会長・一杉真城奮闘記

創塾41年目です。
ヒトと人が行きかう交差点。
何気ないため息や息遣いが聞こえてくるような、塾であり続けたいと・・

衣替え・・の季節です。教育支援協会10周年総会に出てきました。

2009-05-30 07:21:28 | Weblog
ヒトスギ塾のHPも新しくなりました。
http://www.hitosugi-juku.co.jp。会長室も開かれ、最初のご挨拶を、校正して送ったばかりです。

今日は、久しぶりに教育支援協会の総会に、出席します。
その後は阿部進先生とご一緒に三島にとんぼ返りして、明日開催される、スクランブル・フォーラムの「だがしや楽校2009静岡in三嶋大社」シンポジウム開催のためのパネラー、東北芸術工科大学・片桐隆嗣教授を迎えて、事前打ち合わせです。

教育支援協会の総会は横浜の阪東橋で10:00から開会です。
食事が済んだら、すぐに出かける予定です。

行ってきます。

教育支援協会総会に出てきました。
11:00からの理事会には、オブザーバーで参加してきました。
吉田博彦さんも中教審の委員でがんばっていますし、畑さんという「ひのき秀英学院」以来の逸材も健在でした。
熊本から久しぶりに浦田先生も上京され、10年の流れを感じてきました。
教育支援協会も2億を超える事業体となり、昔とはまったく違う形ですが、星野さんや五藤さんも元気そうでした。

その後の総会では、寺脇研さんや、カバゴンこと阿部進さんが、なかなかお元気そうで、寺脇さんの話はいつ聞いてもケレンみがなく痛快です。
樋口修資さんという文部科学省のかたも隙のないお話を上手にされる方ですが、寺脇さんの「百マス計算でバカになる」も、大変面白い本でした。

私は大学でこんな講義をしているという京都造形大学の講義録ですが、挑戦的な題もそうですが、霞ヶ関滅多切りと・・・なかなか読ませます。

文科省が、学校教育主導から生涯学習に舵を切った以上、その方向を確立すべきという哲学はまったくぶれていないので、傾聴に値します。
その本の126ページには、こんな記載がありました。
効果的な道州制とは。
総務省(旧自治省)は道州制を仕切ることによってその存続を図ってくるだろう。本来、道州制と地方自治の合併はとは次元の違う話だが、わかっていてそういうことをしてくる。
と書き出されている。

その後、「私は道州制に賛成だ」とあり、日本は地域のアイデンテイテイを育てるうえでも道州制に中で地域を豊かにすべきとある。
川勝理論として、静岡文化芸術大学の川勝平太学長の「森の州」「山の州」「野の州」「海の州」の4つの国に分けて森の州と野の州の間に首都機能を移転すると言う意見を紹介されている。
大賛成。
皇室も京都か、奈良に遷都していただければ完成のように思う。

そんな方が、今回静岡県知事選に立候補されるという。
悩ましい・・・・

東京同窓会に出席してきました。

2009-05-25 01:51:01 | Weblog
住中・住高同窓会第52回定時総会・懇親会パーテイーに先週土曜日に出席してきました。
数年前に大阪で、同期が集まる還暦同窓会に参加したら、メインスピーチをした女性ともう一人の女性が二人とも昔のガーレフレンドで、すっかりなにがなんだかわけのわからない同窓会で、驚きました。

今回は、東京駅の前の日本工業倶楽部という場所で、丸ビルのとなりの良い場所にある環境の良いところでした。

同期は、私と女性が一人。挨拶をすると一杉くん?知っているよ。テレビで見たよ。及ばずながら少しカンパもさせてもらったわよ。あなたの名前は記憶にあったので、すぐ同窓会名簿で確認したんよ。
ここまでは良かったのですが、相手の女性は、ず~と話し続け・・・・私は、マシンガントークの聞き役でした。ゲスト講演の、千葉ロッテ球団社長の瀬戸山隆三さんのお話ではないですが、会話も、ひたすらしゃべり続けられるとノックを受け続ける心境になってしまいました。いやいやなかなか楽しいトークでした。(汗)

途中で上着のボタンが落ちてしまったのですが、クラブのマネジャーにお願いしたらボタン付けをして返してもらえました。
たいしたサービスです。日本工業倶楽部は実に対したものでした。

この東京同窓会が、来年で最後になるかもしれないということが、「すみよし」という会報に書いてありました。大阪の母校でもあるので、無理に東京でやることはないのかもしれませんが、あの場所での温かい会なら魅力だろうなあ~と思いながら会を後にしました。
の始まる前に新橋でひとつ会、終わった後に有楽町でもうひとつ用事があったので、長居はできませんでしたが、瀬戸山さんの「プロ野球四方山話」もなかなか中身があって楽しい会でした。

ロードアイランド州の州都プロビデンスにあるブラウン大学の同窓会は、ホームカミンデーと名づけられ、友人のバーナムさんの家には息子さんのジョン・バーナムさん夫妻の子どもさん。つまり三人のお孫さんがとまりに来たり、バーナムさんの奥様、つまりおばあさんが泊まりに行って、ベビーシッターをしに行かれました。
二人は同窓会に出席です。
特にヨット部の集まりが楽しいらしく毎年ふたりそろってでかけました。

そんんことも思い出しながら参加させてもらいました。
隣に座った2年後輩という人たちが楽しそうではあったのですが、あまり話もできないまま、時間になってしまいました。


沼川新放水路計画について

2009-05-18 03:47:04 | Weblog
沼川新放水路計画について、考える会を開催しました。
高校時代の能力開発研究テストの集会を開いていたときのことを思い出しました。

当時、新聞部の部長をしていた成瀬君というクラスメートが、先頭に立ってこの能研テストについて反対の立場でオーガナイズにかかっていました。
大変な理論家で、当時の社会分析では彼に勝てる人間はいなかったような気がします。初心を全うして労働運動を最後までやったのですからたいしたものです。
私は彼の尻馬に乗って、運動部の友人が多いのを幸い一緒に議長をやりながら、運動部の連中に協力してもらいながら議場の混乱を防ぐ役目でした。

昨日の集まりは、少し、違うものの焦点の当て方は同じだと思っていました。

まず公共事業に対する市民参加の形とありかたの問題です。
昭和63年に発表され、平成4年にいよいよこのままでは事業が中止に追い込まれるということで、スタートした沼川新放水路の問題については、国と県が一体となった公共事業に反対した以上は責任は市民がとらなければならないと思うのは普通のことです。

現にその結果、その苦しみは市民が負っているのですから。

その公共事業を早期完成というのなら市民がよほどの熱意を示さなければ一歩も二歩も進むわけがありません。
私はそう考えて手弁当で・・この活動をやはりやり遂げなければならないと考えているわけです。

沼川新放水路促進協議会というもとの沼川新放水路対策委員会が、変化した会がありました。ざんねんながら、この会はここ数年開催されていません。
この会は、市役所の要請で促進協議会に変えてほしいということで、1街づくり
2安全 3地権者の3部会を形だけ継承しながら、中身を置いてきてしまった、いわば仏からどんどん魂が抜けっていったものになってしまいました。

この放水路を本当に三本松という地域、おとなりの大塚新田の地域住民にとって魅力的なものにするにはまだまだ地域のかたがたとのコンセンサスを得るように努めなければならないと・・・つくづく思いながら夜明けを迎えました。

能研テストの集会のときは、1週間ぐらい徹夜に近い状態が続きました。
あの時は、私たち生徒にとって、このテストを受験すことにどんな意味があるのかを問いました。しかし、誰も、その答えは提示されませんでした。
そのおかげでたくさんの友人ができました。充実した高校生活を送ることができたような気がします。

三本松に住んで40年余りがたちました。何代も続いた一杉の家のものとして。
なぜ、今、この集会が必要だったかを訴えたいと思います。
私は、この放水路を、本当に地域の人たちにとって「良い川」にしたいと願っています。こころから。

沼川新放水路対策委員会について

2009-05-17 08:54:58 | Weblog
今からちょうど20年前になるでしょうか?
ヒトスギ塾が創塾20年目を迎えたときに塾も成人式を迎えたのでヒトスギ塾の社会性を高めたいということで、社会活動をいろいろ行うことにしました。
そのひとつが沼川新放水路計画へのボランテイア参加でした。
今日、原地区センターで開かれる沼川新放水路を考える集いで私が発表する予定になっている「対策委員会の活動について」のレポートです。

【沼川新放水路対策委員会の活動について】
                沼川新放水路対策委員会書記長 一杉真城

平成4年4月4日、三本松自治会総会の総会決議に基づいて新放水路対策委員会は活動を開始しました。
桜田光雄沼津市長の熱意と沼津市の鈴木孝河川課長・高橋正登河川課長補佐の昼夜を問わぬ熱心な活動があってのことと懐かしく思い出されます。
こうした熱意で当初18000万あまりの予算が執行され、引き続き平成5年・6年には12500万あまりの予算が使われていきました。
その間、新放水路反対同盟の方がたとの話も進行し、勉強会も含め2年間に実に30回以上の活動が進められたのはお手元にある報告書のとおりです。

その活動の中でも特筆すべきことは以下の三部会を作ったことだと考えています。

1街づくり部会
2安全部会
3地権者部会

この3つの部会を中心に、私たち市民にとって親水性の高い、すばらしい放水路を行政と力を合わせて作るんだという熱意をもって活動を行いました。
市民の熱意と日常の活動がなくては「沼川新放水路」は完成を見ない。そう考えて沼川新放水路対策委員会書記長として活動を行いました。

子し孫そんにわたっても良い仕事をしたと誇れる放水路事業に参加するのだという誇りがありました。だからこそ、忙しい仕事を犠牲にしても毎月のように開かれる会議や話し合いのボランテイア活動を周囲の理解をいただきながら参加することができました。H5・H6だけでも実に30回以上も会合を開き反対同盟の方とも話し合いを持ちました。課長や、課長補佐は縁の下の力持ちよろしくもっと尽力されたと思います。
平成18年12月15日、新しい教育基本法が、第165回臨時国会において成立し、12月22日に公布・施行されました。そこにはボランテイア活動への参加についての新しい薦めが大きく書かれています。一部には憲法改正を視野に置いた徴兵制への布石だという言う考えもあります。
明治憲法に教育勅語、昭和憲法に教育基本法、平成の教育基本法改正に新しい憲法は十分考えられることでもあります。
だからこそボランテイア活動についての行政・市民との協働活動が重視されています。


国の重要な施策である治水事業への市民参加が必要だからこそ沼川新放水路対策委員会は発足したはずです。
教育基本法には子供たちが受けるべくボランテイアの心が謳われています。
まず、大人が手本を示すべき・・わたしはそう考えて取り組んでいます。


沼川新放水路計画について

2009-05-16 09:59:16 | Weblog
平成4年4月4日。今から17年前です。
三本松集会場で、三本松区民総会が開かれました。
総会決議として沼川新放水路計画を区民として考える対策委員会を発足させるという議決を行いました。
反対決議をし、反対同盟と声高に歩調を合わせていた三本松自治会を大きく舵をきるきらせることができた日です。

当時の自治会長は渡辺宏さん。
新自治会長は一杉忠利さん。

忠利さんのお宅と私と家は東の家、西の家と呼び合う親戚同士です。
忠利さんのお姉さんが嫁いだ、春日製紙の常務をされた一杉貫一さんと、私の父・一杉廣雄とは沼中で一緒という仲良しっだったそうです。

その後、父と貫一さんのおとうさんとは、いろいろなことがあったので、少し、疎遠になりましたが、忠利さんの子供さんは二人とも塾の生徒でおあずかりしたり、り、今では、お孫さんまでお預かりする良い関係が続いています。

良い関係といえば、この放水路をめぐっては、いろいろな人間関係も生まれました。一番困ったのは反対同盟を中心になって進められた一金さんとの関係です。
一金さんは、三本松という踏切のそばのお店やさんの屋号で、店主の一杉幸雄さんが娘さんと一緒に、我が家に見えて放水路を是非、反対をしてほしいと直談判されました。
一杉幸雄さんの娘婿さんの一杉秀二さんとは子供会を会長・副会長を一緒にやった仲ですし、お父さんの幸雄さんは私のおばの同級ということで、大変良いお付き合いを長くさせていただいていましたが、このことがあって人間関係に本当に微妙な影を落とすことになってしまいました。

そのときの一金さんの主張は2点でした。
①勝手に放水路の図面に手を加えられ、本来は通っていなかった自分の家が犠牲になった。
②海面から低い沼川の水を海に流すという放水路は危険なものなので、とても許可するわけにはいかない。
50年たってもできませんよ。この計画は。そうもいわれました。
細かいことはいろいろありましたが、当時まだ20年そこそこしか三本松にはいなかった私は、まだまだよそ者扱いであった気がしますし、納得できるようなできないような気がしたことが記憶にあります。

結論としては、このときの三本松自治会決議に基づき放水路対策委員会をつくり、1安全部会 2街づくり部会 3地権者部会 構成で、地元への広報活動も含め、件と国が作る事業の地域活動への働きかけをしました。反対同盟の旗を降ろすことを条件に反対同盟を作る方々にも対策委員会にはいっていただき、県の要請をうけいれて測量にも協力をし、当初予算18000万、2・3年目は12500万づつ消化し、事業はすすむようになってきたことは周知の事実です。

しかし、当初積極的だった、桜田光男市長が、突然国政に立候補をするということになり、おかしな風が吹き始めました。

そのときから、12年余りが経過しました。
県のHPをみると504億円の事業と明記されています。
私が対策委員会で聞いたときには600億といわれ、628億という数字を示されたこともあります。私が一番問題にしたのはいつ完成する予定の計画か?ということでした。さらに、一番問題となる、海への取り出し口の設計図面が一回も公開されていません。ここが問題です。※註(後から入れます)
シールド工法と書かれてありますのでトンネルなのは間違いありません。
こうした問題も内在しながらの12年だったように思われます。

明日17日。
原地区センターで、「沼川新放水路を考える集い」の3回目が開催されます。

だがしや楽校2009静岡iin三嶋大社 

2009-05-15 06:49:38 | Weblog
初夏になりました。

ヒトスギ塾のHPも一新し、気持ちも新しく2009年のスタートとなります。
昨日はスクランブル・フォーラムという私も所属しているボランテイア団体の5月31日のフォーラムの開催をめぐっての会合を三島商工会議所の4階に集まって行いました。

基調講演を「カバゴン」こと阿部進先生にお願いすること、シンポジウムのコーデイネーターを東北芸術工科大学の片桐隆嗣教授にお願いすることを骨子に概略を決めました。
テーマは「だがしや楽校2009静岡in三嶋大社 スクランブルフォーラム」
サブタイトルが鎮守の杜に・・だがしや楽校!だがしや楽校って何?

今、山形で始まっただがしや楽校の活動が、横浜で不登校対策の一大イベントとして日本丸だがしや楽校として数万人イベントとして行われています。
www.dagashiya-gakko.com/yatai/yokohama/d-yokohama.html
私は伯井さんが横浜市の教育長さんにおいでのときに、ご縁で、この日本丸だがしや楽校を創立のときからお手伝いし、雨男の吉田博彦氏のおかげで雨にたたられながら横浜に参加をしてきました。

本家の山形でだがしや楽校全国寄り合いがあるからと誘われ懐かしい、上山温泉に伺いました。
酔っ払った勢いで、来年は横浜、その次は静岡!と叫んでしまったおかげで、横浜・山形・静岡とだがしや楽校全国寄り合いをコーデイネートをする羽目になってしまいました。まあ面白い人たちと楽しいお酒が飲めるから・・いいや。
というのりで今年も山形で全国寄り合いです。

三嶋大社のだがしや楽校は、今年も8月30日(日)に、三嶋大社で行う予定です。

この主催をおこなうスクランブルフォーラムという団体については、これからゆっくり語りたいと考えています。
今日は5月15日金曜日、天気は晴れ。
時間は早朝7時25分。
富士山は今日も見事です。