとうさまに恥ずかしくない生き方をもう一度しっかりと胸に刻んで・・・
と思いました。

ブログの怪?

2008-11-09 14:46:16 | Weblog
ブログに書いていますね?

ここのところ2回、私のブログを読んでいるよ!というお話をいただきました。
へ~と驚きです。
私のことをお節介小母さんやて~って書いたんだって小野寺先生から電話があったわよ女房にじんわり虐められました。
申しわけありません。私の昔の友人のことで、小野寺女史がそうだといったわけではないつもりでしたが、これ良く読み返してみると、そうとられる表現になっているようで、申しわけなかったと反省しております。8月1日の記事でした。

もう一つは、選挙のことで、幹事長さんに脅されたとあるのは穏当ではないというご指摘でした。「自民党公認候補には勝てませんよと言われれば、こりゃこちらは素人ですから、ビビーンと響きました。」
よく、このくだりを読んでいただければ、お分かりいただけると思いましたが、これはこれで難しいものです。
いずれにしても、いろいろなところで見ていただいているのはありがたいことではありますが、酒の肴のように扱われてもちょっとちょと~!!!とは言ってもまあそんなものなのかもしれません。

一杉会長奮闘記と名づけられたので額に汗、冷や汗も含めてかきながら、書いて、いかにも悪戦苦闘しているイメージを自分で勝手に作って、ひたすら書いているのですが、あまり悪用されたり、陰口を言われるのも、好ましくないような気がします。

最近、私の書いているブログを引用していただいてメールをいただくこともあります。新しい文化になじんでいないので、ええ加減にやめんかいや~と言われれば、ごめんなさい・・・おしまいにします・・・になるかもしれません。

しかし毎日、数十人の方が見に来ていただけるという、このブログの不思議さはなんなのでしょうか?
昔、むか~し久保栄と言う劇作家に憧れた、高校生の時代。
演出家の村山知義さんのところに弟子入りをした頃から、世界を表現したいと思って志を持った時期もあったので、今、にせものではない真実を表現し、ホンモノを世に問いたいという思いを、こころのどこかで暖めている気もします。

にせものとまがい物が跋扈する世の中であってはならないと思っています。
ホンモノは何かを、いつも妥協せず、生きて行きたいと思っています。

う~ん。トーンが変わってしまいました。
ブログの怪を、いろいろ書き連ねるつもりが、失敗・・真顔(まじがお)になってしまいました。
ともあれ思いつくことをなるべくストレートに書いているので、ひょっとしたら間違いや不要なことを書くこともあろうかと思います。しかし、覗き見をするようなお品のないことは、できればないようにしていただければありがたいと思います。
これも言い訳がましくて嫌味かな?ナーンチャって!

スーパーボールとスーパーチューズデイ

2008-11-09 02:04:00 | Weblog
スーパーボール

良く弾む強化ゴムで出来たボールをスパーボールとも呼びますが、アメリカンフットボールの全米一を争う一大イベントのことでもあります。
昨シーズンはニューイングランド・ペイテリオットというボストンを中心にしたテイームが、優勝しました。
スーパーボールはは1月の最後の日曜日に行われる一大イベントです。
私は数年前、マイアミのジョーロビースタジアムで行われたサンジェゴ・チャージャーズとサンフランシスコ・49’Sのスーパーボールの試合を観に行ったことがあります。
アメリカ人の二人に一人は必ず見ているとか、犯罪者が、貴方はスーパーボールの招待状に当たりました・・と言う偽手紙におびき出されてのこのこ捕まりに出てきたとか、ハーフタイムにトイレに行くと下水道が吹っ飛ぶので、トイレ時間を調整してくれというコマーシャルが流れる街があるとか人気にまつわるエビソードはたくさんあります。

スーパーチュ-ズデイ。
全米を二分する大統領の投票日で有名で、火曜日は一大選挙日となりました。日本では日曜日に投票が行われ、先日の沼津市長選挙も投票率が50パーセントを割ったとか言って騒いでいるようです。
麻生さんがやるとかやらないとか色々手練手管を弄している総選挙も投票日は日曜日です。アメリカでは日曜日は安息日と決められており、火曜日に投票をするのは月曜日にすると遠い人が日曜日に出かけなければならなくなるのを避けてのことだと聞いたことがあります。
休みの日に投票日を設定することは、やはり間違っているように思えます。

選挙に行くのを義務だと考えるのなら、平日に実施したほうが良いと思います。
その日は、仕事に遅れていったり、早く帰ることを認めたらどうでしょう。
不在者投票に行くのと同じように思えます。

今年のスーパーチュ-ズデイでは、47歳のアメリカの大統領が誕生しました。沼津も衆議院議員の渡辺周さんが同じような年齢だと思いました。加藤元章さんは44歳の市長立候補でしたが、若者の風は起きなかったようです。
46歳の国会議員、44歳の市長。47歳のアメリカ大統領。
63歳の当方としては20歳も若返るのも、沼津の街にとっては面白い時代を迎えるなという気持もありましたが、沼津の街は今回は若さへの選択はなかったようです。救いは市議補選の高橋くんが40歳であったことでしょうか?

中坪功一くんが訪ねてきました。20台の真ん中エイジです。
彼は小学校5年のときから塾に通ってきた子でしたが、小6のとき沼津陸上に所属して400メートルリレーで全国優勝したときのメンバーでした。

中学校に上がるときに一人でアメリカに行けるほどの良い度胸をした子でした。
サッカーでSパルスのジュニアのテストに合格できなかったので、中学の成績が1桁台ならアメリカの留学の面倒を見ると言う約束でがんばって中学3年から、アメリカに留学しました。
高校大学とアメリカで過ごした彼がロスアンゼルスの日系の貿易商社に就職をしたのは数年前でした。ロスでほとんど日本語だけの生活にアメリカで勉強した意味がないと落ち込んでいたので、アフリカや中東に医療機器を売っている商社に再就職をさせました。2~3ヶ月の東京での研修を終えたらリビアに行くと張り切っています。

東京での数ヶ月の住まいもアメリカでインターネットで探して、シェアハウスと言って、一軒の家を5人ぐらいで共同で借り受ける形式ですむ予定で、アメリカ人・イギリス人・インド人・オーストラリア人と住むようになりそうだと笑っていました。ロスでもそうすればよかったじゃないかと言いましたら会社の社宅では、無理無理と笑っていました。よほど窮屈だったようです。

アメリカンフットボールの試合を見ましたよ。訪ねてきた彼は嬉しそうでした。
 ロスを離れることが決まって友達がチャージャーズとペイトリオットの試合のチケットを回してくれて一緒に観に行ったそうです。ロバート・クラフトさんに会って写真をとりましたよ。ペイテリオットのオーナーです。
嬉しそうでした。中坪くんのは廉くて高い位置にある席、クラフトさんは同じ高い場所の貴賓席。出てくるときに会ったら、みんなはチャージャーズのユニフォームを着ているのに、彼だけがペイテリオッツのユニフォームを着ていたので、声をかけられたのだそうです。
良い経験でした。彼は笑って言いました。一緒に写真も撮らせてもらったそうです。

沼津は本当に良いところですよね。彼はそう力説しました。
十年経って世界を相手に十分戦えるようになったら戻っておいで・・そういって送り出しました。年が明けると彼はリビアに行きます。
リビアってどこにあるんでしたっけ。

電気自動車Eliica(エリーカ)に試乗してきました。

2008-11-02 21:23:56 | Weblog
慶應義塾大学環境情報学部の清水浩教授が作られた電気自動車エリーカに試乗させていただきました。

この車を私に強く認識さえてくれたのは、常葉橘高校のサッカー部のキャプテンの井戸クンでした。
環境問題に関心が高くその方向で進学を考えている彼の指導を、たまたま友人から依頼されたので一緒に勉強をはじめました。
彼が沼津図書館から借り出してきた本の中に清水教授に関する本がいくつかありました。その本を読んでいると清水教授が開発された電気自動車は、既存のガソリン自動車が作っている産業構造そのものを革命的に変化する可能性を秘めているので普及しない・・と書いてありました。

石油が、石炭を中心とした産業構造を変化させ、夕張や筑豊の衰退と没落を招いたのと同じ現象が、車を中心としたこの日本社会に起きる?起きている。!

さっそく清水浩教授にお目にかかりに行きました。
東北大学ご出身の先生は、まっすぐな目で、少し、いたずらっぽそうな表情で電気自動車開発について話をしていただきました。ここのところ東北大学出身のかたに節目節目にご縁があります。
駐日イラク大使ジュマイリ博士とご一緒に試乗させていただけることになりました。
イラクは世界第2位の産油国です。第1位はもちろんサウジアラビアですが、石油そのものを需要を落とす結果になるこの電気自動車の存在に一番関心があるのはむしろ産油国ではないかと考えたからです。
イラク大使の試乗が、日本のものづくりの技術がアラブの資金投資誘導の入り口になればこんな良いことはありません。
10月31日(金)新川崎の慶應のK2キャンパスでの試乗は実現しました。
心地よい加速感に圧倒されました。

清水博士とジュマイリ大使との間には思いがけない接点がありました。
ジュマイリ博士も工学系のドクターでしたが、お二人ともレーザーの関係の勉強をされていて、コロラド大学留学時代のお師匠さんが兄弟弟子だったそうです。
お話の様子ではお二人とも世界的に有名な先生方につかれていた様子でした。

小泉首相もすでに乗られているとかで、住友銀行の副頭取をされた方もプロジェクト・リーダーになられて計画も一段階加速がついた様子ですが、更なる飛躍にアラブのオイルマネーが動けば、産業構造の変革に力を貸すことが出来るように思えます。
 
この電気自動車の交通システム変更は、ひょっとしたら日本発の産業革命かもしれません。織物工業を中心とした軽工業から、車社会を支える重工業へ業態変化を上手く成し遂げたTOYOTAの動向が興味深いな・・と思いながら沼津に戻りました。

関東自動車・矢崎総業・・沼津にも車社会あっての産業がたくさんあります。
ITを中心にした産業革命の予感。この地域社会は、どうなるのでしょうか?

井戸クンとは、電気自動車が変えるかも知れない未来社会について、色々議論しながら彼の知識を広げていこうと考えています。地元の大岡中から時間をかけて静岡まで通う彼の前向きな生き方には好感が持てます。
私よりもっと長い時間、未来社会で過ごす彼のより良い時間を設定できるのにひと役かえる。やりがいもあり嬉しい今という時間です。